ただいま、使徒言行録16章6節から15節までをご一緒にお聞きしました。主イエス・キリストの福音が小アジアから海を越えてヨーロッパにもたらされるようになった最初の経緯がここに述べられています。それは大層不思議な仕方で生じました。もしかすると、福音を持ち運んだパウロ自身も、事態がこのように展開していくとは思っていなかったのかもしれません。
6節に「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」とあります。ここには、パウロがさらに福音を広めようとして努力している様子が記されています。情熱を傾けて動き回りはするのですが、しかし、それにも拘らず、なかなかパウロたちが思うようには、伝道活動が進んで行かない様子です。地名が出てきますので、聖書巻末にある地図、8番「パウロの宣教旅行2、3」の見ながら話を聞きますと、わかりやすいかもしれません。
パウロは第2回の伝道旅行を始めているのですが、パウロは第1回の伝道旅行を遡るようにして、まずデルベとリストラに向かいました。最初の旅行で福音の種まきをして成立した教会を御言葉によって励まし、リストラでは当地で大変評判の良かったテモテを同行者に加えました。パウロの伝道旅行のチームは、最初はパウロとシラスだけでしたが、リストラでは若いテモテが加わり、3人のチームになりました。
当初の計画では、最初の旅行で行った教会をもう一度訪ねるつもりでしたから、リストラから先のコースは、イコニオン、アンティオキアからはさらに南に下ってキプロス島に向かうはずでした。ところが、詳しい事情は分かりませんが、パウロたちはアンティオキアあたりから小アジアを西へ西へと進みました。西に進めば、小アジアにどんどん入り込んで行くことになります。そして行く先の一番奥、海岸線のところには、小アジア州の州都である大都会エフェソがあります。地図を見ますと、第3回目の旅行は点線になっていて、アンティオキアからエフェソに向かって行ったことが分かります。パウロ自身の思いとすれば、第3回と同じように、第2回もエフェソに行きたかったようです。
ところが、パウロの計画は挫折しました。「アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」と言われています。これがどのような状況なのかは、あまりはっきりしません。先に、バルナバと二人で伝道旅行に遣わされた時には、13章2節3節に「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」とあるように、聖霊が告げてパウロの第1回目の伝道旅行が始まりました。この場面は具体的に想像することができます。アンティオキアの教会の群れが皆で集まって礼拝していた時に、預言の賜物を与えられた人が聖霊に感動して、二人を世界伝道に送り出すように提案したということが、「聖霊が告げた」という言い方で記されています。アンティオキア教会はそれに賛成し、パウロとバルナバを選び出し、祈りをもって伝道旅行に送り出しました。
仮に、その時と同じ言葉使いで今日の箇所が語られているとするならば、聖霊がパウロたちに小アジアで御言葉を語ることを禁止したのは、アンティオキア辺りで、預言の賜物を持つ人とパウロたちが出会ったということになります。そして、その人が助言したと考えることができるでしょう。けれども必ずしもそうではないかもしれません。もう一つ、昔から有力な説は、パウロ自身が夢か幻を見たか、小アジアには行かないようにという神の示しを聞いたのではないかという理解です。パウロはこの先でも、たびたび幻を見るのです。多くの場合、主イエスがパウロに語って下さったり、あるいは神からの天使が神の御心を伝えてくれたりします。パウロという人は、幻を見る人でした。考えてみれば、パウロがそもそも信仰に入った最初の出来事も、ダマスコまで主イエスの弟子たちを追いかけ迫害しようとしていた時に、幻のうちに主イエスが現れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と御言葉をかけてくださったという出来事でした。ですから、パウロがここで「聖霊によって小アジアで御言葉を語ることを禁止された」というのは、パウロについて言われていることから考えるならば、パウロが幻を見たという理解の仕方も有り得るのです。
いずれにしてもパウロは、何かの理由があって、西のエフェソに向かって行きたい気持ちを封印して、少しだけ行く道を変えることになります。方角から言えば西北西に、少し北へとルートが変わって進んでいます。このコースですとエフェソには行けませんが、しかしパウロの行く手にはもう一つの巨大都市がありました。コンスタンチノープル、現在のイスタンブールです。パウロは大きな町、たくさんの人の前で福音を伝えたいと思っていたようでした。地図にコンスタンチノープルの名はありませんが、ミシア地方と書いてあるところから東に折れて海岸沿いに進むとやがて海に向かって半島が突き出しています。ヨーロッパの側からも半島が突き出していて、その海峡は狭く、それがボスポラス海峡です。今日のイスタンブールは、その海峡を挟んでヨーロッパ側とアジア側の両方に広がっています。当時もそうで、パウロはそこで伝道しようとしましたが、それも禁止されました。7節に「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」とあります。ミシア地方からビティニア州に入ればコンスタンチノープルですが、それが今度は「主イエスの霊」に禁止されたと言われています。
「主イエスの霊」というのは、聖書の中でここにしか出てこない、とても珍しい言い方です。聖霊に禁じられたと言っても意味的に良いような箇所ですが、敢えて「主イエスの霊」と書かれているのは、パウロがこの2度の禁止の出来事を通じて、伝道の計画、伝道の道筋を定めるのは伝道者個人ではなく、自分たちを伝道の業にお遣わしになる主イエスなのだということを、つくづく思い知らされたということを表しているのかもしれません。エフェソ、またコンスタンチノープルに行くことを断念するのは、パウロの思いからではなく、パウロの思いを超えての出来事でした。
パウロはコンスタンチノープルの方へ曲がれませんでしたから、止むを得ずそのまま西へ進み、とうとう西の海岸線に辿り着きますが、そこは古くからあるトロアスの港町でした。トロアスはトロイの木馬で有名な「トロイの近く」という意味ですが、トロイは大昔に滅亡した都でした。トロイが栄えたのは紀元前3000年から紀元前350年ぐらいまでと言われていますから、パウロたちがトロアスを訪ねた時には、そこは寂れた町になっていました。けれども、パウロたちはそこで福音を伝えました。
8節から9節にかけて「それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た」とあります。ここを読みますと、トロアスに着いたその夜にパウロが幻を見たように思ってしまいますが、この先の20章を見ますと、トロアスに信仰者の群れが成立していたという形跡がありますので、恐らくパウロたちはトロアスに数週間か数ヶ月は滞在して、福音を宣べ伝えたに違いありません。それで、トロアスに信じる人たちが現れて、ようやく教会の群れが成り立ち始めている、その時に、パウロは不意に、この町に働きの使命があるのではなく、海を越えたヨーロッパにこそ、使命があることを示されていきます。9節10節に「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」とあります。
この幻は、パウロの見た「夜の幻」と呼ばれる経験です。一人のマケドニア人がパウロの前に現れたと言われています。しかし不思議です。どうしてパウロは、幻に現れたその人がマケドニア人だと分かったのでしょうか。言葉、服装など、諸説あります。けれども、もっとはっきりしていることは、ここにマケドニア人と書かれている人は、使徒言行録を書いているルカだということです。ルカは、トロアスでパウロたちの語る福音に初めて出会って、強い印象を受けました。ルカ自身はマケドニア出身のギリシャ人ですが、そのルカがパウロに向かって、自分の故郷であるマケドニアに渡って行って福音を伝えて欲しいと懇願しました。
パウロは、ルカと出会うまでは、エフェソあるいはコンスタンチノープルで福音を語りたい、つまりアジア州に主イエスを伝えたいと考えていました。自分の使命はそこにあると考えて働いていました。アジアを飛び越えてヨーロッパに、という考えは持っていなかったようですから、気持ちはアジアに向かっていたのです。ところが、神はパウロと違う計画を持っておられました。トロアスでパウロがルカと出会うという出来事を、神は予め用意しておられました。そして、ルカを通して、パウロの伝道する思いが小アジアの中に閉じ込められるのではなく、さらに広い世界に向かうように導こうと、神は決心しておられました。
神はどうしてパウロの行こうとする道を遮られたのか、それはトロアスでパウロが「マケドニアに渡ってきて欲しい」という幻を見たところで、初めて理由が分かるのです。パウロがヨーロッパに渡るために、神は、パウロをトロアスへと導かれました。
パウロをヨーロッパへと導き入れたルカは、使徒言行録の著者ですが、大変控え目な人です。自分の提案で話が進む、自分の手柄になるのが嫌だったので、敢えて「一人のマケドニア人」と、まるで自分と関わりのない人がパウロにヨーロッパ行きを願ったような書き方をしています。
けれども、注意して読みますと分かることがあります。「一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした」とありますが、すぐにマケドニアに向けて出発した「わたしたち」には、誰が入っているのでしょうか。ここまで、6節から10節までは、「彼らは」が主語でした。ここで突然「わたしたち」ですから、筆者のルカが入っていることになります。
トロアスに行くまで、ルカはいません。では、トロアスでキリスト者のルカが待っていたのかというと、そうでもありません。パウロたちがトロアスで数週間福音を伝えている、その時に、たまたまルカはここで福音に出会うのです。そしてルカは大変強い印象を受けて、「わたしの故郷の人たちを助けてください」と願いました。パウロは、そういうルカとの出会いを通して一つの幻を与えられました。ヨーロッパに福音を伝えるということは、トロアスに着いたときには考えてもみないことでした。小アジアに福音をと考えていました。エルサレムから始まって、ずいぶん遠くまで来たと思っていたことでしょう。けれども、そんなどころではない、もっと遠いところまで福音は届けられなければならないことを、パウロはルカから知らされました。
パウロがヨーロッパに渡って行った時、そこにはルカがいました。マケドニアの伝道にルカも同行して、つまり3人のチームは4人になって、マケドニアへの道案内としてルカは働くことになりました。
この先、フィリピの町に教会が建てられていく闘いのことが語られていきますが、フィリピ教会は、パウロが伝道して建てて行った教会の中で最も親しく、またパウロの伝道を物心両面から支えるように成長していく教会です。そのフィリピ教会で一番最初に洗礼を受けたのが、リディアという紫布を商う婦人で、今日の箇所に出てきます。そのまま読みますと、ヨーロッパでの伝道の初穂はリディアのように思えますが、それはルカが自分の姿を隠しているからです。神のご計画の不思議さを覚えます。小アジアで伝道することしか頭になかったパウロにとっては、小アジアで福音を伝えようと思っていた間は、計画通りに進まない、上手く事が運ばず失敗続きだと思っていたに違いありません。けれども、上手くいかないと思っても、パウロたちは少しも諦めることなく、トロアスでも忠実に福音を宣べ伝えていて、それが大きなことでした。
人間の目には好ましくなく、上手くいかないと思っても、神が自分を用いて福音の種まきをしてくださっていると、パウロは信じて、トロアスでも福音を宣べ伝えました。そして、ルカがその福音に出会いました。
私たちは、今、この日本社会にあって、トロアスのパウロを見習うようでありたいと思います。日本の伝道はなかなか上手くいかない、高齢化して危機の中にあると、随分前から言われていますが、しかし、教会は人間の目に映るものが全てではありません。むしろ私たちは、教会の歩みについても、また教会に連なるキリスト者一人一人、私たちの信仰の歩みについても、全て、神の御心深くに秘められているご計画の中に覚えられ、持ち運ばれていることを覚えるようでありたいと思います。
神はパウロに、小アジアで御言葉を語ることも、またビティニア州に行くことも禁止なさいました。それは伝道をさせないためではありませんでした。パウロを別のことに用いようとなさったからです。パウロはそういう神のご計画に従って用いられていきました。そして、日本の教会もそうだと思います。
神がこの地上を救うために教会を建てておられ、私たちはそこに招かれているのですから、私たちは、神の救いのご計画がどこにあるのかを求めながら、忠実に仕えるようでありたいと願います。
ルカは、一体どうして、パウロたちをヨーロッパに招いて福音を宣べ伝えて欲しいと願ったのでしょうか。それは、他ならぬルカが、福音の持つ絶大な力に感動して、変えられるという経験をしたからに他なりません。
ルカはトロアスでパウロから、「この世界をお造りになった神さまが、人間一人一人を真剣に受け止め愛してくださる。ご自身の独り子を十字架に架けてさえ、地上の人間たちが神のもとに生かされていることを知るようになることを願っておられる」ということを聞きました。
神が一人一人を真剣に愛してくださって持ち運んでくださる、このことが語られる、聞かれる場では、何が起こってくるでしょうか。真剣に聞いた人は、「神さまがわたしを愛してくださっている」と知れば、喜ぶに違いありません。神に感謝し、自分も神を愛して生きようとするでしょう。神を喜ばせるような生活をしてみようとするでしょう。まず生活に張りが生まれます。そうするとそこで、第二のことが起こってきます。すなわち、神は自分を愛してくださっているだけではなく、人間一人一人を皆愛してくださっている。そうであるならば、「わたしは隣の人を愛して生活してみよう」という態度が生まれてくるのです。
私たちは、隣人が皆、気に入った人、気の合う人ばかりではないでしょう。中には気が合わない人もいるでしょう。けれども、「神はその人も愛してくださっている。神さまに感謝して生きるのであれば、その人とも何とか一緒に生きてみよう」という姿勢が生まれてくるのです。
けれども、そのように「神を愛し、隣人を愛して生きる」、それだけなのかというと、それだけではありません。神がすべての人を愛してくださっているということは、人間一人一人を別々に愛しておられるのではなく、神は造り主として、この世界をお造りになったお方として、この世界全体を一つのものとして愛してくださっているのです。人間以外の生き物であっても、神は愛してくださっています。ですから、私たちの信仰は、自分が個人的に神を信じ、神を愛しているということに留まらなくなります。皆が神の前に一つの民として集められ、皆で一つの群れとなって神に感謝し、応答していく。それが、私たちが毎週教会に集まって礼拝する中で表していることです。
礼拝は、個人個人が自分の信仰を申し上げる時なのではありません。神は、私たちが一つの群れである、神がお造りになった一つのものだとおっしゃり、「ここに来なさい」と呼び集めてくださり、私たちは皆で神の前で整列し、神に感謝して礼拝するのです。
そしてさらに言えば、この地上の礼拝は、今、私たちの目に見えているこの場所だけで完結しているのではありません。教会には随分と長い歴史があって、御許に召された兄弟姉妹があり、あるいは、この世界がやがて完成される時まで、ずっと教会が続くのであれば、今はまだ見ることのない、これから教会に集う兄弟姉妹も大勢いるに違いありません。神の前では、それら全てが一つの教会です。
そういう意味で、私たちは、地上の自分の一生も、また教会の置かれている地上も、やがては過ぎ去っていくものなのだということを聖書から知らされています。過ぎ去り、全て無くなって滅んでいくのかというと、そうではなく、地上を超えたさらに好ましい世界を、完成の時に神が備えてくださっている。私たちは今、神が備えてくださっている一番終わりの完成の時を憧れながら、遥かに望み見ながら、この地上で、少しでもそれに近い姿を表してみようとして教会の交わりを作っているのです。
新しい天と新しい地がもたらされる時、何が起こるでしょうか。もはや死もなく、悲しみも嘆きも労苦もなくなるのだと教えられています。私たちは、そのような永遠の命を約束されて、今、この地上の命を生きているのです。
教会が地上で神の約束を信じて礼拝を捧げる時に、そこでは本当に大きく力強い神の御手が私たちを覆い、私たちを保護してくださいます。たとえ私たちがどんなに弱く、乏しく、貧しく見えたとして、神がそのわたしを持ち運ぶとおっしゃってくださる。私たちはそういう救いの中に入れられています。
ルカは、そういう救いがあることを、パウロの説教を通して知らされました。そして、「是非とも自分の故郷でこの福音を伝えて欲しい。ヨーロッパに渡って福音を多くの人に語って欲しい」と願い、そして神は、このことをパウロに務めとして与えられました。ですから、小アジアでの伝道、コンスタンチノープルでの伝道は上手くいきませんでした。
私たちは今日、そういう神の約束を聞かされながら、それぞれに与えられている生活の中へと戻されていきます。私たちは洗礼を受け、キリスト者とされていることで、新しい生活を生きる者とされていることを、もう一度覚えたいのです。
今日はこの後、聖餐式があります。聖餐に与り、主の御体に与って生きる者なのだという約束をもう一度確認するのです。それは、この場所で、人間の交わりに与っているということではありません。終わりの日に向かって、この約束に与らされている。永遠の命の中に抱かれて、どんなに困難や苦しみに直面する時にも、神がわたしたちを終わりまで持ち運ぼうとしてくださっている。その約束が確かにあることを思い、主イエスが私たちの中に共に歩んでくださることを覚えて、歩み出したいと願います。 |