ただいま、マルコによる福音書6章53節から56節までをご一緒にお聞きしました。53節に「こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ」とあります。
「ゲネサレト」という地名が出てきます。湖の上で逆風に悩まされた挙句、舟がゲネサレトという土地に着いたと言われています。けれども実は、弟子たちの目的地はここではありませんでした。6章45節を読みますと、主イエスが強いて弟子たちを舟に乗せ、向こう岸のベトサイダに向けて船出させたと言われています。ところが航海の途中で舟は強い風に行く手を遮られ流されて、少し西のゲネサレトに辿り着いたのでした。ゲネサレトは町や村ではなく、一つの地域です。ガリラヤ湖の北西方向に広がっている肥沃な平野で、ガリラヤ一帯の湖に向かって開けた交通の要所であり、その中心都市がカファルナウムです。主イエスは弟子たちに、ガリラヤを離れ隣の領地であるベトサイダに向かうようにおっしゃいました。ガリラヤはヘロデ・アンティパスが治めていましたが、ベトサイダはソラコン地方にありヘロデ・フィリポの領地です。主イエスから言われた場所に向かおうと弟子たちは努力しましたが、結局風に吹き寄せられ、行き着いた先はゲネサレトであり、ガリラヤから出ることはできませんでした。むしろもともと活動の根拠地であったカファルナウムのすぐ近くに上陸することになったのでした。
主イエスがベトサイダに向かうように弟子たちにおっしゃったのには理由がありました。それは、ガリラヤ一帯で弟子たちが一生懸命働いた結果でもあるのですが、主イエスの噂が広く知れ渡って、行く先々で主イエスの癒しを求めたり奇跡を見たいと願う群衆が押し寄せてきていたのです。そういう人たちの対応に追われて、主イエスだけでなく弟子たちまでもが食事をする暇もないほど忙しい生活を送っていました。弟子たちはむしろ、そういう忙しさを誇らしく嬉しく思っていたようですが、主イエスは違いました。主イエスは忙しく生活する中で、弟子たちがなお御言葉を聞き、それを深く心に受け止め訓練される必要があるとお考えでした。それで、群衆から離れて人里離れた場所に行くように弟子たちを導こうとして、ベトサイダに向かうようにおっしゃいました。
しかしその企ては上手くいかなかったのです。風に吹き寄せられた結果、元居たカファルナウムに近いゲネサレトに辿り着きました。この土地の人々は当然、主イエスの噂を知っていて、舟から降りて来たのが主イエスの一行だとすぐに気がつきました。それで、主イエスが戻って来られたことがたちまち知れ渡って、主のもとにはいつものように続々と病人が運んで来られることになりました。54節55節に「一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた」とあります。
病が重く歩けなくなっている人まで、担架のような床板に乗せられて主イエスのもとへ連れて来られます。かつてカファルナウムの町で主イエスが最初の宣教活動を始められた頃、主イエスは「神さまの慈しみの御支配がやって来ている」と人々に宣べ伝えました。神の慈しみを信じて生きるように人々に勧められ、招かれました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とおっしゃったのです。その折りに、神の恵みの御支配がただ口先だけの事柄や言葉ではないことを表すために、主イエスは、心や体を病んでいる人たちを癒されました。癒しを見たカファルナウムの人たちは、続々と体や心を病んでいる人たちを主イエスのもとに連れて来るようなりました。この福音書の初めの方、1章32節33節に「夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった」とあります。この時には、カファルナウムという限られた一つの町の中での出来事でした。
ところが、今やそれはカファルナウムの境を越えて、ゲネサレト地方全体にまで広がり、主イエスが戻って来られたという知らせがくまなく伝えられ、多くの病人たちが主イエスのもとへと運ばれて来たのでした。
人々は、主イエスのことを偉大な奇跡を行う方であり、殊に癒しをもたらしてくださる幸いな方だと考えていました。自分たちに癒しを与えてくれる大変有り難い力ある方として、主イエスは好意的に受け止められ、その評判はガリラヤ中に知れ渡ったのでした。
多くの人たちが救いを求め、主イエスによって癒されたいと願いました。しかし、そのように主イエスによって救われたいと願っていた人たちが、その救いの事柄をどんなことと考えていたか、また救い主をどういう方だと思っていたかという点には、なお深刻な思い違いがありました。すなわち大方の人たちは、主イエスという方を魔法のように癒しの力を持つ方だと考えていたのです。それで、この方が持っておられる癒しの力が病人に届くためには、この方に直に触れるか、せめてこの方の衣にでも触れなければならないと考えました。主イエスのことを救い主だと信じるのではなく、むしろ、体と体が触れ合い、目に見えない不思議な癒しの力が主イエスから病人に流れ込むようにしなければいけないと、人々は思い込んでいました。
主イエスに触れていただくのでなければ病は治らないと思うからこそ、人々は、病人を担架に乗せて主イエスのもとに運んで来ます。あるいは主イエスがおいでになる時に先回りして、その衣の裾にでも触れたいと願いました。
しかしそれは、主イエスがもたらしてくださる救いについて判断を大きく誤っています。主イエスと身体的に触れ合うことが救いにつながるのではありません。もしそうであるならば、今日の私たちは主イエスに直に触れ合うことはできないわけですから、私たちは誰も救われないことになってしまいます。
救いについて、主イエスは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と教えられました。主イエスは神の恵みの御支配、神の慈しみがどんな場合にも人間に向けられていることをよくご存知でした。そしてまた、そのことを信じておられます。そう信じておられる主イエスが、人々の間を訪れてくださり、私たち人間に出会ってくださり、「あなたの生き方を変えなさい。あなたは神さまに愛され慈しみのもとに生かされているのだから、信じて生きるようになりなさい」と教えられました。それが、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という言葉の内容です。
「時が満ちる」というのは、「時がやって来た。砂時計の砂が全部落ちてその時刻になった」という意味ですが、どうしてそういうことが言えるのかといえば、主イエスが目の前に来てくださっているからです。主イエスが目の前に来てくださった、そして直に御言葉をかけてくださった、その時、まさに神の救いが訪れているのです。「神の国、神の御支配は近づいている。あなたは自分一人で生きなければならないと思うのではなく、神の恵みの御支配を信じて、生き方の向きを変えて生きなさい。神があなたのことをご存知でいてくださり、あなたを本当に大事な者として扱ってくださる。そのことを信じて、神の慈しみによって力をいただき、神が愛しておられる全ての者と共にこの世界を生き、そして神が愛しておられる者に仕えていく、そういう生活を送る者になりなさい」と、主イエスは勧めてくださいます。そういう仕方で、神の国、神の御支配が実際に、主の御言葉を聞く私たち一人一人のもとに及んでくるのです。
そして実は、この信仰こそが私たちを本当に癒す源です。ですから私たちは、物理的身体的に主イエスと接触することが必要なのではありません。「主が共に歩んでくださる」、その信仰が強められるということが非常に大切なことです。
ゲネサレトの人たちは、その意味では、主イエスという方について思い違いをしていました。「主イエスは魔法の力を持っておられ、この方に触れるなら癒される」と、主イエスを救い主と信じるよりも、直に触れることの方が大事だと思っていました。けれども、信仰理解の上で誤解があったとしても、今日の箇所に登場するゲネサレトの人たちのあり方、殊に主イエスを心から歓迎して主イエスとの交わりを懸命に求めようとする、この人たちの姿勢には考えさせられるものがあります。
ある説教者は、この箇所を説教した時に次のように語っています。「この日、主イエスはこの地方の人々の間を通り過ぎて行かれた。主イエスの赴くところはどこでも大きな騒ぎが起こり、人々は駆け巡り、主イエスがおられると聞けばどこへでも追いかけて行った。しかし考えてみなさい。この主イエス・キリストは、今も私たちの間におられるのではないか。毎週この礼拝の場に主イエスも参加してくださり、私たちの間に立っていてくださるのではないか。主イエスがゲネサレトを歩まれた時には、御自身の正体を隠し、むしろ弟子たちと共に早くガリラヤを抜けて静かに弟子たちを教える場所を目指して進んでおられるようだった。同じように、今も主イエスは私たちの礼拝に隠れた仕方で同席しておられる。しかしそれならば、私たちはどんなに小さな手がかりでも、それを頼りにして主イエス・キリストがおられることを覚えるべきではないだろうか。そして、主イエスのもとに駆けつけようとするのが本当ではないだろうか。私たちの間を密かに歩んでくださる主イエスを探し求めて、私たちの間で大騒ぎが起こることが本当ではないか。もし私たちの間を共に歩んでくださる主イエスという方を巡って、私たちの人生に大きな動揺が起こらないのだとしたら、それは私たちと共に主が歩んでくださるということに対して、あまりにも縁のない生活を私たちが歩んでいることにならないだろうか」。
主イエス・キリストが今、御言葉を語りかけてくださっているのに、私たちの顔があまりにも平静でありすぎて、自分の人生には何も起こらないと思っているのなら、その時には、私たちは自分の信仰について振り返って考えなくてはならないのではないでしょうか。確かに、ゲネサレトの人たちの主イエスへの信仰には、主イエス御自身が教えてくださっている言葉に照らして考えるならば理解の足りないところがありました。それは事実です。しかしそれでも、主イエスを訪ね求め、探し求めようとした人たちの情熱には聞くべきものがあるのではないかと思わされるのです。
ところで、今日の記事には大変不思議なことがあります。先の説教者の言葉にもありましたが、主イエスは、救いを必要としている人たちが大勢いるにも拘らず、その人たちの間を通り過ぎて行かれます。今日のところでは、主イエスが御自分から癒しをなさろうとしたとか、御言葉を語って教えられたとか、そういう姿は見えません。大勢の人たちに御自身の存在が知れ渡り、関わり合いが生まれることを避けようとしておられるかのように、主イエスは弟子たちを急がせて旅路を進んで行かれます。それはどうしてだろうかと思うのです。
実は、主イエスが旅を急いでおられる様子、あるいは人との関わり合いを避けておられる様子というのは、今日のところだけではありません。この先も、しばらくこういうことが続いていきます。7章24節に「イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった」とあります。ティルスは地中海に面したフェニキア人の国の一地方です。明らかに主イエスは急いでガリラヤを出られ、それだけではなく、ティルス地方に行った時には誰にも御自身が何者であるかを知られたくないと思っておられたのです。ところが気づかれてしまい、すぐにこのティルス地方を後になさいました。7章31節に「それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた」とあります。さらにガリラヤ湖にも留まらずベトサイダに行かれ、それから北上してフィリポ・カイサリアに向かって行かれたと語られていきます。これから先、主イエスは、人に気づかれるとすぐにその場所を移動するというように点々と居場所を変えて行かれるのです。どうしてこんなに忙しく旅をなさるのでしょうか。
それは、主イエスが、大勢の人を癒して有名になることよりも、御自身の救い主としての務めを優先させておられるからです。主イエスの救い主としての御業がどういうことであるのか、そのことを弟子たちに教えなければならない、そう思っておられるのです。主イエスは弟子たちに「あなたがただけで人里離れた所へ行ってしばらく休むがよい」とおっしゃってベトサイダに送り出されましたけれども、それは、弟子たちを休養させるというだけではなく、主イエス御自身が教えておられる福音を弟子たちに繰り返し教え、理解させるために、静かな時間が必要だとお考えだったからです。
教会の伝道の業と聞くと、私たちはすぐに大勢の人々に宣伝をして教会の存在を広く知ってもらったり、あるいは人々が教会に詰めかけることが大事だと考えがちですが、しかし、教会が世に告げ知らせている救いが何であるのかということをよく弁えることも、また同時にとても大切なことです。そうでないと私たちは、多く集まったけれども何のために集まっているのか、なぜここに一つに招かれているのか、そしてどういう救いに与って生きるのかということが分からなくなってしまうのです。
この教会の礼拝に、復活のイエス・キリストが私たちを招いてくださり、礼拝にはいつも主イエス・キリストが私たちの間を歩んでおられ、そしてその主イエスがおられるからこそ、私たちはここに集まってくるのです。そして、主イエスが私たちに告げてくださるのは、「神さまの慈しみが、たとえどんなことがあってもあなたの上にあるのだ」ということです。私たちは、神の慈しみを受けて生きること知らされ、そしてそれを信じて生きていくようにと勧められるのです。
私たちの信仰は、「甦りの主イエス・キリストが今日も私たちの間を確かに歩んでくださる。神さまの真剣な慈しみが私たち一人一人の上に注がれている」ことを知らされ、信じさせられるところから始まります。
信仰を励ましてくださる御言葉を繰り返し聞かされ、信仰を確かにされ、癒されて歩む者とされたいと願います。 |