聖書のみことば
2025年1月
  1月5日 1月12日 1月19日 1月26日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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■音声でお聞きになる方は

1月12日主日礼拝音声

 賛美の食事
2025年1月第2主日礼拝 1月12日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/ルカによる福音書 9章10〜17節

<10節>使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた。<11節>群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。<12節>日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」<13節>しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」<14節>というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。<15節>弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。<16節>すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。<17節>すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。

 ただ今、ルカによる福音書9章10節から17節までを、ご一緒にお聞きしました。10節に「使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた」とあります。
 弟子たちが主イエスの許に帰ってきた帰還の出来事が語られています。弟子たちはどこかに行っていたのでしょうか。少し前に、主イエスは弟子たちに悪霊や病と粘り強く向き合い、それらに打ち勝つ力と権威をお与えになった上で、神の国の訪れを宣べ伝え、また病んでいる人々を癒す旅に送り出しておられました。9章の最初に、その出来事が語られています。主イエスから遣わされて12人の弟子たちは銘々が示された場所に赴き、そこで出遭った人々に対して主イエスのことを伝えたり、困難や病の内にある人々を憶えて祈ったり、癒したりしながら働きました。9章6節に「十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした」と言われていたとおりなのです。
 今日の箇所は、そうした働きに遣わされた12弟子たちが、主の許に戻ってきたことを告げています。主イエスを信じて生活する主の弟子たちは、御言によって慰められ力づけられて、この世の各々の持ち場へと送り出されますが、送られっ放しで後は知らないというのではありません。主イエスは私たちを再び御許へと招いてくださいます。御言によって励ましを与えたら、後は自分で生きて行くようにとおっしゃるのではありません。送り出した者たちを再び御許に呼び集めてくださり、そして遣わされて歩んだ一巡りの間、一人ひとりがどのように生活したか、主イエスがおっしゃったとおりだったか、そうではなかったか、また主イエスがどのように近くいてくださると感じられたかという証しに耳を傾けてくださるのです。「使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた」と述べられている言葉からは、そういう主イエスと弟子たちとのまことに温かな血の通う交流のあったことが感じられます。

 ところで主イエスは、12人の弟子たち全員が戻ってきて皆が揃うと、「彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に」退かれました。何故ベトサイダに行かれたのかという理由は、はっきりとは記されていませんので推測する他はないのですが、おそらくはガリラヤの領主であるヘロデ・アンティパスの権限が及ばない、他所の領地に移るためだったのではないかと言われています。ベトサイダは、ガリラヤ湖の一番北の端に面した町で、その地の領主はアンティパスではなく、その弟のヘロデ・フィリポと呼ばれる人物でした。フィリポは父親であるヘロデ大王の血を引いて、壮大な建物や町の建設に熱心な領主として知られていましたが、アンティパスに比べると、性格はやや穏やかでおとなしかったと言われています。
 元々主イエスはガリラヤ地方の中心都市であるカファルナウムのペトロの家に逗留しておられました。しかしペトロの家で主イエスが神の国を宣べ伝え、癒しをしているという評判が高まってくるにつれて、領主だったヘロデ・アンティパスから目をつけられ身に危険が及ぶ恐れがありました。今日の箇所の直前にヘロデ・アンティパスがイエスに会ってみたいと思っていたことが語られていましたが、これは必ずしも友好的な思いによってではなくて、場合によってはバプテスマのヨハネの首をはねたように主イエスに対しても行おうとする、物騒な暗い考えを孕んだ思いでした。そのことを察した主イエスは、弟子たちを連れて自分たちだけで密かにベトサイダへと移住なさったのです。アンティパスの領土から、より安全なフィリポの領土へと移り住まれたのでした。それがベトサイダへと移住された顛末だろうと言われています。

 ところで、カファルナウムにはペトロとアンデレの家がありましたが、同様に、ベトサイダにも関わりを持つ弟子がいました。フィリポです。このフィリポは、領主であるヘロデ・フィリポと名前が同じですが、これはたまたまなのか、あるいはフィリポに名前をつけた両親が領主の名にあやかってこう名付けたのかは分かりません。しかし、このフィリポがベトサイダ出身であったことは間違いないので、もし主イエスが望めば、カファルナウムのペトロの家が主イエスの伝道の拠点として用いられたように、フィリポの家もまた、ベトサイダにおける伝道の拠点として用いられたかも知れません。その可能性はあったに違いないのですが、主イエスはこの時、ベトサイダに長く留まろうとはなさいませんでした。町の中にも入らず、付近の人里離れた場所でお過ごしになったようです。
 ただしそれは、人との交わりを避けたり拒絶するためではありませんでした。主イエスは、誰であれ主との交わりを本当に必要として、主との出会いを求める人たちのことを拒まれることはありません。11節に主イエスの移住を知って後を追った大勢の人々のことが語られていますけれども、そこにも「イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた」と述べられているとおりなのです。主イエスは常に、神の国がやって来ていることを人々に知らせ、また弱っている人々や病んでいる人々、痛んでいる人々を癒そうとして働いてくださる方なのです。

 ところで、今日の記事の中心は、その先に記されている「パンの奇跡」と呼ばれる出来事にあります。12節から17節にかけて、主イエスが僅かなパンによって、まことに大勢の人々を養って満腹にさせてくださったことが語られます。17節に「すべての人が食べて満腹した」と言われているとおりなのですが、この出来事は一体、何を伝えようとしているのでしょうか。
 このパンの奇跡を伝える記事の前後を見ると、この記事が何を語ろうとしているかに、一つのヒントが与えられるように感じられます。この記事の直前のところでは、ガリラヤの領主だったヘロデ・アンティパスの耳に主イエスの評判が届いて、ヘロデが不思議に思ったことが語られていました。ヘロデの耳に入った噂、それは、主イエスについて、ヨハネの生き返りだと言う人やエリヤが出現したと言う人、また、だれか昔の預言者が生き返ったと言う人たちがいて、その噂がヘロデの耳に届いたけれども、ヘロデは主イエスの正体を測りかねて当惑したと述べられていました。一方、この記事に続く次のところでは、弟子のペトロが主イエスのことを「神からのメシア」、つまり救い主だと信仰を言い表した出来事が語られています。しかしこちらの記事においても、主イエスについて、洗礼者ヨハネだと言う人やエリヤの出現だと言う人、まただれか昔の預言者が生き返ったのだという噂が巷で広まっていたことが語られています。
 つまり、このパンの奇跡の記事を挟むようにして前後の記事で語られているのは、当時の人々の間で噂になっていたナザレのイエスという方は、本当は何者なのかという問いです。あれはヨハネだと言う人もエリヤだと言う人も、だれか昔の預言者だと言う人もいました。その噂を聞いて、ヘロデ・アンティパスは「一体何者だろう」と思い、ペトロは「神からのメシアです」と語っています。その間に今日の記事が挟まれているとすると、この記事と前後の記事と3つがセットになって一つの事柄が語られていると受け取ることができるでしょう。3つがセットになってそこで語られていることは何か、それは「ナザレのイエスとは一体何者なのか」という問いですが、この問いに対してヘロデとペトロはそれぞれに思い、その中に挟まれている今日の箇所は、それを「パンの奇跡」という出来事によって語っているのです。

 ここに示されている主イエスの姿は、「誰であっても求める人には神の国の訪れを伝えてくださり、また病んでいる人を癒し、大勢の人たちを満たし満腹させてくださる方」という姿です。そしてこの主イエスのように、飢えた人たちを満ち足らせ、残り屑が出る程豊かに養ってくださることは、人間には決してできないことなのです。
 夕暮れが近づいてきて日が傾きかけた頃、12弟子が主イエスに近寄り、群衆を解散させることを提案した時、主イエスはまず、弟子たちに群衆を養わせようとなさいました。弟子たちは、こんなに大勢の群衆を養うことは自分たちにはとてもできないと言って、主イエスの求めを撥ね付けています。けれどもこのように主イエスがおっしゃったのは、弟子たちに対する主イエスの訓練でした。とてもこれだけの人間を養うことはできないと言って尻込みする弟子たちの前で、主イエスは実際にそこに居合わせた人すべてを満ち足らせ、満腹にするということをなさったのです。
 そしてこの出来事は、今日、教会の中で持たれる聖餐式の源流となった出来事の一つだと言われています。14節の途中から17節にかけて「イエスは弟子たちに、『人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい』と言われた。弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった」とあります。主イエスは、弟子たちが「ごく僅かなものに過ぎない。何の役にも立たない」と思っていたものを感謝してお受けになり、賛美の祈りをささげながら、それを真に豊かなものに変えてくださいます。人間の目には明らかに不足しているように思えるものを、主イエスは豊かに用いてくださり、御自身に連なるすべての者たちを養ってくださいます。主イエスが関わってくださる時に、そこでは一切が豊かなものに変えられていくのです。しかも、ただ豊かに満ち足らせてくださるだけではありません。残ったパン屑を弟子たちに集めさせます。そしてそれを更なる御業に用いる備えとしてくださるのです。

 今日の記事は、前後の記事に挟まれながら、「主イエスが本当はどういう方であるのか。何者であられるのか」ということを語っています。私たち人間には乏しく、つまらないものとしか思えないものを豊かに用いて、私たちを満ち足らせてくださる方であることを、私たちに教えているのです。
 ですが、まさにここにつまずきの石があります。今日の奇跡の出来事には、私たちがなかなかこれを素直に受け入れて信じることが難しい点があるのです。元々は5つのパンと2匹の魚しかなかったのに、それがどうしたら、多くの人を養った末に更に12の籠に一杯になる程のパン屑が出るのでしょうか。これがどうにも腑に落ちないところです。病気の人が癒やされたとか、深く嘆いていた人に慰めがもたらされたというような奇跡であれば、私たちは幾分かでも信じ易いようにも思うのです。ですが、5つのパンと2匹の魚から12の籠一杯のパン屑が出たというのは、明らかに分量的な辻褄が合わない話です。もちろん、それが奇跡なのだと言ってしまえばそれまでなのですが、しかし私たちにはどうしても、元々のパンと魚の貧しさと乏しさの方が大きく思えてしまい、それが豊かにされて用いられることを信じるのが難しく感じられるのです。

 僅かなパンが豊かに用いられ、更にパン屑が出る程にされたというその中心のところに示されているのは、賛美の祈りを捧げている主イエスの姿です。16節に「すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた」とあります。そして、すべての人が食べて満腹したことが語られています。すでにこのこと自体が不思議な奇跡なのですが、実は今日の出来事は、後日に起こる、もう一つの不思議な出会いの布石になっています。その後日の出来事というのは、いわゆる「エマオ途上の出来事」と呼ばれる出来事です。即ち、今日のパンの奇跡の出来事は、「復活の主イエスが、エルサレムを離れて故郷のエマオに向かって歩んでいた2人の弟子たちに出会ってくださり、最後には主イエスの復活を確信させてくださった出来事」の布石になっているのです。
 エマオに向かっていたクレオパともう一人の弟子は最初、復活の主イエスに出会っていながら、目が遮られて、自分たちがどなたと歩いているのか分かりませんでした。ところが、その遮られていた目が開けて、主イエスが自分たちと共に居てくださるのだと分かったのは、主イエスが彼らと共に食卓に腰をおろし、祈ってパンを裂いてお与えくださった時だったのです。ルカによる福音書の24章30節以下に「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かった…」とあります。この二人は目が遮られて目の前にいる人がどなたか分かりませんでした。なのにどうして二人は、食事の時に、目の前の方が主イエスだと分かったのでしょうか。それは、今日の記事にある食事の出来事を、この弟子たちが印象深く記憶していたからなのです。今日のパンの奇跡の出来事とエマオでの出来事は、同じことが起こっているのです。
 今日のところでは、主イエスが人々を座らせ、その上で五つのパンと二匹の魚を手に取り、賛美の祈りを神にささげ、そしてパンを裂いて弟子たちに渡しておられます。後の日に主イエスがエマオでなさったことは、二人の弟子たちと共に食事の席に着き、パンを手に取って賛美の祈りをささげ、裂いて弟子たちに与えてくださったということです。今日のベトサイダ近郊の野原で起きたことと、後の日に主イエスがエマオでなさることとは、時の流れを越えて互いに結び合っていることが分かります。今日のパンの奇跡の出来事とエマオの宿屋で起きた出来事とは、時間的には隔たっていますが、しかし互いにつながり合っている出来事であって、その中心のところでは、主イエスが賛美の祈りを唱え、感謝して一人ひとりにパンを裂き与えてくださるテーブルマスターの役目を果たしておられるのです。

 この記事が、今日、教会の中で持たれている聖餐式の源流の一つになっていると申し上げたのは、私たちの教会の聖餐式もまた、はるかに時の隔てを跳び越えて、今日のパンの奇跡の出来事やエマオ途上での主イエスの食卓の出来事に結ばれているためです。エマオでは、主がパンを裂いて渡してくださった時に、それまで遮られていた弟子たちの目が開かれて、「主イエスが確かに復活して、今、自分たちの目の前に、自分たちのただ中に居てくださる」ことが分かるようにされていました。主イエスはパンを裂いて渡しながら、同時に、よみがえりの主御自身が確かに、「あなたと共にいる」という現実も手渡してくださったのでした。

 私たちの教会で毎月行われる聖餐式の折に、パンが分かたれて私たちに与えられる際に、どう言われているでしょうか。「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念として、このように行いなさい」と言って、パンが分け与えられています。聖餐式の時に私たちに配られるのは、ごく僅かなパンのかけらですけれども、同時にそこでは、復活の主イエスが私たちに伴っていてくださるのです。「わたしの記念として」というのは、よみがえりの主がいつも伴っていてくださることを忘れないでいるために、という記念です。主イエスが共に居てくださるので、僅かな量のパンでも、真に豊かなものとされるのです。
 そのように、私たちの教会の聖餐式とエマオでの出来事と今日のベトサイダ郊外での出来事に深いつながりがあり、時の流れを越えてそれらすべてが主イエスによって一つに結び合わされているということを知ってみると、今日の不思議なパンの奇跡が伝えようとする意味が分かってくるのではないでしょうか。
 今日の出来事の中で、主イエスは御自身の復活の体を人々に分け与え、永遠の命の希望に与らせてくださっているのです。人々が食べたのはパンの塊ではなくて、復活の主の御体でした。それ故に、それはほんの僅かにしか思えなくても、それによって人々は養われ、満腹になることができたのです。そして残ったパン屑も大切に集められて、次の御業に用いられてゆきます。

 私たちはこの年、「いつもあなたがたと共にいる」と約束してくださり、伴ってくださる主イエスから力を頂いて、ここから歩むようにされたいのです。お祈りを捧げましょう。

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