2014年5月 |
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毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。 *聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。 |
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枯れたいちじくの木 | 2014年5月第3主日礼拝 2014年5月18日 |
北 紀吉牧師(文責/聴者) |
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聖書/マルコによる福音書 第11章12〜26節 | |
11章<12節>翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。<13節>そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。<14節>イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。<15節>それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。<16節>また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。<17節>そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった。」<18節>祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。< 19節>夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。<20節>翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。<21節>そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」<22節>そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。<23節>はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。<24節>だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。<25節>また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」<26節>もし赦さないなら、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちをお赦しにならない。 |
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主イエスがエルサレム入城を果たし、11節「もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた」、そして、12節「翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた」とあります。主はそこで、ゆっくり休まれたのでしょうか。 今朝のみ言葉から推察されることは何でしょうか。 前の夜に、主イエスは何を思っておられたでしょうか。イスラエルの滅び、裁きを思われたことでしょう。 神は滅ぼすことも生き返らせることもおできになります。神は主権者、自由なお方です。 木を切ってしまうことで、いちじくの木が枯れたのではありません。主イエスは、いちじくの木に「言葉を与える」ことで枯らされました。主イエスの御言葉こそが力であること、御言葉こそが現実のものになるのです。 私どもは、いちじくの木が枯れたことにではなく、主イエスの御言葉が現実となることに驚くべきです。 主イエスは、父なる神の御心に従われ、主権者として神の栄光を現されるのです。 神は、理不尽なことをなさいます。それゆえに、罪なる、滅びに過ぎない者、救い無き者のために主イエスが十字架に付き、救いを成し遂げてくださったのだということを覚えたいと思います。 |
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