聖書のみことば
2019年8月
  8月4日 8月11日 8月18日 8月25日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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■音声でお聞きになる方は

8月18日主日礼拝音声

 恵みと力に満ちて
2019年8月第3主日礼拝 8月18日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)
聖書/使徒言行録 第6章8〜15節

6章<8節>さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。<9節>ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。<10節>しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。<11節>そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。<12節>また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。<13節>そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。<14節>わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」<15節>最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。

 ただいま、使徒言行録6章8節から15節までをご一緒にお聞きしました。8節に「さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」とあります。ステファノという人が登場してきます。ステファノは先に選ばれた7人の働き手のうちの一人です。7人の働き手というのは、エルサレム教会で困ったことが起こった中で選ばれた職務でした。

 教会がペンテコステの日に誕生し、神の祝福を受け大勢の兄弟姉妹が増し加えられて行き、教会が急速に拡大していったことは良かったのですが、そのために問題が生じました。エルサレム教会はもともと12弟子、アラム語ヘブライ語を話すユダヤ人でしたが、それだけでなく、外国育ちのギリシャ語を話すユダヤ人たちも教会の群れに加わってきました。この人たちも言語は違いますがユダヤ人で、同じ神、同じ主イエス・キリストを信じる兄弟姉妹ですから、同じ信仰によって心を合わせることができるはずだと思いたいところですが、日常生活の中で話す言葉が違うということは、大変なことです。話す言葉が違うということは、それぞれの生い立ちや生活習慣、考え方が違いますので、「キリスト者同士なのだから一つである」と口で言うことは簡単ですが、一緒に暮らすためには細かい注意と配慮と努力が必要であり、またそれでもなお行き違いが起こり、その積み重ねがすれ違いを起こすということがありました。
 そのような中で、比較的最近、外国からエルサレムにやってきた外国生まれのユダヤ人、ギリシャ語を話すユダヤ人たちの中で、高齢になり夫と死別した未亡人たちの中に、教会から食料を十分に分けてもらうことができずひもじい思いをしている人たちが現れてしまいました。
 エルサレムという町は、もともと神殿を中心とする宗教都市ですから、お金儲けをする産業が多くあるわけではありません。神殿で献げ物にする動物を商ったり、両替で利益を上げる一部の商売人を別にすれば、エルサレムの大方の人たちの生活は、毎年大勢訪れる巡礼者がもたらしてくれる献金や施しに頼っています。それはユダヤ人同士の助け合い精神で行われることですから、エルサレムの町にいるキリスト者たちは、そのユダヤ人同士の助け合い精神の中に必ずしも嵌りません。教会に属する人たちは、ユダヤ人たちの中で、どうしても後回しになってしまうようなところがあります。
  ですから、初代教会に大勢の人が集まっていたことだけを見れば状況は良いということになりますが、しかしキリスト者たちは、自分たちの中で互いに支え合い助け合うことができなくなれば、すぐに生活に行き詰まってしまうほどつましい生活を送っていました。そういう中で、日々の食料の分配が疎かになるということは死活問題に発展します。生まれたばかりの教会の中で、ヘブライ語の話せない未亡人たちの生活が脅かされたということは、教会全体として深刻な、大きな試練となりました。
 当初、日々の分配についても12使徒が担っていましたが、しかし教会の群れが大きくなり言語の違いも加わったことで、使徒たちは、本来の職務である御言葉の説き明かし、福音伝道、教会のための祈りが疎かになると考え、それで、教会全体のために仕える7人の働き人を立てるように提案し、教会の了承を得て7人が立てられました。この7人は、信仰の事柄をよく弁え、自分の思いではなく神の御心を先立たせ、聖霊の働きに仕えていく人たちで、ステファノは、そういう7人の中の一人でした。

 当初、ステファノたちに与えられた仕事は、教会の中の特に貧しい人たちに日々の必要を漏れなく分配することでした。ステファノは懸命に愛と奉仕の業に励んだに違いありませんが、実際に教会の兄弟姉妹の生活に仕えていく時には、日々の物資の分配だけで全てが解決するわけではないことに、気付くことになりました。物資が足りるだけでは足りず、精神的な孤独や悩み、不安を抱えていたり、弱い立場にある人はそういう思いを持ちがちですが、そういう中で、ステファノの働きは貧しい人たちに物資を分配する以上のことに広がっていきました。例えば、使徒たちがヘブライ語で語っている福音をギリシャ語に通訳して説明したり、不安や孤独を抱えている人たちを励まし信仰生活を支えるような役割も果たすようになりました。8節には、ステファノが「恵みと力に満ちて不思議な業やしるしさえ行うようになっていた」と言われています。この場合の「恵み」は、不安の中にいる人たちを励ますことのできる人間的な魅力のことだろうと言われています。ステファノは自分の人間力を用いて、精一杯、貧しい人たちに仕えました。彼に与えられていた朗らかさ、明るさを用いて、不安の中にある人たちが落ち着きを与えられ、神に仕えキリストを信じて生きるように導くことができました。そういう中で、ギリシャ語を話すユダヤ人たちの間に無くてはならない存在となっていきました。
 使徒言行録を読んでいますと、ステファノだけではなく、7人のうちのフィリポも同じような働きをするようになったことが分かります。ステファノは、ギリシャ語を話すユダヤ人たちの間で、大変頼もしい存在となっていきました。

 12弟子たちは、教会全体を考え、祈りと御言葉の奉仕に当たっていましたが、使徒たちの語る言葉はヘブライ語が中心ですから、ヘブライ語の不自由な人たちにはキリストの福音が伝わっていきにくい現実がありました。ステファノは、名前からしてギリシャ語を話すグループから出てきた人だろうと言われますが、ギリシャ語を話しヘブライ語も分かる人だったので、まず、教会の群れの中に福音を伝えるという働きをしました。そして、慰めや勇気を与え、癒しも行うようになっていったのですが、ステファノの働きはそこに止まらなかったようです。
 まだキリスト者になっていないけれど、エルサレムに住むギリシャ語を話すユダヤ人がいて、ステファノは、そういう人たちのところにも出かけて行って福音を宣べ伝えていました。9節10節に「ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった」とあります。
 キレネとアレクサンドリアという地名が出てきますが、ここはいずれもアフリカの北岸、地中海に面して開いている港町です。これらの町のユダヤ人で、戦争の際にローマに連行された人たちがいました。ローマに連行され奴隷とされますが、ユダヤ人ですから、50 年経てば奴隷から解放されるという決まりがあります。50年の年季が明けローマで自由の身にされた人たちが、「解放された奴隷」と呼ばれる人たちです。当然のことながら、「解放された奴隷」と呼ばれる人たちは一般のユダヤ人とは生い立ちが違い、50年もの間の長い奴隷生活を終えた末に高齢になって解放された人、あるいは、奴隷として生活していた両親の元に生まれた人で、その人も奴隷ですが、両親が解放されたので共に解放された人、そういう人たちが解放された奴隷です。彼らはユダヤの中に自分が受け継ぐことのできる土地を持っていませんし、元々奴隷ですから、賃金を得る働き場もありません。ですから、体は解放され自由になっても、財産やこれからの生活の道が備えられているわけでもないのです。アフリカやローマで生活した人ですから、ヘブライ語も上手ではないけれど、そういう苦しい生活の中で、自分はユダヤ人なのだから、死ぬときくらいはエルサレム近くで死にたいと思う、そういう真剣な志を持ってエルサレムに上って来た人たちでした。
 この人たちは、元々エルサレムに住む人たちとは中々一緒になれず、受け入れてもらえず、結局、彼らはエルサレムに自分たちの会堂を建て、似たような境遇の人たちが集まって一つのコミュニティを作り、そこで大変つましい生活を送っていた、それが「解放された奴隷の会堂に属する人々」でした。そして、ステファノが乗り込んで行ったのは、そういう会堂でした。
 もちろん、彼らはステファノの話が聞きたくて呼んだということではありません。想像を逞しくして考えるならば、ステファノが毎日お世話をしていた貧しい人たち、教会にはヘブライ語の不自由な兄弟姉妹がいましたが、彼らがステファノに、解放された奴隷の人たちの存在を指し示したのかもしれません。「自分たちも苦労しているけれど、周りを見ると、まだクリスチャンではないけれど同じように貧しい生活の中で苦労しているユダヤ人たちがいる。あの人たちにも恵みの元に生きることを伝えてもらえないだろうか。福音を伝えて、このエルサレムで喜びと希望を持って生活できるように導いてくれないか。もしその人たちの中から主イエスを信じて洗礼を受け、教会に連なる人が起こされたならば、その人は教会の兄弟姉妹として受け入れることができる。そうなれば互いに支え合う分配にも与ることができるようになるだろう」。ステファノは自分の職務に忠実であるうちに、そういう出会いがあったのかもしれません。それで解放された奴隷の人たちの会堂に乗り込んで行った、これは私の想像ではありますが、そういうことがあったのかも知れないと思います。その結果は、ステファノにとっても他のギリシャ語を話すユダヤ人たちにとっても、予想を遥かに超えることになりました。10節にありますように、理論の上では、ステファノの教える救いは本当だと、解放された奴隷の人たちも認めざるを得なかったようです。またその会堂には、キリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちも加わっていました。キリキア州は小アジアの東側で、その中心はタルソスという町、パウロの出身地です。アジア州とは小アジアですから今日のトルコです。ステファノは後に殉教の死を遂げますが、たまたまパウロがそこに居合わせたということは、そういう人たちが解放された奴隷の会堂に加わっていたためかも知れません。
 いずれにせよ、この時の論争の結果、会堂に集まっていたユダヤ教徒たちは、ステファノの語ることに対して反論できませんでした。「歯が立たなかった」と10節にあります。けれども、議論では歯が立たなくても、彼らは決してステファノの教えに平伏したわけではありませんでした。もしこれが解放された奴隷の人たちの会堂の側からステファノに依頼があって語ったのであれば少し違っていたかも知れませんが、その論争は、ステファノの方から乗り込んで行って仕掛けたものでした。それで、会堂の人たちは議論では歯が立ちませんが、力づくで復讐しようと考え、会堂で身柄を押さえた上で、最高法院の議員たちに手を回して裁判を開いてもらい、ステファノに死刑を宣告してもらおうとしました。

 ステファノが何を教え、どのように処刑されていったかについては、来週聞くこととしますが、今日は、ステファノの裁判について、いくつかのことを確認しておきたいと思います。3つのことが言えると思います。
 まず、確かにステファノが自分の方から解放された奴隷の人たちの会堂に乗り込み論争を仕掛け、多くのユダヤ人たちの反感を買って遂には殉教の死を遂げたことを考えますと、この行いは結果から見ると、失敗に見えるかも知れません。
 なぜステファノがここに乗り込んで行ったのか、それは、最初から最後まで愛の動機によるものでした。「ユダヤ教の人たちに伝道し改宗させて、自分の名を上げよう」、決してそんな動機ではありません。ステファノにしてみれば、あくまでも教会の貧しい兄弟姉妹に仕えていたことの延長でした。今ここにある貧しさは、単にパンや金品を届けるだけでは解決しないことを教会生活の中で痛感していたステファノは、教会の外の同じような境遇の人たちにも思いを向け、「何に依り頼んで生きるべきか」を教えようとしました。「私たちのために、神と等しいお方が敢えて貧しくなり人間と同じ姿に身をやつしてくださった。そのお方、主イエス・キリストは、十字架におかかりになるところまでへり下って貧しくなってくださった。それゆえに私たちは、この世では何も持っていないようであっても、常に主イエスが共にいてくださることに勇気づけられ慰められて、自分の人生を生きることができるようにされている。キリスト者とはそういう者である」ということを、まだ主を知らない方々に是非とも知らせたいと願いました。
 ステファノはそのために命を落としますが、しかしステファノの行為が愛によるものであったということは、ユダヤの中でも分かる人には分かりました。それで、ステファノは石で打ち殺されてしまいますが、その際に、この出来事の一部始終を見ていてステファノのあり方を理解した人たちは、キリスト者ではなくても、その死を大変悲しんだと言われています。8章2節にステファノの死を悲しむ信心深いユダヤ人がいたと語られています。「しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ」。ステファノを葬った信仰深い人々とは、教会の人たちではありません。エルサレムのユダヤ人たちです。なぜそう言えるかというと、ステファノの死をきっかけに大迫害が起こったからです。
 迫害されたのは、ステファノを手引きして「解放された奴隷の人たちの会堂」に向かわせたギリシャ語を話すキリスト者たちで、彼らは全員がステファノの一味だと考えられて迫害され、エルサレムから逃れていくのです。しかし一方では、12使徒たちのようにヘブライ語しか話さないキリスト者もおり、彼らは今回のことには関わりないとされ、エルサレムに留まることができました。8章1節に「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」とありますように、使徒たちと、使徒たちのようにヘブライ語を話すキリスト者たちは迫害されませんでした。けれども、たとえ迫害されないとしても、エルサレムに留まることができたキリスト者たちがステファノを葬れたかというと、それはできませんでした。葬ろうとすれば、その途端に、ステファノの一味だと言われてしまうからです。仮にそれがペトロであれば、裏で繋がっていたのかと、ペトロ一人のことではなく、ヘブライ語を話すキリスト者が全員迫害の対象になってしまい、それでは困るので、使徒たちは誰もステファノの亡骸に手を出せませんでした。
 ですから、ステファノを葬ったのはキリスト者でない人たちです。ステファノがどんなに貧しい人たちへの真実な愛の思いに満ち溢れていたかを見ていた人たちがいたのです。ステファノが解放奴隷の会堂に乗り込んで行ったのは、福音によって、貧しさの中でも生きることができることを伝えようとしたのだということを知っていて、心のうちでステファノの行動に敬意を持っていた人たちが、ステファノを葬りました。それがステファノの愛の動機の第一のことです。

 第二のこととして、ステファノへの反発と迫害、ステファノの殉教の結果、キリスト者たちが大勢エルサレムから追い出されてしまった出来事は、主イエスが最初に弟子たちに教えておられた「教会がエルサレムから全世界へ広がっていくことになる」という約束の始まりになっています。使徒言行録1章8節で主イエスは弟子たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言われました。ペンテコステの聖霊降臨の日以来、エルサレムの町の中で洗礼を受け教会に連なる人たちは大勢増えていましたが、しかしその時点では、まだ教会の群れはエルサレムの町の中だけに止まっていました。主イエスが約束された「ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで」というのは、まさしくステファノの死と、それに続いて起こった教会への迫害の出来事があったからこそ始まったことなのです。
 ステファノの死によって、世界中に福音が広まっていく発端が開かれました。そして大変象徴的なことですが、ステファノが命を落とした時、その場にはサウロが居合わせたのだと言われていました。「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」。サウロはその時点で、まさか自分がこのステファノの志の後継になるとは夢にも思っていなかったでしょう。しかし、ステファノの死によって、成熟したホウセンカの種がパンと弾けるみたいに、福音がエルサレムから外へと散っていく。そしてやがて、世界中への伝道の最先端に、パウロと名を変えるサウロが立ち、福音が更に持ち運ばれていくようになるのです。
 そのようにして福音が広がっていった、その一番端にいるのが、ここにいる私たちです。ステファノが命を落とすということがあったので、この日本にも福音が届けられ、私たちはキリストを知り、信じる者に変えられています。

 このような不思議な成り行きの中でステファノの死が用いられたのですが、三番目に覚えたいことは、ステファノの死の姿です。彼は突然捕らえられて、理不尽な裁判の被告人の席に座らされていますけれども、その時、ステファノの顔は天使のような輝きを帯びていたと言われています。6章15節「最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた」。突然捕らえられて、この先自分はどうなるのだろうかと不安な顔をしていたというのではなく、まるでそこに天使がいるかのようにステファノは顔を輝かせていました。
 このように、人間の顔が光り輝くというのは、聖書の中に何人か出てきます。かつてシナイ山で神から十戒の2枚の板をいただいたモーセがそうでした。神の御業に用いられて、神の真実な出来事がここに起こっていることに出会った時、モーセは顔を輝かせていました。あるいは、フィリポ・カイサリアの近くの山に、ペトロとヤコブとヨハネの3弟子だけを伴って登られた時の主イエスが光り輝いたと言われています。主イエスの変容、変貌と言われる出来事ですが、その時、主イエスはご自身の本来のお姿を一瞬だけおとりになりました。神の御業を宣べ伝える、神に仕えていく、その喜びに溢れていた時に、主イエスは顔だけではなく全身が光り輝くお姿になられました。そして、ステファノもそうであったと言われています。
 ステファノは不当な裁判の後、リンチにあい殺されて行きますが、しかしステファノはそんなことよりも、自分が教会の中で貧しい兄弟姉妹のために仕えることを許され、更にその先に主イエスの救いを必要としている人たちがいることに出会わされ、仕える、愛の動機に懸命に生きる中で、顔を輝かせて務めに当たっていたのです。キリストの御用に用いられる時、その人は、たとえどんなに部分的であったとしても、キリストの輝きを映し出すようになって生きていくようなところがあります。そして、それはこの日のステファノだけではないということを覚えたいのです。
 この日のステファノほどには、はっきりとしてないかもしれませんが、しかし、地上の教会も全ての教会が礼拝の度に、キリストの輝きに包まれ、それを照り返して歩んでいくのだということを覚えたいと思います。私たちは教会に集まって何を経験するのか。毎週毎週ここで知らされるのは、主イエスの十字架の上から光が輝いてきて、私たちを照らしてくださっているということだろうと思います。私たちはその光に照らされながら、自分は何と貧しい、何と弱い惨めな者だと思わざるを得ないですが、そういう自分自身ではあるけれど、不思議なことに、まさに貧しい者でありながら、私たちはキリストの光を照り返す者として不思議な輝きを与えられて地上の生活を歩んでいくようにされるのです。「わたしを見れば貧しい者に過ぎない。弱く脆い者に過ぎないけれど、しかし、そういうわたしが神の光に照らされて、今日ここで生きて良いのだ」ということを表しながら、私たちキリスト者は生きて行きます。自分が毎日歩んでいる中で、失敗することもあるかもしれません。思うようにならないことや、自分が伝えたいことが伝わらず辛く悲しい思いを抱くこともあるかもしれません。しかし、そのままの姿で私たちは、主イエスに励まされ、「あなたは、なおそこで生きるのだ」と言われ、「わたしは、与えられた人生を生きていきます。本当に辛く思うようにならないことがあるけれど、それでも生きて良いのだと言われていることを知っています。わたしはこの生活を歩んでいきます」と、私たちが歩んでいく時には、今ある自分自身が、神の暖かな光に照らされていることを思い、その光を照り返す者として、それぞれの人生の中で、周りの人たちに小さな暖かさや光を与えることができるようにされているのです。

 キリストの光が私たちを照らす、それは単なる美しい言葉だけのことではありません。私たちが自分の人生をもって、この世で神の輝きを照り返し、ご栄光を表す者として生きるように招かれて生きているのだということを、確かなこととして覚えたいと思います。

 あの日ステファノを照らし、ステファノが顔を輝かせていた、その神のご栄光が、ここにいる一人一人の上にも注がれています。私たちは、ステファノの何分の一かで顔を輝かせながら、それぞれに与えられているこの地上の生活を歩む者とされたいと願います。
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