2022年2月 |
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毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。 *聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。 |
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主イエスの故郷にて | 2022年2月第1主日礼拝 2月6日 |
宍戸俊介牧師(文責/聴者) |
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聖書/マルコによる福音書 第6章1〜6節a |
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<1節>イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。<2節>安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。<3節>この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。<4節>イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。<5節>そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。<6節a>そして、人々の不信仰に驚かれた。 |
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ただいま、マルコによる福音書6章1節から6節の前半までをご一緒にお聞きしました。1節に「イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った」とあります。「そこを去って」というのは、カファルナウムの町を後にされたということです。 しかし主イエスは、その町を去りました。主イエスはご自身を迎え入れてくれる居心地のよい落ち着き場所を求めておられるのではなかったからです。主イエスは、「神の配慮に満ちた愛の御支配がやって来ている」ことを人々に告げ知らせ、それを聞いた人たちが神の愛を信じて生きる、悔い改めに至るために、先へ先へと旅路を進めて行かれます。主イエスはヤイロの信仰を励まし、その娘を生き返らせることをもってカファルナウムへの伝道に一つの区切りをつけられました。そして次の町へと出向いて行かれたのでした。 次の町、そこは主イエスが幼い日々をお過ごしになったナザレでした。「故郷にお帰りになった」と言われている通りですが、故郷にお帰りになったのは、いわゆる「故郷に錦を飾るため」ではありません。ある人が生まれ故郷を離れ、他所の土地で大きな働きをして有名になって故郷に戻ると、故郷の人々が大歓迎してくれるようなことがありますが、主イエスの場合はそうではありません。主イエスは弟子たちを引き連れ、他の町や村で行なったのと同じように、故郷のナザレにも神の御国の訪れを伝え、神の愛の御支配に従って生きることを宣べ伝えるために、ナザレに来られました。主イエスは旧交を温め幼なじみとの再会を楽しむために故郷に戻られたのではありません。神の国の福音を宣べ伝えようとして、ナザレに来られたのでした。 ところが、故郷であるナザレの人たちの主イエスへの態度がまことに冷ややかなものであったということが、今日の記事からは聞こえてきます。 主イエスが語る恵みの福音は、いったいどこから来たのでしょうか。その答えは、主イエスがいつも語っておられる言葉の中にあるのです。主イエスがどのように教えられたかということは、マルコによる福音書1章15節にその言葉が出てきます。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。これが、主イエスがどの町でもお伝えになった基本的なメッセージです。 ところがナザレの人たちは、今自分たちの前に立っている方が、「神から遣わされて神の御言葉を語っておられる方」とは思いません。ナザレの人たちが思っていることは、「あの大工のせがれのイエスが、どこかでそれらしく聞こえる知識を仕入れてきて語っているに違いない」と考えます。主イエスが心を込めて語っても、ナザレの人たちは、「神が今、自分たちに語りかけてくださっている」とは思わないのです。その結果、この人々は3節のように言い始めて、主イエスにつまずきました。3節「『この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。』このように、人々はイエスにつまずいた」。まさしくナザレの人々は、主イエスという方、主イエスという人につまずいたのです。 「主イエスは真の神であり、真の人である方である」というような言われ方をされることがあります。主イエスのことをそのように説明されると、私たちはどういうわけか分かったような気になってしまいます。しかし、「主イエスは真の神であり、真の人である」ということを、果たして私たちは本当に分かっているのでしょうか。あるいは本当に分かることができるのでしょうか。主イエスが神の独り子であって、神と等しい方であるということなら、よく分かるのです。私たちは主イエスを神だと思えばこそ、この方を信じ、この方の御名によって神にお祈りも捧げます。 主イエスの故郷であるナザレの人たちは、もし目の前に現れた人が幼い頃からよく知っていたイエスではなく、他の人で、例えばスーパーマンのような人であったなら、「神さまの御言葉が語りかけられている」ということを受け取りやすかったかもしれません。けれども、よく知らない人から聞かせてもらえばそれで信じられると決まっているわけでもありません。誰から聞かされるにせよ、私たちが地上の生活で、この人生の中で耳にすることのできる御言葉は、結局は、「生身を引きずって生きている誰かから」聞かせてもらう他ありません。 ナザレの人たちは、主イエスのことよく知っていました。幼かった頃の姿も記憶に残っていましたし、また30歳近くになって突然家を出て行ったということもよく知っていました。父親のヨセフが亡くなった後に、幼い弟や妹たちを養い育て母を支えて家を盛り立てていくのは、長男であるイエスの務めだとナザレの人々は思っていました。ところがそのイエスが、ある日ふと居なくなり、そしてしばらくの時を経て数人の弟子を引き連れ、預言者か教師のようななりをしてナザレに乗り込んで来たのです。 しかし主イエスがどうしてそれをなさったのか、それはまさに神からのお召しに応えての歩みだったのだと、フィリピの信徒への手紙の中に記されています。2章6節から8節に「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」とあります。 しかしその反対に、その言葉を信じないために、何も起こらないということもあり得たのでした。ナザレの町ではその悪い方の経過を辿りました。町の人たちは、主イエスのことをよく分かっていると思い込んでいたために、主イエスを通して神が自分に語りかけてくださっていると信じなかったので、何も起こりませんでした。5節に「そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった」とあります。 しかしそれならば、このマルコによる福音書の記事はいったい何を伝えようとしているのでしょうか。こういう言い方で聖書は何を言おうとしているのでしょうか。 そういう意味で、今日聞いているナザレでの出来事を伝える記事は、会堂長ヤイロや、あるいは出血性の病気で苦しんでいた女性の記事と対照的な記事という意味合いがあります。主イエスの言葉を信じたヤイロ、そしてそのヤイロの主イエスに信頼している有様に励まされて自分も主イエスに期待しようという思いを与えられた病む女性、それに対して主イエスの言葉を信じなかったために何も起こることのなかったナザレの人たちという、対照的な姿が、マルコによる福音書5章の半ばから6章の初めにかけて次々と記されているのですが、これは決して、偶然こういう順序で書かれているのではなく、はっきりと対照的なものとして描かれています。 そう考えますと、聖書はこういう一つながりの記事を通して、これを読む私たち、これを聞く私たちに尋ねているのかもしれしれません。「それでは、あなたはどうなのか」という問いがここにはあります。この記事を聞く私たちは、ヤイロのような者でしょうか。それともヤイロの信仰に励まされ微かでも期待を持つようになった病に苦しむ女性のような者でしょうか。それともナザレの村人のような者でしょうか。自分では色々なことを分かっているつもりで、しかしその実、本当に決定的な一つのこと、「人間を通して神が御言葉を語りかけてくださり、神が交わりを持ってくださる」という、そのただ一つの肝心なことを信じることができなかったために、ナザレの人々は何も経験することがありませんでした。 しかしここには、なお慰めの余地があることが語られています。ナザレで、それでもごく数人の病人は癒されたと言われています。私たちの真の希望はここにあります。主イエスはこの人たちを癒された時に、信仰を抜きで癒されたのではありません。主イエスは神の御心に添うことしかなさらないのですから、本当に頑なで聞き分けがなかった人たちにも出会ってくださり、そして主イエスとの出会いを通して、なんとかその人が微かでも信仰を持つことができるようにと努力してくださり、そしてその結果、本当に僅かですが、主イエスに信頼し期待を持つ人が生まれたのでした。 たとえ頑なで悟りのない人であっても、主イエスはなお、その人に信仰を与えて、信仰によって生かそうとしてくださいます。その主イエスの憐れみこそが、私たちの慰めであり希望の源です。 |
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