2014年1月 |
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毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。 *聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。 |
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神の忍耐と憐れみ | 2014年第3主日礼拝 2014年1月19日 |
小島章弘牧師 |
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聖書/エレミヤ書 第4章27〜28節、ローマの信徒への手紙 第3章25〜26節 | |
エレミヤ書 4章<27節>まことに、主はこう言われる。「大地はすべて荒れ果てる。しかし、わたしは滅ぼし尽くしはしない。 <28節>それゆえ、地は喪に服し/上なる天は嘆く。わたしは定めたことを告げ/決して後悔せず、決してこれを変えない。」 |
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今エレミヤ書を読んでいただきました。わたしは、愛宕町教会で、月1回「聖書に親しむお母さんの集い」を担当しております。もうかれこれ8年ほど続いておりますので、聖書のいろいろな箇所を読んでまいりました。今年は1月からエレミヤ書を読んでいます。最初は、難しくて後悔しましたが、今ではとても楽しく読み進んでいます。 今日、愛宕町教会で説教する機会を与えられましたので、1月、2月、3月に1回ずつですが、エレミヤ書からみ言葉を分かち合いたいと考えました。そのほんの一片をご一緒に味わうことが出来れば幸いに思います。 エレミヤは、ご存知のように旧約の預言者の一人です。イザヤより約100年後に登場した預言者です。エレミヤが、神さまから預言者として召されたいきさつについては、1章に詳しく載っていますので今日は、そこに触れません。 神の召しは不思議です。欠けや弱さがあっても、神は引き下がることをしません。そのことは、イエスさまが弟子をお選びになるときも同じことが起こっています。漁師だったり、徴税人や異国人であったあり、弱さをたくさんもっている人たちを弟子にしています。 エレミヤは口下手で、自分に何もない、中味がないということを訴えています。しぶしぶ預言者として立てられたのです。エレミヤの武器は、何かといえば、『神の言葉、真実』でした。1章9節に、『見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける』とありますように、エレミヤは神の言葉を口に入れられたのです。自分の中には何もない、空っぽですが、神の言葉が注がれたのです。たったそれだけで、神はエレミヤを『諸国民。諸王国に対する権威を委ねる』と言っています。エレミヤにとっては、仰天するようなことでありました。たった20歳の若者が、万国の預言者として立てられたのですから。これほどの使命を与えられることは、想像もしていなかったのですから。おそらく、じたばたして、身震いしたに違いありません。万国を相手にしなければならないことを考えただけで身のすくむ思いを抱いたことは想像に難くありません。 エレミヤの預言のメッセージの中心は、1章16節に記されています。『彼らは、わたしを捨て、他の神々に香をたき、手で造ったものの前にひれ伏した』とありますように、神への裏切りです。これがイスラエルの罪でありました。 しかし、今日のテキストを見ますと、そこには神の底知れない憐れみが見えています。 忍耐には、ふた通りの使い方があります。いわゆる我慢する、耐えるという意味と、もうひとつは「堪忍」ということです。今日では、堪忍ということはあまり言われなくなっていますが、子どものころにはよく使われていたように思います。 神は、振り上げた手を振り落とすことなく、堪忍して、ついにはイエス・キリストをたて、十字架によって、神の義(神の正しさ)を示されたのです。 |
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