聖書のみことば
2019年8月
  8月4日 8月11日 8月18日 8月25日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

「聖書のみことば一覧表」はこちら

■音声でお聞きになる方は

8月25日主日礼拝音声

 ステファノ
2019年8月第4主日礼拝 8月25日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)
聖書/使徒言行録 第7章1節〜8章1節

7章<1節>大祭司が、「訴えのとおりか」と尋ねた。<2節>そこで、ステファノは言った。「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、<3節>『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。<4節>それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、<5節>そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。<6節>神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』<7節>更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』<8節>そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。<9節>この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、<10節>あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。<11節>ところが、エジプトとカナンの全土に飢饉が起こり、大きな苦難が襲い、わたしたちの先祖は食糧を手に入れることができなくなりました。<12節>ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわたしたちの先祖をそこへ行かせました。<13節>二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、ファラオもヨセフの一族のことを知りました。<14節>そこで、ヨセフは人を遣わして、父ヤコブと七十五人の親族一同を呼び寄せました。<15節>ヤコブはエジプトに下って行き、やがて彼もわたしたちの先祖も死んで、<16節>シケムに移され、かつてアブラハムがシケムでハモルの子らから、幾らかの金で買っておいた墓に葬られました。<17節>神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。<18節>それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。<19節>この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。<20節>このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、<21節>その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。<22節>そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。<23節>四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。<24節>それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。<25節>モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。<26節>次の日、モーセはイスラエル人が互いに争っているところに来合わせたので、仲直りをさせようとして言いました。『君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ。』<27節>すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。<28節>きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか。』<29節>モーセはこの言葉を聞いて、逃げ出し、そして、ミディアン地方に身を寄せている間に、二人の男の子をもうけました。<30節>四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。<31節>モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。<32節>『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。<33節>そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。<34節>わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』<35節>人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。<36節>この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。<37節>このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』<38節>この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。<39節>けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、<40節>アロンに言いました。『わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。』<41節>彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。<42節>そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ、お前たちは荒れ野にいた四十年の間、わたしにいけにえと供え物を 献げたことがあったか。<43節>お前たちは拝むために造った偶像、モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を 担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちをバビロンのかなたへ移住させる。』<44節>わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。<45節>この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。<46節>ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、<47節>神のために家を建てたのはソロモンでした。<48節>けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。<49節>『主は言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしに どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。<50節>これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。」』<51節>かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。<52節>いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。<53節>天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」<54節>人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。<55節>ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、<56節>「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。<57節>人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、<58節>都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。<59節>人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。<60節>それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

8章<1節>サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。

 ただいま、使徒言行録7章1節から8章1節の前半までをご一緒にお聞きしました。大変長い箇所でしたが、ここではステファノが長い話をしていて、しかもその言葉が直接のきっかけとなって、ステファノが殉教するという出来事が起こっています。
 このステファノの殉教が、キリスト教の歴史の中で最初に起こった殉教です。ステファノ以降、特に初代教会の時代には、多くのキリスト者たちが殉教の死を遂げて行きました。最後まで主イエスに信頼し続け、命を脅かされても、「自分の本当の主であり救い主である方は、この方をおいて他にはいないのだ」と言って終わりまで歩き通す、キリスト者たち一人一人の姿は、周囲の人たちに強い印象を与えずにはおりませんでした。ですから、キリスト教界の歴史を研究する歴史家たちは、地上に生まれた教会が最初は誠に小さな群れで、ほんの一握りの人の集まりでしかなかったのに、瞬く間に世界中に広まっていった秘密には殉教者の存在にあると説明する場合があります。「初代教会は、殉教者の流した血によって育てられていった。殉教者の血は教会の苗床の役割を果たした」という感想を述べる人たちがいます。
 一人のキリスト者が、その人の生涯を通して、たとえ何かの目覚ましい行いをしたというのではなくても、生涯の終わりまでを忠実に喜びをもって主イエス・キリストに従い、人生を歩き通していく時には、その人の近くで親しく交わりを持った人たちにも、強い印象が与えられるものなのです。一人のキリスト者が忠実にその生涯を生きた後には、自分も主イエスに信頼し、主イエスに導かれて生活してみようという志を与えられる人が、きっと起こされてきます。信仰生活の後継が与えられ、その後継も信仰を持って生きていくようになるのです。
 ステファノという人は、そういう殉教者の先頭に立つ人として、キリスト教界では記念碑的な人となりました。聖書に名が書き留められ、何千年も後に生きる人たちも、ステファノの名を知るようになっています。

 ところで、教会の始まりの頃に殉教の死というものがあり、それによって教会の信仰が励まされ強められたのであれば、きっと聖書の中には同じように殉教の死を遂げていったキリスト者の記録が残されているのではないでしょうか。ところが実際にはそうではありません。12使徒にしても、その殆どが殉教したと言われていますが、聖書の中でそのことが語られているのはヤコブただ一人だけで、しかもとても簡単に「彼は斬り殺された」と言われているだけです。どうしてでしょうか。それは、殉教に際しては、その殉教者の深い信仰心や神への熱い思いが讃えられるということではなく、むしろ、その人を生涯にわたって支え持ち運んでくださった神の御業の方にピントが合わされているからです。
 ステファノの記事にしてもそうです。ステファノが実際に殉教の死を遂げていく様子は、今日長く聞いた箇所の終わりのところ、7章54節以下に記されていますが、その前は、ステファノの生涯を導き支えてくださった神の御業をステファノが懸命に説き明かし、何とかして目の前にいる一人にでも知ってほしいと願っている、そういうステファノの言葉で満たされています。ここには、死に立ち向かった勇敢さというのではなく、神がステファノに信仰を与えてくださり、御言葉を宿らせ御言葉の器として持ち運んでくださったことの記録が書き留められています。ステファノは御言葉を与えられ、御言葉を宿して一生を生きた、そういう人物としてここに描かれています。
 ですから、ステファノが最高法院の場で、神のなさりようを伝えようとして語った言葉の分量が大変多く記されているのです。
 しかも、ここでステファノが語っていることを読んでみますと、通常の、法廷で自分の身を守るための自己弁明や自己弁護の言葉ではありません。ステファノは、エルサレムの最高法院という議会であり裁判の場で、懸命に自分たちの神のことを語り聞かせ、人々が神に信頼して歩むように、立ち返るように願って語っています。ですから、法廷での言葉というよりも説教のように聞こえます。ステファノは与えられている自分の生涯の最後のひとときに至るまで、何とかして一人でも、神の導きに信頼して生きるようになってほしいと願っていました。そのようなステファノの言葉を、今日は少しでも聞き取りたいと願っています。

 7章1節に「大祭司が、『訴えのとおりか』と尋ねた」とあります。この場面は、エルサレムの最高法院で裁判が開かれていて、ステファノが被告席に座らされているという場面です。「訴えのとおりか」と大祭司が尋ねていますが、この大祭司はいわば裁判長です。ステファノが訴えられていた理由は、ステファノが、ユダヤ人が重んじるべき神殿のこと、またユダヤ人が大事にしている律法のことを悪く言って汚しているということでした。6章13節に「そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。『この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。「あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう」』」とあります。偽証人が語っていると言われていることから分かるように、この訴えは虚偽の訴えで、しかも最高法院の裁判官たちもこれが虚偽の訴えであることを承知している、そういう裁判です。偽証人が立って「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません」と言っていますが、「聖なる場所」は神殿のこと、「律法」とは戒律のことで、これを「けなして、一向にやめようとしない」、その裏付けとして「あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう」、つまり「神殿を破壊し、律法を軽んじ廃止するようになるだろう」ということです。これは偽りの訴えですから、ステファノが本当にそう言ったのかどうかは不確かであり、また訴える側も裁判する人も、そのことを承知しています。そうなりますと、通常の裁判であれば事がどのように進むかは予想がつきます。これは虚偽の申し立てですから、ステファノとすれば、当然「そんなことを話した覚えはない。この申し立ては嘘で、わたしは濡れ衣を着せられてここに立たされている」と答弁するのが普通でしょう。
 しかしそこに罠が隠されていて、ステファノが「わたしは言っていない」と主張したならば、そこで畳み掛けるようにして、「それならば、あのナザレの人イエスは、いつまでも神殿は続くと言ったのだな。我々がモーセ以来受け継いでいる慣習、割礼をはじめとした様々な律法の行いを、お前も守るし、またそれを守ることで神に選ばれたイスラエルの民の一員として生活することを誓うのだな」と尋ねられることになるのです。
 つまり、この最高法院でステファノが偽りによって訴えられているのは、ステファノから、ある返事を引き出そうという狙いがあるのです。「ユダヤ人男性なら割礼を受け、律法の戒律を全て守り生きる。それがユダヤ人なのであって、キリストの十字架や復活の話は、少なくとも神の民として生活することとは何の関係もない」ということを、ステファノに公の場で認めさせる、そういう罠が仕掛けられた裁判が行われたのです。ステファノに自己弁護をさせ、その言葉の揚げ足を取り、ステファノたちがエルサレムで語り伝えようとしている「主イエス・キリストの十字架と復活によって、あなたがたは救われるのだ」という教えを、ステファノの言葉によって否定させようとする、そういう狙いです。
 ですから、この裁判は、キリスト教の教えに対しては悪意に満ちていましたが、しかし最初からステファノを処刑しようという意図を持っていたとは、必ずしも言えないところがあります。むしろ、公衆の面前でステファノに自分の主張と違うことを言わせて恥をかかせ、ステファノの教える教えの勢いを削いでしまおうとするのが、この裁判の狙いでした。

 大祭司が「訴えのとおりか」と尋ねた時点では、当然「違う」とステファノが言うと思われていました。ところが、ステファノがこの問いに対してこの日語ったこと、これが大祭司の予想をはるかに超えるものとなりました。ステファノは、「知恵と霊とによって語っていた」と6章10節に紹介されていました。また15節では裁判の席に着いたステファノの顔が「さながら天使の顔のように輝いて見えた」と述べられていました。裁判にかけられたステファノは、まさにその場で、聖霊に動かされて語ります。そして「神殿と律法について、お前は軽んじている」という訴えに対して、自分を守ろうとして語るのではなく、「今自分を裁こうとしている大祭司や議員たちの神に対する態度が、どのように誤っているか」ということを伝え、「何とかして彼らも神の前に平らな者となって歩んで欲しい」という願いと心からの祈りを持って、ステファノは切々と語り始めました。2節3節に「そこで、ステファノは言った。『兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、「あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け」と言われました』」とあります。
 ステファノは、この裁判の話を自分たちの信仰の父、最初に神を信じるようになった信仰の祖先であるアブラハムの話から始めます。どうしてでしょうか。実は、アブラハムの時代に割礼という行いが始まったからです。ステファノへの訴えの一つは、ステファノが律法の行いを軽んじているという訴えです。その律法の行いの一番最初にある事が「割礼を受ける」ということです。ステファノは、律法の初め、割礼を受けるようになったそもそもの経緯を思い出させ、そして割礼を受け律法を守って生きることの意味を思い出させようとして語っています。「栄光の神がアブラハムに現れ、一つの命令が与えられた」とステファノは語ります。
 それは、アブラハムが生まれ育った土地や親族を離れて神が示す地に向かって行けという命令です。アブラハムは、その神の言葉を聞いて、神が自分を導いておられると信じて旅に出ます。けれども、神の命令に従って歩んだからといって、アブラハムには差し当たり何も得ることがありませんでした。5節に「そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです」とあります。神の約束に従って歩み出したアブラハムに対して、神はすぐには何も与えなかったとあります。
 信仰生活というのは、神を信じれはすぐに利益を得たり、事柄が思うように進むという、ご利益が付いて回るということではありません。ご利益はありませんが、しかし、何もないわけではないのです。「そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』という約束が与えられた」とあります。ステファノは、目の前にいる人たちに、アブラハムのことを語りながら、「信仰生活というものは、目に見えて分かりやすい成果がすぐに与えられるものではない。さしあたっては何も変わらず、何も得られず、ただ神から言われたように歩んで、骨折り損のくたびれ儲けのようなことがあるかもしれない。見たところはそうであっても、しかし、信仰者は決して何も与えられないのではない。今はアブラハムは子供がいないけれど、しかし誠に大きなひとつながりの家族の中に抱かれている。大勢の子孫がやがて生まれてきて、この地上を生きるようになる。『その子孫たちが生きる場所を、きっとわたしは与える。そのことのためにお前は働くのだ』と神はアブラハムに約束している。そういう約束が与えられていることを忘れないために、自分の体に印を刻み表すのが割礼である」と、ステファノは語って行きます。
 ステファノを訴えた人たちは、律法の行いについて「モーセが我々に伝えた慣習である」と言いました。モーセ以来伝えられてきた慣習をステファノは破壊しようとしている、軽んじないがしろにしようとしているとステファノを攻撃したのでしが、実は、神に信頼して生きるということは、モーセよりも前から始まっているとステファノは語りました。それはそもそも、「神がアブラハムに対して約束してくださった事柄が一番最初なのだ」と伝えました。訴える人が言っているように、単なるモーセ以来の習慣だから守るというのではない。そうではなくて、一番最初に神がアブラハムに現れてくださり、「あなたの一生の営みは決して無駄にならない。やがて、あなたのように生きる人たちが地上に満ち溢れるようになる。あなたは、その人たちのために、今働くのだ」と言ってくださっている。そのことを信じ、そのことのために喜んで生きる。割礼はそのことを信じる印であり、律法は信じる人たちがどのように生きていくのかを表すものなのだと、ステファノは、まず最初にそのことをはっきりさせるのです。

 ところが、その後に続く言葉の中で、「神との約束を信じて喜んで生き始めた人間の営みというのは、なかなか長続きしないのだ」ということを語ります。「アブラハムが割礼をするようになり、皆、形の上では割礼を受けて生きるようになったけれど、後のイスラエルの歴史の中で、そこに神の祝福があるのだということをなかなか受け止めてもらえなくなったのだ」とステファノは語ります。神の祝福を持ち運ぶ者として選ばれたヨセフは、10人の兄たちから妬まれ憎まれ、奴隷としてエジプトに売り飛ばされます。そして、エジプトで奴隷とされてしまったイスラエルの民をモーセが救い出そうとした時にも、最初イスラエルの人たちはなかなか理解せず、モーセを信用しなかったとステファノは語ります。25節に「モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした」とあります。けれども、神はそれでもモーセを用いてイスラエルの人たちを救い出し、導き出して行かれます。35節に「人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです」とあります。
 ステファノは、モーセの話をしながら「神はどこまでも辛抱強くイスラエルの民を導こうとなさったのだ」ということを伝えようとしました。また、「モーセの手によって様々な不思議な業やしるしが行われ、モーセは神と人間の仲立ちとなって、神の御言葉を自ら聞き取り、それを民に伝えた。それが形になって残ったのが律法に他ならない。従って、律法を行うということは、ただ「できる、できない」ではなく、神が一人一人の人生に祝福を置こうとしてくださっていることを受け止めて喜んで行う、それが律法の行いである。しかし、なかなかそうならないのだ」と言って、51節から53節のように話を結んでいきます。「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした」。「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち」というのは、体には割礼の傷があるけれど、あなたの思いとしては神に平らに歩んでいないということを言っています。

 ステファノは、この時、神から与えられた霊と知恵によって、懸命に、神に促されるようにして語りましたが、しかし、元々雄弁な人というのではなかったようです。今日の弁明にしても、最高法院の議員たち、ユダヤの宗教界の指導者たちを前にして、まるで教会学校の生徒が教会学校で聞いてきたような話を一言一言語っているようだという感想を持つ人もいます。確かにここを読んでいて思うことは、旧約聖書に言われていることをそのままなぞっているという印象があります。けれども、たとえ訥弁でたどたどしくあったとしても、ステファノはこの日、自分は何を信じ、何によって支えられて生きているのかということを伝えることに成功しました。
 すなわち、今ステファノは、形の上では、「律法や神殿を軽んじている者として神を軽んじている」という理由で裁判の席に座らされていますが、実際には「神への信頼に生き神に仕える生活をしているのがキリスト者たちであって、神に仕える生活を喜んでしていないのが裁判官の席に座っている議員たちの方である」と、はっきりと語ってしまいました。
 それでどうなったかというと、最高法院の議員たちは、ステファノの言葉に耐えられなくなります。本当はここで中断されなければ、ステファノは、「主イエス・キリストが与えられたのだから、あなたがたも主イエスを信じて生きることがふさわしい」と語ったに違いありません。けれども、最高法院の議員たちは、その最後の言葉を聞く前にステファノに襲いかかり、議場から引きずり出し、都の外に連れ出し、石を投げつけて絶命させるという事態が起こります。これがステファノの死の出来事であって、史上最初の殉教の出来事でした。
 ステファノは石をぶつけられて死んでいく際に、主イエスに祈りを捧げながら亡くなっていきました。60節に「それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた」と言われています。

 今日の記事を通して、殉教とはどういうことなのかを教えられます。繰り返しになりますが、殉教とは、決して、私たち人間の英雄的な行いなのではありません。殉教の死という言葉からは、何かしら悲壮な印象を受けますけれども、聖書の中では、殉教は、悲壮感を伴った勇ましい出来事とは語られていません。
 ステファノが主イエス・キリストに祈りを捧げながら息を引き取った、その一番最後のところ、60節では「ステファノはこう言って、眠りについた」と言われています。ステファノは激しい迫害を受けましたが、その中にあって、安らかな眠りにつきました。それはまるで、幼子が母親の腕に抱かれて安心して眠るかのような、そういう眠りです。ステファノは、自分自身を贖いの主の手に委ねて亡くなります。そしてそれは、祝福の許にある、そういう死です。
 今日私たちは、8月最後の礼拝を捧げていますが、月の最後の礼拝ですので、天に召された多くの兄弟姉妹を覚えて礼拝の中で祈りを捧げますが、キリスト者それぞれに与えられている生涯は、それぞれに、その方に与えられるにふさわしい道でした。人間的な見方をすれば、大変困難な状況を生き、亡くなるという方もおられるに違いありません。殉教の死ではないにしても、死の出来事というのは、これを人間的な想いからすれば、「良かった」と思える死は一つもありません。死にはどうしても、大変辛く、動かしがたい別れの思いが付きまといます。
 けれども、その死の出来事は、贖いの主イエス・キリストと神の側からそれを見るときには、「地上の信仰生活を闘い抜いて、安らかなまどろみに落ちる」、本当に平安な祝福の時なのです。そしてその時に、生涯を通じて主イエスを証しし続けていく人は、神の御言葉の器として生涯を歩むことができたことに満足と感謝を覚えて、一生を終え、眠りについていくことになります。

 今日のこのステファノのように、私たちの信仰の生涯もまた、このような幸いなものとされたいと願います。
このページのトップへ 愛宕町教会トップページへ