聖書のみことば
2023年6月
  6月4日 6月11日 6月18日 6月25日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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6月11日主日礼拝音声

 埋葬
2023年6月第2主日礼拝 6月11日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/マルコによる福音書 第15章42〜47節

<42節>既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、<43節>アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。<44節>ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。<45節>そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。<46節>ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。<47節>マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。

 ただ今、マルコによる福音書15章42節から47節までを、ご一緒にお聞きしました。この箇所には、主イエスの御遺体を墓の中に葬った埋葬の出来事が語られています。そして、この葬りの出来事がまことに慌しく行われたということが記されています。42節に「既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であった」とあります。
 「既に夕方になった」と語り出されています。何も考えずにここを読んでしまうと、つい読み飛ばしてしまいそうな言い方ですが、実はこの言葉の中に、主イエスの葬りの大きな手掛かりがあります。

 「既に夕方になった」と言うのですが、ユダヤ人の一日の時間観念では、夕方になり日が沈むと、その時から新しい一日が始まります。これは、旧約聖書の最初に出てくる天地創造の第一日の記事の中で、神が「光あれ」とおっしゃって、闇と光が繰り返されるようになった時、「夕べがあり、朝があった。第一の日である」と言われていたことを受けて、一日が日没から始まると考えられていたためです。「既に夕方になった」というのは、完全に太陽が沈んで夜のとばりが降りたというのではなく、太陽が西の方に低く傾いて、少しうす暗くなった時間帯、おそらく私たちの時間の観念で言えば午後4時半とか5時半ぐらいになったことを表しています。夕暮れが近づき、もう間もなく翌日が始まろうとしているのですが、その翌日が折り悪しく安息日だったと語られています。

 翌日が安息日だと何か不都合なことでもあるのでしょうか。十字架刑を宣告して主イエスを磔にしたローマ総督のピラトにとっては、別段何の不都合もありません。十字架刑は、わざと致命傷を与えず十字架の上に礎にして晒しものにしながら、ジワジワと囚人が死に至るのを野次馬たちが見物するという、まことに非人道的な処刑の方法でした。通常は磔にされて2日か3日程して死に至ることが多かったようです。ところが主イエスの場合は、朝の9時に磔にされて、それから6時間後の午後3時に声高く叫んで息を引き取られました。もともと十字架の刑罰には晒しものにするという要素が含まれていますから、たとえ囚人が息を引き取っても、なおその死体は十字架の上に晒しものにされます。ピラトとしては、主イエスが生きていようが死んでいようが、何も不都合はありません。十字架上の死体が鳥についばまれ、白骨化して遂にドクロが首の骨から外れて地に落ちるまで放っておかれることもあったようです。

 しかし、主イエスが十字架上にお亡くなりになったら、その亡骸をいつまでも十字架の木に掛けておけないという理由が、ピラトにではなく、むしろユダヤ人たちの側にありました。それは、旧約聖書の申命記21章22節23節に、次のような戒めの言葉が与えられていたからです。「ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた者は、神に呪われたものだからである。あなたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない」とあります。
 ここには2つのことが述べられています。一つは「木にかけられた死体は必ずその日のうちに地に埋めなくてはならない」という決め事です。もう一つは何故そうしなければならないかという理由で、「木に掛けられた死体は神に呪われたものであるので、それを木に掛けっ放しにして嗣業の地を汚してはならない」ということです。主イエスが十字架上で息を引き取られたのはゴルゴタの丘の上ですが、そこはエルサレムの城壁を出たすぐのところです。ですから、もし遺体を木に掛けっ放しにしてしまえば、エルサレムの都を出たすぐの場所が神に呪われ汚れてしまうことになります。ユダヤ人の心情とすれば、それは何とか避けたいところです。しかも夕暮が近づいています。手をこまねいていると安息日に入ってしまいます。もし完全に日が暮れて安息日が始まってしまったら、安息日には何の仕事もしてはならないのですから、十字架の上から遺体を取り降ろして埋葬することもできなくなってしまいます。もはや一刻の猶予もならないのです。何とか急いで遺体を取り降ろして墓に葬らなくてはなりません。

 しかし問題なのは、その仕事を一体誰がするのかということです。本来ならば、遺体は主イエスなのですから、主イエスに最も近い弟子たちがその役割を果たすべきところです。ところが弟子たちは、主イエスが捕らえた時に逃げ散ってしまい、姿を見せませんでした。今日の箇所の直前の15章40節41節には、ガリラヤからずっと主イエスに従い、主に仕えていた婦人の弟子たちが遠くから十字架を見守っていたことが述べられていました。この婦人の弟子たちの中には、マグダラのマリアや主イエスの母であるマリアがいましたので、彼女たちも主イエスの亡骸を下げ渡してもらって埋葬する立場にあった人たちだと言えるかも知れません。しかし、この婦人たちも行動を起こしません。その理由は、一つには当時の女性が社会的には一人前に扱われなかったことが挙げられるかも知れません。しかしもう一つの理由は、万が一、首尾よく主イエスの御遺体を下げ渡してもらうことができたとして、今度はその御遺体を納める墓の手配がつかないのです。
 当時、処刑された囚人の亡骸は、エルサレムの人たちが普通に葬られる共同墓地には葬らせてもらえなかったと言われています。どうしてそのように決められていたのか、詳しい説明は省略しますが、仮にもし、主イエスの亡骸を共同墓地に葬ることができたならば、マグダラのマリアと主イエスの母マリアをはじめとする婦人の弟子たちは、無理を承知でもピラトの許に出向いて遺体の下げ渡しを願ったかもしれません。しかし、最終的に主イエスの亡骸を葬る場所が見つからないのですから、ピラトに下げ渡しを願うことはできません。
 そもそも、主イエスがこんなにも早く息を引き取ることになるとは、誰も考えていなかったのです。大方の囚人は十字架に磔にされたその日に息を引き取ることはないので、主イエスの場合も、翌日の安息日を超えて次の週に入ってから亡くなるだろうと誰もが予想していました。十字架に磔にされても2、3日は生きているのが普通だったからです。
 ところが、主イエスは磔にされて、たった6時間で息を引き取られました。このことに関してはいろいろと取り沙汰されますが、十字架の前に徹夜の裁判を受けたことや、その後鞭で激しく打ち叩かれたことで、既に激しく消耗していたためであったと説明する人もいます。しかしそれ以上に、主イエスが十字架にお掛かりになり、そこで苦しまれるのは、すべての人間の罪を御自身の身に引き受け、神の激しい怒りと憤りをその身に受けるということですから、ただ肉体が弱っていくからということではなく、本当に激しい闘いの中に置かれて急速に疲労困憊していかれたとも考えられるでしょう。
 いずれにせよ、主イエスの死は、大方の人たちが予想していたよりもずっと早く訪れました。そのために、主イエスをお納めする墓の用意が間に合わなかったのです。

 主イエスの亡骸をどこにお納めしたらよいか、良い場所がなかなか見つからなかった中で、思いがけない人物が名乗りを上げました。アリマタヤ出身で最高法院の議員でもあるヨセフという人物が、主イエスの遺体を引き取り葬りを行いたいと、ピラトに申し出ました。43節に「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである」とあります。
 このヨセフという人物が主イエスの葬りを行ったことは、4つの福音書が共通して語っていることです。けれどもこの人がどのような人物だったかという点は、4つの福音書では違った風に語られています。マタイによる福音書には、「ヨセフは資産家で主イエスの弟子であり、自分のために掘ってあった真新しい墓に主イエスをお納めした」と語ります。この記事の影響で、アリマタヤのヨセフが主イエスの弟子の一人であると記憶しておられる方もいらっしゃるだろうと思います。一方、今日聞いているマルコによる福音書では、ヨセフが資産家であったかどうかは言わずに、ただ身分の高い議員であったとだけ説明されています。主イエスの弟子あったということも、特には語られていません。この福音書に従って考えるならば、どうしてヨセフが主イエスを自分の墓に葬ったかというと、ヨセフが弟子だったからではなく、「この人も神の国を待ち望んでいた」そういう人だったからだと言われています。この箇所からは、「ヨセフは神の御国を待ち望む正しい人であって、亡くなった人の遺体を木に掛けたままにして、エルサレムのすぐ外の場所が汚れてしまうのは忍びないと思ったので、主イエスの亡骸を引き取りたいと願い出た」と聞こえます。そしてマルコの言うところによれば、ヨセフは必ずしも主イエスの弟子だったということではないようです。
 ルカによる福音書は何と語っているでしょうか。ルカもまた、ヨセフは最高法院の議員であって、善良な正しい人だったので、主イエスの処刑を最高法院が決めた時には、その決議に同意していなかったと紹介されています。ルカ福音書もマルコ福音書と同じように、ヨセフが主イエスの弟子だったという理由ではなくて、神の国を待ち望む正しい人で、その時がやってきた時に、いい加減なことや不正なことを行ったと神から見られたくないので、主イエスの処刑に反対し、また遺体を放置してエルサレム城壁の外の土地が汚れてしまわないようにと、自分の墓に葬ることを決心したと語られているのです。
 マタイによる福音書はヨセフが主イエスの弟子だったと言い、マルコとルカによる福音書はその点には沈黙して、ただ神の国を待ち望む正しい人だったので、主イエスの葬りに名乗りを上げたのだと語っています。
 ではヨハネによる福音書では、どのように語られるのでしょうか。ヨハネ福音書は4つの福言書の中で最後に書かれた書物で、しかもかなり遅くなって書かれた福音書なので、先に書かれた3つの福音書の内容を知っています。そして、アリマタヤのヨセフについて、マタイとルカの間で違う書き方がされていることも承知しています。ヨハネは、その両方の辻褄合わせをするような言い方をします。即ち「アリマタヤのヨセフは、本当は主イエスの弟子だったけれども、同僚の議員たちをはばかって弟子であることを隠してきた。しかし主イエスを墓に納める段階に至って、初めて、自分が主の弟子であることを明らかにしてピラトに遺体の下げ渡しを願い出たのだ」と言って、3福音書それぞれの顔を立てるような説明をしています。

 けれども、事実はどうなのかと考えますと、これは、今日私たちが聞いているマルコによる福音書の記事が実際の事柄に最も近いと言うべきでしょう。
 マルコによる福音書は4つの福音書の中で最初に書かれていて、時間的に主イエスの十字架に最も近いということもあるのですが、それ以上に、4福音書が語っていることからすると、やはりヨセフは主の弟子ではなかっただろうと推測できます。もしヨセフが主イエスの弟子だったのなら、ヨセフが自分の真新しい墓に主イエスの亡骸をお納めしようとする時に、女性の弟子たちもその仕事を手伝うのが当然だろうと思うのです。特に女性たちの中にはマグダラのマリアという主イエスと特別に近しかった人や、主イエスの母マリアがいたのですから、弟子同士として彼女たちと顔見知りであったなら、当然ヨセフは彼女たちを招いて埋業の作業を一緒に行おうとする筈です。
 ところが今日の箇所には、そのように記されていません。ヨセフはさっさと主イエスを墓の中に葬ってしまいます。そしてマグダラのマリアとヨセの母マリア(主イエスの母。ヨセは主イエスの弟の名前)の2人のマリアたちは、主イエスの御遺体がどの墓に納められたかをじっと見つめているのです。47節に「マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた」とあります。他の福音書も同じで、ヨセフが主イエスを葬った場面に、女性の弟子たちが埋葬を手伝ったと伝える記述はありません。ですから、アリマタヤのヨセフは主イエスの弟子ではなかっただろうと想像できるのです。

 私たちは、このことに少し違ったイメージを持っているだろうと思います。
 これは、15世紀頃からのヨーロッパの彫刻や絵画に好んで描かれた場面の一つに、ピエタと呼ばれるものがあるからです。ピエタは十字架から取り降ろした主イエスを母マリアが抱きかかえて悲嘆にくれる場面が描かれ、印象的です。私たちはいつの間にか、ピエタの強いイメージにとらわれて、主イエスの埋葬を近親の者たちや弟子たちが心をこめて行ったように思っています。
 けれども、聖書の語るところに従うならば、一連の埋葬作業は、きわめて迅速に、ほとんどやっつけ仕事と言ってもよいほど急いで行われ、しかもそこには主イエスの弟子たちは関わらなかったと言われているのです。それは、「既に夕方になった」と42節に言われていたように、日が傾いて暮れかけ、その日が終わりかけていたからです。このまま日が暮れれば、主イエスの遺体が掛けっ放しになり、エルサレムの都のすぐ外の土地が汚れてしまう、それは良くないという思いがアリマタヤのヨセフの中に生まれ、その時点で弟子たちは何も行動していませんから、ヨセフはピラトの所に出向いて遺体を下げ渡してほしいと願い出ました。ピラトはこんなに早く死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼んで確かめた上で、遺体を下げ渡しました。非常に急いだので、ほとんど葬りらしい葬りはできませんでした。亜麻布を買ってきてくるんだ以外は、特に何の作業もできませんでした。
 けれども、そのように簡単に主イエスを墓に納めてしまったことが、3日目の朝に婦人の弟子たちがもう一度、主イエスの墓に出向いて香油を塗って差し上げようとしたことに繋がる伏線になるのです。3日目に婦人たちが墓に着いた時には、しかし、主イエスはもう復活しておられ、墓はもぬけの殻になっていました。

 聖書の語るこの葬りの一連の成り行きから、私たちは考えさせられるのではないでしょうか。
 今日の主イエスの葬りは、何もかもがそそくさと進められています。決して手厚い葬りなどではありません。何もかもが一時的な間に合わせのように進められています。そのことが、今日の箇所から強い印象を受けることです。

 けれどもこのことは、死の出来事に出違うと、この上なく重大な出来事に直面したかのように感じがちな私たちに対する、一つの主イエスの身をもっての忠告ではないかと思います。私たちにとって本当に重要なことは何でしょうか。私たちはしばしば、この地上で息をして、他の人たちと交わりができることが何よりも重大だと思いがちです。けれども、聖書が私たちに伝えている最も重大なことは、私たちがこの地上で生活する時、順調な時もそうでない時も、上の空のように生きる時も苦しみ嘆きの中を生きる時も、またこの地上の生活を終えて去る時も、「すべてを御存知でいてくださる神さまが、私たち一人ひとりを御心に留め、配慮して、神のものとして生かそうとしてくださっている」ということなのです。私たちが生きる時も、また死ぬ時も、神の憐れみと慈しみは止むことがありません。

 そして、神がおられることに照らして言い得ることですが、私たちにとって死の出来事は、決して最後のものではありません。私たちはこの地上を生きる限り、いずれ必ず自分の死を経験する日がきますが、しかしその死の時というのは、それまでとは違う新しい事情の下に導き入れられる入口の出来事であって、神は、死の先にも永遠の命の世界を備えていてくださるのです。主イエスの葬りがとても簡単だったという出来事は、そのことを深く考えさせてくれるのではないかと思います。
 死が最後の出来事、最終的な終着点で、死をもって私たちの人生が完結したというのであれば、ここぞとばかり「素晴らしい人生だった」と仰々しく振まうこともあり得るでしょう。しかし、死の先に訪れるよみがえりの朝を教えられている者にとって、死の出来事は、慎み深く受け止めるべき事柄ではあっても、そんなに大騒ぎするようなものではありません。
 主イエスの葬りが誠に簡素なものであったということは、実はその先に復活の朝が備えられているので、「確かに地上の命は終わったけれど、なおその先がある」ことを覚えさせるために、かりそめのこととして葬りが行われたことを覚えておくべきだろうと思います。

 私たちは生きている時も、死を迎える時にも、神に憶えられ支えられて、復活の朝へと導かれていることを忘れてはなりません。
 この地上の生活を超えて、神が憐れみと慈しみを常に私たちの上に置いてくださっている、その事実は変わることがない、永遠のものです。私たちは、神が顧みてくださっているので、困難な時にも神が支えてくださり、「あなたはここから、もう一度生きてよい」とおっしゃっていることを信じて、この地上の生活を生きる者とされたいと願います。
 主イエスの葬りが復活の朝へと続いていく出来事であることを、この朝もう一度覚えたいと願います。お祈りを捧げましょう。

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