2020年6月 |
||||||
6月7日 | 6月14日 | 6月21日 | 6月28日 | |||
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。 *聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。 |
■「聖書のみことば一覧表」はこちら | ■音声でお聞きになる方は |
福音の進展 | 2020年6月第4主日礼拝 6月28日 |
宍戸俊介牧師(文責/聴者) |
|
聖書/使徒言行録 第17章1〜15節 |
|
17章<1節>パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。<2節>パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、<3節>「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。<4節>それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。<5節>しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。<6節>しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。<7節>ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」<8節>これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。<9節>当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。<10節>兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。<11節>ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。<12節>そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入った。<13節>ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。<14節>それで、兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはベレアに残った。<15節>パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。 |
|
ただいま、使徒言行録17章1節から15節までをご一緒にお聞きしました。16章ではヨーロッパ伝道に乗り出したパウロたちが最初に訪れたフィリピの町で、早くも激しい抵抗に出会ったと語られていました。その後、アンフィポリスやアポロニアという町を通って、当時のマケドニアで一番大きな町であったテサロニケにやって来ます。道のりにして150キロ以上あったと言われていますが、その長い道のりを彼らは歩いて通しました。 パウロは後に、この日々のことを振り返りながら、テサロニケ教会に宛てた手紙の中で語っています。テサロニケの信徒への手紙一2章1節2節に「兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした」。パウロたちには、大都会テサロニケの人たちが主イエスを信じる信仰によって生きる者になって欲しいという切なる願いがありました。そのためなら背中の傷の痛みなどどれほどのことか、という気概に溢れていました。まさに壮年期を迎えていた伝道者の溌剌たる面目躍如です。 パウロたちが直面した伝道の困難は、怪我を押しての徒歩旅行ということだけではなく、加えて、生きていくための生活費を自分で稼ぎ出す必要がありました。テサロニケの信徒への手紙一2章9節に「兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした」とあります。テサロニケの町では、パウロたちは「誰にも負担をかけないように」働いて自活しました。 パウロの伝道活動は、ユダヤ教の会堂のある町では、まず会堂から始まりました。テサロニケでもそうでした。2節3節に「パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、『メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた』と、また、『このメシアはわたしが伝えているイエスである』と説明し、論証した」とあります。パウロたちがしたことは、毎週決まった日(安息日)に集まって、教会で聖書を紐解きながら御言葉に聞く、つまり説教するのと同じことをしたのです。特別なことは何もしていません。パウロたちは、安息日の礼拝が開かれるたびに、ユダヤ教の会堂に行き、聖書を説き明かすことに専念しました。テサロニケでもベレアでも同じようにしたことが語られています。 もちろん、苦しみを受けるメシアはやがて栄光の王に変えられて行きます。「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と聞かせました。パウロはたくさんの聖書箇所を引用したと思いますが、多分その中に詩編118編が入っていたと思います。詩編118編22節23節に「家を建てる者の退けた石が 隅の親石となった。これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと」とあります。家を建てる人たちが捨てて顧みない石というのは、主イエスのことを言い表しています。主イエスは当時の聖書の専門家たちから捨てられ退けられ、十字架に磔にされて亡くなられました。「こんなものは要らない」と言って捨てられてしまうのです。ところが神は、そのように捨てられたはずの主イエスを復活させ、建物全体の土台となる「隅の親石」にしてくださいました。「隅の親石」には理解が二つあります。一つは建物の土台の一番大切な石ということですが、もう一つはドーム型に築き上げた建物の頂点に嵌めて、建物全体の重さを支える石のことです。「隅の親石」は土台の石か頂点の石かは分かりませんが、いずれにしても建物全体を成り立たせていくための要になる石、そういう石に、退けられた石を神がしてくださった、「これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと」と旧約の詩人は語っています。そのように、旧約聖書には主イエスが受ける辱めと栄光を言い表す言葉が記されているのです。 パウロは後に、テサロニケの信徒への手紙一の1章5節で「わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです」と書いています。パウロが、「本当の救い主は、ただ輝かしいだけの方ではない。私たちのために陰府にまで降ってきてくださる。出口が見えない中で途方に暮れ喘いでいる、そういう人間のすぐ横にまで来てくださって、『あなたは一人ではない。落ち着きなさい。わたしはあなたと一緒にいる。あなたはまだここから生きることができる』と語りかけてくださる。だから私たちは落ち着きを与えられて、もう一度そこから歩み出すことができる」と語りかけた時に、そこに聖霊の御力が働いて、多くの人たちが信じるようになりました。テサロニケでもベレアでもそうなったのですが、実は、そのようにしてパウロの言葉を聞いて信じた人たちの中には、多くのギリシア人もいました。使徒言行録17章に、テサロニケでは4節「それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った」、ベレアでは12節「そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入った」とあります。 このことが、ユダヤ教の会堂で中心的な立場にあったユダヤ人たちを大いに刺激することになりました。彼らはパウロとシラスを妬み、いかにも倫理的に思えたユダヤ教徒としては、とても考えられないような行動に出ました。広場にならず者を集め、結託してパウロとシラスに危害を加えようとしました。5節に「しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した」とあります。ならず者がヤソンの家に押し入り、パウロとシラスを見つけていたならば、その場で始末していたことでしょう。 テサロニケでは、このように事を収めましたが、しかし、この言いがかりの言葉を聞いていますと思い出すことがあります。ならず者たちは、ヤソンが「イエスという別の王がいる」と言ったのだと記されていますが、それは本当ではありません。けれども、主イエスは王ではないのでしょうか。これはちょうど、主イエスを十字架につけて欲しいと、ユダヤ人たちがポンテオ・ピラトのもとに主イエスを突き出した時と、とてもよく似ています。あの時、主イエスを処刑して欲しいと思った人たちは、主イエスをローマ皇帝に反逆する謀反人だと言って、主イエスを突き出しました。ピラトは「そんなことはない」と分かっていますから困惑しますが、皇帝に対する謀反人だと訴えていることには対処しなければなりません。 テサロニケでパウロとシラスは危険から救い出されますが、そこから55キロ離れたベレアへ送り出されます。そしてベレアでも、ならず者が追いかけてきて同じことが起こりました。今度は止むを得ずですが、パウロだけがアテネへと送り出されて行きます。このように実際に迫害が起こったのだと、聖書に語られています。それは信仰が心の中のことだけではないからです。 使徒言行録にはあまり記されていませんが、テサロニケ教会はこの後もひどい迫害を受け続けたらしいことが、テサロニケの信徒への手紙を読むと窺われます。テサロニケの信徒への手紙一4章13節14節でパウロは「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます」と言っています。ご葬儀でよく読まれる箇所ですが、これはどういう状況かというと、テサロニケ教会で信仰の故に眠りについた人、つまり召されなければならなかった人がいたのです。そして、そのことで教会の人たちの信仰が怯んでしまわないように、「地上の死の出来事は痛ましいことだけれど、しかし私たちは死で終わりではないことを信じている。主イエスが御復活なさったことを聞かされ、それを信じているのだ」と語っているのがこの言葉です。 聖書の言葉を本当に神の言葉として受け取り、信じて、信仰が戦いの中でも保たれていくとき、教会という場所は奇跡を生じる場所となるのです。教会に集う信仰者一人一人が、聖霊によって信仰を支えられ、生活する。その営みこそが、実は奇跡であると思います。私たちは当たり前のように教会生活をしていますが、今の時代、多くの人たちがいろいろと不安になり心を動かされる中で、「あなたは一人ではない」と聞かされ、神を賛美する者として生かされている、奇跡の中に持ち運ばれていることを覚えたいと思います。そして、その神のなさりようの中で神を賛美し、神に信頼し、ここから歩みたいと願います。 |
このページのトップへ | 愛宕町教会トップページへ |