ただいま、使徒言行録9章23節から31節までをご一緒にお聞きしました。最後の31節に「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」とあります。
最初の頃の教会が信者の数を増やしていったという痛快なことが、ここには記されています。人数が増えただけではなく、基礎が固まり発展したとも言われています。ビルや高層マンションのように大規模な建物を建てる場合には、まずそれを支える丈夫でどっしりした土台を築くことから工事が始まります。あるいは、何事であれ基本が大切であると教えられます。まず基礎になる土台がなければ、その上には何も建てることはできないのですが、そういう点からすると、31節の言葉は少し不思議な思いにさせられる言葉です。既に誕生していたエルサレム教会で、「基礎が固まり発展した」と言われているからです。
「教会の基礎」とは一体何でしょうか。私たちが聖書をしっかり読み信仰を保つということが教会を栄えさせる基礎になるのでしょうか。そうではないでしょう。確かに、私たちにとって神を常に忘れずにいて、自分の深いところまで主イエスに支えられていると感じる、そういう信仰理解の深さが大事だということは分かります。しかし、誤解を恐れずに言えば、「教会を確かにするもの」、それは、私たち人間の主イエスに対する理解や信仰の深さということではありません。私たちの信仰は、自分の理解、思い、情熱を土台にしているのではないからです。そうではなくて、主イエス・キリストというお方が私たちのために十字架にかかり甦られ、そしていずれかの日にもう一度訪れてくださる、そういう神の御業に由来する希望こそが私たちの信仰を形作ります。
ですから、信仰の土台は、神がこの世界の上になさっている御業です。その土台は、私たちの信仰理解が進んだら大きく強くなるとか固まるというようなものではありません。私たちが神さまに熱心になったら土台が固まるということでもありません。土台は初めからあるのです。土台は土台であって、私たちの信仰理解は、その土台の上に建てられているのです。
使徒パウロは、コリント教会へ送った手紙の中で、「教会の土台」の話をしています。コリントの教会はパウロが伝道して建てた教会ですが、パウロはコリントの町で伝道した時に、熟練した建築士のように注意深く土台を置いたと語っています。コリントの信徒への手紙一3章10節11節に「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」とあります。土台は既に据えられていて、それは主イエスだとパウロは言います。一番最初に据えられた土台以外のものは、決して土台になり得ないのです。
それならば、今日の箇所で「教会の基礎が固まって発展した」ということは大変不思議な言い方をしているということになります。それで、この箇所の原文を当たってみました。驚いたことに、原文にはこの言葉はありませんでした。原文では、「こうして教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、信者の数が増えていった」とあります。「基礎が固まって発展した」という言葉は、新共同訳聖書が付け加えた言葉で、元々の聖書には無い言葉です。どうしてこうなっているのか、理由を考えてみましたが、恐らく、新共同訳聖書の前に使っていた口語訳聖書の影響だろうと思います。口語訳では「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った」です。口語訳でも「基礎がかたまり」と出てきます。けれども、この言葉は原文にはありませんから、どうしても教会の基礎が固まったのだと考えるなら、それは、「主イエス・キリストの御業という土台の上に乗って、キリストから与えられた平和のうちに教会が築き上げられていった」と読むのが良いと思います。
あるいは「主を畏れ」というのは、主が再びおいでになる時に、私たちがどういう生活をしているか、どのように生きているかということが全て明るみに出されて審判を受ける、そのことを恐れながら、しかしその一方で、裁きの時には聖霊が私たちの弁護者として主イエスの十字架と復活を証ししてくださるという慰めによって、教会が大きくなっていったと受け取るのが良いと思います。私たちの信仰は、主イエス・キリストという既に据えられた土台を抜きにしては決して成り立たないからです。
31節だけを読みますと、主イエスの十字架と復活という土台ではなく、どこか人間が神を恐れるとか、聖霊の慰めを受けることが土台であるかのように思ってしまうかもしれません。しかし、そうではないということを覚えたいと思います。
私たちの信仰は、決して一様ではないと思います。洗礼を受けてから今日まで、全く同じように淡々と神を信じているという人はいないでしょう。私たちの信仰、神、主イエスへの想いは絶えず動揺し、疑ったり弱ったり崩れたり、あるいは有頂天になってみたり強くなったりしますが、しかし、私たちが信仰を強めたり弱ったりしながら生きていくのは、私たちのそういう信仰が土台なのではなく、主イエスの土台の上に起こっていることなのです。主イエスという土台が、私たちの信仰生活を全て支えるものとして私たちの根底にある。そしてその上で、私たちは信仰生活を支えられているのですから、どんなに私たちが弱く脆くあやふやになっても、あるいは、傷ついたり崩折れたり倒れ伏すようなことがあるとしても、しかしそれでも私たちは、土台に支えられているのです。
土台に支えられているからこそ、私たちは信仰的に弱っていても、もう一度その上に自分の生活を築き上げていくことができるようにされているのです。
教会が一番最初の頃から世の中に対して「悔い改めよ」と呼びかけて今日まで来ていますが、「悔い改め」とは、自分の信仰のあり方が悪かったからと言って反省すること、あるいは自分は駄目だと言って自分を責めたりすることではなく、「この土台の上にこそ、自分を置いて生きていこう」と決心することです。そこで築いていく一人一人の信仰生活は、その人らしさがあっていろいろだと思いますが、私たちは自分らしい、時には自分の弱さも表しながら生きていく「それでも私は主イエスという土台の上に生きている。そういう者として歩んでいく」と決心することが、私たちにとっての悔い改めなのです。
キリストという土台の上に建てられた教会が、最初の頃にどのように持ち運ばれて行ったか、それが今日の箇所に語られています。キリストの土台の上に建てられたエルサレムの教会に、サウロという一人の人物が現れ、そしてまたエルサレムからサウロが兄弟姉妹に送り出されて別の土地へと出かけて行った、そういう話です。
ここに起こっている出来事を、上辺だけを見るならば、一人の人が教会を訪れ、また去って行ったということですが、その出来事の間にまことに麗しい信仰の交わりが与えられ、その交わりによって教会が力を与えられ、慰め、勇気を与えられて強められて行ったということが語られているのです。サウロとエルサレム教会に麗しい交わりの時があったことを伝えていますが、しかしこういう麗しい出来事は、サウロだけに起こるということではありません。キリスト者全てに当てはまります。私たちもそうです。
私たちは愛宕町教会という教会に招かれ一緒に信仰生活していますが、教会で歩んできた時間の長さや、教会との結びつきの濃淡という意味では、一人一人違うことでしょう。愛宕町教会は今年創立72年になりますが、その最初の頃から教会生活を続けてきて、もはや教会は自分の家、人生のように近しいと思っている方もおられる。あるいは、比較的最近、礼拝には来るようになったけれど、まだそれほど親しくは感じないという方、また今日初めて来たという方もおられるかもしれません。たとえどのような形で教会に関わるとしても、私たちは皆、教会の歴史の中でここに来て、やがて去って行く者です。私たちは終わりの時まで、永久に生き続けるわけではありません。去って行くという言葉は寂しいかもしれませんが、私たちは限りある人生の中で、主なる神との親しい交わりを与えられて生きるのです。主イエスを通して、神が私たちを真剣に持ち運んでくださっている、生きることを喜んでくださっている。この事実は、決して私たちから取り去られることはありません。地上の生涯でだけ、あるいは私たちが元気に教会に来ている時だけ、主イエスが私たちに伴ってくださるということではありません。私たちの生涯は、神が全てご覧になってくださる、そして地上の歩みを歩み終え別の場所に移される時にも、私たちは神に覚えられている一人一人なのです。
サウロがエルサレムの教会で深い交わりの時を持ち、貴重な経験をしたように、私たちも今、ここに、愛宕町教会に集うことで、礼拝をお捧げすることで、本当に大事な神との交わりを与えられ、「あなたはわたしのものである」という神の呼びかけを聞かされながら生きるようにされていることを覚えたいのです。
教会の交わりというものについて、この箇所から聞いていきたいと思います。サウロがエルサレム教会の扉を叩いた時、教会の人たちは警戒したと語られています。26節に「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた」とあります。無理もないことです。何故ならばサウロは、以前、エルサレムで大変手強い教会の迫害者だったからです。ステファノが石で打ち殺された時にも、サウロは石を投げつける人たちの上着の番をしていたと記されています。それはサウロがステファノを迫害する人たちの黒幕、司令塔だったことを表しています。ステファノが迫害を受けて殺され、教会も大迫害を受けて多くの兄弟姉妹が都を去らなければならなかった、あの時から今日の箇所まで、3年ほどの時が経っています。しかし、3年くらいでは、過去の忌まわしい記憶はなかなか風化しないでしょう。サウロは恐ろしいと皆、思ったことでしょう。
もし、サウロがそのまま教会から締め出されていたら、どうなったでしょうか。サウロは恐らく生きることができなかったと思います。何と言ってもサウロは、この時、同胞であり共にキリスト者を迫害したユダヤ人たちからは裏切り者だと思われていましたから、裏切り者の報いとして見せしめに殺されたかもしれません。ところが、大変不思議なことですが、神はサウロがエルサレムで孤立しないように、教会へと導く導き手を用意しておられました。ダマスコではアナニヤを、そしてこのエルサレムではバルナバです。
バルナバは、レビ族という血筋のはっきりしたユダヤ人で、ヘブライ語も話せましたので、エルサレムのユダヤ人たちからは、ヘブル語を話すユダヤ人だと思われていました。しかし実際には、バルナバはキプロス島の生まれで、ギリシャ語社会の中で育ってきた人でした。バルナバは、ヘブル語もギリシャ語も話すことができました。
エルサレムの中には、ギリシャ語しか話せないユダヤ人たちも割合多くいました。彼らは元々外国で生まれ育ち、生涯の終わり近くなって最後は神殿の近くでと思いエルサレムに移住してきた人たちだと言われます。高齢になってからですから、なかなかヘブル語になじめず、エルサレムの町では新参者と扱われ、あまり裕福ではなかったと言われていますが、殊に、貧しい人たちが多くいました。バルナバも元々ギリシャ語を話すユダヤ人ですから、そういう人たちがエルサレムで苦労していることに心を痛めていました。貧しく困難な生活をしている人たちにこそ、「あなたの本当の拠り所はこれです」と福音を伝えたかったのです。ところが、なかなか伝えることができませんでした。何故かというと、ギリシャ語で話しかけなければならなかったからですが、ギリシャ語を話すユダヤ人は、ステファノが殉教した時に教会を襲った大迫害のためにエルサレムから姿を消していました。
バルナバは、自分の仲間だと思っているギリシャ語を話すユダヤ人たちに福音を語ることができる働き手があたえられないかと、待っていました。そこにサウロがやって来たのです。サウロなら彼らに福音を語ってくれるのではないか。バルナバはサウロと会って、その人物を確認した上で、サウロの袖を引くようにして使徒ペトロたちへと案内して、サウロを紹介しました。バルナバが熱心に使徒たちにサウロを紹介したので、エルサレム教会でサウロは親しく使徒たちと交わりを持つようになりました。27節28節に「しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった」とあります。「連れて」とありますが、この言葉は、「手を引いた」という言葉です。
バルナバの紹介を受けた使徒ペトロたちは、サウロがキリスト者になったことを不思議に思いながら、どうしてキリスト者になったのかを尋ねました。サウロは、復活の主イエスに出会わされたこと、道の途中で主イエスに出会い主から語りかけられたことが信仰へのきっかけであり、ダマスコで精一杯に福音を語って来たことを語りました。それを聞いた使徒たちは、恐らく自分たちにも思い当たるところがあったでしょう。教会に集まっている弟子たちは、皆、自分から主イエスに従おうとして弟子になったのではないのです。教会になって行った弟子たちの群れというのは、主イエスの十字架の時点では、皆、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったのですから、そこには何もありませんでした。ではどうして、それが教会になって行ったかというと、それは、甦りの主イエスが弟子たち一人一人を訪ねてくださったからです。甦りの主イエスが「わたしはここに生きている。あなたがたも、わたしと一緒に生きるのだよ」と招いてくださったから、弟子たちは教会の群れへと招かれて行きました。
そういう意味では、サウロも同じでした。サウロも甦った主イエスに出会わされ、否応なく主イエスを伝える者になったのだというサウロの言葉を聞いた時に、使徒たちは、サウロの言葉を理解しました。
こうしてサウロは使徒たちと自由に行き来し、教会のメンバーとなり、かつてステファノが担っていたような働きをしたのだと言われています。ダマスコでと同じように大胆に福音を宣べ伝えました。特にステファノが心を向けていた、ギリシャ語を話す人たちのところにも出かけて行き、主の御業を語りきかせ、福音を信じるように招きました。29節に「また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もした」とあります。
けれども、このことは、かつてステファノが受けたような反発、サウロ自身がダマスコで受けたような反発を、もう一度受けることになったのです。「…議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた」とあります。25節からのところに、ダマスコでも命を狙われていたサウロを弟子たちが城壁づたいにつり降ろしてダマスコから脱出させたと語られていましたが、同じことがエルサレムでも起こりました。
それで、エルサレム教会の兄弟姉妹たちは、サウロが捕らえられる前に、エルサレムから別の場所へと逃がしたと語られています。カイサリアからタルソスへと逃れて行きました。そのような歩みの上で、教会が発展して行ったのだと、今日の箇所では語られています。31節をもう一度聞きます。「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」。教会が「平和のうちに歩んだ」と言われています。ある人たちはこれを、サウロがエルサレムを去ったからエルサレムに平和が戻ったのだと説明しますが、そうでしょうか。ここは注意して聞く必要があります。エルサレムの教会が平和になったと書いてあるのではありません。「教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち」とあります。当時はまだ、パウロの世界伝道は始まっていませんから、「ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方」というのは当時の全教会のことを言っていると思いますが、そのすべての教会が神との平和のもとを歩み、主をおそれ、聖霊に慰められ力づけられながら歩んでいたのです。ただサウロがエルサレム教会から去ったのでエルサレムが平和になったということではないのです。
むしろ、サウロのように復活の主イエスとの出会いを感謝と喜びをもって大胆に語るキリスト者の働きによって、エルサレムの教会は慰められ力づけられ、勇気を与えられて歩むようになり、そういう歩みがどこの土地でも起こるようになったのです。
教会はいつも、主イエス・キリストというお方を土台として、その福音の上に建てられて行きます。主イエスが私たちのために十字架にかかり、私たちがしばしば神を忘れてしまう罪を清算してくださっている。「あなたの信仰生活は弱く脆いものかもしれないが、あなたは十字架の土台の上に建てられているのだから、十字架を見上げ、そこからもう一度歩み出して良いのだよ」と、私たちは繰り返し繰り返し、教会の礼拝において聞かされ続けているはずです。「十字架で罪を赦され新しい命を生きて良いのだから、清められた者として生きてみよう」と、そう思い返して、私たちはそれぞれの生活へと赴いて行きます。まさに主イエスの福音に力を与えられて、歩んでいくのです。
サウロは、エルサレムの教会の兄弟姉妹に助けられ、命を守られて、生まれ故郷のタルソスへと逃れました。再びサウロが伝道の最前線へと呼び出されて、使徒パウロとなって伝道旅行を始めるのは、この時から14年ほど後のことです。その間にサウロは、キリキア地方で福音を伝え、伝道者として歩む訓練の時を過ごしていました。キリキアはユダヤ人の住んでいない所でしたから、全く主イエスを知らない人たちに、どのようにして主イエスを伝えたら良いのかと思いながら過ごしたサウロが、のちに世界伝道へと赴く伝道者パウロとなっていくのです。
私たちは、それぞれに、主イエスの土台の上に生きる者とされ、礼拝ごとに、もう一度ここから主イエスのものとして生きて良いと知らされながら歩んでいます。私たちは、ここから歩んでいく生活の中で、家族や友人、近しい人たちに、主イエスを告げ知らせる役割と務めを与えられて生かされています。私たちは、近しい人たちとの交わりの際に、「この人も、主イエスの十字架と復活の御業に支えられて生きるなら、どんなに素晴らしいことだろう」と思いつつも、なかなか上手く伝えることができず、残念な思いをしているということがあるかもしれません。それは、伝道が上手くいっていないように見えるかもしれませんが、しかし実は、そういう中でも、神の教会は着実に成長しているのです。私たちが近しい人たちに主イエスを上手く伝えられないとしても、それで教会の土台が損なわれることはありません。主イエスの十字架と復活の出来事は、私たちの信仰が揺らいだり、上手く伝えられなかったりしたからといって、無かったことになることはありません。私たちは何度でも、もう一度ここに帰って来ることができますし、他の人が帰って来ることができる場を、主イエスが既に用意してくださっています。そういう中で、私たちが主イエスによって新しい命に生かされている、救われた生活に生かされていることを知って、自分なりに精一杯生きてみようとしているならば、それは、目の前の結果によらず、教会が成長しているという姿だろうと思います。
パウロが世界伝道を始めるのは14年先ですが、しかしもう既にその取り組みが始まっています。私たちが今日、それぞれの生活の中で、主イエスによって支えられていることを感謝して生きていく、その生活こそが、まさに、時を得れば大きな結果につながっていく萌芽なのです。
サウロはやがてパウロになり、最初はアジア州に伝道したのち、今度は献金を携えて、再びエルサレムに戻ってきます。エルサレムから姿を消したように見えたサウロでしたが、再び戻って来るのです。そしてまた、そこから出て行って二度目の伝道旅行ではヨーロッパにも教会を建て、そこからも献金を携えてきます。やがてパウロはローマへ行き、使徒言行録の記事はそこで終わっていますが、そこで教会の伝道が頓挫したのかというと、そんなことはありません。さらに福音は世界中に持ち運ばれ、とうとうアフリカへ、アメリカへ、そして日本にも福音が宣べ伝えられ、私たちがここで礼拝する者とされているのです。
私たちは、この時代にも主イエスの十字架の土台の上に、発展し続ける教会の群れとしてここに集められているのです。私たち一人一人の生活が、教会が発展していく、生きている現場となるのです。私たちは、自分に与えられている一日一日の生活が、神に喜ばれ、生かされていることを感謝しながら過ごしていく時であることを覚えたいと思います。
教会が主をおそれ、聖霊の力に励まされながら成長して行ったと語られています。私たちの生活は、主イエスがいつも見ていてくださり、主イエスがいつも励ましてくださり、「命を生きて良いのだよ」と呼びかけてくださる中に置かれていることを覚えたいと思います。
決して、自分のことを立派だとは思えないとしても、そんなことはないのです。主イエスが私たちの信仰生活を喜んでご覧になっていて、「あなたがここで生きることが、教会の発展の一つの場面なのだよ」と語ってくださることを覚えたいと思います。
私たちも、主イエスがいつも共にいてくださる、何よりも主イエスの十字架によって罪を取り除かれ、新しい命を生かされていることを覚えて、愛する次の人たちへと、福音を手渡す者とされたいと願います。そのようにして、神との平和のうちに置かれている者として歩んでいけるように、私たちも祈りたいと思います。 |