2014年8月 |
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毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。 *聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。 |
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必ずそうなる | 2014年8月第2主日礼拝 2014年8月10日 |
小島章弘牧師 |
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聖書/エレミヤ書 第11章1〜114節、ローマの信徒への手紙 第1章25節 | |
エレミヤ書第11章<1節>主からエレミヤに臨んだ言葉。<2節>「この契約の言葉を聞け。それをユダの人、エルサレムの住民に告げよ。<3節>彼らに向かって言え。イスラエルの神、主はこう言われる。この契約の言葉に聞き従わない者は呪われる。<4節>これらの言葉はわたしがあなたたちの先祖を、鉄の炉であるエジプトの地から導き出したとき、命令として与えたものである。わたしは言った。わたしの声に聞き従い、あなたたちに命じるところをすべて行えば、あなたたちはわたしの民となり、わたしはあなたたちの神となる。<5節>それは、わたしがあなたたちの先祖に誓った誓いを果たし、今日見るように、乳と蜜の流れる地を彼らに与えるためであった。」わたしは答えて言った。「アーメン、主よ」と。<6節>主はわたしに言われた。「ユダの町々とエルサレムの通りで、これらの言葉をすべて呼ばわって言え。この契約の言葉を聞き、これを行え。<7節>わたしは、あなたたちの先祖をエジプトの地から導き上ったとき、彼らに厳しく戒め、また今日に至るまで、繰り返し戒めて、わたしの声に聞き従え、と言ってきた。<8節>しかし、彼らはわたしに耳を傾けず、聞き従わず、おのおのその悪い心のかたくなさのままに歩んだ。今、わたしは、この契約の言葉をことごとく彼らの上に臨ませる。それを行うことを命じたが、彼らが行わなかったからだ。」<9節>主はわたしに言われた。「ユダの人とエルサレムの住民が共謀しているのが見える。<10節>彼らは昔、先祖が犯した罪に戻り、わたしの言葉に聞き従うことを拒み、他の神々に従ってそれらを礼拝している。こうしてイスラエルの家とユダの家は、わたしが彼らの先祖と結んだ契約を破った。」<11節>それゆえ、主はこう言われる。「見よ、わたしは彼らに災いをくだす。彼らはこれを逃れることはできない。わたしに助けを求めて叫んでも、わたしはそれを聞き入れない。<12節>ユダの町々とエルサレムの住民は、彼らが香をたいていた神々のところに行って助けを求めるが、災いがふりかかるとき、神々は彼らを救うことができない。<13節>ユダよ、お前の町の数ほど神々があり、お前たちはエルサレムの通りの数ほど、恥ずべきものへの祭壇とバアルに香をたくための祭壇を設けた。<14節>あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために嘆きと祈りの声をあげてはならない。災いのゆえに、彼らがわたしを呼び求めてもわたしは聞き入れない。」 ローマの信徒への手紙第1章<25節>神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。 |
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エレミヤ書11章に聴きます。 11章4節に、「あなたたちは、わたしの民となり、わたしはあなたたちの神となる」とあります。ただ、そこには条件が付いています。「神の声に聴き」「神との約束を行う」ことが必要条件となっています。それは、人間と神との関係を成り立たせるものです。 考えてみれば、人間社会も、法治国家であれば、約束(信頼)の上に成り立っているといえます。 11章をキーワードを拾いながら読んでいきます。 そして、5節後半に、「アーメン、主よ」という言葉が記されています。アーメンという言葉は、私どもにも馴染み深い言葉です。毎週の礼拝では、最低10回ほど唱えてます。「まことに、その通り」とか、「真実」「主よ、仰せのとおりです」(浅野順一)とか、「誠」という意味を持っています。文語訳では「誠に」、口語訳では「よく」、共同訳では「はっきり」となっています。ヘブライ語では「エレーナ」で、「堅い」という言葉の語源だといわれています。 3番目に、エレミヤのそのような思いとは違って、ユダの人々は神の約束を守らず、「契約を破った」(10節)と言っています。神は、約束を守る方なのにユダは約束を破ったというのです。神は心変わりすることはなく、あくまでご自身の意志を貫きとおす方です。 8月になると必ず手にしたくなる書物があります。「きけわだつみのこえ」です。皆さんの中にも手にした方があるかと思います。先の戦争で、学徒動員を強いられた若き学徒たちの手記をまとめたもので、これは戦争の悲惨をある面から見たものとして貴重なものでしょう。 最後のキーワードは、14節です。「祈ってはならない」という表現は、エレミヤ書以外にはありません。そして、2回出てきます(7章16節、11章14節)。エレミヤは、神から「ユダのために祈るな」と告げられます。これは神の裁きの厳しさを伝えています。 アーメンと唱え、「必ずそうなる」との信仰に生きている幸いを感じます。 |
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