ただいま使徒言行録11章19節から30節までをご一緒にお聞きしました。19節に「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」とあります。「ステファノの事件」と言われていますのは、使徒言行録7章の終わりに記録されているステファノの殉教の出来事です。この出来事をきっかけに、エルサレム教会の人たちの中で、特に日常的にギリシャ語を話していた弟子たちへの厳しい迫害が起こりました。そのために迫害を受けた弟子たちは命の危険があったため、エルサレムの都から落ち延びて行きました。
けれども、都落ちして行ったキリスト者たちは、自分の身を守るために息を殺し人目を避けて逃げたということではなかったようです。エルサレムを出てしまってからは、御言葉によって思いを励まされ、神に祈り賛美しながら旅を続けました。彼らの様子は8章4節に「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」とあります。
ステファノを殉教させ、ステファノと同じようにギリシャ語を話しヘブライ語があまり流暢でなかったキリスト者たちに降りかかった迫害の嵐は、キリスト教の福音を、エルサレムから当時の世界中に広めるきっかけになりました。逃げて行った人たちが福音を告げ知らせながら巡り歩いたと語られています。ですから、あるキリスト教の歴史家は、この迫害は鳳仙花の種を飛ばすような結果になったと説明しています。成熟した鳳仙花の種は、何かの弾みで衝撃を受けると外側の皮が弾けて中からたくさんの種が飛び散りますが、それにも似て、ステファノの殉教は、エルサレムに誕生した教会のほぼ半数に当たる人たちをエルサレムの外に追い出し、町の外に飛び散るように叩き出しました。逃げた人たちは、それぞれ逃げた先で福音を語り伝え、行った先々の町で、主イエスの十字架と復活の言葉を聞いて信じる人たちが生み出されるようになったのです。そして、そういう人々の流れのなかに、シリアのアンティオキアの町まで逃げ延びて行った人たちがいました。
さて、当時、逃げて行った人たちは行く先々で主イエスの十字架と復活を宣べ伝えましたが、その対象となったのは、いつでも決まって旧約聖書の神を知っているユダヤ人たちでした。ユダヤ人たちは「天地の造り主である、ただお一人の神がおられる」ことを知っていたからです。その神が救い主として独り子を送ってくださったのだと説明すると、主イエスのことを比較的簡単に伝えることができました。ユダヤ人以外の人に伝えようとする場合には、そもそも神がただお一人だと思っていないのですから、そこから説明する必要があります。落ち延びる人たちは、落ち着き先を求めながらの旅ですから、ゆっくりと説明している暇がありませんでした。それで外国暮らしのギリシャ語を話すユダヤ人たちに向かって宣べ伝えていることが普通でした。
ところが、今日の箇所で、アンティオキアでは少し様子が違うことが語られています。それは、アンティオキアに落ち延びた人たちが、ようやくここで一息つくことができるようになったことが理由の一つかもしれないと思います。
今日のアンティオキアはシリアとトルコの国境の町で、今はトルコに属しており、寂れた小さな町になっていますが、聖書の時代には、ローマとアレキサンドリア続く、ローマ帝国の中で3番目に大きな都会でした。ですから、アンティオキアという大きな町にたどり着いた弟子たちは、ようやくここで仕事と食事にありつけるようになりました。そして、この地で細々とながら生活ができるようになっていきました。そして、この地に住みつくようになったキリストの弟子たちの中から、近所に住むギリシャ人たちにもキリストの福音を伝える人たちが出てきました。
ギリシャ人は幼い時からギリシャ神話に慣れ親しんでいますから、ただお一人の天地の造り主がおられるということには耳を貸さない人が多いのですが、甦った主イエスが弟子たちを励まし助けてくださったおかげで、この町のギリシャ人たちに辛抱強く主イエスの福音を宣べ伝える試みが続けられた結果、アンティオキアでは、逃げ延びて行ったギリシャ語を話すギリシャ人に加えて、新たに信じるようになったギリシャ人が大勢加わっていき、教会が成長していきました。 20節21節に「しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」とあります。
アンティオキアでは、ギリシャ人たちにも主イエスを信じる人たちが生まれてきました。アンティオキア教会の誕生は、キリスト教界の歴史の中で一つの時期を画する画期的な出来事でした。
最初の教会はエルサレム教会で、ヘブライ語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人の両方がメンバーでした。話す言葉は違いますが、どちらもユダヤ人であり旧約聖書の律法に従って生活していました。ですから、エルサレム教会のメンバーは、男性であれば割礼を受けていました。使徒言行録2章46節には、エルサレム教会の人たちが、毎日ひたすら心を合わせながらエルサレム神殿に詣でていたと書いてあります。エルサレム教会のキリスト者にとっては、自分たちの神を礼拝するということは、神殿に詣でることと何ら違和感がなかったのです。旧約聖書の神が自分たちの神だと考えていたからです。
ところが、そういうエルサレム教会のキリスト者に、自分たちの常識を覆すようなことがアンティオキアで起こっているという噂が聞こえて来ました。エルサレム教会の人たちにとっては、律法に関わらないことやエルサレム神殿に関わりのないキリスト教が成り立つとは、まったく思いもよらないことでした。
けれども、アンティオキアに誕生した教会は、エルサレム教会の人たちが当たり前だと思っていた姿とは全然違っていました。それは、置かれた場所、環境が違っていたためです。それで、エルサレム教会の人たちは、アンティオキアに誕生した教会について調査させるためにバルナバを派遣しました。バルナバがこの役目に選ばれたのは、バルナバがキプロス島生まれで、ヘブライ語もギリシャ語も両方話し、理解できたためだろうと思われます。また加えて、アンティオキアでギリシャ人に最初に伝道した人たちの中にキプロス島出身の人たちがいたので、バルナバが行くことで話が通じやすいということもありました。
バルナバはアンティオキアに赴き、確かにエルサレムとは趣が違ってはいても、教会がここに成り立っている様子を見て非常に喜びました。23節に「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」とあります。アンティオキアの教会でバルナバが出会い経験させられたこと、はっきりと示されたことは、「神の恵みが与えられている」ということでした。
アンティオキアには神殿はありませんから毎日神殿に詣でるということはありません。アンティオキア教会の中心を成していたことは何でしょうか。そこでは、ギリシャ語を話すユダヤ人たちが礼拝しているだけではなく、ギリシャ人たちも礼拝していました。ギリシャ人キリスト者は、ユダヤ人と違って、旧約聖書の律法を十分に知っているわけではありません。神殿に詣でることなく、またエルサレムであれば当然の、律法を守って生きるという点でも、生活のスタイルが違っていました。割礼も受けていませんでした。ところが、そういうギリシャ人たちが、「十字架と復活の主が私たちと共にいてくださる」と信じ、本当に感謝して喜びながら、礼拝をして生きていました。まさかそのようなことが起こるとは、エルサレム教会の人たちには思いもよらないことでした。神に選ばれ、割礼を受け、律法を与えられ、神殿礼拝している、だから自分たちは守られているとエルサレム教会の人たちは思っていました。そういう生活がなければ、自分たちはキリスト者にはなれないと思っていました。バルナバも、エルサレムにいた時にはそうであったと思います。
ところが、実際にアンティオキアに来てみると、律法を全く知らないギリシャ人でも、「主イエスが自分のために十字架にかかり甦られ、一緒に生きてくださっている。本当に感謝なことだ」と言いながら、主イエスをお与えくださった神を賛美し、神によって慰められ勇気づけられながら、力づけられて生きているという生活が、確かにアンティオキアにありました。バルナバは、神の恵みがまさにアンティオキア教会に注がれているということを認めないわけにはいきませんでした。
そしてバルナバは、「ただ神の恵みだけが人間を主イエス・キリストに出会わせ、結び付けてくださる。神の恵みだけが教会の営み、交わりを作り出すものである」と深く深く、アンティオキアにおいて経験させられました。アンティオキア教会には神殿も律法もありませんが、主イエス・キリストの福音を知らされて、心から感謝し、神に信頼を寄せ互いに共に生きていこうとする真実な交わりが生まれていました。それは、主の助けなしには、人間が作り出すことのできない交わりでありました。
バルナバは、確かにここに主の教会が誕生したことを改めて確認し、神に感謝しました。そしてアンティオキア教会に対して励ましの言葉を贈りました。「教会の交わりを成り立たせている頭である主イエス・キリストから決して離れることがないように、強い思いを持ち続けるように」と勧めました。
けれども、主イエスから離れないように強い思いを持ち続けるようにと勧めながらも、バルナバは、もしそれが人間の決意や情熱から生まれるものだとすれば、それは本当に弱いということをよく分かっていました。人間の頑張り、努力は、すぐに尽きてしまいます。自分の思い、自分の努力で主イエスを信じ従おうとするのであれば、私たちはいずれ力尽き、主イエスから離れてしまうに違いありません。そのようなことを考えたところで、バルナバの心に一人の人物が閃きました。その人は、かつてはキリスト者たちにとって恐るべき敵であり、あらゆる力を持ってキリスト者撲滅を図ろうとしていた人でした。実際、その人の指導によって、自分たちの仲間であったステファノの殉教が起こりました。
この人物は、さらにキリスト者を迫害しようとしてダマスコまで来た時、文字通り馬から下に引き落とされて、逆に主イエスの虜とされてしまいました。この人物にとっては、主イエスから離れずにいるということは、どう間違っても、自分の努力で主イエスに繋がるということであり得ようがないと、バルナバは気付きました。主イエスに繋がろうとしている人を片っ端から撲滅しようとしていたのですから、この人が自分から主イエスを求めたわけはありません。ところがこの人は、主イエスに捕らえられ、主イエスの僕とされ、否応なく主イエスを信じる者に変えられたのです。
バルナバはかつて、この人をエルサレム教会の人々に引き合わせようとしたときがありました。ところが、エルサレム教会では使徒たち以外の兄弟姉妹は、この人を恐れ、嫌悪感を示して、決して受け入れませんでした。この人が自分たちの仲間を散々痛めつけていたところを見ていたからです。ですから、どうしてもエルサレム教会では、この人は受け入れられませんでした。ところがバルナバは、アンティオキアではどうだろうかと思いつきました。この人物はサウロですが、アンティオキアの教会であれば受け入れてもらえるのではないか、また良い働きをするのではないかと考えました。教会が、主イエスによって与えられる恵みによってのみ成り立つのであれば、まさしくこのサウロこそ、恵みによって主イエスに出会わされ、主イエスの僕にされた人ですから、サウロの側には願いや求めがあったわけではなく、主イエスがサウロに出会ってくださり、主の恵みによってキリスト者にされたのですから、「主イエスから離れないでいなさい」と勧める際に、人間の決意によらず、主イエスが絶えず共にいてくださることを教えるのに適役なのは、サウロ以外にいないのです。
それでバルナバは早速、タルソスにサウロを探しに行き、見つけてアンティオキアに連れて来ました。サウロはアンティオキア教会に導かれてから、バルナバと一緒に主イエス・キリストの福音を告げ知らせる役割を担い仕えました。丸一年の間、毎日二人はアンティオキア教会に仕えたことが25節26節に記されています。「それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」とあります。
教会の交わり、教会の信仰というのは、人間の努力や能力あるいは人間の社会的立場や信用や富の力で作られるのではありません。教会に人が何十人何百人と集えば、それで教会が成り立つのかといえば、それでは成り立ちません。どんなに多くの人が集まったとしても、それだけでは教会になりません。教会が真実に教会の交わりとされるのは、神の恵みによる他ありません。甦りの主イエスが教会の群れに一緒に歩んでくださり働いてくださる、その中でしか私たちは教会であり続けることはできません。ですから、バルナバとサウロは、「神の恵みが確かにアンティオキア教会の上に与えられている。恵みによって招かれ互いに結び合わされ兄弟姉妹の交わりに入れられている」と、アンティオキア教会において証しし続けました。
このような教会の姿を聖書から示されますと、私たちは、自分たちの教会について考えさせられるのではないでしょうか。私たちの教会は、果たして本当に、神の恵みに信頼して、神の恵みだけが私たちの教会を作り出すのだと思いながら歩んでいるでしょうか。気がかりに思うことがあります。よく言われることですが、「日本の教会は高齢化している。このままでは不安である」ということが、しきりと教会の中で囁かれます。若者に伝道し、もっと教会に若者が集うようにならなければならないと真顔で心から思っておられる方がいます。若者さえいれば、自分たちは安心だと言わんばかりです。けれども、果たしてそうでしょうか。信仰を次の世代に受け渡していく役割が与えられていること、それは本当のことです。私たちは、自分のためだけに祈るのではなく、次の世代の人たちのためにも、教会の将来のためにも祈らなければなりません。主イエスがやがてこの世界を訪れてくださり、私たちを招いてくださる終わりの日に向かって、私たちは福音を告げ知らせながら、若い人も年配の人も、すべての人をキリストのもとに導こうとする歩みは、弛みなく続けられなければなりません。
けれども、教会の中に若い人が少ないと言って嘆いている日本の教会の姿は、どこか、この聖書に示されているエルサレム教会の姿に似たところがあるような気がしてなりません。エルサレム教会は、地上で最初に誕生した教会で、いつも覚えられるべき教会で、教会の原型であることは間違いありません。ですが、すべての時代のすべての場所に建てられている教会が、エルサレム教会と同じ立地、同じ問題を抱えて建っているというわけではないのです。エルサレム教会の人たちは、神殿がすぐそこにありますから、神殿に詣で皆が心を合わせ一つにすることは、とても大事なことでした。けれどもアンティオキアには神殿はありませんから、そのような生活ではなかったのです。
日本の教会は、かつては世界中から「若者の教会」と呼ばれていた時代がありました。多くの若いキリスト者が教会に集っていたからですが、それはまさに、日本社会がそういう時代だったからです。
教会が戦後息を吹き返したのには理由があります。敗戦後に復員して来た人たちやそれに続く若い世代の人たちが、それまで「立派に死ぬ」ことばかりを教えられていたにもかかわらず、戦後「生きることを考えるように」と言われた時に、「どう生きたら良いのか、なぜ生きているのか」分からず、それが戦後から昭和の時代に続いていた若者たちの悩みだったため、そういう悩みの受け皿として教会が福音を告げ知らせることができました。「あなたはなぜ生きるのか。途方もなく長い命だけれど、それは神さまが与えてくださった命であり、神さまが『生きるように』と、あなたをこの世界に造ってくださったのだから、あなたは、人生を神さまに信頼して生きるのだよ」と聞かされて、日本の戦後の教会はその営みが始まって来たのです。ですから、日本の教会はかなり長い間、若者の教会として存在していました。
では、今の時代はどうでしょうか。今の時代に生きる意味を深刻に悩んでいる世代は、どの世代でしょうか。若者というよりも、むしろ、「長い時間を生きてしまった意味はどこにあるのか。若い時には馬車馬のように働き、生きて来たが、年齢を重ねて今、思うようにならないことがたくさんある。成長を続けると思っていた社会も頭打ちになって停滞しているように見える。一体人間一人ひとりの生きる意味はどこにあるのか」と、深刻に考えている年配の方は多いのではないでしょうか。そうであれば、今日の教会は昭和の教会とは違う地点に立ち、違う環境に置かれているということを認めなければなりません。高齢化社会の到来の中で、日本の教会がこれまで出会って来なかったような新しい状況を経験させられているのです。ですから、ただいたずらに昔のあり方を懐かしみ、昔と同じ姿になりたいと望むことは、実際に私たちに与えられている今の教会の、今の課題や役割や使命から目を逸らしていくことになりはしないでしょうか。
バルナバは、エルサレムとはまったくスタイルの違う教会がアンティオキアに誕生している様子を見て、本当に驚きましたが、しかし確かにここに教会が成り立っていることを確認し、感謝して、教会のために働きました。「この教会の上に確かに神さまの恵みが与えられている。十字架にかかり甦られた主イエスがあなたがたと一緒に今歩んでいてくださる。あなたたちは本当に慰められ、励まされながら人生を生きている。それは決して、他のことで得られることではない」と、バルナバは懸命に伝え、「その恵みから決して離れないように」と共に伝える人としてサウロを呼び寄せたのでした。
「あなたがたと一緒に歩んでくださる主イエスに捕らえられ、主と共に生活するように」と、バルナバは勧めました。これは、今の、私たちの教会に引きつけて考えますと、どうなるでしょうか。私たちが皆、若者も年配者も互いに励まし合い支え合いながら礼拝を捧げて、礼拝の中で聖書を通して御言葉を聞き取り勇気を与えられて生活する。そういう営みが私たちの間にあることを、互いに確認し合いながら、ここから始まる一週間の一巡りにそれぞれ遣わされていく。これこそが、私たちが神の恵みを受け、恵みに支えられて生活していくということになるのではないでしょうか。
今日の箇所の26節の最後に面白い言葉が出て来ます。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」。私たちが普段使っている「キリスト者、クリスチャン」という言葉は、アンティオキア教会で初めて語られるようになったのだと語られています。「クリスチャン」というのは、自分たちが言っているのではなく、周りの人たちがあだ名のように付けた言葉です。アンティオキア教会が、まさに、「主イエス・キリストによってもたらされた恵みによって営まれている」ことを周りの人たちが認め、「あの人たちはキリストに動かされている人たちだ。あいつらはキリストもんだ」とい意味で「クリスチャン」と呼ばれるようになったのです。
「キリスト者」とはもちろん、私たちがキリストによって動かされているということから起こった名前ですが、それだけではありません。26節の言葉は、もともと「クリスティアヌス」と呼ばれるようになったと書いてありますが、聖書の古い時代の写本の中には、「クリスティアヌス」ではなく「クレスティアヌス」と書かれている写本があります。おそらく母音の写し間違いだろうと言われていますが、「クレスティアヌス」というのは、言葉の意味からいうと「役立つ人たち、善良で正直な人たち」という意味の言葉です。「神の恵みによってだけ集められている、神の恵みによって強められ慰められ勇気を与えられて歩んでいく人たち」は、この世にあっては周りから「役に立つ者、善良で正直な人たちである」と受け止められるようになったのだということが、それがたとえ書き間違えであったとしても、周りからそう見られていたのだと思わされます。
「神の恵みによってだけ集められ、神の恵みによって強められ慰められ勇気を与えられて生きる歩み」というものは、この世にあっては、大いに他の人たちのためにも役立つものであり、私たちの等身大の、善良で正直な生活につながっていくのだということを覚えたいと思います。
私たち人間の歩みには、どうしても薄汚れてしまったり、弱ったりすることがありますが、しかし、そのような弱い者を神が恵みのもとに置いて、キリストの光に照らして、「あなたは今、ありのままの者。神さまから命を与えられ、支えられているのだから、たとえ、今、弱いと思っても、不安なところを持っていても、それでもあなたはそこからもう一度生きて良いのだ」と呼びかけられる時に、私たちは本当に、今置かれている自分は支えられて来た存在なのだと気づかされ、悔い改めへと導かれ、もう一度正しく生きようとする善良な者へと変えられていくのです。
それまで自分は無力で何もできない者だった、あるいは害悪を及ぼしていたかもしれない者であったとしても、神によって強められ新しくされて、この世に役立つ新しい者として生きていくことができるようになるのです。
私たちは、キリストの光に照らされて、慰めと勇気を与えられて、神の僕とされて生きる、そういう新しい生活を、ここから歩み出したいと願います。 |