ただいま、使徒言行録8章1節の後半から24節までをご一緒にお聞きしました。始まりのところに「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」とあります。ステファノが石で打ち殺されたことをきっかけに、エルサレムの教会に激しい迫害の嵐が吹き荒れました。迫害がどれほど激しく執拗であったかということは、迫害者であるサウロの姿を描くことで3節に述べられています。「一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」。サウロの迫害は、キリスト者たちが家の教会に集まっているところに、いきなり踏み込み、男性ばかりか女性たちまで一人残らず縛り上げ、牢屋送りにするという仕方で行われました。1世紀当時の教会は、今日のように礼拝堂で礼拝をしていたわけではありません。ある程度の広間があるキリスト者の家に集まり、そこで主イエス・キリストの福音が語られ、その後パンとぶどう酒に与る聖餐式が行われていました。ですから、1世紀の教会は「家の教会」と呼ばれます。サウロはそういう教会に踏み込んでキリスト者を捕えていました。
けれども、そういう迫害が行われたにも拘らず、使徒たちはなおエルサレムに留まることができていたということは、大変不思議なことのように思います。普通に考えれば、サウロが踏み込んで行った家の教会で、主の福音が語られ聖餐式が行われていた場所で、最も目立っていたのは使徒たちに違いなかったからです。しかし使徒たちは、そういう最中にもエルサレムに留まっていたと聖書には語られていますから、ある学者たちは、この時サウロの迫害にあった教会は、エルサレムの教会の中でも主にギリシャ語を話す人たちが集まっていた教会が狙い撃ちに遭ったのではないかと推測しています。
エルサレムに留まっていた使徒たちは、元を正せば主イエスに従ってガリラヤからエルサレムに来た人たちで、ヘブライ語しか話せないかヘブライ語で生活している人たちでした。エルサレムはユダヤの都ですから、そういう人たちの群は、ヘブライ語で礼拝を守っている限り周囲からはあまり違和感なくそこに溶け込んでいることができたに違いありません。ところが、ユダヤ以外の外国育ちでギリシャ語で生活している人たちは、ヘブライ語があまり話せず、ギリシャ語で礼拝しますから目立ちました。サウロはそういう教会を狙って迫害したのだと、学者たちは言っています。ですから、ギリシャ語を話すキリスト者にとっては、こういう事態が起こることは本当に思いがけないことで、迫害の最中には着の身着のままでエルサレムから出て地方に落ち延びていかなければならなかったことと想像できます。
けれども、このような思いを超えるような成り行きの背後にも、神の深いご計画があります。こういう仕方でキリスト者たちを落ち延びさせ散らしていったことは、聖霊のお働きによるものでした。聖霊が働いてくださるとき、そこでキリスト者は常に穏やかに心地よく楽な生活ができると決まっているわけではありません。私たちキリスト者がそれぞれに大変な思いをする時にも、辛い思いになってしまう時にも、それでも神のご計画は、キリスト者一人一人の上に置かれています。たとえどんな時でも、キリスト者はなおそこで生きていくことができるように、神の深い配慮のもとを持ち運ばれていくのだということを覚えたいと思います。
ところで、今日の箇所で、突然の迫害にあって散らされていった人たちは、どのような様子で落ち延びて行ったのでしょうか。4節には大変意外なことが述べられています。「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」。サウロによって暴力的な仕方で捕えられそうになって這々の体でエルサレムから脱出してきたキリスト者たちですのに、そういう彼らが逃げて行く途中に立ち寄った町や村では、主イエスについての福音を告げ知らせながら逃げて行ったと言われています。どうして、そのようになるのでしょうか。この人たちは、今、追っ手から逃げているのですが、それは元はと言えば、主イエス・キリストの十字架と復活の福音を知らされてそれを信じたことによっての迫害です。 主イエス・キリストがわたしのために十字架に架かられ三日目に甦られた、そのことを信じたためにエルサレムで捕らえられそうになって都落ちしているのですから、そうであれば、逃げている最中には、自分が主イエス・キリストの弟子であることを周囲の人たちに気取られないようにするのが普通だと思います。ところが、この人たちは「福音を告げ知らせながら巡り歩いた」と言われています。一体どうしてそんなことになっているのでしょうか。
ここには理由が書いてあるわけではありませんが、聖書の違う箇所、コリントの信徒への手紙一15章2節に、使徒パウロが語った言葉が記されています。「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」。どうやらキリストの福音というものは、私たちが自分の心の奥深くに沈めて隠し持っているということができない性質のもののようです。仮に、もしそんなことをしたらどうなるか。どなたでもそうだと思いますが、聞かされた福音を自分の心の底に沈めて内緒にしておこうとするならば、恐らく私たちは、自分では福音を心に持っているように思っていても、その事柄を片っ端から忘れていってしまうのではないでしょうか。人の心というものは、私たちが考える以上に移ろいやすく、人間の記憶も驚くほど風化しやすいものなのです。福音を忘れないために、持ち続けるためには、そのことを繰り返し思い出さなければなりません。そしてその福音を思い起こすために、一番簡単な方法は何かというと、自分が聞かされて信じていることはこれだと、誰かに話して聞かせることなのです。
最初の教会の人たちは、エルサレムの教会から引き離されて逃げていく際に、自分が福音を忘れないために、行く先々で主イエスの御業を宣べ伝えました。そしてそのことが結果的には、福音がエルサレムから放たれて、ユダとサマリヤの全土まで広がっていくことになっていったのです。
かつて主イエスは、地上がそうなることを弟子たちに予告しておられました。使徒言行録1章8節に「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」とあります。まさしく、甦った主イエスが弟子たちに予言なさった通りの出来事が、今日聞いている箇所でこの日起こっているのです。
ペンテコステの日に地上に聖霊が降る。そして最初の教会が誕生しました。その教会で、繰り返し繰り返し主イエスの十字架と復活のことが説教され、それを聞いた人たちが、自分たちが信じている福音として各々に分け持つようになりました。自分が信じ支えられている事柄として「主イエスの十字架と復活」の事柄が伝えられるようになったのです。そして、そういう教会の動きの中から福音を外にも伝えたいという動きが出てくるのです。エルサレムに比較的最近やって来た人たち、そしてあまりまだエルサレムに定着できないために貧しく苦労の多い生活を送っているギリシャ語を話すユダヤ人たちの間に、主イエスの福音を伝えたいという動きが出て来ました。それがステファノの殉教や教会の迫害のきっかけになったのです。ステファノの死を通じて教会の群れに激しい迫害が臨むようになったのですが、それまでの間に教会に集う一人一人の中に剣や槍を恐れて口をつぐむのではなく、むしろ苦労が多くても決して主イエスの福音から自分は離れたくないという信仰が芽生え育つようになっていました。
ですから、エルサレムの教会が迫害を受け、多くのキリスト者が都を離れなければならなくなったという事態は、例えていうならば、すっかり成長して準備の整ったホウセンカの実が外からの刺激を受けてタネがはじけたような、そういう出来事になったのです。それまではエルサレムの中だけで礼拝が捧げられ、福音がエルサレムの中だけに留まっていましたが、迫害という外からの刺激を受けて周囲の町に広がっていくことになりました。
ですから、ステファノが殉教した日は、同時に、迫害が教会の上に始まった日ですが、もっと言えば、迫害によって散らされていった人たちが伝道活動を始めた、記念すべき日ともなったのです。これは人間的な言い方をすれば、サウロが仕掛けた迫害によって教会がエルサレムに居られなくなったという出来事です。しかしそれは実は、聖霊が働いて、それまでの準備を全て教会に整えさせた上で、聖霊によって教会が散らされていく出来事だったのです。かつて主イエスがおっしゃった通り、聖霊が御心のままに、一人一人のキリスト者を主イエス・キリストの甦りの証人としてユダとサマリヤの全土に向けて遣わされるということが起こったのでした。
そのようにして聖霊によって散らされていった弟子たちの中に、フィリポという弟子がいました。フィリポはステファノを始めとする7人の働き手が選び出された時にステファノの次に名前が出ていた人物です。フィリポという名は主イエスの12弟子の中にもありますが、今日の箇所のフィリポはステファノと一緒に選ばれた働き手の一人です。フィリポはサマリヤに向かいました。4節5節に「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた」とあります。サマリアの町というのは、聖書の原文で見ると定冠詞が付いています。英語で言えば「the 町」と書かれています。ですからそのニュアンスを生かして訳すなら「フィリポは、サマリアのその町に下った」と書いてあります。けれども、具体的な町の名が書かれていませんから、この町がどこかを断定することは難しいことです。しかし、こういう書かれ方からすると、恐らく昔の北イスラエル王国の都だったサマリアと呼ばれていた町か、もう一説は、ゲリジム山のシケムという古い聖所のあった町、そのように想像されています。
フィリポはサマリアに出かけて行きましたが、最初のうちは、それほど伝道しようと思っていなかったのかもしれません。ただ自分が聞かされて来た福音を忘れないように、毎日毎晩、主イエスの御業を思い起こし祈りを捧げる生活を送っていただけかもしれません。
ところが、本当に主イエスの十字架によって罪を赦されたということに信頼し、主に寄り頼んで生活する人たちは、そのことによって力を与えられ勇気と慰めを与えられて生活が支えられるようになっていくのです。フィリポが来てしばらく経つうちに、サマリアの人たちは、このフィリポという人に他の旅人とは違う明るさと柔和さが宿っているということに気づきました。そういうフィリポの姿は町の中で次第に注目されるようになり、フィリポから主イエスの十字架と復活の出来事を知らされ、信じる人も起こされるようになりました。甦りの主が共にいてくださることで慰めと勇気を与えられ、不思議な癒しを経験する人も出て来ました。そういうわけで、フィリポは今やサマリアの町で人々から注目され、その言葉は重んじられるようになりました。8節に「町の人々は大変喜んだ」とありますように、フィリポの周囲にはいつも喜びがありました。
ところで、この町には、フィリポが来る前から暮らしていて、フィリポが注目されているのと同じようにずっと注目を受けていた一人の人物が住んでいました。シモンという人で、彼は魔術を使える人物として、町の人たちから特別な目で見られていました。不思議な力を持っているので、憧れや恐れの混じった目で見られていたのです。シモンからすると、これまでずっと注目を浴びてきたのは自分であったのに、フィリポという新参者がやってきたということになります。今までシモンの方に集まっていた注目が、雪崩を打つようにフィリポへと移り変わっていくということが起こり、そこでシモンはフィリポに注意を払うようになるのです。言うなれば、ライバルが現れたのです。
シモンは大変利口ですから、フィリポに近づいて懐に入り込もうとします。シモンはフィリポから洗礼を受けて、まるで主イエスの弟子になったような顔をしてフィリポの元に出入りするようになったのです。フィリポの方では、シモンが入り込んできているという危険性に最初は気がつかなかったようです。シモンは洗礼を受けましたが、しかし本当には、自分が寄り頼んでいた魔術を捨てたわけではありませんでした。シモンはただフィリポの懐に入り込んで、フィリポの言葉や行いを観察して、あわよくば、フィリポの技術を盗みたいという思いを持ってフィリポの近くにいただけでした。
当然のことですが、シモンが行う魔術とフィリポが行う不思議な業は、同じではありません。魔術は巧みにカモフラージュしても、そこには必ずカラクリがありました。ところが魔術を使うシモンが見るところ、フィリポの行う業には種も仕掛けも見当たらないようなのです。それでシモンは驚いて、いよいよフィリポの近くに居ようとしました。
シモンはフィリポの側にいることに熱心になりましたが、こういうシモンのあり方には一つの疑問があります。それは、シモンはフィリポの伝えている主イエス・キリストの福音を本当に受け入れたのだろうかという疑問です。シモンはただ、フィリポの周りに起こる不思議な業に心を寄せただけではないでしょうか。フィリポの言葉遣いや所作を間近で観察しながら、あわよくば、自分も同じようやりたいと考えたのではないでしょうか。そして、フィリポから技術を盗んだ暁には、もう一度独立して、かつて自分がこの町で受けていた「偉大な人物」という賞賛を回復したいと望んでいたのではないでしょうか。シモンの正体は、間もなく明らかになっていきます。
フィリポがサマリアの町で多くの人に洗礼を授け、新たな教会の群れが生まれつつあるらしいという噂がエルサレムに届き、エルサレム教会からペトロとヨハネという二人の使徒がやって来ました。二人は新しい教会の様子を確かに確認して喜んだのですが、しかしすぐに異変に気がつきます。「もし主イエスを信じて洗礼を受けたのであれば、同時に聖霊を与えられて様々な喜びの実りが生まれて当然のはずなのに、そのような喜びがこの教会には薄い」と、二人はこの教会の空気をそのように感じました。
二人にとって最初は、どうしてそうなのかという理由が分かりませんでしたが、二人はこういう場合に自分たちにできることを行いました。それは、主イエス・キリストの福音を丁寧に告げ知らせて、それを聞いた人たち一人一人の上に手を置いて祈るということでした。そうすると、手を置かれた人たちの上に不思議な喜びが生まれて、聖霊が本当に生きてその人を支配しているということが、よく見えるようになって来たのです。元々、フィリポがやって来て福音がもたらされた時にも、サマリアの人たちは随分と喜びました。そして今、ペトロとヨハネが来て福音を語り、手を置いて祈るところでは、さらにその喜びが深く確かにされて大きくなっていきます。
すると、その様子を見ていたシモンが、ペトロとヨハネにある事を頼み込みました。18節19節に「シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。『わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください』」とあります。つまり、「授業料を支払うから、あなた方のその巧妙な技術を教えて欲しい」ということです。「どこにも種がないように見えるけれど、多くの人たちを喜ばせ生き生きとさせることができるその秘術を是非、私にも伝授して欲しい」と、シモンは願いました。そして、シモンのこの言葉を聞いた時に、使徒ペトロとヨハネは、このサマリアの教会に漂っている、覆っている暗さ、空虚な空気がどこにあるのかに気づきました。ペトロは大変強い調子で返事をします。20節以下に「すると、ペトロは言った。『この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ』」とあります。
サマリアの教会に聖霊の空気が感じられなかった理由は、シモンのように、形では信じていると言い洗礼を受けていながら、その実、神の働きを願い求めるのではなく、ただ他者に強い影響を及ぼしたいという野心がこの教会を覆っていたからであり、そういう野心を抱くシモンがフィリポの側に居たからでした。ペトロはそのようなシモンのあり方に呪いをかけるような言い方をします。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい」。けれども、このペトロの言葉は「シモンが死んでしまってもよい」という意味ではなく、「今のようなあり方をしているシモンが滅んでしまうように」という意味です。ですから、こう言った後に、「この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ」と、シモンが救われる道を教え諭しています。
シモンはペトロの言葉を聞いて悔い改めたでしょうか。残念ながら、この先のことはあまりはっきりしません。ひとまずは、ペトロに答えています。24節「シモンは答えた。『おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください』」。この言葉をどう思われるでしょうか。大変敬虔そうな言葉に聞こえるかもしれません。けれども、このシモンの答えは、ペトロの勧めに対しては何一つ応えていない返事です。ペトロは「あなた自身が悔い改め、神さまに赦しを願って祈るように」と求めたのですが、シモンは自分から祈ろうとはせず、ペトロに「自分のために祈って欲しい」と言っています。また、その祈りの内容も「どうかわたしが悔い改めて新しくなれますように」と祈って欲しいのではありません。ペトロがシモンに宣告したこと、「シモンのお金と今のシモンが滅びて新しい者に生まれ変わるように」ということが何一つ起こらないように、そのために祈って欲しいと願っています。大変敬虔な気持ちで答えているように聞こえるかもしれませんが、その意味内容からしますと、シモンはペトロの言葉に対して何も応えていないのです。二人の言葉は平行線のままです。
シモンはこの後、悔い改めたのか、あるいは平行線のまま教会の群れから去って行ってしまったのか、ここには記されていません。
けれども、今日のこの記事は、一つの警告を私たちに語っているように感じられます。それは、教会というものは、聖霊の働きによって形作られるものだということです。聖霊の働き、つまり神の御心によって教会は形作られていくのです。それ以外の仕方では、教会は形作られていきません。たとえ、人間の目から見ていかに良かれと思っても、聖霊の働きを抜きにしてしまうならば、教会は空虚な群れになっていってしまうのです。
ここに集う私たちも、日々の暮らしの中で、自分の思い通り願い通りになって欲しいと思うことがあります。そう思わない人は誰もいませんから、そう思うことを責めても仕方ありません。けれども、そういう私たちの願いを実現させるために神がおられるわけではありません。私たちはしばしば、自分の思いを神に訴えて「こうなりますように」と願います。願っても良いのですけれども、しかし、それを実現するために神がおられるのではない。神は、御心のままに私たちに一番良いものを備えてくださるのです。
ですから、私たちがあれこれと願っても、結果は願った通りではないということも有り得ることです。むしろ、教会は、私たちが自分の思いを先立たせていくところではなく、私たちが神に従っていく、そういうところに建てられていきます。それは、教会の頭は主イエス・キリストだからです。
教会の頭であるキリストは、どうだったでしょうか。「十字架は嫌だから、架けないでください」と祈られたでしょうか。そうではありません。「御心でしたら、この盃をわたしから取り除けてください。しかしわたしの思いではなく、御心のままになさってください」と、教会の頭であるキリストは自分の思いを先き出させるのではなく、神の御心が自分の上に実現しますようにと祈ってくださったのです。そう祈って、私たちすべての者のために十字架に向かって歩んでくださった主イエスが、教会の頭として、私たちと共におられるのです。そういう主イエス・キリストに従って、神の御心を尋ね求めて歩んでいく生活の中にこそ、聖霊が宿り、豊かな喜びが満ち溢れるようになるのです。
私たちは、教会に招かれるときに、教会の主であるイエス・キリストに伴われて生きる生活へと招かれていることを覚えたいと思います。そして、主イエスがわたしの主であり、わたしを持ち運んでくださるお方だと覚えながら、神がわたしに求めておられることは何であるかを考え、ここから歩む者とされたいと願うのです。
私たちの思いではなく、神が私たちに望まれること、そのことに向かって、ここからの一巡りの時へと押し出されて行きたいと願います。 |