2020年9月 |
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9月6日 | 9月13日 | 9月20日 | 9月27日 | |||
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。 *聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。 |
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生まれながらの市民 | 2020年9月第4主日礼拝 9月27日 |
宍戸俊介牧師(文責/聴者) |
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聖書/使徒言行録 第22章22〜29節 |
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<22節>パウロの話をここまで聞いた人々は、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない。」<23節>彼らがわめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほどだったので、<24節>千人隊長はパウロを兵営に入れるように命じ、人々がどうしてこれほどパウロに対してわめき立てるのかを知るため、鞭で打ちたたいて調べるようにと言った。<25節>パウロを鞭で打つため、その両手を広げて縛ると、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか。」<26節>これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところへ行って報告した。「どうなさいますか。あの男はローマ帝国の市民です。」<27節>千人隊長はパウロのところへ来て言った。「あなたはローマ帝国の市民なのか。わたしに言いなさい。」パウロは、「そうです」と言った。<28節>千人隊長が、「わたしは、多額の金を出してこの市民権を得たのだ」と言うと、パウロは、「わたしは生まれながらローマ帝国の市民です」と言った。<29節>そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、直ちに手を引き、千人隊長もパウロがローマ帝国の市民であること、そして、彼を縛ってしまったことを知って恐ろしくなった。 |
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ただいま、使徒言行録22章22節から29節までをご一緒にお聞きしました。22節に「パウロの話をここまで聞いた人々は、声を張り上げて言った。『こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない』」とあります。ここまで沈黙してパウロの言葉に耳を傾けていたエルサレムの群衆が突然騒ぎ出しています。 この場所が、当時エルサレムに駐屯していたローマ軍の守備隊の兵舎の入り口だったということは、恐らくパウロにとって幸いだったと言えると思います。もしこれがエルサレム郊外やエルサレム内でも別の場所であれば、きっとパウロは大勢のユダヤ人たちから石を投げつけられ殺されていたに違いないからです。ところがこの日、パウロがいたのはローマ軍の兵舎の入り口でした。当時ローマ軍は、平素からエルサレムのユダヤ人が何かのきっかけで民族的な感情を刺激され興奮すると、相手がローマの軍人であろうと貴族であろうと、見境なく石を投げつけるということを経験していました。それで、自分たちの駐屯地が投石され壊されたりしないように、普段から兵舎の周りの石を取り除くようにしていました。パウロに対して激しく憤り怒りを爆発させている群衆は、石を投げつけようとして上着を投げ捨て、身軽になって石をぶつけたかったに違いありませんが、石はローマ軍によって片づけられていて手に取ることはできませんでした。それで群衆は、石の代わりに砂つぶを投げつけました。23節に「彼らがわめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほどだった」とあります。石を投げつけたくても石がないのですから、パウロの周りを固めていたローマ兵の身に危険が及んだということはありません。けれどもそれは石がないというだけであって、その場にいたユダヤ人たちの激しい憤りと苛立ち、またパウロへの殺意は、表情や言葉の調子からその場にいたローマ守備隊の司令官にはよく分かったのでしょう。千人隊長、後に名が出てくるクラウディウス・リシアは、部下の兵士たちに命じて、パウロを兵営の中に入れて門を閉じ、群衆がこれ以上興奮しないようにしました。 ところで、この時リシアが命じた鞭打ちというのは、聖書の他のところに出てくる鞭打ちとは違うものだとしばしば説明されます。パウロはこれまでにも鞭打たれたことがあることをコリント教会に宛てた手紙にも書き送っています。使徒言行録16章22節23節にもフィリピの町でパウロとシラスが鞭で打たれ、その後牢屋に入れられたという記事が記されていました。その時に経験した鞭打ちと、今日の箇所でリシアが命じている鞭打ちとは全然違う内容でした。日本語聖書では同じ鞭打ちという言葉ですが、原文に忠実に今日の箇所を訳すならば、ここは「皮の鞭で打ちたたく」という書き方がされています。 鞭打ちを受ける囚人を打ちやすくするために、パウロはうつ伏せにされ、両手を開いた状態で、それぞれの手を杭に縛りつけられました。そのような状態でパウロは、そこに立っていた百人隊長に尋ねました。百人隊長は千人隊長のリシアの命令を受けて、実際にパウロを鞭打つ監視と指揮を取る人物でした。25節に「パウロを鞭で打つため、その両手を広げて縛ると、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。『ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか』」とあります。「ローマ帝国の市民」という言葉がパウロの口から出るや否や、今まで気楽にパウロを叩こうとしていた兵士たちの手が全て止まりました。なぜかというと、当時の社会の中で「ローマ帝国の市民」というのは、特別な人たちだったからです。 パウロの落ち着いた返答を聞いて、縄が解かれました。暴力によって無理矢理パウロの口を割らせようとしていた人たちは、恐れ恥じ入って手を引きました。しかしそれでも、パウロは完全に自由になったわけではありません。縄は解かれ服も着せられましたが、依然として逃げないように重い鉄の玉のついた鎖が足についたままでした。リシアは、パウロを捕らえてしまったからには、捕らえたことに対しての裁きをしなければなりません。もちろん、この裁きはリシアにとって、当初簡単に思っていたようなものではなくなり、大変重いものになっています。リシアは、逮捕してはいけない人物を逮捕してしまったかもしれないという思いを抱きました。パウロが本当は何者かを知らないでいたために、取り調べ中に死んでしまっても良いとさえ思っていました。この時点でリシアは、もう自分の手に余っていると考えています。 しかし、そんなことをしてみても、リシアがローマ市民であるパウロを無様な姿に縛り付けて鞭で打つように命令を下してしまったという事実は、消えることはありません。それでリシアは大変不安な一夜を過ごしました。29節です。「そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、直ちに手を引き、千人隊長もパウロがローマ帝国の市民であること、そして、彼を縛ってしまったことを知って恐ろしくなった」。 こういう聖書の記事を通して、私たちは考えさせられるのではないかと思います。パウロはここで「ローマ市民なのか」と尋ねられたので「そうです」と答えました。しかしもし千人隊長が別の問いを発したら、別の答えをしたに違いありません。もしリシアが「お前は何者なのか」と尋ねれば、パウロは一体どう答えたでしょうか。「わたしは主イエスに仕える神の僕の一人です」と答えるに違いありません。それは生まれつきかと言うと、時間的にはそうではありません。パウロは生まれつきには熱心なユダヤ教徒であり、教会の迫害者だった時期もあります。 パウロについてはそうですが、では、私たちはどうでしょうか。私たちもまた、この世界の中に生まれ落ちて、それぞれ命を与えられた日から今日に至るまで、神の保護と御手のうちに持ち運ばれ、ここまで生かされて来ているのではないでしょうか。そうであるならば、私たちはそれぞれ自分自身の人生の上に、神が置いてくださっている目的が何なのかということを考えるようでありたいと思うのです。 では私たちはどうでしょうか。私たちもやはり、人生のどこかで主イエスと出会わされ、それぞれ道筋は違いますが、今はこの教会で兄弟姉妹の交わりの中で生きるように招かれています。ある説教者は、「私たちは主イエスの福音を伝えるためにこの教会に招き入れられました。教会がキリストの体である限り、私たちは福音を宣べ伝えるために困難や困窮があるときに、それを避けてはならないのではないでしょうか。教会として負うべき当然の課題を引き受けながら福音を伝えていく、それが私たちの本筋ではないでしょうか。福音に生きる愚かさこそが教会の生命線です」と語りました。私たちはたとえどんな困難な事情に出会うとしても、キリストの十字架の福音を聞き続け、そして伝えていくということに心を向けるようでありたいと思います。私たちはそのためにこの教会に招かれ、主イエスと出会わされ、そして「主イエスが共にいてくださる」と聞かされ、それを信じて生きるようにされているのです。 愚かと言われても怯むことなく、キリストの福音を知り、またその中で生きていく、そういう歩みをさせていただきたいと願います。信仰のために傷を受けたり苦労することを嫌がるのではなく、むしろ大変光栄なことと感じて感謝して生きる、そういう生活へと背中を押されて、ここから歩み出したいと願います。 |
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