聖書のみことば
2016年1月
1月1日 1月3日 1月10日 1月17日 1月24日 1月31日
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

「聖書のみことば一覧表」はこちら

■音声でお聞きになる方は

1月3日主日礼拝音声

 荒れ野に叫ぶ者の声
2016年新年主日礼拝 2016年1月3日 
 
宍戸俊介牧師 
聖書/マタイによる福音書 第3章1〜6節(7〜12節)

3章<1節>そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、 <2節>「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。<3節>これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」<4節>ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。<5節>そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、<6節>罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。<7節>ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。<8節>悔い改めにふさわしい実を結べ。<9節>『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。<10節>斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。<11節>わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。<12節>そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

 ただ今、マタイによる福音書3章1節から12節までをご一緒にお聞きしました。1節2節に「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言った」とあります。新約聖書の中の4つある福音書のいずれもが、主イエスよりも少しだけ先立って現れ、そして主イエスを指し示す役割を果たした人物として、ヨハネのことを語っています。このヨハネは、人々に悔い改めを呼びかけ、その悔い改めのしるしとしての洗礼を大勢の人たちに施したところから、バプテスマのヨハネとか洗礼者ヨハネと呼ばれる人物です。今日、私たちが共にお聞きしたところでも、ヨハネが洗礼を施したということは6節で語られているのですが、しかし、この福音書に限っては、ヨハネは洗礼を施す者としてよりも、むしろ、悔い改めを強い調子でイスラエルの人々に訴えかけた悔い改めへの導き手として、より一層印象的な姿で私たちの前に立ち現れてきます。

 新約聖書の4つ福音書は、それぞれ互いに少しずつ違った書き方がされていて、一つ一つが皆、個性的なのですけれども、このマタイによる福音書に登場するヨハネは、洗礼を授ける洗礼者の姿よりもむしろ、悔い改めへと人々を導こうとする説教者であり、預言者として描かれているところに特徴があります。ですから、今日のところでは、洗礼者ヨハネが現れたことが述べられ、またその教えた言葉「悔い改めよ、天の国は近づいた」という教えの言葉が語られた後、さらに3節のように続けて紹介されています。3節「これは預言者イザヤによってこう言われている人である。『荒れ野で叫ぶ者の声がする。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」』」。ヨハネや主イエスの時代から700年も前に活躍した旧約の預言者イザヤが言い表したように、ヨハネは主への道筋をまっすぐに整えるために遣わされた預言者なのです。
 しかもヨハネは、居並ぶ預言者の中の一人などではありません。特別な預言者なのです。ヨハネの特別なところは、彼の告げた預言の内容にあります。2節「『悔い改めよ。天の国は近づいた』」とあります。「天の国」の近さが語りかけられられるのです。「荒れ野に呼ばわる声が聞こえる」とイザヤが預言した言は、実際には「天の国が近づいた」という言葉だったのです。ところが、こんなことを預言した預言者は、今まで一人もいなかったのです。旧約の預言者の普通の語り方は、「主は言われる」とか「主がわたしに告げられた」と言って、その後に、主なる神が地上とはかけ離れた天上にあってお考えになっておられることを地上の人々に明かす、というものです。旧約の預言者たちは、私たちが生きているこの地上から遠く隔たった天の事柄を、少しだけ聞かせてくれるというのが当たり前だったのです。
 ところがヨハネは、その天が今や私たちの生きているこの地上と限りなく近づいてきていると語ります。もしも本当にヨハネが語ってきかせた通りに天が地に近づくのであれば、もはや今後は預言者が必要なくなります。特別な預言者たちを通さなくても、この地上で神の御言が語りかけられ、それが聞かれるようになるからです。ですから、ヨハネの伝えた事柄は、それ以前の誰も語らなかった預言であると同時に、預言者という人々の終わりを告げる内容でもありました。ヨハネは特別な事柄を告げ知らせた特別な預言者であり、また、本当に最後の預言者だったのです。

 しかし、ヨハネが最後の預言者だというのは、あくまでも彼の語った事柄が本当だった場合です。ヨハネが当時の人々に語って聞かせた事柄は、果たして本当のことだったのでしょうか。そのことを考えるために、このヨハネの言葉が、その後どのようになっていったのかを、聖書の言葉に聴きながら、少し辿ってみたいのです。
 ヨハネが当時の人々に伝えた言葉、天の国が私たちの生活するこの地上に限りなく近づいてきているという、その知らせは、ヨハネが語ったきりそのままま立ち消えとなったのでしょうか。そうではありません。ヨハネが宣べ伝えた事柄は、あるお一人の方によって受け止められ、その方がヨハネの告げた事柄を事実であると証しするように、さらに言い広めていったのです。そのお一人の方とは一体誰でしょうか。マタイによる福音書の4章12〜17節を見ますと、一体誰がヨハネの告げた知らせを受け継いて宣べ伝えたのかが分かります。「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。』そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」とあります。ヨハネの告げ知らせた言葉と一言一句違わない、そのままの言葉を主イエスが宣べ伝えるようになっています。何故なら、主イエスこそがまさしく、ヨハネの宣べ伝えた「天の国が地上に見える形となって現れた」その接点におられる方だからです。
 主イエスがおいでになるまで、地上の人間は誰一人の例外もなく、神の御言に完全に従い、神の御支配されるそのままに生きているなどという人はいませんでした。どんなに敬虔な人であっても、どんなに信心深い人であっても、完全に神に従うことはできないで、どこかで神を忘れて神抜きになってしまったり、神の御言に従うよりも自分の思いや願いを先立たせてしまって、御心に従わなくなるところがあったのです。
 しかし、主イエスは違います。主イエスは完全に神の御心をご存知であり、また、祈りの生活を絶え間なく続けて、いつも神の御心に完全に従う生活を送っていかれました。この主イエスという方を通して、地上に初めて、目に見える形で、神の御支配に忠実に従って生きる生活が現れたのです。ヨハネの告げた通り、天の国が私たちの生きるこの地上の暮らしの中に踏み込んできて限りなく近づくということが起こったのですが、それは主イエス・キリストという方を通して現実になったのです。
 ですから、ヨハネの告げた「悔い改めよ、天の国は近づいた」という教えを、ヨハネの次には主イエスが受け継いで、この地上に広めていくということになったのです。ヨハネの告げ知らせたことは本当のことだったのだと、主イエスご自身が、その身をもって証しするように表して下さいました。ですから、ヨハネの言葉は偽りではないのです。まさに、ヨハネが告げた通り、天の国は主イエスという方を通してこの地上にやってきていると言ってもよいほど、近づいてきているのです。
 しかし、実を言えば、それで終わりというのではありません。主イエスによってもたらされた地上の国は、主イエス一代限りで滅んだのではなく、主イエスより後の時代には、主イエスこそ主であり救い主なのだと信じる群れによって、即ち、教会によって受け継がれていくのです。主イエスが教会の群れに命じて、そういうあり方をさせて下さいました。
 マタイによる福音書10章7節で、主イエスがまさしくそのように12弟子たちに命じておられる言葉が出てきます。「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」。「天の国は近い」、それは今や触れるほどの近くにあり、天の国の事柄を私たちも見聞きできるほど近いのだ、そう最初に告げ知らせたのは預言者の終わりであるヨハネです。しかし、そのヨハネの言葉が本当であることを主イエスが身を以て表して下さり、そして、その主イエスを信じる教会も、この知らせを宣べ伝えるように命じられて、それぞれの時代に立ってきているのです。
 もちろん、私たちもそうです。毎週私たちが教会に集まって、このところで聞かされる事柄、それは天の国がどこか限りなく遠いところにあって、そこにおられる神を声の限り力の限り呼び求めなくてはいけないということではありません。むしろ、神は私たちにとても近く、共にいて下さり、私たちが生き悩む時も、途方にくれる時も、弱さの中に倒れ伏してしまいそうな時も、そのところに共にいて私たちを支えてくださるのだという知らせを、私たちはこの教会の中で聞かされます。このようことが起こるのは、主イエスが教会に「『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と命じてくださった直接の結果なのです。主イエスという方が教会の群れに伴い、いつも私たちに天の国と触れ合えるように働いて下さるが故に、私たちはこの地上にあって、共におられる主に信頼する信仰生活を歩むことができるようにされているのです。

 ところで、ヨハネの告げ知らせた「悔い改め」というのは、実際にはどのようなことだったのでしょうか。今日の箇所の中には、ヨハネが悔い改めをどのように考えていたかを知ることのできる2つの手がかりがあるように思います。一つは、悔い改めを人々に説いているヨハネ自身の姿、有り様です。もう一つは、ヨハネがファリサイ派やサドカイ派の人々に厳しく語って聞かせている警告の言葉です。その両方から、ヨハネ自身が悔い改めをどのように考えていたのかを知る手がかりが得られるように思います。
 まずは、ヨハネ自身の姿ですが、4節に「ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」とあります。ここに述べられているヨハネの姿から、教会は古い時代から、難行苦行を自らに課す苦行者の姿を見出して来ました。ヨハネは荒れ野にいて、ろくに食事もできないような中で、自らをぎりぎりのところまで追い込み、ただ神だけに救いを求めるような生活をしていたのだとしばしば語られてきました。衣服にしても、羊の毛で編んだ暖かなものではなく、ラクダの毛皮でできたごわごわした服を着ていたのだと、説明されて来ました。
 けれども、そういう説明は多分にロマン主義的なヨハネの理解であるようだということが、特に近年になって言われています。ここに出てくるヨハネの出で立ちや食べ物は、1世紀当時のベドウィンと呼ばれる砂漠の民の、ごく普通の姿であると言われているのです。ラクダの衣というのも、私たちが普段着慣れていないのでごわごわしているのだろうと勝手に想像しているだけで、実際には非常に丈夫で、また温かいようです。ただ、ヨハネの出で立ちがベドウィンのものだったということは、ヨハネが一箇所に定住するのではなく絶え間なく移動していく、そんな生活を送っていたことを示すのです。旧約聖書の中で信仰の父と呼ばれるアブラハムもかつてそうでした。「わたしが示す地に行きなさい。あなたを祝福し、祝福の源とする」。アブラハムはそういう約束を与えられて、その神の保護と導きに信頼して、与えられた一日一日の生活を歩んで行きました。そして、今、ヨハネもアブラハムと同じような旅人の姿で、この地上の生活を過ごしていきます。神が必ず今日一日分の生活を支えて下さると信じて、その日に与えられている生活の勤めに赴いていきます。そういう日々を歩んで行って、全て歩んだ先に、神がその人生を完成して下さるのです。ヨハネはそのように神への信頼の下に人生の日々を過ごしています。このところに、悔い改めた人間の姿が表れているのです。
 ヨハネの告げ知らせる「悔い改め」を知るもう一つの手がかりは、ファリサイ派やサドカイ派の人々に示した厳しい態度の中に表れています。この人々は当時のユダヤの一般民衆の信仰生活をリードするような指導的な立場や役割を果たしていました。ヨハネは一般のユダヤの民衆には洗礼を施してくれたのですが、こういうファリサイ派やサドカイ派の人が洗礼を受けてやって来るのを見ると厳しく叱責しました。それは、この人々の考えていた裁きと赦しの事柄があまりにも暢気なものだったからのようです。7節から10節に「ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。『蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。「我々の父はアブラハムだ」などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる』」とあります。
 特に、7節でヨハネは「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか」と問い質し、糾弾します。当時のファリサイ派の人々も神の裁きがあることは教えていたようなのですが、しかしそれは遠い日のことだと教えていました。サドカイ派に至っては、彼らが元々エルサレム神殿での日毎のいけにえを献げる礼拝の中で特権的な地位を持つ者たちでしたので、日々の礼拝を捧げる限り、イスラエルが滅びることはないと考えていたのです。
 ヨハネは、こういう人々よりもずっと危機感を強く抱いていました。言葉に出して言っている通り、ヨハネには、神の怒りと裁きが差し迫っているという思いがあったのです。
 ファリサイ派やサドカイ派の人たちは、ヨハネの勧める洗礼の事柄を大変軽く考えていて、これを一度限りのことではなく、神に向かって気持ちを新たにすることだと思って気軽に洗礼を受けにやって来ました。たとえて言うなら、毎年お正月に初詣に行って、新しく清々しい思いになって歩んでいくような、イベントの一つのようにヨハネの洗礼を考えたのです。
 しかし、ヨハネの方はそんな暢気なことは考えていないのです。神の怒りが今や差し迫っている。今や本当に悔い改めないと、この国は神の憤りによって焼き尽くされてしまうと考えていました。
 ヨハネにとって悔い改めは、気持ちや気分といった心の中だけの事柄ではなくて、本当に神のものとなって生きていくという生活の事柄だったのです。ヨルダン川の水に浸されて、ただ気分だけが清々しくなるけれども、すでにそこから、自分中心で生きるという相も変わらない生活が始まり、それが当たり前のことになってしまうのでは、この国はそう遠くないうちに滅んでしまうという危機感が、ヨハネにはありました。ですから、ファリサイ派やサドカイ派の人たちにヨハネが求めたのは、8節に言われているように「悔い改めにふさわしい実」、即ち、生き方の向きが変わり、自分中心で生きるのが当たり前であるところから、神の御言を聞いて従っていく生活へと、生活が変わることだったのです。

 ヨハネの告げ知らせる悔い改めは、頭の中や心の中の事柄ではなくて、御言に聞いて生きる生活です。自分の思いが常に先立ち、自分で自分の気持ちや思いを引き立たせ奮い起こしながら生きていくのではなくて、繰り返し、神の御言の許に自分を置いて、神に憶えられ持ち運ばれているものとして、自分を確かにしていただき、そして「与えられている今日一日の生活を、神に信頼して歩んでいく」、そういう生活が実際に生まれることをヨハネは求めました。
 もしも、このヨハネが今日、私たちの間に現れたなら、彼はどんな言葉を私たちにかけてくれるのでしょうか。おそらく、信仰生活は「今日、神への信頼のうちに生きていく生活なのだ」ということを強く語ってくれるのではないでしょうか。
 私たちは時に、過去を振り返って、昔の自分は今よりも信仰に燃えていたと思うようなことがあるかもしれないのです。昔のような情熱が今は幾分薄らいでしまったと思って、ふと寂しさを覚えるようなことがあるかもしれません。あるいは、今は様々な事情があって、願うように神中心の生活をすることはできないけれども、いずれ、いろいろな務めが手から離れて自分の思い通りにできるようになった時には、見事に神のためにお役に立って信仰を表したいと思うような願いを抱くことがあるかもしれません。しかしヨハネは、「今日、私たちが悔い改め、神のものとなってここから生きていく」ことを求めるのです。明日悔い改めれば良いとか、あるいは、人生に何度でも神に立ち返る機会があるというようなことを、ヨハネは思いません。今日悔い改め、御言に聞いて生き始めるという生活が生まれることを、ヨハネは求めるのです。

 ヨハネはそのようにして、主イエス・キリストへの道備えとなり、主イエスを指し示す荒野の声となりました。ヨハネ自身は、自分の後からやってくる方を、大変厳しい、火のような裁きをなさる方だと考えていたようです。10節、11節、12節のところで、3回にわたって、厳しい裁きの時がやってくるのだと、ヨハネは伝えています。実を結ばない枝は皆、火によって燃やされてしまうと10節に教えられ、更に12節では、脱穀された穀物の一粒さえ見逃さずに蓑によって集め、実の方は倉に入れられるけれど、残った実を持たない殻の方は永遠の火で焼かれるのだと、内容的には同じことが2度繰り返して教えられています。
 ヨハネの指し示した主イエスは、まさにこのような方でした。人間の罪を決して見逃さず、十字架の上で釘付けにして滅ぼしておしまいになります。ただし、それをご自身の身に引き受けてなさり、その御業を信じる者たちに、日によって清められ、精錬された清らかな生活を与えてくださったのです。
 そのような仕方で、私たちの間には天の国が成り立ち始めています。ヨハネが告げてくれたように、私たちのまことに近くに、天の国の神の御支配が現れ、また、私たちの罪も、この御支配の中で焼き滅ぼされ、新しい命が、今日、私たちには与えられているのです。

 新しい年の一番初めの主の日、私たちは気分や心でだけ新しくなったように思うのではなくて、実際に主の十字架によって清められ、その御言に聴き従って生きる者たちの群れとして、ここからこの世の務めに遣わされていきたいのです。

このページのトップへ 愛宕町教会トップページへ