ただいま、マルコによる福音書11章1節から11節までをご一緒にお聞きしました。最後の11節に「こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた」とあります。主イエスが遂にエルサレムに到着なさいました。そしてこの日から一週間後、主イエスは復活をなさいます。つまり、イースターまであと一週間です。今日の箇所から、主イエスがエルサレムでお過ごしになる地上の御生涯で言えば最後の一週間、つまり受難週が始まるというところに入っていきます。
受難週の最初の日、これは曜日でいえば今日と同じ日曜日です。この日に主イエスはエルサレムにお着きになり、神殿の境内に立ち入られました。この時の出来事は、他の福音書の記事を読みますと大変華々しい出来事であったかのように記録されています。
例えばマタイによる福音書21章10節には、「イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、『いったい、これはどういう人だ』と言って騒いだ」とあります。こういう記事から想像しますと、ちょうど甲府では昨日、「信玄公祭り」が行われて武者行列が練り歩いたり、その前にヴァンフォーレ甲府の祝賀パレードがありましたけれども、そういう光景に似ているだろうと思います。無数の人たちが主イエスに従っていて、またそれを取り巻き見ている人も大勢いる、思いがけない人の波がエルサレムに押し寄せて来たために、エルサレムの住民たちがそれに戸惑って、「この人混みは、いったい何の騒ぎか」と訝しがっている、そんな様子が思い浮かびます。
次にルカによる福音書では、この場面は、次の日に起こる「宮清め」の場面と一緒になっています。今日聞いているマルコによる福音書では、主イエスは日曜日にエルサレムに到着され神殿を御覧になってから、一旦、ベタニアに出て行かれ、また次の日の朝においでになり「宮清め」をなさったと書いてあるのですが、ルカによる福音書を読みますと、「宮清め」をなさったのは日曜日に神殿にお入りになった直後であるような書き方になっています。それだけではなく、19章39節40節には「すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、『先生、お弟子たちを叱ってください』と言った。イエスはお答えになった。『言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす』」とあるように、主イエスがエルサレムに向かってくる途中、従う人たちの歓呼の声があまりに大きいためにファリサイ派の人たちが苛立っている様子が語られていて、明らかに都に進んでいかれる主イエスを中心としてここに集っていた群衆の中に異様な熱気が表れていたということが分かります。仮に主イエスが弟子たちを叱りつけ黙らせるとしても、今度は道端の石が讃美を始めるだろうと言うほどに、とても強いエネルギーがここに漂っていたのでした。
さらにヨハネによる福音書では、12章12節13節に「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に』」とあり、この記事ではエルサレムに入って行こうとする人の群れではなくて、逆にエルサレムの町の中から主イエスを迎えるために大勢の人々が出てきたということが語られます。
このように、マルコによる福音書以外の三つの福音書が語るこの箇所はそれぞれに違っているところがあるのですが、しかしいずれも、主イエスがエルサレムにおいでになった時、そこではお祭り騒ぎのように大勢の群衆が主イエスを喜び迎えたと語られています。この三つの福音書はいずれも、マルコによる福音書より後に書かれた福音書ですが、後に書かれれば書かれるほど、この光景はまるで戦争に勝利した凱旋将軍か王がエルサレムの町に帰って来たかのような華やかな場面として描かれています。
ところで、実際はどうだったのだろうかということを、今日はマルコによる福音書から聞いてみたいと思います。
四つの福音書の中で一番最初に書かれたマルコによる福音書では、この時の様子は、他の福音書に比べてずっと慎ましやかに語られているということに気づかされます。11章7節8節には「二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた」とあります。主イエスが弟子たちの引いて来た子ろばに乗られた時、そこには確かに多くの人たちがいて自分たちが纏っていた上着を脱いで道に敷いたり、上着の無い人は野原から幅の広い葉っぱのついた木の枝を切って来て道に敷いたりして、主イエスが進んで行く道の飾りとしたと言われています。言うなれば、上着や木の枝で即席のカーペットのようなものをこしらえたのでしょう。そしておそらく、主イエスが通り過ぎて行った後の道に残った上着や木の枝を回収して、また先の道の敷物として何度も用いたものと思われます。大勢の人がいたのでそういうことができたのでしょうが、この大勢の人たちというのは、あくまでも12弟子と比べると大勢だという意味であって、おびただしい人々とか無数の人たち、あるいは町中の人がこぞってという意味ではありません。もしかすると、ここで言われる大勢の人とは、人数でいえば今日私たちがここに集まって礼拝を捧げているくらいの人数か、あるいは少し多いという程度だったかもしれないのです。
これからクリスマスがだんだん近づいてきます。私たちの教会もクリスマスに向かって毎年一人一人が準備し、皆で力を合わせて行事を一つ一つ行っていきます。これは町をあげたようなイベントに比べればずっと細やかで慎ましいものですけれども、しかし私たちはそれでも、自分たちとすれば精一杯に準備してクリスマスの訪れを喜び感謝しつつ過ごす、そういう時を歩むことになります。主イエスがエルサレムにおいでになることに対して、弟子たちが上着や木の枝を敷いたというのも、これに似たようなことだったのではないでしょうか。
主イエスがエルサレムに入って行かれた時、そこでの出来事として本当に大切なことは、どれほどの人数がそこにいたかということよりも、むしろ、「人々の中心におられる方がどなたであったか」ということだろうと思います。まさに主イエスが神から遣わされた真の救い主として、集っている群衆のただ中におられ、そして主イエスがエルサレムに入っていかれたということ、これが決定的に重大なことです。真の救い主が集いの中に共にいてくださるということ、そしてその方が救い主としてどのような御業をなさっていかれるのかということが、今日の箇所では極めて大切な事柄です。
主イエスは気ままにエルサレムを訪問なさったのではありません。御自身が救い主としての御業を行うために、過ぎ越しの祭りに間に合うようにエルサレムに到着なさいました。それは、「主イエスがエルサレムで御自身を過越の小羊として神に献げる」ため、そしてそのことによって「すべての人間の罪が赦される」ということが起こるためです。
そして、そういう救いの業をなさる方として、主イエスがエルサレムに来られる時の乗り物に選ばれたのが「子ろば」でした。主イエスは二人の弟子たちを使いに出そうとして、言われました。1節後半から3節「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい」。
この記事を不思議に思う方もおられるでしょう。「どうして主イエスは、離れた場所に繋がれているろばの子がいることを知っておられたのだろうか。またどうしてその場に居合わせる人に『主がお入り用なのです』と言うと、その人は子ろばを快く引き渡してくれるのだろうか」、大変不思議だと思われるかもしれません。
けれどもこれは、例えば「開けゴマ」というような魔法の合言葉などではないのです。そうでなくて、こういうことが起こるのは、主イエス御自身が前もって「ろば」の持ち主と話をしておられたからに違いありません。先方が既に、主イエスがろばの子をお使いになるということを了承しているので、弟子たちはただ出向いて行って、子ろばを借り受けて来るだけでよかったのです。
主イエスはすべての手筈を御自分で整えておられました。そうだとすれば、エルサレムの都に入って行くに当たって、「ろばの子に乗って行く」ということは、主イエス御自身がそれをお決めになったということです。どうして主イエスは、ろばの子を必要となさったのでしょうか。主イエスがろばの子に乗ってエルサレムにお入りになったことには、何か理由があるのでしょうか。
その通りです。主イエスがろばの子に乗ってエルサレムを目指されたことについては、しばしば旧約聖書の預言の言葉から、主イエスが旧約聖書の預言を思い出しながら、馬ではなく「ろばの子」をわざわざ選ばれ、それに乗ってエルサレムに向かわれたのだと説明されます。その預言の言葉は、旧約聖書ゼカリヤ書9章にあります。9節10節に、「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ 諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ 大河から地の果てにまで及ぶ」とあります。ゼカリヤ書には、「やがてエルサレムのあるシオンの丘に一人の王がやって来る」ということが預言されています。この王はすべての敵に対して勝利をおさめる方なのですけれども、武器や軍事力を誇って相手を打倒するのではなくて、むしろ兵器や弾薬を一切必要としない、「平和の君としてエルサレムに君臨する」、そういう王として訪れてくださるのです。したがって、乗り物も兵器となり得る猛々しい馬ではなくて、馬に比べるとゆっくり行動し、しかし力を出さなければならない時には辛抱強く大きな力を発揮する「ろば」が乗り物となるのです。そういう柔和な方が平和の君として、いつの日かエルサレムにおいでになる日が来るというのがゼカリヤ書に語られている約束です。
主イエスは旧約聖書の中にこういう約束がされていることを御存知だったので、御自身も馬ではなく子ろばに乗ってエルサレムにお入りになられました。すなわち、この「ろばの子」というのは、「主イエスが柔和な方、平和の君である」ことを表すために選ばれ用いられているのだと、昔からよく説明されています。そしてまさしく、これは正しい説明だと言えると思います。
しかし、そのように語られる説明と並んで、もう一つ言い伝えがあります。これは聖書の中に書き留められていることではなく、当時のユダヤ人たちの間に語り伝えられていたことです。それによると、「救い主メシアがエルサレムを再び訪れる日がやってくる。その日、もしも神の民であるイスラエルの人たち、殊にエルサレムの住民が神の民に相応しい清い者たちであったら、救い主は雲に乗ってやってくるに違いない」と言われていました。「救い主は雲を乗り物とし、栄光のうちに天使の群れを従えてエルサレムを訪れてくださる」、それが救い主がエルサレムに現れる時の様子だと言い伝えられていたのです。
しかしまた同時に、イスラエルの民が神の民としてまだ相応しくなく、相も変わらず神のことを抜きに、神をそっちのけで自分たちの思いで生活をしている時には、そこに神が栄光をまとった姿で現れてしまうと皆滅ぼされてしまいますから、そうならないように、救い主はみすぼらしい小さなろばに乗って来ることになるだろうとも言い伝えられていました。
これは非常に広く知られていた言い伝えだったようで、主イエスもこの言い伝えを念頭に置きながら語っておられるところがあります。マルコによる福音書13章26節27節に「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」とあります。主イエスは、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」とおっしゃっておられます。これは言い伝えの前半部分です。ここには後半部分のろばの話は出てきませんけれども、主イエスは当然、後半部分の言い伝えも御存知であったに違いないのです。
そうすると、主イエスが子ろばに乗ってエルサレムを目指されたということは、「まだエルサレムが、人間の現実が、本当には救い主をお迎えできる準備が整っていない」ので、もしそんなところに主イエスが御自身の本来の栄光の姿で現れたら、「きっと大勢の人たちが滅んでしまうに違いない」と配慮をなさって、わざと貧しい姿で、ろばの子に乗って来られたのだということも言えそうです。
主イエスが多くの人に囲まれてエルサレムに入ったと言っても、この多くの人というのはエルサレムの住民やユダヤ全体、あるいは全世界の人に比べたら、ほんの一握りの人たちです。しかし、「ほんの僅かなお供しか連れず、子ろばに乗ってエルサレムにおいでになった」というのは、実は、主イエスの憐れみのゆえのことでした。
かつて神は、なかなか神の御旨を悟ろうとしない預言者ヨナに言われました。「どうしてわたしがこの大いなるニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには誠に大勢の、右も左もわきまえない人間たちと無数の家畜がいるのだから」と、御自身の憐れみのゆえに「反逆の都ニネベを滅ぼさない」と言われました。
主イエスがエルサレムにお入りになる時に、御自身の本来の栄光の姿を取ってお入りになるのではなくて、子ろばに乗った姿でお入りになるというのは、エルサレムの町の人たちを滅ぼしてしまうことを思い止まられておられる姿です。そのためにわざわざ、ろばの子を調達し、そのろばの子に乗って来られたのです。
ですからここには、「たとえどんなにわきまえが無く、理解が遅く、そのために結局主イエスを十字架にかけてしまっても何とも思わないような人たちであっても、なおその命を惜しんでくださる主イエスがおられ、神がおられる」のです。人々が主イエスと関わりのない者として滅んでしまうことがないように、なんとかして主イエスを本当に救い主と認めるようになり神の御前に生きる者となるようにしようとする、そういう主イエスの強い決意と深い憐れみと慈しみが、「子ろばに乗って来る」という姿に表されています。
主イエスがエルサレムにお入りになる時、主に従っていた人たちは自分たちの着物を、小枝を道に敷き、「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と言って、主を讃え賛美の声をあげました。
この賛美の言葉は、ここで語られている内容をよく考えてみると、主イエスがこれからエルサレムで成し遂げようとしておられる救い主の御業からは少し外れている、いや少しどころではなく、かなり的外れなことを言って喜んでいる言葉です。ここで主イエスを讃えている人たちは、主イエスがエルサレムでダビデの王座におつきになって、いにしえの王国を復興してくださるかのように考えているのです。けれども主イエスは、そんなことのためにエルサレムにおいでになったわけではありません。主イエスの救い主としての御業は、王座に座ることではなくて、十字架に架かることです。主イエスは御自身が過越の小羊になろうとして、ここに来ておられるのです。
しかしたとえ、そういう思い違いの部分を多分に含んでいたとしても、「主イエスは神の御心をすべての人に告げ知らせるためにおいでになった方」であり、「主の名を帯びておられる方」ということは間違いありません。「主の名によって来られる方に、祝福があるように」と讃えているこの言葉は、まさしくその通りです。そして従う人たちは、主に向かって救いを求めて「ホサナ、救ってください」と呼びかけているのです。
主イエスがエルサレムにおいでになった時、そこに従っていた人たちは、本来、主イエスを喜び迎える人が世界中の人たちなのだということからすれば本当に僅かな一握りの人たちに過ぎませんでした。しかもその一握りの人たちは、多分な勘違いや誤解を含みながら主イエスのことを讃えていました。しかしそうではあっても、その賛美は、「確かに今、本当の救い主がここに来ておられるのだ」ということを精一杯に賛美する声であり、そしてそこには僅かであっても、「主の名によって来られる方、この方に救いを求める」、そういうあり方を心から信じ願う姿勢が示されています。
今日の記事を聴きながら思います。私たちも同じではないでしょうか。住めば都というわけではありませんが、主イエスが今日、私たちの住むこの場所にも、私たちのもとにも訪れて来てくださっています。私たちが自分で正しいことを知り、正しいことを行い、自分が神に相応しい者になるということではなくて、主イエスの方が私たちのもとに来てくださって、「あなたと一緒に歩んであげよう。そのためにわたしは十字架にも架かる」とおっしゃってくださるのです。
主イエスはエルサレムで十字架に架かり、御自身を過ぎ越しの小羊として献げ、そして信じる者に新しい命を与えようとしてくださいました。そういう仕方で、主イエスは私たち一人一人を確かに神と結びつけてくださり、私たちがここからもう一度生きる者としてくださるのです。主イエスは御自身の十字架と復活によって私たちを罪から清め、神の民の一人一人として生きるように、私たちを新しい命の中に迎えてくださいます。
「ホサナ」と心から呼びかけ、「主の名によって来られる方に祝福があるように。そしてどうか、わたしたちが主に従う者とされるように」と心から祈り、そして、造り変えられたいと願います。お祈りを捧げましょう。 |