ただ今、ルカによる福音書 6章1節から5節までをご一緒にお聞きしました。その終わりの5節に「そして、彼らに言われた。『人の子は安息日の主である』」とあります。
主イエスがこのようにおっしゃいます。この言葉は、主イエスが何者であるかを御自身の口ではっきり言い表した言葉で、福音書全体の中でも、とても大事な言葉の一つです。主イエスが自ら宣言なさるのです。「人の子は安息日の主である」と。実は、この先を読んでいきますと、主イエスのこの宣言に対応するような言葉が出て来ます。6章11節に「ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」とあります。6章の最初のところでは、ある安息日に会堂の礼拝へと行く道すがら、ひょんなことがきっかけになって、主イエスが御自身の正体をはっきりと宣言するということが、まず起きているのです。それから次に、これは別の安息日に起きたことではあるのですが、会堂に入って行ったところで、主イエスが右手の不自由な人に出会い、まさに「安息日の主」として行動なさいます。不自由だった人の手を、言葉をかけることで癒してあげるのです。するとそれを見ていた律法学者たちやファリサイ派の人々が大いに立腹して、主イエスを何とかしてやろうという相談が始まります。
このように6章1節から11節には、一方では安息日の主であることを主イエスが自己宣言なさったという出来事があり、それに続いて、いかにも安息日の主らしい主イエスのふるまいを決して認めず許すまいと思う律法学者たちやファリサイ派の人たちの姿が描かれています。6章1節から5節と6節から11節の記事は、例えて言えば2つ折りになっている絵画のような関係にあります。あるいは、合わせ鏡のようなものです。一方に、主イエスが立っておられる真に明るい安息日の場面が描かれ、もう一方には、決してそのことを受け容れようとしない暗く険しい思いを抱えて頑なさの闇の中に沈んでいる人々の様子が描かれます。この人々は頑なに暗い思いの中に立てこもろうとするのですが、しかしそんな彼らの姿が、この日の会堂で起きた癒しの出来事によって白日の下にさらされ、明るく照らし出されるような格好になっています。ですから今朝の箇所は、次の会堂での癒しの記事と同時に礼拝の中で朗読され、2つの出来事が、明と暗、光と影のような対照的な事柄を表す出来事として説き明かされる場合も多くあるのです。
ですが今日はそのような聞き方をするのではなくて、5節の主イエスの御言を中心に置いて、この御言に聞き入りたいと願います。それは今日がペンテコステの日で、不安や恐れを抱いて身を潜めていた弟子たちが聖霊の訪れを受けて大いに励まされ、「この方こそ主イエス・キリストです」と公に語るようになったことを特に憶える日曜日だからです。この日、私たちも、「人の子は安息日の主である」と宣言しておられる主イエスの言葉に聞き入り、「本当にそのとおりです。アーメン」と喜びの賛美を合わせる者たちとされたのです。
この日、主イエスが自らこのような宣言をなさったのには、どういう経緯があったのでしょうか。どうして主イエスは、このようにおっしゃったのでしょうか。少し前に戻ってふり返ってみたいのです。1節と2節に「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。ファリサイ派のある人々が、『なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか』と言った」とあります。
「ある安息日に」とありますので、会堂の礼拝に出掛けてゆく道すがらの出来事だったようです。丁度主イエスの弟子たちの一行が麦畑の間の道を通って会堂に行こうとしていました。この時の主イエスは、何かの定職に就いておられた訳ではありません。神の事柄を教える若いラビとして歩んでおられました。そういう生活は、とても不安定なものです。誰かから家に来るように招かれ食卓が用意される時には食事や寝床にありつくことができましたが、毎日そういう暮らしが保障されている訳ではありません。招いてくれる先がなければ何日もすきっ腹を抱えて野宿しなくてはならないという、厳しい生活の現実もありました。麦畑を通った時に、弟子たちが道端で実をつけている穂に手を伸ばして摘み、そこから麦の実をもみ出して食べたということは、空腹だったからこそ起きたことです。これを単純に粗野と言って非難はできないと思います。私たち人間の生活にとって食べることは生きることに直結することだからです。私たちは食事が満ちているので、このような行動を粗野だと考えがちですが、もし食べる物がないという状況に置かれたならば、私たちも同じようなことをするに違いありません。
仮に今日、こういうことを日本の麦畑でやってしまえば窃盗行為を犯したと言われて咎められ捕らえられてしまいますが、主イエスの時代のユダヤでは、少し違っていました。旧約聖書の申命記23章26節に「隣人の麦畑に入るとき」という定めが決められていました。「隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない」とあります。当時のユダヤでは、一種の社会的なセーフティネットとして、貧しくひもじい思いをしている人たちが麦畑に立ち入り、そこに実っている実で飽えを凌ぐことが許されていました。ただし鎌を使って、飢えを凌ぐ以上の麦を刈り倒して持ち去ったり、よそで売ったりしてはなりませんでした。ただ空腹を埋めるために少しだけ麦を失敬することは、罪と見做されませんでした。ですから、今日の箇所で主イエスの弟子たちがしたこと、麦を摘んで手で実をもみ出して食べたことは、鎌は使っていませんから、この行為自体は盗みとは見做されなかったのです。
ところが弟子たちは咎められました。どうしてでしょうか。弟子たちの行為を咎めて非難する人たちの言葉をよく聞いてみると、こう言っています。「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」、つまり「安息日」だから咎められています。十戒の言葉に照らして言うならば、「あなたは盗んではない」という掟に触れた訳ではなくて、「安息日を憶え、これを聖とせよ」という掟の方に抵触しているとして非難されたのでした。
ただ「安息日を憶え、これを聖とせよ」という言葉自体は、具体的な何かを禁止する言葉ではありません。ですから、「これを聖とせよ」という「聖とする仕方」の解釈には幅が生じ得る言葉です。主イエスの時代のファリサイ派の人たちやその派の律法学者たちは、この戒めの中に大変細かな、してはならないことのリストを作って、当時の人々に教えていたと言われます。そのリストによれば、まず安息日にしてはならないことが39数え挙げられ、その一つ一つについて更に39の細かな留意点が挙げられていました。39×39ですから実に1500以上の安息日にしてはならないという禁止行為があったようです。それに照らせば、弟子たちの行為はいけないことだったのでしょう。けれども当時のユダヤ人でもごく普通の人は、もちろん、そんなに細かな戒めまで覚えてはいませんでしたから、これは咎められることのないようなことでした。
しかしここで弟子たちは咎められました。弟子たちの行為の何がいけなかったのでしょうか。弟子たちはまず麦の穂を収穫するという労働、次に穂から実を外して脱穀するという労働、さらに実をもみ出した、もみすりの労働と、3つの労働をしたとして咎められたのでした。ファリサイ派のように、聖書の教えを生活する上での掟と考えどんな細かい点でも抵触せずに生きることに情熱を傾けていた人々にとっては、弟子たちの行いは、すべからざることとして攻撃する対象になったのでした。このような攻撃と非難に対して、実際に麦を食べてしまった弟子たちは、言い返す言葉を持っていなかったようです。「あなたたちは十戒による罪を犯した」と咎められ、非難されるままに黙ってその言葉を受け容れ、うなだれる他ありませんでした。
すると主イエスが、このファリサイ派からの非難と攻撃を御自身の側に引き取り、両者の間に割って入られます。主イエスは旧約聖書のサムエル記上21章のはじめに記されているダビデの出来事を引き合いに出して、弟子たちの行為を弁護してくださいました。3節と4節です。「イエスはお答えになった。『ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たちにも与えたではないか』」。
これは、ダビデが当時のイスラエル王だったサウルから命を狙われて、命からがら落ち延びてゆく、その時に起こったことです。サウル王がダビデの命を狙っていると王子のヨナタンから知らされたダビデは、従者たちと共に着のみ着のままでサウル王の前を逃れ、逃避行に入りました。その際、パンをこねて焼いている暇がなかったので、ノブという地にあった聖所に立ち寄り、その聖所の祭司から、本来は祭司が食べる筈のパンを譲り受け飢えを凌いだという出来事が、サムエル記に記されています。
主イエスは、このような古い時代の記録を引き合いに出して語られました。これは別に律法の定めを無視して良いとおっしゃった訳ではありません。聖所のパンは、焼いたらまずは神にささげられ、一週間置かれます。一週間後新しいパンと交換すると、役目を終えた古いパンを祭司が食べるようになります。そのことが間違いだとか、その掟自体が無効だとかと、主イエスはおっしゃっているのではありません。ただ、「空腹だったダビデたちの一行には、あの時、例外的なことではあったけれども、本来は食べない筈のパンが分け与えられ、飢えを満たすことができた、そういう出来事があったではないか」とおっしゃるのです。飢えている人たちを深く憐んでくださる主イエスの言葉です。飢えている人たちのことだから掟が無効になるというのではありません。けれども、「飢えている者たち、助けを必要とする者たちに助けが与えられる。神さまはそういう者たちを助けてくださる。ダビデもそうだったではないか」とおっしゃるのです。神の律法は、神との関係において人間が生きるようになるためのもので、神御自身の御業が律法の定めに縛られたり、人間がそこで飢えて倒れるようなことにならないように、神は支えてくださるのだとおっしゃいます。
そして、そのような言葉の最後におっしゃったのが、「人の子は安息日の主である」という言葉でした。安息日の主である方は、神の憐れみと慈しみの大きさを弟子たちに知らせてくださる方でいらっしゃいます。弟子たちが飢え渇く時に、わざわざ麦畑の中に進路をとり、食べ物を食べさせて元気を回復してくださる方でいらっしゃいます。そういう主イエスが伴ってくださり、私たちにも、神の憐みと慈しみの大きさを知らせてくださるのです。安息日の主である方は、私たちにも今日を生きることができるように慰めを与え、勇気と力を与えてくださるお方であることを、知る者とされたいのです。
今日は、ペンテコステの聖霊降臨を祝う礼拝を捧げています。使徒言行録を読むと、ペンテコステの朝、婦人の弟子たちや主イエスの母や弟たち、また弟子たちが心を合わせ祈っていた姿がまず語られています。男女の弟子たちはともかく、そこに主イエスの母マリアと弟たちのいたことがはっきりと語られていることを聞き取りたいのです。
主イエスの十字架の死の出来事によって、弟子たちは地上での主イエスとの交わりを失い、大きな喪失を経験しましたが、それは殊に、主イエスの母マリアや弟たちにとっては身近な肉親を失ったことであって、本当に辛い思いをしていたに違いありません。そういう主イエスの肉親と弟子たちが一つに集まって祈っていた、そこに聖霊が降ります。そして、聖霊が降ることで、祈っていた一同は、新しい確信を与えられました。「十字架上で息を引き取った主イエスは確かに復活され、私たちと共にいてくださる」ことを確信させられるように変えられるのです。そこに確かな慰めが訪れます。死をも超えて復活してくださった主イエスがいつも共にいてくださることを知らされることで、地上の教会の歩みが始まるのです。
このよみがえりの主が、今日私たちが開いた聖書の箇所で、「人の子は安息日の主である。わたしはあなたがたに安息を与える。大変な生活の現実の中にあっても、わたしはあなたを見捨てない。あなたと共に生き、あなたに将来を与え、慰めを与え、力を与える、安息日の主である」と名乗ってくださっていることを聞き取りたいと思います。「神さまの慈しみと憐れみが、わたしを通してあなたに注がれる。神さまが深い配慮をもってあなたを持ち運び、養い、支えてくださる」と語りかけられていることを憶えたいのです。
安息日の主が今日も私たちと確かに共にいてくださり、私たちを保護し、養い、導いてくださることを、聖霊の訪れと御言葉から知らされ、信じる者として、今日ここからもう一度歩み出したいと願うのです。お祈りをささげましょう。 |