聖書のみことば
2017年3月
  3月5日 3月12日 3月19日 3月26日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

「聖書のみことば一覧表」はこちら

■音声でお聞きになる方は

3月26日主日礼拝音声

 十字架
2017年3月第4主日礼拝 2017年3月26日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)
聖書/マルコによる福音書 第15章21節〜32節

15章<21節>そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。<22節>そして、イエスをゴルゴタという所―その意味は「されこうべの場所」―に連れて行った。<23節>没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。<24節>それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。<25節>イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。<26節>罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。<27節>また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。<28節>こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。<29節>そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、<30節>十字架から降りて自分を救ってみろ。」<31節>同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。<32節>メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。

 ただ今、マルコによる福音書15章21節から32節までをご一緒にお聞きしました。この直前の20節に「このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した」とあります。「十字架につけるために外へ引き出した」というのは、大祭司の家を出たというだけではなく、エルサレムの町を出て行ったということです。ゴルゴタの丘の処刑場というのは、町の外に作られていました。主イエスはいよいよ十字架に向かっていく最後の道を歩き始められました。

 思えば主イエスは、このような時がやがて訪れることを、かねてから繰り返して弟子たちに教えておられました。十字架のことを最初にはっきり教えられたのは、フィリポカイサリアに向かう途上で、弟子たちが主イエスのことを「あなたこそ、救い主メシアです」と告白した直後のことでした。マルコによる福音書8章31節に「それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた」とあります。「教え始められた」とありますから、ここで初めて主イエスが十字架と復活のことを明かされたのです。そしてまたそれは一回限りではなく、この後何度も弟子たちに教えられたということです。マルコ福音書だけでも、この後2回、同じようなことを教えておられる場面があります。私たちは、聖書に3回書いてあるので「3度教えられた」と単純に考えますが、聖書に記録されていないやり取りもあったはずですから、主イエスは何度も何度も「十字架に架かる」ことを教えられたと思います。しかし、聖書に書かれていることからしますと、主イエスが十字架を教えようとなさった時に、弟子たちはその意味を理解できなかったとか、怖くてその意味を尋ねることができなかったと語られています。主イエスは何とかして、弟子たちに「十字架のこと」を伝えようとされましたが、弟子たちは理解しませんでした。それでも、主イエスが繰り返し教えてこられたということはどういうことでしょうか。主イエスが地上のご生涯の中で「最後に辿り着くのはこの場所なのだ」と決心しておられたということです。まさしく主イエスはここを、十字架を目指して地上の生活を歩まれた、その最終盤の場面にさしかかっているのです。主イエスが弟子たちと共に生活し、共に寄り添って歩みながら伝えようとなさったこと、教えようとなさったことが、今日のところで実現していきます。では、ここでは一体何が起こっているのでしょうか。今日のところで起こっている出来事を注意深く聞きたいと思います。

 ローマ兵舎から引き出されて十字架に向かう道に立たされた主イエスは、この時、ご自身が磔にされるための十字架の横木を担がされていました。絵画には縦横ある十字架を主イエスが背負っている図柄もありますが、実は、人間が体重を全部かけて倒れないほどの縦の柱というのは、担いで歩けるようなものではありません。縦の柱は既に、ゴルゴタの丘に電柱のように立っているのです。囚人たちが担いで歩かされるのは、見せしめの意味もありますが、横木だけです。とはいえ、人間が両手を伸ばして釘で打ち付けられるだけの長さがあり、また人の重みで折れないような太い丸太ですから50〜60キロはある、そういうものを主イエスは担がされていました。
 しかし主イエスはこの時、直前に激しく鞭打ちの刑の拷問を受けていましたから、ゴルゴタの丘まで横木を担いでいく体力はもはや残っていませんでした。主イエスは木の重さに耐えかねて、よろめき押しひしがれて倒れてしまいます。ローマ兵たちは、囚人の足取りが進まないことに苛立ちます。そして遂に、通りすがりの、何の関わりもない人物を槍で脅して、有無を言わせず「主イエスの十字架を担がせる」ということをしました。そんな目に遭ったのが「キレネ人シモン」という人だったと言われています。21節に「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」とあります。シモンにしてみれば大変迷惑な話です。
 シモンはもともと主イエスの弟子ではありませんでした。たまたま通りがかっただけで、見知らぬ人の十字架を「一緒に背負って歩け」と、ローマ兵に槍で脅されたということです。全く理不尽な話で「どうしてこんな目に遭わなければならないのか」と、運命を呪ったかもしれません。反発の気持ちはあっても槍で脅されていますし、家には妻も子供たちもいます。こんな所で命を落とすわけにはいきません。いやいやながら、主イエスの十字架の横木を背負ったのでしょう。大勢の見物人の前で、まるで自分が犯罪者の一人のように十字架を背負わされたシモンが、主イエスと一本の木を担ぎました。主イエスが先を歩き、シモンはその後から付いていきます。恐らくゴルゴタの丘に辿り着いた時には、シモンは大急ぎで立ち去ったに違いありません。こんなことに関わりはないという顔をしたかったことでしょう。ところが、シモンにとって、この日の経験は忘れることのできない出来事となりました。「一体あの弱り切った囚人は何者だったのか」という疑問が、シモンの頭から離れません。どうしてあの囚人は十字架に磔にされて死んでいったのだろうかと。それはまさに、この囚人の処刑方法が十字架という仕方だからです。
 私たちは主イエスが十字架に架けられて殺されたと知っていますから、当時よくあった処刑方法だろうとつい思っていますが、実はそうではありません。十字架刑は、普通の犯罪人の処刑には用いられないのです。では、どういう人が十字架刑を受けるのでしょうか。それは、奴隷が主人から逃亡し捕らえられて死を与えられる時、あるいは、ローマ帝国に反逆を企んだ政治犯が失敗して捕らえられ殺される時、どちらも「見せしめ」という性格があって十字架刑という方法が取られました。蛇足ではありますが、十字架の元々の歴史はローマにあるのではありません。主イエスの時代から遡ること200年、地中海の都市国家として繁栄していたカルタゴとローマが戦いました。ポエニ戦争です。その時にローマ人は、カルタゴの酷くむごたらしい処刑方法を見て戦慄します。それが十字架でした。縛り首、車轢き、それらの死は一瞬で終わります。剣の死であっても、せいぜい数分の悶絶で生き絶えるでしょう。ところが十字架は違います。囚人を裸にして高い木に晒し、血が流れ喉が乾いて疲れ果て、命が絶えるまで放置するのです。十字架上ではどうすることもできませんから、虫にたかられても払えず、鳥に肉を啄ばまれることさえあります。3日も4日もかけて、次第に衰弱して絶命していくのが十字架刑です。ローマは、そういう本当に恐ろしい処刑方法を、戦争を通して敵国から学びました。そして、それは仲間にはしませんが、奴隷や自分たちの反逆者に対して死を与える時に用いたのです。

 さて、シモンが十字架の横木を担がされた囚人、「あれは奴隷だったのか、ローマへの反逆者だったのか」、どちらかだったことになります。ところが、シモンにとっては腑に落ちません。どうしてでしょうか。あの囚人の罪状書きには「ユダヤ人の王」と書かれていました。「ユダヤ人の王」と書かれているからには、奴隷であるはずがありません。では、ローマへの反逆者、過激派の分子だということになります。けれども、過激派の分子が志し半ばで捕らえられ処刑されていくのであれば、自分の論理を死に至るまで主張し続けるはずです。ローマに対して悪態をつきながら最後まで戦って死ぬ、そういう姿を見せることこそが反逆者の死に方であり、また隠れている同志に勇気を与えることになるはずです。ですから、そうであるとすると、あんなに静かに黙って十字架に磔にされているはずはない。シモンにはどうにも、あの人物がなぜ十字架に架けられていたのだろうか、どういう素性の人なのか、気になって仕方なくなったのです。そして、キレネ人シモンにとっては、それが信仰への入り口になりました。
 ここには、どのようにしてシモンが主イエスのことを知ろうとしたか、詳しいことは書かれていませんが、しかし21節には大変面白いことが書いてあります。「アレクサンドロとルフォスとの父でシモン」と書かれています。このように名前が出てくるということは、シモンも、またアレクサンドロとルフォスという二人の息子も、初代教会において名前がよく知られていたということになります。たまたま通りすがりの人が主イエスの十字架の横木を背負った、そしてそのまま何の関わりもなくなってしまえば、その人の名を記す必要はありませんし、ましてやその息子の名を記す必要は全くありません。ところが、ここにその名前が出てくるということはどういうことでしょうか。それは本当に不思議なことですが、こういう仕方で、後にこの3人が主イエスを信じるようになって洗礼を受け、教会の群れに連なるようになったということです。1世紀の終わり頃、この福音書が書かれた時代の教会では、「主イエスが十字架に架けられた時に、あの十字架の横木を背負ったことで信仰を与えられ教会に連なったシモン、そしてそのシモンの2人の息子たち」と名が知られていたために、ここに「アレクサンドロとルフォスとの父でシモン」と記されているのです。
 また、ここには出ていませんが、シモンの妻も洗礼を受けたようです。シモンの妻と弟息子のルフォスは、ローマの信徒への手紙の中に名前が出てくることで知られています。ローマの信徒への手紙16章13節に「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです」とあります。「主に結ばれている選ばれた者ルフォス」という言い方は、ルフォスの父であるシモンが主イエスの十字架を担いだために、初代教会の中で特に有名になり、その子供としてルフォスも知られていたことを表しています。主イエスと特別な関係のある人だということです。そして、その母がパウロにとっても母なのだと言われています。もちろん肉親の母ということではなく、恐らく、パウロがエルサレムかアンティオキアで、ルフォスの母つまりシモンの妻に大変お世話になった、親しい間柄だったのです。

 21節は、実は、「シモンが十字架を担がされた。その結果、信仰に導き入れられた」ということを告げております。このことは、ここにいる私たち自身、一人一人が信仰に導き入れられた発端のことを考えさせられる出来事でもあります。ここで分かるように、シモンはもともと、自分から主イエスを求めていたわけではありません。ただたまたま、主イエスがゴルゴタに引き立てられていたその時刻に、その場所を通りがかっただけの行きずりの人でした。ところが、思いもよらない仕方で主イエスの十字架を担ぎ、主イエスを信じる者に変えられていきました。シモンの信仰の入り口はそうでした。考えてみますと、ここにいる私たちも同じではないかと思います。
 ここにいる私たちが、なぜ教会の礼拝に集うようになったのか。もちろん、人それぞれにきっかけがあるに違いありません。キリスト者の家庭に生まれたので幼い時から教会に連れて来られたという方、たまたま近所に聖書の学びと説き明かしをしてくれる集会があり誘われて連なるようになった方、あるいは山梨英和のようなミッションスクールで初めて聖書を手にしたという方、教会のチラシを見て教会がここにあることを知って来られた方もあるでしょう。友人や知人に勧められて来られた方、キリスト教関係の施設や幼稚園で働くことで教会の礼拝に連なっておられる方もいます。どうしてこの教会のこの礼拝に来るようになったのか、それは、私たち一人一人千差万別です。
 けれども、どなたにとっても共通なこと、それは、決して私たちが初めから主イエスを知っていたというわけではないということです。私たちは全員、等しく、思いがけない入り口を人生の中に開いていただいて、教会の礼拝に連なるようになっています。ここにいる誰一人として、最初からこの教会に来ることが分かっていたという人はいません。それは、クリスチャンホームに生まれた子供であってもそうです。クリスチャンホームの子供は最初から教会に連なることが当たり前だと思われがちですが、その子供にしてみれば、クリスチャンホームに生まれたことも、たまたまそうだったということです。ですから、クリスチャンホームの子供も、どうしてここに生まれたのかと不可解な気持ちになったり理不尽な気持ちになったりするものです。
 例えば、私は牧師の家庭に生まれましたので、日曜日に親にどこかに遊びに連れて行ってもらったという思い出は一切ありません。日曜日は礼拝ですから当たり前です。連休にも必ず日曜日が入りますから出かけられませんでした。それで、親元を離れる時まで私は、「世の中の子供は、土日をどんなに楽しんでいるのだろうか」という憧れと好奇心を持っていました。大学に入り、いざ一人暮らしが始まると土日が自由になりました。そこで、最初の2、3週は休日を満喫しようと、礼拝を休んで、朝から出かけてみました。けれども、実際には、夢のように楽しいことなど世の中に転がっていませんでした。意気揚々としてあちらこちら行きましたが、結局夕方になると疲れて帰ることになり、しかも、礼拝をサボってしまったことが頭をよぎり、後ろめたさを引きずっていました。本当に不思議なことですが、私はたまたまクリスチャンホームに生まれたことによって、そこに「礼拝する」入り口が与えられていたのでした。自分でも気づかないうちに礼拝する群れに招かれていて、礼拝しないと済まされない気持ちになっていたのです。
 これは皆さんも同じだと思います。一人の例外もなく、自分の計画によって主イエスと出会ったという方はいません。皆、人生のどこかで、主イエスと出会う入り口が与えられ、そして礼拝生活へと導かれてきました。キレネ人シモンもそうでした。シモンは、ある時刻にある場所を通りがかった、それが入り口になりました。彼の信仰への入り口は、最初は本当に理不尽だと思えるものでした。けれども、シモンはそのことを通して、十字架を背負う主イエスを後ろから見て、その十字架を背負って後から付いて行くという生活に招き入れられました。

 主イエスはかつて、弟子たちに「主イエスに従おうとする人は、必ず、その人なりの十字架を背負って主イエスに従うようになるのだよ」と教えられました。マルコによる福音書8章34節35節に「それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。『わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである』」とあります。一度聞いたら忘れないような印象的な言葉ですが、一体どういうことが言われているのでしょうか。主イエスに従おうとする人は主イエスを見習って、自分も何か小さな十字架を背負って歩かなければいけないということでしょうか。そうではありません。そうではなく、主イエスが「あなたの重荷を、わたしが共に背負ってあげる」と言ってくださっている言葉です。誰でも十字架を背負うことが嬉しいはずはありません。重荷を背負いたい人はいません。ですから私たちは、いつでも、何か苦しそうなこと大変そうなことが先に見えて来ると尻込みします。なるべく目立たぬよう静かに過ごして、背負い込まずに済むのであればやり過ごそうと常に考えます。
 私たちは人生の中で、様々な出来事に出遭っているのに、そこに責任を持つとか力を出さなければならないと考えると、途端に引っ込み思案になり、情けなくなってしまうようなところがあります。そして、それは多分、世の中のこともそうですし、教会生活でもそうだろうと思います。私たちはともすると、教会生活や信仰生活が楽な方に流れがちになります。多くの奉仕をしなければならないとか、礼拝生活の中で周囲と摩擦が生じたりすると、そうならないようにと何とか手立てをして丸く収めようとします。
 けれども実は、私たちが経験する困難、試練、重荷というものは、主イエスが全て一緒に背負っていてくださるものなのです。それも、私たちに先んじて主イエスが重荷を背負ってくださいます。丁度シモンが、主イエスの十字架を背負いながら主イエスの後ろから付いて行ったように、私たちも、私たち自身が背負わなければならない重荷を主イエスが背負っていてくださる、その主イエスの背中を見ながら付いて行くのです。

 主イエスは十字架で殺されました。まるで奴隷か過激派の構成分子であるかのように、晒し者にされ、なぶり殺されます。マルコによる福音書は「十字架」を、誠に孤独で無残なものとして描きます。29節を見ますと、「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。『おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ』」とあります。通りすがりの人が罵っています。31節にも「同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう』」とあります。主イエスを代わる代わる侮辱し罵っている祭司長や律法学者は、普段は仲の悪い者同士です。祭司長は最高法院のサドカイ派というグループの頂点にいた人でした。律法学者はサドカイ派と対抗関係にあったファリサイ派というグループの論客たちです。ですから普段は、祭司長と律法学者が同じことをするということはありません。ところがここでは、その両方が一緒になって主イエスを嘲ってからかっていたと語られています。そして極め付けは、32節の後半に「一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった」とあります。ここには、磔られ晒し者になっている主イエスを、嘲り罵る言葉が三重に重ねて語られています。人々からどんなに見捨てられ見放され嘲られたか、馬鹿にされたかということを、マルコによる福音書の十字架の記事は伝えます。
 そして、こういう書き方は、マルコによる福音書が一番激しいのです。4つの福音書の中では、マルコによる福音書が一番最初に書かれたのですが、福音書は後の時代になればなるほど、「十字架の辛さ、十字架の厳しさ」を語ることをためらうようになります。そして、筆遣いを少しずつ和らげて行くのです。例えば、主イエスが十字架上で「この人たちの罪を赦してください」と祈ってくださったとか、あるいは、十字架上の囚人のうちの片方は主イエスを罵ったけれども、もう片方は「この方は何も悪くない」と弁護していたとか、少しずつ主イエスの十字架の険しさ、辛さ、厳しさというものを和らげようとするようになっていきます。
 けれども、マルコはそう言いません。なぜかと言うと、恐らく、実際に主イエスの十字架とは険しく厳しいものだったからです。そして、マルコがこんなに厳しくあからさまに書くのには理由があります。それは、主イエスが磔にされ背負われた十字架とは、本当は、ここにいる私たち一人一人が背負うべき十字架であるからです。
 私たちは、誰であれ、地上を生きる中で、時に裏切られたり見捨てられたりして、本当に辛い孤独な寂しい思いを抱くという場合があります。私たちは、そういうことが人生の中で起こるということを知っていますから、大変そうなこと難しいことに出遭うと尻込みしてしまうのです。このまま進んで行くと自分は辛い目に遭う、悲しい孤独な思いをしなければいけなくなりそうだ、それは嫌だから、そうならないようにと、前もってそこから逃げようとするのです。しかし、そのようにして、本当は自分が直面しなければならない、直面するはずの難しい事柄を避けてしまうとどうなるでしょうか。避けていれば、いずれ無くなるのでしょうか。そんなことはありません。難しい状況や事柄というのは、誰かが身代わりになって引き受けてくれるしかないのです。主イエスはまさに、私たちの代わりに私たちの重荷を引き受けてくださっています。鞭で打たれること、釘で打たれること、力尽きて十字架の横木に押しひしがれてしまうほどに、私たちの身代わりになって主イエスが引き受けてくださいました。

 シモンが主イエスの十字架を背負った時に、大方の人には、シモンの方が主イエスを助けたと見えたに違いありません。しかし、実際はその逆です。主イエスの方が、シモンが背負うはずの重荷を背負って、十字架に向かっておられるのです。私たちも同じです。主イエスが背負われた十字架は、元を正せば、私たちの罪の重荷の全てです。私たちが無責任であったり、いい加減であったり、あるいは果たすべきことを果たさなかったり、あるいは、人を愛するべきだったのに愛さなかったりする、そういう中から起こってくる様々な痛みや苦しみや悲しみ、それらを全て主イエスが十字架の上で背負ってくださっているのです。
 「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と主イエスは言われました。これはどういうことでしょうか。主イエスが私たちの重荷を引き受けて、どこまでも私たちと共に歩んでくださるのですから、「あなたが主イエスに付いて行く時には、あなた自身の十字架を背負って生きることになるのだ」と言ってくださっているのです。主イエスが背負われた十字架が、元々は私たち自身の、私たち一人一人の重荷であるがゆえに、主イエスに従おうとする時には、私たちは銘々が背負っているものを引き受けることになるのです。それは、いかにも背負わなくても良い新しい重荷を背負うことになると思うかもしれませんが、しかし、そうではなくて、実は、私たち自身の本当の人生を自分で引き受けて歩んで行くということです。
 ですから主イエスは、「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言った後に、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」と言われました。これは少し不思議な言葉です。「命を失う者は、それを救う」、普通に考えれば、命を失えば救われないと考えるでしょう。ここで主イエスが言われる「自分の命を救いたいと思う者」というのはどういう人でしょうか。自分が重荷を背負うことを嫌がるあまり、自分の十字架を背負わずに逃げてしまう人です。そういう人は、様々な苦しみや難しい事柄から逃げ回って生きて行く、そういう時には自分の人生からも逃げ出してしまうのです。そして、何とか楽な方に楽な方にと流されて、上手に立ち回ろうとあくせくして動き回り、挙句の果てには自分の人生の時間をすっかり浪費してしまうことになるのです。本当はそこで自分が引き受けて精一杯に生きても良かったはずなのに、楽な道を探し回っているうちに自分の人生をすってしまうのです。
 一方、辛いことや苦しいことに出遭っても、「主イエスの背中を見失わずに付いて行こう。自分に与えられているものを精一杯背負って行こう」と思う人は、苦しみや悩みを経験することになりますが、「自分の命を救う」ことになるのです。まさに、「神が私たちに与えてくださっている命を終わりまで歩んで行く」ことになるのです。

 世の中の人は、人生というのは自分の思い通りになることが一番幸いなことだと思っています。けれども、そうでしょうか。私たちは考えなければならないと思います。本当に幸いなことは、自分の思った通り、願った通りのことが実現することなのでしょうか。そうではなく、「私たちが本当になるべき自分になっていく。私たちに与えられている人生を精一杯に用いながら、自分がこうなっていかなければならない自分になっていく」、それこそが本当に「自分になる」ということではないでしょうか。
 自分のなりたいものを追いかけて行く、そのようにして自分を作り上げていくと考える人はいるでしょう。けれどもそれは、いつも自分の気ままな思いに振り回されて、風で風見鶏がくるくる回るように、少し嫌なことがあるとすぐに向きが変わってしまい、自分に与えられている人生を何も作り上げることなく終わってしまうということが有り得るのです。

 「十字架に架けられた主イエスが四方八方から罵られている」、このマルコによる福音書の記事を聴きますと、この世には何と人間の険しい言葉や冷たい思いが満ちていることかと思わされます。しかし主イエスは、そういう中で敢えて「私たちと共にいてくださるお方として歩もうとする」がゆえに、その罵り声をその身に引き受けて、黙って十字架に架かっておられます。シモンの感じた「主イエスの不思議な静かさ」というのは、主イエスのそういう有り様から始まっているのです。
 主イエスは十字架に上げられる際に、23節「没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった」と記されています。この飲み物は当時、エルサレムの女性たちが、十字架の処刑があまりに酷いので、同情して、ボランティアとして作って与えていたものだと言われています。ぶどう酒で少し酔って意識がどこかに飛べば、痛みも少し軽くなるし罵り声も遠くなるかもしれない、少しでも楽にさせてあげようとして差し出されたもののようです。ところが、主イエスはそれを断固として拒否なさったと、ここに記されています。それはどうしてでしょうか。ご自身にとっては、それを飲めば少しは楽だったと思います。けれども、主がそうしてしまえば、実は、私たちが人生において辛く苦しい時、悲しい時に、それらに背を向けてしまうことになってしまうからです。主イエスは、私たちの人生の中で起こるどんなに大変なことも、どんなに苦しいことも、惨めな孤独な辛さも、間違いなくご自身が全て引き受けようとしてくださって、十字架に上ってくださっているのです。ですから、主イエスは没薬を混ぜたぶどう酒を口になさいませんでした。

 主イエスは、私たちのために十字架にお架かりになります。それゆえに、本当に辛い苦しみも孤独も、どこまでも黙ってその身に引き受けてくださいます。ですから、十字架に架かっておられる主イエス・キリストこそが、本当の意味で私たちに伴ってくださるお方です。
 そしてこのことは、主イエスがヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けられ、罪人の列の中に立ってくださった、公生涯を始められたその時から少しもかわらず、いささかもぶれることなく歩んで来られた道です。主イエスは私たちのために、罪人の只中に立ってくださって、そして、弟子たちを招いてご自身の近くで歩ませ、「わたしはいずれ十字架に架かる。しかし、3日目に復活する」と教えようとして歩んで来られました。主イエスがこのようにして歩んでくださったからこそ、私たちは、いつどんな状況に置かれても、決して一人ではありません。必ず、共に歩んでくださる主イエス・キリストがその場にいてくださるのです。その主に依り頼んで、私たちは今日からの歩みをもう一度歩み出したいと願います。

 私たちが苦しい時、孤独な時、困難な時、決して一人ではない。主イエスが共に歩んでくださる。このことを知る時に、私たちにはある落ち着きが与えられます。私たちが疲れ切って倒れ伏していても、そこにも主イエスが共にいて、押しひしがれている十字架を背負っていてくださいます。主イエスはそのようにして、倒れている私たちが何とか一息つけるように、ほんの僅かな隙間を作ってくださっているのです。そのことに気づいたならば、私たちは、どんなに困難の中にあったとしても、与えられている状況の中で、深く息を吸い込んで、そして、今ここで自分に何が出来るのだろうかと考えることができるようになります。
 主イエス・キリストが伴ってくださる生活の中で、徐々にではありますが、私たちがもう一度、今の所から立ち直って歩んで行く、そういう力が与えられてくるのです。そして、主イエスが共に歩んでくださることを知った人は、その主のために、主イエスから命を与えられた者として、そこを生きる者とされて行くのです。
 主イエスの背中を見て、主イエスの御言葉に慰められ、勇気と元気を与えられて歩むようにされていきます。願わくは私たちも、そのような歩みに立たされたいと願うのです。

このページのトップへ 愛宕町教会トップページへ