聖書のみことば
2024年12月
  12月1日 12月8日 12月15日 12月22日 12月29日
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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12月22日主日礼拝音声

 降誕
2024年クリスマス主日礼拝 12月22日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/マタイによる福音書 第2章1〜12節

<1節>イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、<2節>言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」<3節>これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。<4節>王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。<5節>彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。<6節>『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」<7節>そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。<8節>そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。<9節>彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。<10節>学者たちはその星を見て喜びにあふれた。<11節>家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。<12節>ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

 ただ今、マタイによる福音書2章1節から12節までを、ご一緒にお聞きしました。
 1節2節に「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです』」とあります。ここには、二つの場所で起こった別々の出来事が述べられています。一方はユダヤのベツレヘムの町に救い主イエスがお生まれになった誕生の出来事を、もう一方は、時を同じくしてユダヤの都エルサレムに東の方に住む占星術の学者たちが訪ねてきたことを語ります。一方では神が行動しておられ、救い主である嬰児を世界のただ中に生まれさせておられます。そして他方では、その出来事の知らせが波紋を投げかけ、動揺する人間の姿が露わにされてゆきます。二つの出来事が同時に進行してゆくのです。

 そのきっかけが占星術の学者たちの来訪とその言葉でした。2節「言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです』」。彼らは「ユダヤ人の王」との面会を求めて、エルサレムの王宮を訪れました。「ユダヤ人の王」として生まれた人物ならば、当然王宮にいると考えたためです。ですが、その考えは間違っていました。何故ならば、当時エルサレムの王宮に暮らしていたのはヘロデだったからです。新約聖書にはヘロデという名前を持つ人物が5人登場しますが、クリスマスの当時、エルサレムの王宮にいたヘロデは「ヘロデ大王」と自分のことを呼ばせていた人物です。当時は最晩年を迎えていて、程なくして亡くなりますが、その生涯にわたって大勢の人々を殺戮した人物としてよく知られています。元々はユダヤの東隣のイドマヤに生まれた軍人でした。BC47年にヘロデの父親アンティパトロスという人物がカエサルによってユダヤの総督に任命されたのですが、その父親の下でローマに敵対するユダヤ人たちを容赦なく弾圧して頭角を表し、父親の死後には一時ユダヤから追い払われてローマに避難した時期もあったのですが、その時に、当時のローマの支配者であったアントニウスとオクタヴィアヌスの推薦で元老院からユダヤ王の称号を与えられ、ローマ軍の支援を受けてユダヤに侵入し、エルサレムを取り戻し、王制を始めたのが紀元前30年のことでした。それから四半世紀にわたってエルサレムの王座に座ってきたのが、このヘロデだったのです。自分のことを単なる王ではなくて大王と呼ばせた裏には、実はヘロデが正統的なユダヤ人の王ではなくて、ローマ帝国の後ろ盾によって王を名乗っている負い目があったに違いありません。ヘロデはイドマヤ人であり、イドマヤ人というのは、エドムという名前が訛ったものですから、元々はエドム人の血を引いている人物でした。彼はローマ帝国からユダヤ王という肩書きを認めてもらっていましたけれども、しかしながら決して「ユダヤ人の王」ではありませんでした。
 そんなヘロデの耳に、「ユダヤ人の王」として、一人の世継ぎが生まれたらしいというニュースが飛び込んできたのです。ヘロデにしてみれば、この世継ぎとして生まれた嬰児はヘロデ自身の権力を脅かす存在と映ります。もうじき世を去ろうとしている権力者が生まれたばかりの乳飲み子に脅威を感じることは、考えてみると滑稽な姿です。その子が成長して大人になる頃にはヘロデはもう世を去っているに違いないのに、それでも嬰児をライバルと考えて危害を加えようと企む姿は、周りからはとても異様であり、また哀れな姿に感じられたに違いありません。

 しかし、滑稽であろうと異様であろうと哀れであろうと、ヘロデは権力者です。彼は、祭司長たちや律法学者たち、つまり、ユダヤの最高法院の人々を召して、耳に入ってきた噂について尋ねます。ライバルの居所を突き止めて、息の根を止めようとしたのです。集められた人々は、一つの町の名を挙げました。ベツレヘムです。5節に「彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。「ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである」』」とあります。ここで引用されているのは、旧約聖書のミカ書5章1節の言葉です。ただしこの時、ヘロデ王から質問を受けた人たちは、ミカ書の言葉を一部ねじ曲げて伝えました。元々のミカ書の言葉は、エフラタのベツレヘムがユダの氏族の中では本当に小さな者であると述べられているのですが、王から諮問を受けた人々はそのところを180度曲げて、正反対のことを王の耳に入れました。即ち、「ユダのベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さい者ではない」とベツレヘムの名前をわざと印象づけるような言い方で、ヘロデの耳に入れているのです。どうしてでしょうか。彼らがミカ書の言葉を間違って覚えていたからでしょうか。そんな筈はないのです。彼らはいずれも旧約聖書の言葉に明るい祭司長たちと律法学者たちです。これは意図して聖書の言葉を曲げて言ったのです。
 しかしどうしてでしょうか。それは、ヘロデの目をエルサレムから外に向けさせるために他なりません。考えてみますと、ベツレヘムだけがダビデの町というのではありません。エルサレムもまたダビデの町の一つでした。そしてベツレヘムで男の子が生まれていたように、エルサレムの中にも嬰児は大勢いたに違いないのです。ただし、ヘロデ王の疑惑の目がエルサレムの内側に向いてしまうと、大変困ったことが起こります。ヘロデが元々神に忠実に仕えて民を正しく導こうとする思いを少しも持っていないことは、エルサレムの主だった人たちにはよく分かっていました。そんな王の疑いの目が都の内側に向けられるようなことになったら、主だった者として生活している自分たちの身が危うくなってしまいます。それで諮問を受けた人たちは、王の目を都の外側に向けさせるために、敢えてベツレヘムの名前を印象づけるようにねじ曲げて、ミカ書の言葉を王の耳に入れたのでした。もちろん、この王が元々のミカ書の言葉と、今聞かされたミカ書の言葉に違いがあることに気づくはずはないと予想した上で、このように語ったのです。3節に「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」と言われている通りなのです。
 この後、ヘロデの許に集められた人たちが王に答申した言葉は、ここに述べられている不安と恐れが動機になって語られている言葉なのです。ですから、メシア、救い主がどこに生まれることになっているのかという問いかけに対して、「ユダヤのベツレヘムである」とする答えは、その地名について言うなら、祭司長たちや律法学者たちにとっては、さして重要ではありませんでした。エルサレム以外であれば、どこでも良かったのです。

 今日の箇所が説教される際によく言われることは、「ここに登場する民の祭司長たちや律法学者たちは、救い主メシアがどこに生まれることになっているかという知識はあったけれども、それを信じていなかった。信仰に結びつかない知識は死んだ知識である。知っていても、それを信じて生きないのであれば、それは何の役にも立たないことを、ここに登場する祭司長たち、律法学者たちの姿が教えてくれている」というものです。そのような説明には確かに教えられる内容があるとは思いますが、しかし、今日の聖書箇所が語っているのは、祭司長たちや律法学者たちが、ただ単に御言を信じていなかったということなのでしょうか。実際その通りではあるのですが、しかし、ここから聞こえてくるもう一つの事柄は、この時、彼が不安を感じ恐れに捉われた中で行動していたということではないでしょうか。暴君であるヘロデにスイッチが入ってしまい、猜疑心の鉾先が自分たちの方に向いてしまったら自分たちはもう終わってしまうという恐れに捕らわれ、王の疑いを都の外に向けさせるために、いわば苦し紛れにベツレヘムの名前が挙げられます。このことを王に告げた人たちは、この事柄を神による救いの御業の訪れであるとは、とても考えられなかったのです。
 この不安はヘロデにも伝染します。ヘロデ王は、彼自身の存在がエルサレムの主だった人たちの不安の原点なのですが、同時に、不安に捉われた人々がベツレヘムの名を挙げると、王もその地について大変に不安を感じます。最初に噂を王の耳に入れた占星術の学者を呼びよせ、再度星の現れた時期を確かめ、更に詳しい居場所を知らせるように命じて彼らをベツレヘムに送り出しました。7節8節に「そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、『行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう』と言ってベツレヘムへ送り出した」とあります。ヘロデが家来や主だった人々の勢ぞろいしている公の場にではなく、ひそかに占星術の学者たちを呼び寄せているところに、王の不安と焦りが滲んでいます。王はもはや誰のことも信用できなくなっています。家来であっても、自分に対して謀反をたくらんでいるかも知れないと恐れて、学者たちを秘密裡に召し出し、役割と務めを与えてベツレヘムへと送り出します。言わば彼らは王が放った隠密であり、家来たちにも知られないところで王のために働くようにと求められて、ベツレヘムに送られて行くのです。

 ところで、そのようにして送り出された占星術の学者たちです。彼らは自分たちがもたらした知らせによって、ヘロデ王とエルサレムの人々が、すっかり疑心暗鬼に捉われていることを理解していたでしょうか。この点については何とも言えません。ただに11節で、彼らがヘロデの許に戻らなかったのは夢で戻らないようにと示されたことが理由で、別の道を通って帰ったと言われていますので、ヘロデの疑いや計略には全然気がついていなかったとも考えられます。この学者たちは、マタイによる福音書のクリスマスの記事の中で大変不思議な立ち位置にいます。結果から考えてみますと、彼らだけが救い主として誕生した嬰児の許に辿り着いて、その前にひれ伏し、献げ物をささげて礼拝をしているのです。
 私たちは普段、クリスマスの出来事を思う時に、マタイ福音書の記事とルカ福音書の記事を一緒にしてイメージするようなところがあります。即ち、クリスマスの晩にまず羊飼いたちが主イエスの許を訪れ、次にこの学者たちも主イエスの許に辿り着いて、皆でクリスマスを祝っているような牧歌的な印象を抱き易いのです。ですが、それぞれの福音書について何が書かれているかを考えますと、マタイ福音書では、長い旅をして主イエスの許に辿りついたこの学者たちだけが、クリスマスの嬰児にお会いできた人たちです。
 何とも不思議ではないでしょうか。「ユダヤ人の王」として主イエスがお生まれになったのに、クリスマスの時に主イエスを訪れたユダヤ人は誰もいなかったのです。異邦人である学者たちだけが救い主の許に辿りついた人々です。ヘロデ王も嬰児の命を狙っている筈なのにベツレヘムにやって来ません。メシアはユダヤのベツレヘムに現れることになっていると教えた人たちも誰一人やって来ません。エルサレムとベツレヘムが距離で言えば8kmしか離れておらず、しかもこの2つの町は一本の太い街道によって結ばれていたことを知るなら、これは尚更不思議なように思えます。ですがエルサレムの主だった人々は、ベツレヘムにメシアが生まれるとヘロデに伝えた以上、王をはばかって、独りでベツレヘムに降って行くことができませんし、一方王は、ベツレヘムへの道中に刺客が潜んでいるかも知れないことを思い、やはり身動きがとれなかったものと思われます。
 占星術の学者たちだけが、自分たちに示された星の徴を信じて、またエルサレムからはメシアがベツレヘムに生まれることになっていると聞かされた言葉を信じて道を進み、そして主イエスにお会いすることができたのでした。彼らがベツレヘムの家に辿りついた時、幼子キリストは母マリアと共におられたのだと語られています。先週と先々週の礼拝でも聞きましたが、今日の記事でも、11節に「インマヌエル、神が共にいてくださる」ということが語られています。

 1節で、主イエスがユダヤのベツレヘムでお生まれになったと言われていて、ここに神の御業が始まっているのだと申し上げました。神は主イエス・キリストという方を通して私たちと共にいてくださる方なのです。大変に単純に聞こえるかも知れませんが、主がこの世に生まれてくださり、私たちと共にいましてくださるインマヌエルという知らせを素直に信じて道を歩む人たちに、主イエスは出会ってくださるのです。どんなに詳しく御言についての知識を持っていても、恐れと不安にとりつかれて身動きすることができずに、主イエスの許に来ることがなければ、遂に主との出会いは訪れません。今日の記事で、主イエスの前へと導かれお会いできたのが異邦人である占星術の学者たちであることは、大変示唆的です。たとえ異邦人であっても、心から主にお会いしたいと願う人に、主は出会ってくださるからです。

 このことは、この福音書の一番お終いのところに述べられている事柄に直結しています。 マタイによる福書書の最後には、主イエスの命令と約束の言葉が語られています。28章19節20節に「だから、あなたがたは行ってすべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とあります。主イエスはこの福音書の終わりのところで、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」、「インマヌエル」とおっしゃってくださいます。そして、その主と共にある交わりの中にすべての民を招くようにと、先に弟子とされた人たちに命じられるのです。この「すべての民」というのは、文字通り、「すべての人たち」です。ユダヤ人だけとか、ある程度聖書について理解がある人だけではありません。文字通り、「すべての人を弟子として招こう」と主イエスはおっしゃるのです。
 占星術の学者たちは、いわば、その招きにお応えして、最初にメシアである主イエスとお目にかかった人たちです。そして彼らはここまで携えてきた箱をあけて、3つの献げ物をささげました。11節の終わりに「黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」と言われています。黄金は王に対して献げられるもの、また乳香は大祭司が用いたようなので、この2つは、主が王であり、祭司であることを表すと言われます。最後の没薬は死者の体に塗ったようですので、主イエスの十字架の死を表すと言われています。
 けれども、占星術の学者たちが主イエスの十字架までを見越して、そのように献げ物をした筈はないと言う人もいて、言われるとそうかなとも思いますが、この3つはむしろ、この学者たちがそれまでの生活の中で必要としてきた道具を献げたと見るのが良さそうです。占星術の学者と言われますけれども、彼らはむしろ、中世の錬金術にも通じるような古代の科学者たちであって、様々な道具や物質を扱い、操っていたと言われるのです。今までは口八丁手八丁で生活してきた彼らが、まことの救い主に出会って、これまでの商売道具を贈り物として献げると共に、彼ら自身を主イエスに献げ、今からは主の僕となって生活してゆくことを、この贈り物が表していると言われます。

 私たちもこのクリスマスに、自分自身を主にささげ、主に仕えて生きる僕としてのあり方を確かにして頂きたいと願います。お祈りをささげましょう。

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