聖書のみことば
2020年1月
  1月5日 1月12日 1月19日 1月26日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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1月26日主日礼拝音声

 神の勝利
2020年1月第4主日礼拝 1月26日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/使徒言行録 第12章1〜25節

<1節>そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、<2節>ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。<3節>そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった<4節>ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。<5節>こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。<6節>ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。<7節>すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。<8節>天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。<9節>それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。<10節>第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。<11節>ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」<12節>こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。<13節>門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。<14節>ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。<15節>人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。<16節>しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。<17節>ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。<18節>夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。<19節>ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。<20節>ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そこで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。<21節>定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、<22節>集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。<23節>するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。<24節>神の言葉はますます栄え、広がって行った。<25節>バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。

 ただ今、使徒言行録12章1節から25節までをご一緒にお聞きしました。24節に「神の言葉はますます栄え、広がって行った」とあります。当時の教会の勢いを伝えている言葉です。こういう言葉は、これまでにも使徒言行録の中で何度か語られていました。例えば、2章41節には「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」、4章4節にも「しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった」とあります。ペンテコステの日にペトロたちが聖霊に導かれて主イエスのことを伝えたとき、それを聞いた人たちは心を強く動かされて、主イエスを信じる人とされた、それが3000人だったと言われています。それはペトロの話術によるのではなく、聖霊が聞く人たちの心に働いてくださった結果です。信じて洗礼を受けた男の人たちが、次には5000人ほどと増えていき、とうとうその数は数え切れないほどになりました。6章7節に「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」とあり、もはや数も数えられていません。そして今日の24節も、そのように教会が広がっていく様子を伝えています。

 こういう言葉を聞きますと、私たちはつい、ペンテコステの時から極めて順調に、教会が右肩上がりで人数を増やしていったと感じるかも知れません。教会の群れを脅かすような敵はおらず、平穏無事な中で教会が人を増やしていったと思うかもしれません。しかし実際には、そんなことはありませんでした。
 例えば、ステファノの殉教をきっかけにしてエルサレムの教会に激しい迫害が起こりました。数を数えられなくなったのは、もしかすると、洗礼を受けて教会に連なる人が増えたとしても、その一方で迫害によってエルサレムを離れる人がいましたから、人数を数えるということだけでは教会の全体を把握できなくなったのかもしれません。

 今日の箇所でも2節に「ヘロデによってヨハネの兄弟ヤコブが剣で殺された」と述べられていますが、このヤコブが12弟子の中では最初の殉教者になりました。しかしヤコブの殉教は、以前に主イエスが予告しておられたことでもありました。マタイによる福音書20章20節以下で、ヤコブとその弟ヨハネを連れて、二人の母である女性が主イエスに、自分の二人の息子には弟子たちの中でも特別に高い地位を与えて欲しいと願う記事が出てきます。それに対して主イエスは、ヤコブとヨハネに「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」とお尋ねになりました。二人は、「できます」と力強く答えますが、主イエスがおっしゃる「杯」とは、後にゲツセマネの園での祈りで明らかになるように、「十字架」のことですから、「あなたがたは、わたしが背負うことになる十字架を背負えるのか」とお尋ねになったのです。二人は杯がなんのことかも分からず「できます」と答えましたが、二人に主イエスは言われました。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ」。
 ここで主イエスが考えておられたことは何でしょうか。ヤコブとヨハネの母は、主イエスが地上の王のように玉座に着くと思っていましたが、主イエスが王座に着かれる時とは「十字架の時」なのです。ですから、結果から言えば、その左右に着いたのはヤコブとヨハネではなく、二人の犯罪人でした。けれども、主イエスはまさにこの時、ヤコブが主イエスと同じように死んでいく、杯を飲む時が来るのだということを予言されました。

 今日の使徒言行録12章は年代がはっきりしている、大変珍しい箇所で、紀元44年だと言われています。ヘロデ王の死が紀元44年であるからです。諸説ありますが、主イエスの十字架が紀元30年頃だったとすると、主イエスの死からヤコブの死までは少なくとも10年以上経っていることになります。10年以上、使徒たちがエルサレムに留まって伝道できたということは、考えようによっては幸いなことだったと言うべきかもしれません。ステファノの殉教をきっかけにして起こった大迫害の時ですら、使徒たちに手をかけようとしたユダヤ人たちはいなかったのです。ペンテコステの後、教会が生まれた頃には、ペトロをはじめとする使徒たちはエルサレムの町で民衆たちに非常に好意を寄せられ、称賛されていました。そのために、大祭司ですら、使徒たちに手出しすることはできなかったのです。
 ところが、それから10年ほど経つ中で、エルサレムの町の空気が少しずつ変わって行ったことが分かります。エルサレム のように大きな町では、いつでもどこかで人の出入りが起こっています。5年10年と経つうちにいつの間にか町の空気が変わり、いつの間にか以前のことを知らない人たちが多数になっているということが有りうるのです。以前のような使徒たちに対する非常な好印象というものは、12章を読みますと後退していました。
 ステファノの殉教の後には、エルサレムの町の中の信仰深い人たちがステファノの死を深く嘆き、遺体を丁重に葬ってくれました。ステファノは石で打ち殺されましたが、その死を残念に思う人が町の中にいたことが分かります。ところが、今回のヤコブの殉教に際しては、2節3節に「ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした」とあり、ヤコブの死を悲しむ人たちよりも喜ぶ人たちが表に出て来たことが分かります。もっとも、「ユダヤ人」とあるのは、ユダヤの血を引いている人全員という意味ではないとも言われています。エルサレムの町で、我こそはユダヤ人と思っている、主だった人たちのことを指しているのかもしれません。
 けれども、少なくともエルサレムの町で、ユダヤの主だった人たちがヤコブの死を喜んでいたということは、当時の為政者であるヘロデ王にとっては好都合なことでした。このヘロデは、主イエスがお生まれになったクリスマスに、赤ちゃんである主イエスを殺そうとしたヘロデ大王の孫に当たる人物です。ヘロデ・アグリッパ1世と呼ばれる人ですが、この人は幼い頃ローマで育ち、お金が原因で一度は零落しますが、当時のローマ皇帝カリギュラがユダヤの王に取り立ててくれて王になったという人です。こういう経緯で王になったということは、決してユダヤの民衆に支持されてではありませんので、それでもユダヤの主だった人たちの人気取りをしようと考える中で、ヤコブを斬り殺すという出来事が起こっているのです。
我こそはユダヤ人と思っている人たち、大祭司をはじめとするエルサレムの指導者たち、サドカイ派やファリサイ派の人たち、この人たちは主イエスの時代から元々教会とは仲が良くありませんでしたから、弟子たちがエルサレムで主イエスを宣べ伝えることを快く思っていませんでした。ペンテコステの出来事が起こった直後に、ペトロが主イエスのことを堂々と話し始めた時には、町の人たちが皆、ペトロに心を寄せてしまいましたので、教会に手出しができなかったのですが、それから10年経って、民衆が教会を喜んでいるという空気が少し後退している中で、新しく王座に座るヘロデ・アグリッパ王が、教会の重鎮であるヤコブを剣で斬り殺すということは、ユダヤの指導者たちにとって好都合なことでした。目障りな教会の勢力を何とかしたいと思っていたのですが、自分たちの手を汚すことなく、新しい王が手を下してくれることを喜んだのです。そしてアグリッパ王は、ヤコブの殺害がそのように喜ばれたのを見て、次の迫害のターゲットをペトロに絞りました。
 そのころのペトロは、カイサリアの異邦人の家に行って客になったことが知られていて、元々ユダヤの律法では異邦人と交際してはならないという決まりがありますので、厳格に律法を守る人からするとペトロの行いは律法違反で反発を買うことでした。だからと言って、このことで処刑するのはいかにも乱暴ではありますが、ヤコブのことがあったので、ヘロデ王はペトロを捕らえたのです。ちょうどこの時は過越の祭りの時だったので、祭りの後にペトロを引き出して処刑しようと決め、ペトロを捕らえていました。そして今度もユダヤの指導者たちは喜んでくれるに違いないと、ヘロデは考えていました。

 けれどもこれは明らかに権力の濫用ですから、納得しない人もいるだろうことを考えて、ヘロデは牢獄に厳重な警備を置きました。4節に「ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた」とあります。四人一組の兵士四組の監視ですから、昼も夜も、ペトロが決して脱獄できないようにしたということでしょう。弟子たちは、もちろん、ペトロを助けたくてもどうすることもできません。ペトロは絶定絶命の状況で過越祭を迎えていました。祭りが終わり夜が明けたら裁判が開かれ、ヘロデが形だけの取り調べを行ってペトロに死刑を申し渡し、即刻処刑される、そういう段取りだったに違いありません。
 ペトロの身を案じる教会の兄弟姉妹に、この時一体何ができたでしょうか。教会の人たちは、ヨハネの母の家に集まって熱心に祈っていました。しかし、このような絶体絶命の状況の中で、祈ることに一体どれほどの力があるのだろうかと思わずにはいられません。熱心に祈ることは良いとしても、ペトロが力づくで命を奪われそうになっていることへの対抗策として、祈りはあまりに無力に思えないでしょうか。祈ったからと言って何かの影響を及ぼすことができるでしょうか。及ぼせないでしょう。

 今日の箇所は本当に不思議なことがたくさん書いてあるのですが、事態は誠に不思議な方向に推移していきます。主の天使があらわれ、厳重に監視されていた牢獄からペトロが導き出され救い出されていくのです。天使がどんな姿をしていたか、福音書には記されていません。白い服を着て背中に羽が生えていたとは限らず、ヘロデの家来の一人のような姿だったかもしれず、もしかするとその人を神がご自身の使いとして用いられたという可能性も否定できないと言う人も、学者の中にはいます。けれども聖書に語られていない以上、あまり人間的にまた合理的に解釈すべきではないでしょう。9節には「それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った」とあり、当事者であったペトロでさえ、何が起こっているのか分からなかったのですから、私たちに説明できるはずがありません。
 けれども、ここに生じていることは何か。それはヘロデ王の横暴で無謀な企てに対して、神ご自身が立ち向かっておられるという出来事です。「神が戦い、御業をなさっていかれる」、その時には、人間には不可能だと思えるところにも道が開かれ,事が成っていくのです。

 教会が熱心に祈っていた祈りは、自分たちの祈りの力でヘロデ王を動かそうというようなものではありません。教会の祈りは、ヘロデに向かって捧げられたのではなく、神に向かって捧げられていました。「神さまの御心がどうか現されますように。神さまの御業が行われ、最も御心に適うことが起こりますように」と、目下の非常に困難な事態について神に委ねました。たとえどんな結果が生じるとしても、神がご自身の計画に従って事柄を持ち運んでくださいますように、また自分たちもその中で神の民として置かれている状況を受け止めながら歩んでいけますように、と教会は祈りました。
 そういう意味で、教会は必ずしも、ペトロが牢屋から助け出されるとは思っていなかったらしいことは、この後のユーモラスな展開からも窺い知れます。16節に「しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた」とあります。牢から出されたペトロは、皆が集まっているであろうヨハネの家に行って戸を叩きます。取り次ぎに出た女中のロデは、ペトロの声だと分かると、鍵を開けるのを忘れて中に入り、弟子たちに告げました。弟子たちはロデの言葉を信じませんでしたが、ペトロが戸を叩き続けたので、戸を開け、そこにペトロがいたので非常に驚きました。
 この驚きについて、ある聖書注解者は、「教会の人たちはペトロの釈放を祈り願いながら、これほど速やかに祈りが聞かれるとは確信できなかった。これでは彼らは祈りの力を知らず、祈りの力を信じることなく祈っていたと言わざるを得ない」と悪口を言っています。
 確かにこの時、教会の人たちの中には、神がこのような仕方で自分たちの祈りに応えてくださるとは思いもよらなかったという人はいたと思います。けれども、神が教会の捧げる祈りやキリスト者の捧げる祈りに、どういう仕方で応えてくださるかということは、最初から私たちに分かっていることではありません。けれども、神はキリスト者の祈りに耳を傾けてくださる、私たちの祈りを聞いてくださって、神の最も良いと思われる仕方で応えてくださる、それは確かなことなのです。しかしその際に、どういう仕方で応えてくださるかは、神の側の自由に任されています。私たち人間の思いもよらないような仕方で応えてくださるということもあるのです。
 ですから、ペトロのことを思って祈っていた人たちが家の戸口にペトロが戻されていることを聞かされても、にわかに信じることができなかったのはやむを得ないことだったかもしれないと思います。不信仰だなどと言うべきではないでしょう。「神さまが祈りに応えてくださった。けれどもまさかこのような形で応えてくださるとは思いもよらなかった」、私たちであってもそのような経験をすることがあるに違いありません。

 ペトロがこのように牢から出されたことは不思議な驚くようなことですが、今日の箇所を読んでいますと、さらに驚くようなことが6節に語られています。「ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた」とあります。夜が明ければ裁判の席に引きずり出され死刑が宣告されるに違いないという時に、ペトロは二人の兵士に挟まれて「眠っていた」と言われています。どうしてペトロはこのように安らかでいられたのでしょうか。自分の身に危険が迫っていることに気づかないはずはありません。死を覚悟するほどに肝が座っていたのでしょうか。
 ペトロはもちろん、身の危険を承知していたでしょう。けれども、「甦った主イエスが今ここに、自分と共にいてくださるのだ」ということを思い起こして、神のなさりように自分の身を委ねました。ですから、眠る前には熱心に祈っていたと思います。恐れも嘆きも悲しみも全て、神の前に注ぎ出して、「どうか神さま、わたしを覚えてください。わたしをここで持ち運んでください」と祈ったに違いありません。そして、すべてを申し上げた上で、「神さまの御心がわたしの上になりますように」と祈り、神に信頼することができたので、安らかに眠ることができました。
 大きな危険と隣り合わせにある時にも、キリスト者がこのように神への信頼を持って自分自身を生きることができるということは、本当に幸いなことだと思います。
 例えば、私たちが深刻な病気に罹り、余命幾ばくもないという時に、本当は休息をとることが良いと分かっていても不安のために眠れなくなる場合が多くありますが、そのような時に、本当に神に信頼して、「このまま眠りから覚めないかもしれないけれど、神さまがここからわたしを持ち運んでくださる」という安らかさの中で休息を与えられて、そこを生き延びるという場合こともあるのです。人間同士の励まし合いによって、頑張りすぎて命を縮めるということはあるかもしれません。けれども、「神が今ここに共にいてくださる」、その平安の中で過ごせるとすると、それは一つの奇跡だと言えるのです。ペトロはこの晩、眠っていました。そして逆に言えば、ペトロが眠っていたので、監視していた兵士たちも眠ることができたのです。

 さて、神はヘロデ王の手からペトロを取り戻してくださっただけではなく、今度は神ご自身がヘロデ王に対して戦いを挑まれ、この王を打倒されました。ヘロデ王は、自分の権力を誇っている最中に、突然命を落としました。使徒言行録を書いたルカは、この出来事について、ヘロデが「神の声だ」とはやし立てる民の声を聞いて、いい気になり、栄光を神に帰さなかったために起こったことだと記しています。23節に「するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた」。
 王の装いをし栄華を誇っている、そのようなヘロデ王の繁栄は、小さな蛆によって破られました。この世の繁栄には、いつもこのようなところがあるような気がします。多くの家臣を従え、最新式の武器を備え、盤石であるように思えても、崩れる時にはほんの小さなアリの一穴から崩れるのです。この世の栄華や栄光は、いつもそのようにして、盛んに見えては滅んでいくようなところがあります。私たちが知っていることは、地上の栄光は決して永続するものではないということです。

 教会という存在は、本当に不思議なところがあります。そのような地上にあってほんの取るに足りない存在に思え、力も知恵もないように思えるのです。何とか生き延びようと神に寄りすがっているだけの群れに見えるかもしれません。教会に集まっている人間一人ひとりに目を留めて、その人間の合計が教会だと考えるならば、教会がずっとこの世に成り立ち続けることは、本当に不思議な奇跡的なこととしか思えません。けれども、教会は続いています。ヘロデ王は滅び、ヘロデを王にしたローマ皇帝も暗殺され、ローマ帝国もやがて滅亡しますが、その後も教会はずっと立ち続けています。
 不思議なことですが、滅亡するものへの憧れというものを人間は持っていて、滅んで行ったにもかかわらず、力を誇っていたローマ帝国に憧れる人が次々に現れ、中世には神聖ローマ帝国が現れ、また20世紀にはドイツに第三帝国と名乗る国が生まれました。けれども、そういう国々も、結局は最初のローマ帝国のように滅んでしまうのです。しかしそのような中で、本当に不思議ですが、人間的に言えば吹けば飛ぶような存在に思える、弱く哀れな存在に思える教会が、2度の千年紀を超えて、今もこうして歩み続けているのです。

 どうして教会はこの地上に立ち続けることができるのでしょうか。それは、神が一つ一つの教会をお建てになり、その群れを慰め支え導いてくださるからに他なりません。私たちは、今日、2020年という時にここで礼拝していますが、これは私たちが思い立って集まろうとして教会が立ったということではありません。これまで2000年の間、本当に不思議なことに、何代にもわたって、神が御言葉によって一人ひとりを励まし慰め、「あなたは私のものだよ」と教えられながら生かされてきた人たちがいて、私たちには、そのような信仰の先輩がいるので、今日ここで教会に集うことができるようになっているのです。

 使徒パウロがコリントの教会に書き送った第二の手紙、4章の16節から18節に「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」とあります。私たちはまさに、「見えないもの」に支えられて、地上の歩みを続けているのです。
 私たちには主イエスの十字架から2000年という、長い時間の隔たりがあります。私たちはこの長い時間を指差しながら、「神さまがこの長い時間、私たちを持ち運んでくださったのだから、今日も守られ、またこれからも導いてくださるに違いない」と言えることができるようにされています。
 けれども、聖書が書かれた時代、ペトロたちのように1世紀に生きた人たちは、それほどの時間の隔たりを持っていません。ですから、別の言い方で、神の保護が確かにあるということを言い表しました。それが、今日の箇所で語られていることです。ペトロが牢屋に捕らえられ処刑されそうになっていたけれど、神がご自身の使者を遣わして、ペトロを牢から解放してくださった。人々に媚び教会を滅ぼそうとしていたヘロデ王を、神が打ち倒してくださった。こういう言い方で、「神さまの保護は私たちの上に確かにある」ということを言い表したのです。
 今を生きる私たちには、ペトロたちと同じような言い方はできません。けれども、逆に私たちは「今日も神さまがわたしを持ち運んでくださっている」と、私たちなりの言い方で語ることはできるのです。

 ペトロはこの時には命をながらえることができましたが、永久に生きたわけではありません。神が御心に定められた時に、ペトロもまた地上の生活を歩み終えました。伝説によれば、ペトロは主イエス同じ十字架で処刑され、そのことによって自分が確かに主の弟子であり、主にあって一生を生きたのだということを表したのだと言われています。人間的に見れば、十字架刑ですから大変壮絶な死ですが、主イエスが自分の生涯にずっと伴ってくださっていたことを思いながら安らかな眠りについて、永遠の命に向かって勇んで地上の生活を後にして行ったに違いありません。

 神が共にいて教会を導いてくださっている。キリスト者一人ひとりの人生にも伴って、その人のために戦ってくださる。「あなたがたは静まって、神さまが一緒に戦ってくださることへと思いを向けなさい」という言葉が、今日の記事を通して私たちに語られている言葉です。
  私たちはこのような聖書の言葉を聞きながら、私たちの上に主イエスが今も共にいてくださり、神が確かに私たちを持ち運んでくださるのだと確認して、ここから歩み出す者とされたいと願います。

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