聖書のみことば
2015年11月
11月1日 11月8日 11月15日 11月22日 11月29日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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11月15日主日礼拝音声

 栄光の富に応じて
11月第3主日礼拝 2015年11月15日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)
聖書/フィリピの信徒への手紙 第4章15〜20節

4章<15節>フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。<16節>また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。<17節>贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。<18節>わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。<19節>わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。<20節>わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 ただ今、フィリピの信徒への手紙4章15節から20節までをご一緒にお聞きしました。15節に「フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした」とあります。ここで使徒パウロは、フィリピ教会の人たちと共有の過去を振り返っています。パウロがキリストの福音を伝えるために「マケドニア州を出たとき」のことが振り返られています。これは実際にはいつ頃のことを言っているのでしょうか。
 パウロがフィリピの町に立ち寄ったのは、いわゆる第二伝道旅行と言われている旅をしていた時でした。当初、パウロはフィリピに立ち寄る予定はなく、小アジア地方に行って伝道しようと考えていました。パウロ自身は、小アジアのエフェソ、あるいは少し北のコンスタンチノポリスなど、人の多く住む町に主イエス・キリストを伝えたいという計画を持っていました。ところがどうしたことか、パウロの目論見通りにはいかなかったのです。具体的な経緯は分かりませんが、何らかの差し障りによって、パウロは当初の計画を断念せざるを得ませんでした。使徒言行録の16章に、その時のことが記されています。そこでは、パウロは聖霊によって行きたいところに進むことを妨げられたのだと語っています。結局パウロは小アジアの大都市に向かうことができず、小アジアを横切る形で、その果てにあるトロアスという港町に辿り着きました。トロアスは、大昔には都市国家トロヤの都があった有力な町でしたが、有名なトロイの木馬の戦争で負けて都は焼き払われ、それを境に衰え、パウロが訪ねた時には寂れた小さな港町になっていました。パウロ自身は、どうして自分がそんなに人の少ない場所に遣わされたのか、腑に落ちなかったと思います。ところが、パウロはトロアスに着いた晩に夢を見ます。夢の中で一人のマケドニア人がパウロの元にやってきて、「どうかマケドニアに渡ってきて、私たちを救って欲しい。キリストの福音を伝えて欲しい」と頼まれるのです。この夢を見たことで、パウロには新しい伝道の幻が与えられることになります。それまではエルサレムやユダヤと陸続きの土地、小アジアに福音を伝えたいと思っていたのですが、更に大きな世界がその外にもあるのだと、パウロは気づかされるのです。海を渡ってマケドニアに行き、更にその先にあるローマ、更にはヨーロッパの果てにあるイスパニアにまで、福音を伝えなければならないのだと気づくのです。

 夜が明けると直ちに海を渡って、パウロはマケドニアに赴きました。そこで一番最初に腰を落ち着けてキリストの福音を伝えて、教会の群れが出来上がった町が、実はフィリピなのです。ですからフィリピ教会は、パウロのマケドニア伝道の本拠地になった、そういう教会です。その町の教会員に祈られて、パウロは更にヨーロッパ伝道に送り出されていきます。使徒言行録17章の始めを見ますと、フィリピからアポロニア、アンティポリスという町を経て、テサロニケに赴いたと語られています。このテサロニケまでの旅がマケドニア州の旅なのです。テサロニケはいわば、当時のマケドニア州の都、中心地でした。
 もし、パウロの伝道旅行がこのテサロニケで順調に行っていたならば、更にその先に進めただろうと思います。その先、それはローマであり、更にイスパニアへと、ヨーロッパを西へ西へと進んだに違いありません。ローマの信徒への手紙15章には、そういうパウロの願いが語られています。24節に「イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです」とあります。イスパニアに行く途中に、まずローマを訪ねたい。そしてあなたがたから送り出されたいのだと語っています。
 パウロは、自分の思っていた小アジアへの伝道が上手くいかずにいた時に、マケドニアに渡って来て欲しいという夢を見た時から、新しい伝道の幻が与えられ、地の果てまで福音を宣べ伝えなければならないという使命を与えられました。ですから、マケドニアに渡り、フィリピで伝道していた時から、ローマへ、更にイスパニアへという思いがあったに違いありません。そもそも、フィリピからテサロニケに向かっていることがパウロの思いを表しています。フィリピからテサロニケへと進む道は一本の街道であり、その街道を進むとローマへ着くのです。

 ところが、小アジアでと同じように、パウロはテサロニケで思いがけない挫折を経験することになります。使徒言行録17章に記されていますが、最初のうち、テサロニケの町に福音を伝えるパウロのメッセージは大変好意的に受け止められたようです。パウロの伝道はとても上手く運んだように見えます。パウロの伝道の方法はどうだったかと言いますと、パウロはどこででも、その町に入ってユダヤ人の会堂を見つけると、まずそこに入りました。ユダヤ人は集会を毎週土曜日にしており、旅人が来ると必ず、その人からメッセージを聞くということになっていたようで、パウロはその時間を利用して、行った先々の会堂で聖書を説き明かしながら、真の救い主はイエス・キリストであると宣べ伝えました。テサロニケでも同じことをしたわけで、かなりの数の人がパウロの言葉を聞いて主イエス・キリストを受け入れたことが17章2〜5節に記されています。「パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、『メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた』と、また、『このメシアはわたしが伝えているイエスである』と説明し、論証した。それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した」とあります。
 パウロが告げたメッセージは多くの人の人に受け入れられたのですが、外から来たパウロが受け入れられたことが、そこにいた何人かのユダヤ人には我慢ならなかったのです。彼らはならず者を使って町に暴動を起こし、人々が動揺しているどさくさに紛れてパウロを殺してしまおうと企てます。テサロニケでパウロに従うようになったキリスト者たちは、この様子を見て、パウロがこのまま広い街道沿いに道を進めばこの先の町々でも同じような目に遭い、危ないと判断し、パウロを密かに南の小さい町ベレアに逃がそうとします。10節に「兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した」とあります。そしてそこでも「二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った」とありますから、パウロは同じことをするのですが、一方、テサロニケのユダヤ人たちはパウロの命を狙っており、パウロがテサロニケから姿をくらました後、街道沿いの西の町々を探し、見つからないので、方向を変えて探索の手を伸ばし、ベレアへもやって来るのです。ベレアでは11節に「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」とあるのですが、結果的にはテサロニケからならず者たちが追って来たために、パウロはベレアにも居られなくなり、さらに南のアテネに逃れて行くことになるのです。アテネまで行きますと、そこはもうマケドニアではなくアカイア州です。

 少し説明が長くなりましたが、これらの出来事があって、今日の箇所でパウロが「わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき」と語っているのです。パウロは命の危険にさらされ、パウロ自身が抱いていた伝道の計画が思いに任せず打ち砕かれている、そういう状況です。ですから、そういう中でパウロは、主イエス・キリストの福音を宣べ伝えることの困難さを感じていたに違いありません。福音を聞かされ喜んで受け入れる人もいれば、一方では受け入れられない人もいて激しく抵抗し、パウロの福音伝道の計画は妨げられる、そのことを身に沁みて感じていたはずです。しかしそういう時に、フィリピ教会の人たちが、伝道の困難を味わっているパウロの身の上を案じ、懸命に支えたことが、今日の箇所で記されていることなのです。
 15節に続けて16節では「また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました」とあります。パウロがテサロニケのユダヤ人の会堂で教えていた数週間、パウロの言葉を聞いて主を受け入れた人は大勢いたのですが、その一方でパウロに反感を持つ人たちの攻撃は激しくなり、パウロは容易に会堂の外を歩くこともできないような不自由な状況におかれていました。そういうパウロの窮状を知って、フィリピ教会の人たちは何度も献金や必要な品を送ってパウロを支えようとしたことが分かります。そのように、パウロが大変だった時にフィリピ教会の人たちが支えてくれたことを思い起こしつつ文章を書きながら、本当に有り難かったという思いを新たにしたに違いありません。「ありがとう」というお礼の言葉こそありませんが、しかしパウロは深い感謝と信頼の思いをもって、この手紙を綴っています。

 そして17節に続けて「贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです」と言っています。こういう言葉を聞きますと、少し不思議に思うという方もおられるかもしれません。パウロは、自分は贈り物を望んでいない、それどころかフィリピ教会の人たちの方が豊かな実を得ることを望んでいると言っていますが、これまでのところ、実際問題では、パウロが一方的に支えられているという関係だったと思います。フィリピ教会の人たちとて、潤沢な資産を持っているわけではありません。それぞれに懸命に何とか自分の生計を立てていたことでしょう。そういう中から、パウロの伝道の働きを支えようとして献金を集めて、パウロに届けていたのです。ですから、そういう関係であれば、支えているのはフィリピ教会で、支えられているのはパウロだったと思います。パウロの窮乏を支えることによって、フィリピ教会の人たちの懐具合は薄くなっていたに違いありません。有り難かったからと言って、パウロからお返しができる余裕があるはずはありません。それなのにどうしてパウロは、「わたしが贈り物を望むのではなく、むしろあなたがたが豊かな実を得ることを望んでいる」などと言うのか、腑に落ちないと思われる方もおられることでしょう。
 この言葉が気にかかって、改めてこのところを読み返してみますと、15節にも同じように気にかかる言葉があることに気づきます。「…、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした」と言っています。「もののやり取り」とは、「もらったり、あげたり」という関係だと思います。パウロは逃げ回っている身ですから、フィリピ教会に何かお返しできる状況ではなかったでしょう。にも拘らず、「私たちは、もののやり取りをしていた」と言っています。どんな「もののやり取り」があったのでしょうか。
 パウロは「あなたがたの益となる豊かな実を望んでいる」と言っていますが、パウロは終始、「フィリピ教会の人たちが豊な実を受けてくれるように」と言いつつ、この手紙を書いています。1章の初め、10〜11節では「本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように」と祈っています。「イエス・キリストによって与えられる義の実」は、今日の箇所で言われる「あなたがたの益となる豊かな実」と同じ「実」です。フィリピ教会の人たちが受け取る実とは、「主イエス・キリストによって与えられる義の実を結ぶこと」だと言っているのです。

 では、「主イエス・キリストによって与えられる義の実を結ぶ」とは、具体的にはどういうことを言っているのでしょうか。パウロは「義の実を結ぶ」ということを、自分自身を例に取って語っています。18節「わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」と言っています。パウロ自身は、思いを超えるほどの贈り物によって、すっかり豊かになっていると言っています。実際にパウロはエパフロディトを通して贈り物を受け取っていますが、しかし人間的な言い方をするならば、「あらゆるものを受けており、豊かになっています」と言えるほど、そんなに豊かであるはずはありません。パウロは牢屋にいるのです。フィリピ教会からの献金や食料が贈られて、何とか命を繋ぐことはできたとしても、「あらゆるものを持っている」と言えるような状況ではないはずです。けれどもパウロは、「生活するための必要を神が与えてくださっている。だから、牢屋の中であっても、わたしは安心しているし豊かなのだ」と言っているのです。「生きていく上で必要なものはすべて、神が備えてくださるに違いない」そう信じればこその、パウロの言葉なのです。
 そして、パウロがフィリピ教会の人たちに受けて欲しい「豊かな実」というのは、今このパウロ自身が経験して与えられているものなのです。フィリピ教会の人たちはパウロの生活を支えるために献金をしました。しかしそれは、人間同士の横のやり取りということではなく、神がパウロを支えようとしておられる、その御業に仕えようとして、フィリピ教会の人たちが神に献げた献げものなのです。ですからパウロは、エパフロディトから「あらゆるものを受けており、豊かになっています」と言った後に続けて「それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」と言っています。古い時代からイスラエルの人たちは、自分の財産である牛や羊を神に献げるという礼拝をしています。神にいけにえの動物を献げて、祭壇の上で焼きますと、動物の肉を焼くのですから良い香りがして、それを神への献げものとしました。そのことをパウロは言っています。フィリピ教会の人たちが献げてくれた献金とは、神に向かって献げられる香ばしい香りであり、神がそれを喜んで受けてくださっている。神がそのようにしてお受けになったものを御心のままにお用いになる。その中で、牢屋の中のパウロが支えられるということも起こっている。そうパウロは思っています。

 そして、貧しく乏しい状況にあっても、このように「神が支えてくださる」という出来事は、パウロだけに起こっているのではない、「フィリピの教会の人たち、あなたがたも、同じ神の顧みの中に生かされているのだよ」と教えているのです。19節「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」と言っています。パウロの欠乏を補い支えてくださっている神は、その栄光の富の中から、「あなたがたにも必要なものをすべて満たしてくださる」と言っています。
 「すべて」と言うのですから、これは物質だけではないのです。主イエスは「人はパンだけで生きるのではないよ」と教えてくださいました。私たちが生きる上で必要なものとは、金銭とか食料、衣服とか住居とかそういうものだけではないはずです。私たちが本当に人として生きるためには、隣人との温かな交わりとか、自分が確かにここに立たされているという誇りや自己同一性というようなものも必要であるに違いありません。時として、それら必要なものが失われてしまっていると思えることもあるかもしれません。何もかも自分の思いのままに有るのではなく、必要だと思うのに欠けていると思ってしまうことがあります。しかし神は、主イエス・キリストというお方を通して、このお方によって「すべてを満たしてくださる」のだと、パウロは語っています。

 主イエス・キリストを通して、神が常に私たちの傍に立ち、共に歩んでくださっている。そして、私たちに本当に必要なものをすべて満たしてくださる。実は、そういう信頼を持って生活していくことこそが、私たちが豊かに生きていく秘訣だと言ってよいと思います。
 私たち人間の欲望には底知れないところがあります。私たちの欲望とは不気味なものです。神が必ず欠けを補ってくださり今ある生活の中で支えてくださるのだという信頼を失ってしまって、私たちが自分の生活を自分の手で確かなものにしなければならないとするならば、私たちは様々なものを必要とすることでしょう。恐らく、私たちは全世界を手に入れても満足しないのです。
 確かにパウロは、「もののやり取り」によって、フィリピ教会からさまざまなものを与えられて、慰められ励まされました。しかしそれは、金銭や食料だけではなかったのです。そこには、フィリピ教会の人たちがパウロを覚えて「祈っています」という事柄も入っています。しかし、パウロもまた、フィリピ教会を覚えて祈り、そして、そのことによってフィリピ教会の人たちを励ましていたのです。
 使徒言行録3章に、使徒ペトロとヨハネが、後3時の祈りの時間にエルサレム神殿を詣でた時の話が記されています。神殿の入り口の門のところで、一人の足の不自由な人が座っており、その人がペトロに金銭をねだるのです。その時にペトロが言った言葉が、3章6節「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」でした。まさしくパウロも、この同じものを与えて、フィリピ教会の人たちと「もののやり取り」をしていたのです。フィリピ教会の人たちに対してパウロが望んでいる豊かな実というのは「キリストによって立ち上がらせていただき、キリストと共に歩んでいく生活」です。そういう生活の中で、思いを超える、自分では予想もしていなかったような豊かで平安な生活を過ごしていくようになる、そのことをパウロは願っているのです。

 キリスト者の平安というものは、すべてが丸く収まって、すべてが潤滑にあるところで与えられるというものではないと思います。4章14節でパウロが、「それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました」と言っているように、パウロもフィリピ教会の人たちも、それぞれに与えられている生活の中で、懸命に踏ん張り力を出さなければいけない、そういう道を通ってきています。けれども、そういう困難さや不自由さに直面している時にも、そういうわたしと決して離れず、主イエス・キリストが共にいてくださる、それどころか、最後にはきっと、主イエス・キリストを通してわたしに必要なものはすべて与えられる、そう信じて生きるところに、平安が生まれるのです。そしてそれは、この世の富とか財産によっては決して手にすることのできない平安です。
 私たちが、今日置かれているこの生活を本当に和らいで、今与えられているこの人生を確信を持って生きていく、そういう生活が与えられるのです。そして、その中に豊かな実りが生まれてくるのです。それは、お金でしかものを考えない人にとっては、取るに足らないものと映るかもしれません。しかし、お金だけをどんなに持っていても、どこまで自分を確かにできるかと言えば、できないのです。どんなに富を積み上げたとしても、私たちは、この地上を去る時には、それをお墓にまで持っていくことはできませんから、私たちは身の回りのものをどんなに装って見せたところで、最後には、自分自身と一緒に歩んでいく他ありません。そして、その自分自身とは、もし神への信頼がそこに無いならば、本当に貧しいものでしかありません。

 パウロは困難な伝道を経験し、今また牢屋に捕らえられていますが、しかし、そのところで、あらゆるものを受けており豊かであると語ります。ここに集められた私たちの生活もそうだろうと思います。私たちは牢屋の中に捕らえられているわけではありませんが、しかし、それぞれに置かれた場所で生活する、その私たちの生活は、主イエス・キリストが共に歩んでくださる中で営まれているものなのです。主イエス・キリストが共に歩んでくださって、私たちに必要なものをきっと備えてくださる。その中で私たちは、今日与えられた生活を精一杯、主に仕える者として歩んでいく。そういう生活をすることを通して、私たちは、神の御栄光を表す者とされます。

 パウロは、1章11節で「イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように」と祈っていましたが、今日の最後のところでも「わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン」と、神を讃えています。それは、ここにいる私たちも同じだと思います。私たちは今日与えられている生活を神に顧みていただき、そして、本当に必要なものをそれぞれに与えられ、支えられて歩んでいます。そのようにしてこの地上を生きることを通して、私たちは、神の御名を賛美し、神の御栄光をこの地上に照り返しながら、神の慈しみを互いに分け与えて歩んでいくものとされていくのです。

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