2015年4月 |
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毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。 *聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。 |
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シモン | 2015年4月第4主日礼拝 2015年4月26日 |
宍戸俊介牧師(文責/聴者) |
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聖書/マルコによる福音書 第15章21〜24節 | |
15章<21節>そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。<22節>そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。<23節>没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。<24節>それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。 |
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ただ今、マルコによる福音書15章21節から24節までをご一緒にお聞きしました。主イエスがピラトの官邸から連れ出されて十字架に磔にされるまでの短い道のりの中で起こった出来事が語られています。 まず21節「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」とあります。十字架に向かう道すがらに、ちょっとしたハプニングが起こったかのような語り方です。主イエスが官邸から往来へと連れ出される、そこに田舎から出てきたキレネ人が通りがかる。主イエスは既に鞭打たれてひどく衰弱していて、とても十字架を背負ってゴルゴタの丘を登って行けなかったために、ローマ兵は槍などをちらつかせながら、通りがかりのキレネ人に十字架の横木を担がせたというのです。 しかしです。4つある福音書の中の、比較的古く書かれたマタイ、マルコ、ルカ福音書には、例外なく、この「キレネ人シモンが主イエスの十字架を担いだ出来事」が記されております。「シモンという名のキレネ人が主イエスの十字架を担いてゴルゴタの丘を登って行った」、このことを決して忘れてはいけないことであるかのように、3つの福音書は共通して語っているのです。4つの福音書はそれぞれに特徴があり個性を持って書かれていますから、ある福音書に書いてあっても他の福音書には書かれていないということもあります。そういう中で、複数の福音書が異口同音に語っている出来事というのはそれほど多くありませんから、そういう出来事は非常に大切な出来事なのだと言われます。各福音書の筆者が示し合わせて書いているわけではない。ですが、それぞれに「これは落とせない出来事だ」として書いているのですから、このキレネ人シモンの出来事は、非常に大切な出来事ことであるに違いないのです。 それでは、どういう意味で大切なのでしょうか。今朝は、このキレネ人シモンを通して神が私たちに何を語ろうとしておられるのかを考えながら、聴いていきたいと思います。 調べますと、この教えも3つの福音書に出てきます。マルコによる福音書で言いますと、8章34、35節です。「それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。『わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである』」。主イエスは弟子たちに、「わたしに付いて来たい人は、自分の十字架を背負って付いて来るんだよ」と、先に教えておられました。ところが弟子たちは、こう教えられた当座は、主の言われた事柄を理解することはできませんでした。 弟子たちが実際にそう思っていたことがはっきり示されるエピソードがあります。主イエスが逮捕される前の晩、弟子たちと一緒に過越の食事をなさる、いわゆる最後の晩餐ですが、その後で主は弟子たちに、「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』」(14章 27節)と言われました。「あなたたちは皆、逃げ去ってしまうよ」と教えてくださったのです。ところが、それに対してペトロは「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言いました。さらに主とのやりとりの中で、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」とまで言いました。けれども後に、ペトロはこの言葉のしっぺ返しを受けることになります。 主イエスは「わたしに従って来る者は皆、十字架を背負って従って来るのだよ」と教えられました。またその時に主イエスは、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」と教えられました。今日のところで、十字架を背負わされたキレネ人シモンと対照的であるかのように、ローマ兵たちの姿が語られています。このローマ兵たちは、人間的に特別に悪いとかいうことはなかったと思います。けれども彼らは、主の十字架の出来事のもとで、24節「イエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから」と、主の服をくじ引きして分け合って、役得だと言って喜んでおります。良いものが当たったとか、当たらなかったとか、そういうことに一喜一憂しながら、この人たちの人生は過ぎていきます。そして遂には、自分の人生を損得で考えながら最後の時を迎えてしまう、運の良し悪しを言いながら死なざるを得なくなるのです。 今日の箇所で、主はシモンとローマ兵士たちの間で何をなさっているでしょうか。23節「没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった」とあります。「没薬を混ぜたぶどう酒」、これは当時、十字架にかけられる人に対してエルサレムの人々が示した哀れみの行為だったのだと多くの注解書に記されております。没薬を飲ませると感覚が麻痺して痛みが和らぐというのですが、わたしは本当だろうかと疑っております。もともと没薬の使い方は防腐剤ですから、体に塗って使うものです。ですからそれを服用してしまったらどうなるのか、医学的には分かりませんが、もともと飲用ではないので、ぶどう酒に混ぜたのでしょう。 キレネ人シモンは大変不思議な人物だと思います。12弟子のように、「わたしは従います」と言って、主に従ったわけではありません。田舎から出てきて、たまたま通りがかったと書いてあります。不思議な神のなさりようによって、神を信じない人から見ればただの偶然のような出来事によって、シモンに主イエスとの関わりが生まれます。そして、最初は兵士たちに脅されてではあるのですが、そこで逃げ出すことなく、十字架の横木を背負ってゴルゴタへ登って行っております。本当に不思議なことですが、しかし、このようなことは、私たちの信仰生活においてもあることなのではないでしょうか。 キレネ人シモンの姿が教えていること、それは、信仰生活は最後は自分の意思で従うのだとしても、その始まりは人間の心の中にあることではないということだろうと思います。ペトロを始めとする弟子たちは、従うことを心の事柄だと思ったのです。「わたし」が従うから、主イエスに付いて行けるのだと思った。ところが、人間の心とは、移ろいやすいものなのです。私たちもそうでしょう。自分ではこうだと思っていても、少し時間が経つと、あの時なぜあんなふうに思ってしまったのだろう…と思うことがあると思います。心が厚く熱するということがあったとしても、人の心は移ろいやすく変わりやすい。ですから私たちは、自分の心から始めて、神に従い通すなどということはできないのです。「始まりは、神が備えてくださる」のです。キレネ人シモンが、まさに思いがけない仕方で主との関わりが与えられた、そしてシモンはその中で「十字架を背負う者とされた」ということなのです。 神は本当に不思議な仕方で、シモンに、十字架の横木を運ぶという務めを与えられました。そして、私たちにも神は、十字架の印を「洗礼」という形で一人一人の上に置いてくださっている、そして私たちが「主イエスを持ち運んでそれぞれの人生を生きていく」という招きを与えてくださっているのです。キレネ人シモンが、全然主イエスと関わりなかった人であるにも拘らず、思いがけず主の十字架の一端を担わされてゴルゴタの丘まで運ぶように求められた、このことは、私たちにとっても大変意味深いことですし、幸いなことであったと思います。私たちは、自分の心が熱している時だけではなく、いつでも、実は、主イエスの十字架を背負って生きていくように求められているのです。 そして、最後にもう一つ、忘れてならないことがあると思います。シモンは確かに主の十字架を背負い、人々の嘲りや好奇の目を主イエスと共に受けることになりましたが、しかし、ゴルゴタの丘を登りきったとき、そこにある十字架に誰が掛かったのかということが、決定的に大事なことです。シモンは確かにゴルゴタの丘まで十字架を運びましたが、最後にそこで十字架に掛かってくださったのは主イエスでした。 そして実は、そのように持ち運ばれる人というのは、その人限りで消えていくのではなく、将来に繋がっていきます。今日のこの箇所で、キレネ人シモンは自分の名前だけで登場しているのではありません。「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」と、子供たちの名前が記されています。このアレクサンドロとルフォスが、教会の中で誰も知らない人たちであったなら、ここに名が出てくるはずはありません。私たちはもちろん、アレクサンドロやルフォスが何をした人か、細かく知っているわけではありませんが、初代教会の人たちからすれば、「ああ、あのアレクサンドロだな、ルフォスだな」と分かったのです。実際に、ルフォスは、ローマの信徒への手紙に「神に祝福されたルフォス」として名が記されています。 そしてまた、そのような私たちの歩みの中から、さらに次の世代の信仰者が起こされることを切に願いたいと思います。 |
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