2013年11月 |
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毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。 *聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。 |
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ふところに抱く神 | 11月第3主日礼拝 2013年11月17日 |
加藤 誠牧師(文責/聴者) |
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聖書/イザヤ書 第40章3〜11節 | |
40章<3節>呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。<4節>谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。<5節>主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。<6節>呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。<7節>草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。<8節>草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。<9節>高い山に登れ 良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ 良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神<10節>見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ 御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い 主の働きの実りは御前を進む。<11節>主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め 小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。 |
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私は現在、日本基督教団「世界宣教委員会」幹事の仕事をしております。そこで「宣教師派遣」の仕事もしており、仕事の関係上、海外を回っております。 マレーシアでは第二の人生をクアランプールで過ごす方も多いようです。東海教区におられて最近隠退された山本将信先生に4か月行っていただくことになっております。 さて、イザヤ書40章は、捕囚の民イスラエルが、バビロニアからイスラエルへ帰還する話です。強制的にバビロニアに移住させられたイスラエルは、そこで50年を過ごし、帰る時が来ました。そのために「神が道を備える」と言われます。 6〜7節、しばしば人間を「野の花、草」にたとえることがあります。それは、人の命を、弱くはかない命として見ているということです。けれども、草や花は根付くものです。人も、50年もその地に住めば根付くのです。 しかし、8節「わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」と記されております。 神の御言葉を信じる人ではないのか、神様とはこういうことをなさるのではないのか。 先日、韓国・釜山で開催された世界教会協議会(WCC)第10回総会に出席しました。そこで、話し合いグループの司会をしたのですが、様々な国での苦労、いろいろな状況の中に教会が置かれていることを知りました。けれども、一致したこと、それは「教会は神のみ言葉に従う教会でなくてはいけない」ということでした。 *手違いで録音が取れませんでしたので、残念ながら音声ブログはありません。 |
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