2019年6月 |
||||||
6月2日 | 6月9日 | 6月16日 | 6月23日 | 6月30日 | ||
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。 *聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。 |
■「聖書のみことば一覧表」はこちら | ■音声でお聞きになる方は |
新しい言葉 | 2019年ペンテコステ礼拝 6月9日 |
宍戸俊介牧師(文責/聴者) |
|
聖書/使徒言行録 第2章5〜13節 | |
<5節>さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、<6節>この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。<7節>人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。<8節>どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。<9節>わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、<10節>フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、<11節>ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」<12節>人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。<13節>しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。 |
|
ただいま、使徒言行録2章5節から13節までをご一緒にお聞き致しました。5節6節に「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」とあります。ペンテコステの出来事、それは聖霊が人間の上に降ったという出来事でしたが、そのことによって起こった目に見える変化というのは、「新しい言葉」が語られるようになったということでした。 心を合わせて祈っていた主イエスの弟子たちの上に聖霊が降ります。すると弟子たちは「“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」と、今日の箇所の直前の4節に述べられていました。先週も話しましたが、4節に「ほかの国々の言葉」と訳されていますが、原文では「国」という言葉はありません。「ほかの言葉で」と書いてあります。後を読みますと、人々が皆「めいめいが生まれた故郷の言葉を聞いた」と言ったことに引きずられた形で「ほかの国々の言葉」と訳されています。けれども、ここは「ほかの言葉」です。弟子たちはそれまでであれば決して語らなかったような言葉を、この日、語り出したのです。今まで勇気がなくてとても言い出すことができなかったような言葉です。それは何かというと、「十字架に架けられ殺されたイエスが本当の救い主であり、私たちの主です」とはっきりと言い表す言葉であり、それがここで初めて語られるようになったのです。 「聖霊が人間の上に降ったとき、そこに生まれたのは十字架と復活を宣べ伝える説教だった」と聞かされますと、「ただそれだけのことか」と拍子抜けする方もおられるかもしれません。けれども、地上の生涯を歩んでおられた主イエスと最も近しく交わり、主イエスの人柄に触れ、また復活の主イエスにお目にかかった弟子たちでさえ、このペンテコステの日までは、おおっぴらに「主イエスは救い主メシアだ。世界の希望はこの方によってもたらされる」と話すことはありませんでした。弟子たちの上に聖霊が降って初めて、弟子たちは、内輪でだけではなく、外に向かって堂々と「主イエスこそ救い主であって、私たちの主なのだ」と公に言い出せるようになりました。コリントの信徒への手紙一12章3節に「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」とあります。まさしく聖霊が降ったことによって、「主イエスは主でありメシアだ」と語られることが始まったのです。 こういう不思議な経験をしたのは全員ユダヤ人でしたが、同じユダヤ人であっても様々な背景を持つ人たちだったと言われています。9節から11節にかけてたくさんの地名が出て来ますが、この地名を見ていますと、ここに集まっていた人たちが実に多様な人たちだったことが分かります。9節の最初に4つ地名が出て来ます。「パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア」、これらの地名はいずれもエルサレムから見ると北東に広がっている地域です。この地域に住んでいる人は、恐らく紀元前6世紀に起こったバビロン捕囚ということに関わってエルサレムから捕らえられ捕囚された人たちの関係者だろうと考えることができそうな人たちです。その後、ユダヤはユダヤですが、次に「カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア」と並んでいます。これはいずれも小アジアと言われ、今で言えばトルコという国がありますが、その半島にあるアジア州の名前です。それからその後に続く「エジプト、キレネに接するリビア地方」というのは、アフリカの北岸です。黒人が多く住んでいる土地です。そしてその後、「ローマから来て滞在中の者」と出て来ます。唯一ヨーロッパの人たちですが、新約聖書の時代、ローマにはユダヤ人が多く住んでいました。ユダヤ人がどんどんローマで生活するようになり、自分たちの神を礼拝する礼拝堂がローマにたくさんありました。時のローマ皇帝は自分の都にユダヤ人たちが住み着いて礼拝所にたくさん集まってくることに不安を感じました。それで、「もし、このユダヤ人たちがローマで反乱や暴動を起こすと大変なことになる」と思い、ユダヤ人を追放するという出来事も起こっています。紀元50年、クラウディウス帝がローマからユダヤ人を一斉に追放したことは歴史に中で知られていますが、それくらい多くのユダヤ人がローマに住んでいました。けれども彼らは、自分の一生の終わりにはエルサレムに戻り骨を埋めたいと思い、その下見のために戻って来て滞在している、そういう人たちがいたのです。そして更に11節には「クレタ、アラビア」という地名が出て来ます。クレタ島は地中海に浮かんでいる島、アラビアは、当時ペトラという都を持っていたナバティア王国のことだろうと言われていますが、エルサレムから真東に離れていった場所にある土地です。これらの地名を地図上に置いて見て見ますと、エルサレムを真ん中にして東西南北それぞれの地域から集まって来た人たち、つまり世界中の人たちがやって来ていたと言えるような地名が並んでいるのです。 世界中から集まって来て、「神を真剣に考え神によって救われたいと願っている」、そういう人たちがペンテコステの出来事の物音、声を聞いて、教会に集まって来たのだと言われています。同じユダヤ人であり、神に対して真剣な人たちではありますが、出身や生い立ちが違いますから、当然のこと、物事の感じ方や考え方はずいぶん違っていたことでしょう。ところが、そうである人々が皆、「弟子たちの言っていることがよく分かった。わたしの故郷の言葉を聞いた」と思ったところが不思議な点なのです。神の事柄に真剣な人たちは、たとえ生い立ちがどのようであっても、神がその人の上に霊を下してくださって、神の御心がよく分かるようにしてくださるということなのだろうと思います。 さて、今日の箇所で非常に重要なことは、世界中の地域から集まって来た、神の事柄に真剣なユダヤ人たちは、最初はまるで観客のように教会の周りに集まって来ているのですが、使徒言行録のこの先をずっと読んでいきますと、この人たちが弟子たちの話す言葉を聞いていく中で、そこで語られていることを信じて洗礼を受け、教会の枝に連なるようになったと言われていることです。2章41節に「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」とあります。ペンテコステの日に、そこで誕生した教会で「主イエスこそ救い主です」と公に語り始められたその時に、これに気づいた人たちは最初、野次馬のように家の中を覗いていました。けれども弟子たちが懸命に語っている言葉を聞いているうちに、ここに語られていることは決して人ごとではないと気づいて、自ら洗礼を受け教会の枝になりました。その人たちは、背景から言うと世界中の至る所から集まって来た人たちだったということです。そう考えますと、ここに語られていることは、古いイスラエルに代わる新しいイスラエル、「神の民を表す人々として招かれ、信じるようになった」と言えると思います。 使徒言行録に語られている最初の教会の姿がこのようなものだと聞かされますと、今ここにいる私たちも同じではないかと思わされます。ここにいる一人一人は、生まれも育ちも境遇もバラバラでしょう。クリスチャンの家庭に生まれ育って主イエスを小さい時に知った人もいれば、若い時に職場や学校を入り口にして教会の扉を叩いた方もいらっしゃるでしょう。あるいはかなり高齢になってから求道者生活を始めてクリスチャンになられた方もいらっしゃいます。しかし、そういう違いがあっても、すべての人が招かれて主イエスを与えてくださった神を信じて生きる教会が形づくられ、私たちはここでお一人の神、お一人の救い主を信じて、共に生活するようにされているのです。 |
このページのトップへ | 愛宕町教会トップページへ |