聖書のみことば
2017年4月
4月2日 4月9日 4月16日 4月23日 4月30日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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4月9日主日礼拝音声

 主イエスの葬り
2017年 棕櫚の主日礼拝 2017年4月9日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/マルコによる福音書 第15章42節〜47節

15章<42節>既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、<43節>アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。<44節>ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。<45節>そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。<46節>ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。<47節>マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。

 ただ今、マルコによる福音書15章42節から47節までをご一緒にお聞きしました。主イエスの十字架の上での壮絶な死と3日目の復活の間に、主イエスの埋葬のことが語られています。
 普通は誰であっても、地上の生活を終えたらお墓に入るのが当たり前のことだと思う方がいらっしゃるかもしれません。しかし、ここに語られている主イエスの埋葬は、決して普通に起こった出来事ではありません。もしこれがごく普通の葬りであったならば、主イエスは母マリアや弟たち、妹たち、あるいは主イエスの身近に親しく暮らしていた弟子たちの手によって葬られていたはずです。しかし、今日私たちが聞かされている聖書の箇所には、そういう主イエスに近しい人々は誰も登場していません。

 主イエスをお墓に葬ったのは、アリマタヤのヨセフという人物でした。43節に「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフ」と紹介されています。このアリマタヤのヨセフは、マタイによる福音書では弟子の一人であると言われていますし、ヨハネによる福音書では、弟子だったけれども議員であったため最高法院の同僚たちに気兼ねして弟子であることを隠していたと説明される人物です。そう言われていますので、いつの間にか私たちは「ヨセフはどこかで機会を得て、主イエスの弟子になったのだろう」と考えていますが、4つの福音書の中で一番最初に書かれたこのマルコによる福音書を読んでいますと、少し違ったことが語られていることに気付かされます。ヨセフは確かに主イエスの弟子になったのかもしれません。しかしそれは、元々そうだったということではなく「主イエスの亡骸を自分のお墓に葬った」ことがきっかけになって、後から主イエスを救い主と信じるようになったのかもしれない、そんなことが感じられるのです。

 43節に「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである」と言われています。ヨセフが勇気を出してピラトにイエスの遺体を渡してくれるようにと願い出たのは、ヨセフが主イエスの弟子だったからだとは言われていません。そうではなく、「この人も神の国を待ち望んでいた」からだと言われています。
 「神の国を待ち望む正しい人」というのは、主イエスの弟子とは限りません。「神の救いを待ち望んでいた敬虔な人たち」ということです。ですから、ユダヤ人の中でも、例えばファリサイ派の人たちのように自分の行いは大変立派だとひけらかす人たちではなく、「神の御国、神の御支配が現れ、神に従う生活ができるようにと無垢に願い求める人たち」がいて、それが「神の国の訪れを待っている人」です。アリマタヤのヨセフは、神の御心にまっすぐ従おうと願っていて、神の御心のままに全てが行われるようにと考える人でした。そして、そうであったからこそ、ヨセフは律法の戒めに忠実であろうとして、どうしても主イエスが亡くなったその日のうちに主イエスの遺体を渡してくれるようにとピラトに願い出たのです。というのは、旧約聖書の律法では「死体を木に架けたまま日を跨いではいけない」と定められていたからです。
 主イエスの埋葬の記事を聞くときには必ず引用される申命記の言葉があります。申命記21章22節23節に「ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた者は、神に呪われたものだからである。あなたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない」という戒めがあります。木に架けられて処刑された人は神に呪われた者だから一刻も早く木から取り降ろさなければならない。それに加えて、主イエスが亡くなったのは金曜日の午後3時です。ユダヤでは日没と共に新しい日が始まると考えますから、午後3時では日没まで殆ど間がないのです。金曜の次の日は土曜日ですが、土曜日は安息日で何の仕事もしてはいけない日ですから、土曜日が始まってしまったら何も出来ません。ですからヨセフは、律法に従って金曜日のうちに行わなければならないと考え、ピラトに談判したのです。主イエスの埋葬をヨセフが行ったのは、ヨセフが主イエスの隠れた弟子だったという理由ではなく、ヨセフが神の御支配に従う生活を送りたいと考える敬虔な人物だったからだということが、このマルコによる福音書から聞こえてきます。

 主イエスの葬りは、普通であれば当然、その責任を果たすべきなのは、一番近くで過ごしていた弟子たちであり、主イエスの家族である母マリアや兄弟姉妹であるはずでしたが、ここを読みますとヨセフが万事を仕切ったのであり、本来葬るべき立場にある人たちは誰一人関わらなかったのだと言われています。それまで弟子としての関わりを持って来なかったヨセフがこの葬りの全てを引き受けたということは、不思議なことと言わざるを得ません。
 誰の葬儀でもそうだろうと思いますが、葬りの式、埋葬というものは、ある人が地上の人生を歩み終えて息を引き取った時に、その人と生前親しく交わりを持っていてたくさんの恩恵を受けた、愛を注いでもらったと感じる人たちが、その人への愛情や敬意、あるいは感謝を表す機会としてあると思います。ですから葬儀の時には、その人に対する周りの人たちの気持ち、感謝や尊敬の念というものが現れてくるものなのです。ところが、主イエスの葬儀の場合には、そのような個人的な愛惜の思いや感謝の思いを持って埋葬に関わった人はいなかったと言われています。
 ヨセフは最高法院の議員であり、マタイによる福音書によると金持ちだったと言われていますから、ピラトから遺体を下げ渡してもらった後、ヨセフは僕に高価な亜麻布を買いに行かせ、亜麻布で主イエスを包んで、ヨセフ自身が入る予定だった墓だと言われていますが、真新しい誰も入ったことのない墓に主イエスのご遺体を埋葬します。十字架によって処刑された犯罪人にしては大変立派なお墓に入れられたということになります。けれども、それは確かに見た目の新しさや立派さはあったかもしれませんが、本当には、地上を終えた人に対する心のこもった葬りの形になっているのだろうかということは考えさせられるところです。もちろん、ヨセフが心を込めなかったということはないと思います。ヨセフはヨセフなりに精一杯に心を込めて葬りをしたと言えるでしょう。けれども、本当に主イエスへの感謝を表して葬りの業を行うべき人が行ったのだろうかという点には、大きな疑問が残ると思います。

 主イエスの葬りに家族も弟子たちも関わっていないということから、お節介な詮索をする人がいます。「主イエスの葬りに対しては、主イエスに最後の愛情を表して、感謝の思いを持って駆けつけるべき人が誰も来なかった。主イエスに癒していただいたり、悪霊を追い出していただいたり、神の国の道理を教えられて慰められたり勇気付けられたりした人たちは、たくさんいたに違いないのだから、そういう人たちは当然、主イエスへの感謝を表すために埋葬の場にやって来てしかるべきだった。ところが、誰もそういう人がいなかった。ということは、結局のところ、主イエスの地上における3年余りの伝道者としての生涯とは、見事に失敗したということになるのではないか」と言うのです。主イエスは3年もの間、弟子たちを御側近くに置いて、神の御国の御支配を噛んで含めるように伝えて、そしてまた弟子たちの見ている前で、主イエス自らが病んでいる人や苦しんでいる人たちに愛情を注いで様々な癒しの業をしてくださいました。ところが、そのようにして主イエスが言葉と行いで教えようとした深い真理は、「結局のところ、あまりにも深淵すぎて弟子たちには分からなかったのではないか」と言っています。「友のために命を捨てること、これにまさる大きな愛はない」と教えられた主イエスの言葉を、弟子たちは、深い感銘を受けて聞きました。そして、弟子たちもまた、「イエスさま、あなたのためならば命を捨てる覚悟はできています。たとえご一緒に十字架につかなければならないとしても、私たちはあなたのことを知らないとは申しません」と、威勢のよいことは言いました。ところが、このように弟子たちが感動したり言ったりしたことは、「実は上辺だけのことであって、本当のところ、弟子たちは何も分かっていなかった。そういうことが、この葬りの時になって現れているのではないか。自分に被害が及んで来ない、自分の身が安全な間は何とでも思ったり言ったりできるが、いざ事が自分の身に及んでくるとなると、弟子たちは皆、我が身可愛さが先立ってしまい、逃げ散ってしまった結果、埋葬には誰もやって来なかったのではないか」と言っています。
 こう考えますと、弟子たちに裏切られ見放されて孤独に十字架に架かられた主イエスは、罵り声や嘲り声の中で、ただ一人、十字架にお架かりになったのですが、実は、あの孤独は十字架の上だけのことではなく、埋葬の時にまで及んでいたのだと言えそうです。
 弟子たちが深い愛惜の念と追憶の念をもって心から主イエスを葬ったというのではなく、いかにもユダヤ人的な敬虔さ、ユダヤ人的な清潔さを大事に考えるヨセフが、「私たちは神の御心に従って生活しなければならないのだから、金曜日のうちに葬らなければならない」と考えて、主イエスを葬りました。律法に照らせば、これはいかにも正しい行いです。けれども、人間的な情という点ではどうなのかと、このように取り沙汰する人もいるのです。

 もう一度確認したいのですが、アリマタヤのヨセフという人は、本当に弟子ではなかったのでしょうか。弟子だったと書いてある福音書もありますから、どうしても考えざるを得ません。マタイやヨハネの福音書には弟子だと書いてあるのです。ヨセフが弟子でなかったら、どうして自分のために掘った新しいお墓を主イエスのために提供するでしょうか。ヨハネがそうしたのは、主イエスへの敬愛の念があったからだと考える方もいることでしょう。けれども、一番古いこのマルコによる福音書には、弟子ではなく「神の国を待ち望んでいた敬虔な人」だと紹介されています。
 そしてまた、使徒言行録の記事を読んでいますと、初代教会では「主イエスをお墓に葬ったのは弟子たちではなく、エルサレムの人たちだ」と言っている箇所があるのです。使徒言行録13章28節29節に「そして、死に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました」とあります。主イエスを木から降ろして葬った人たちがいることが記されています。この人たちは誰かと言いますと、27節に「エルサレムに住む人々やその指導者たちは、」と出てきます。主イエスを木から降ろして葬った人たちはエルサレムに住んでいた人たちだったと、初代教会の中では言われていたのです。例えば、アリマタヤのヨセフが、隠していたけれども弟子の一人であったのなら、このような書き方にはならなかったでしょう。「私たちの仲間の一人が葬りました」と書いたはずです。
 ですから、アリマタヤのヨセフは後には主イエスの弟子になったかもしれませんが、少なくとも、主イエスの埋葬の時点では弟子の一人ではなく、エルサレムに住んでいた敬虔なユダヤ人の一人ということになるのです。また、主イエスの弟子たちは皆、ガリラヤから主イエスに従って来ましたから、その点でも、エルサレムの議員であったアリマタヤのヨセフは違っています。使徒言行録を読む限りにおいては、アリマタヤのヨセフは埋葬の時点では弟子ではなかったと想像できるのです。

 では、なぜヨセフが自分の真新しい墓に主イエスを葬ったのかということになります。これも実は、ヨセフの大変な敬虔さの表れとして理解することができます。私たちにとっては驚きかもしれませんが、この時代には、聖書の言葉が実現すると信じていた人たちは、死んだ人が罪のない清らかな人の骨に触れたら生き返るかもしれないと考えていました。旧約聖書の列王記下13章20節21節に、預言者エリシャの骨に触れた人が生き返ったと記されています。「エリシャは死んで葬られた。その後、モアブの部隊が毎年この地に侵入して来た。人々がある人を葬ろうとしていたとき、その部隊を見たので、彼をエリシャの墓に投げ込んで立ち去った。その人はエリシャの骨に触れると生き返り、自分の足で立ち上がった」とあります。
 こういう記事は、今日の私たちには受け入れにくいものですが、しかし、聖書に書かれていることは本当に起こり得ると考える人は、こういうことが起こったとすれば、あの十字架で処刑された主イエスも、もし間違って誰かの骨があるところに葬られてしまったなら、その人が正しい人だった場合には生き返ってしまうかもしれない、と考えたのです。ヨセフはまだこの時点では主イエスの弟子ではありませんから、「生き返ったら大変だ」と思っています。ですから、間違いなく人の骨の触れない、そういう場所に葬らなければならなかったのです。普通お墓には骨が入っていますから、骨に触れない墓と言えば、誰も納めたことのない新しいお墓ということになります。そして、ヨセフは新しいお墓を持っていました。また、安息日が迫っていましたから、「急場凌ぎであっても、とにかく納めなければならない」という思いで埋葬したのかもしれません。

 ヨセフのお墓が急場凌ぎの場所だったかどうかは、今日ではもう調べることができません。なぜかと言えば、仮であろうとなかろうと、安息日が終わった次の週には主イエスは復活なさって、そのお墓は空になってしまったからです。ヨセフのお墓は「主イエスの甦りが起こった特別なお墓」とされました。そして、主イエスの復活の出来事が宣べ伝えられるところでは、どこでも、「それは、あのアリマタヤのヨセフのお墓で起こったのだ」と語り伝えられます。
 主イエスは確かに、十字架上で亡くなられました。「埋葬」は、主イエスが確かに亡くなって、その遺体がまるで物のように持ち運ばれてお墓に納められたのだということが強調される言い方になっています。
 ヨセフが主イエスの亡骸を引き渡して欲しいと勇気を出してピラトに願い出た時に、ピラトはそのことを大変不思議に思って、百人隊長に問い合わせたことが記されています。44節45節に「ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した」とあります。
 ピラトが遺体の引き渡しの願いを受けた時に不思議に思ったのは、当然のことでした。それは、普通の十字架刑は、こんなに早く亡くなるものではないからです。十字架に磔にされた人は、普通ですと数日間苦しんで、やがて体力が失われて息を引き取りますから、それまでの間ずっと十字架上で晒し者になるのです。ところが、主イエスの場合には朝の9時に磔にされ午後3時には息を引き取られました。たった6時間で主イエスは亡くなりました。ピラトに呼びつけられている百人隊長は、それほどまでに速やかな主イエスの死の出来事を見て「これは本当に神の出来事だ」と感じるのです。9節に「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」とあります。死の出来事というのは、どんな死であっても痛ましいことに違いありませんが、しかし、主イエスの場合、その死の苦しみが何日にもわたる酷いものではなく大変速やかに訪れたこと、また最後の時には「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫び息を引き取られた様子を見ていて、この百人隊長は「本当に、この人は神の子だった」と言いました。その百人隊長がピラトに呼ばれて「本当に死んだのか」と尋ねられているのです。そして、百人隊長が「確かに見届けました」と答えたので、遺体はヨセフに引き渡されました。
 主イエスが間違いなく死んだということは、百人隊長が確認したという言い方になっています。そして、確かに亡くなった遺体を、ヨセフは亜麻布に包み、決して他のものに触れないようにして自分の新しい墓に納めたということが、大変シンプルに語られています。それがこのマルコによる福音書に記された出来事なのです。

 主イエスの埋葬とは、見る人によっては「失敗した伝道者の埋葬」と言われても仕方ない出来事なのだと思います。御側近くにいた弟子たちは来ない。敬虔なユダヤ人であるヨセフは手早く事務的にお墓に納めなければならないと考える。そういう仕方で、主イエスはヨセフのお墓に納められました。
 ところが、人間的には非常に冷酷で惨めに見える、この葬りに、神が意味を与えてくださいます。私たちは礼拝の中で、いつも使徒信条を告白します。使徒信条を唱和して信仰を言い表している中で、主イエスの死のところでは「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」と続いていきます。
 「葬られ」というのは、この埋葬のことです。「死にて葬られ」、それは実は「陰府にくだるための埋葬」だと言われています。「陰府」というのは、神からも人間からも見捨てられた奈落の底と言ってよいような場所です。主イエスは、裏切られ見捨てられ、十字架上で孤独な死を迎えただけではありませんでした。「死にて葬られ」というところまで、陰府に向かって葬られているのです。葬りにおいても完全に見捨てられて、見放された者としての葬りを受けておられるのです。ですからこれは「陰府に至るまでの葬り」だったのです。
 ところが、人間的に見るといかにも限りなく孤独で絶望的に思える、その葬りの出来事が、神の御業の中では真の慰めを持ち運ぶ希望の出来事に変えられて行きます。本当に思いもよらないことですが、三日の後の朝に、イースターの出来事が起こります。その日には、金曜日の夕方遅くあたふたと行われた深い孤独な葬りが、実は本当に配慮に満ちた神のなさりようの一部だったのだということが明らかになるのです。
 主イエスは、喘いでいる孤独な魂を復活の光の中に引っ張り上げようとして、陰府にまで落とされました。そのために、見捨てられた者、相手にされない者としての葬られ方をなさっているのです。

 そういう中で、ヨセフはヨセフなりには精一杯にその葬りに仕えています。恐らくヨセフは葬りをしながら、「本当は自分がするべきではない」と思っていたかもしれません。けれども、本来行うべき人たちが現れませんから、ユダヤ的な敬虔さの感覚から言って、とても安息日に木の上に遺体を架けたままになどしておけませんから、ヨセフとしては止むを得ず、主イエスに対してさしたる感情もないけれども、神に対する忠実さのゆえに事を行うのです。
 ところが、そういうヨセフが、主イエスの甦りが起こった時に、その名を覚えられるようになりました。もし主イエスの復活がなかったら、ヨセフが主イエスを葬ったなどということは誰も覚えていないで忘れられたことでしょう。ところが、ヨセフのお墓が甦りの場になったために、ヨセフもまた、お墓と共に名を覚えられるようになったのです。
 こういうことは、まるで、主イエスの体に高価な香油を注いだベタニアの女性のようだと感じます。主イエスが十字架に架かる少し前、ベタニアで食事をなさっていた時、一人の女性が主イエスのもとに近づいてきて、売れば300デナリオンにもなる高価な香油を、壺を叩き割って全部、主イエスに注いでしまうということがありました。その時に、この女性は、弟子たちから責められました。「何と考えなしのことをしたのか。これは大変高価なものなのだから、売ればもっと別の使い方ができたはずだ」と言って、弟子たちは怒りました。けれどもその時、主イエスは言われました。マルコによる福音書14章8節9節に「この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」とあります。
 主イエスは、この女性の行いをご自身の御業に結びつけて、そしてその上、記念として覚えられるのだと言ってくださいました。同じように、アリマタヤのヨセフの行いも主イエスの救いの御業の中に用いられ、ヨセフの行った埋葬も主イエスの死と甦りの記念として語り伝えられるようになっていくのです。

 私たちが今日聴いている主イエスの埋葬の記事というのは、本当に不思議です。ヨセフはまさか、自分がそんなふうになるとは思っていなかったと思います。ただ神の前に忠実でなければならない。だからそのためには、木から遺体を取り下ろし、納める場所がないので取り敢えず自分のお墓に納めた。それだけのことだっただろうと思います。ところが、それらが全部、神に用いられてしまいました。そして、自分ために掘ったつもりのお墓が、いつの間にか「主イエスの復活のためのお墓」にされてしまうのです。主イエスを信じる人たちが後から後から「ここは本当に、主イエスのお墓ですか。本当に空ですか」と言って、ヨセフのところにやって来ます。ヨセフはそういう有様を見せられて、「本当に復活が起こったのだ。わたしは、その御業をなさった神に用いられたのだ」と、後から信じるようになったということは有り得るだろうと思います。

 今日の葬りの記事を聞いていて、翻って、私たち自身はどうなのかと考えさせられます。私たちの日々の生活とは、一体どういうものなのでしょうか。あまり目立たない平凡な生活を私たちはそれぞれに過ごしているかもしれません。毎日、自分なりには一生懸命生きていますが、しかし、一生懸命生きて過ごしてみても、あまり見るべきものはなく、後には何も残らない、骨折りばかりが多くてそれに見合うものが感じられないと思うかもしれません。
 ところが、主イエスが私たちを、私たちの生活をご自身に結びつけてくださる時に、私たちの生活はそれぞれに特別な意味を持つように変えられていくのです。私たちが毎日過ごしている何気ない日常が、そこで主イエスが働いてくださり、救いの御業をなさってくださり、私たちが主イエスによって生かされていることの証しを立てていく場へと変えられていくのです。
 誰かに寄り添おうとしているけれどもなかなか思うように寄り添えない、相手も自分の願った通りに行動してくれない、上手くいかなくて骨折りばかりで実りが少ないように思える、そういう生活を私たちは過ごすかもしれません。本当に自分はだめだ、能力がなくて残念だと思いながら暮らすかもしれません。けれどもそういう生活も、実は、「主イエスが伴ってくださる生活なのだ」と語りかけられているのです。

 ヨセフの埋葬は、もしそれだけで終わっていたならば、語る必要のない出来事として終わってしまったと思います。ただ神の前に忠実であろうとして行ったこととして終わってしまったかもしれないことが、しかし、神の御業に用いられて、命がそこに宿っている徴とされ記念とされたのだと、聖書は語ります。
 主イエスが十字架の上で亡くなられる。嘲られ孤独に亡くなられる。そしてまた、誰も慕ってくれる者がいないままに寂しく埋葬されていく。そのことが、しかし復活の光の中に照らされてみると、真に強い希望と慰めを示す出来事なのです。どうしてでしょうか。それは、どんなに孤独であっても、どんなに惨めであっても、どんなに報われないと思っていても、なおそこで「神が始まりを与え、永遠の命を置いてくださるのだ」ということを表すことができるからです。

 主イエスが亡くなり、たくさんの弟子たちに見守られて惜しまれながら人間的な暖かい思いで葬られた、そういう死であったら、その人が覚えられていることは、誰もが納得することです。けれども、私たち自身は、もしかするとそうではないかもしれません。私たちは様々な欠けを負い、孤独な思いを持ちながら生きていかなければならないかもしれません。けれども、私たちがそのように生きて、たとえ自分が陰府にくだることがあるとしても、主イエスはそこにまで間違いなくやってきてくださるのだということを、主イエスの葬りの出来事は私たちに教えてくれています。
 私たちは、自分自身が生きるようにと与えられているそれぞれの生活を、主イエスの甦りの光に照らされている場、そして「ここでも生きてよいのだ」と言われている、そういう生活の場として歩んでいくことが許されています。私たちの生活は、「主イエスの甦りの光に照らされている。主イエスの恵みのもとに置かれている」ことを覚えたいのです。
 甦りの主イエスが命の光で私たちの日々を照らしてくださいます。そして、そうであるからこそ、私たちは、今自分に与えられている今日の生活をここで精一杯歩む者とされたいと願います。

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