聖書のみことば
2020年5月
5月3日 5月10日 5月17日 5月24日 5月31日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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5月10日主日礼拝音声

 使徒会議
2020年5月第2主日礼拝 5月10日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/使徒言行録 第15章1〜35節

<1節>ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。<2節>それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。<3節>さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。<4節>エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。<5節>ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。<6節>そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。<7節>議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。<8節>人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。<9節>また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。<10節>それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。<11節>わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」<12節>すると全会衆は静かになり、バルナバとパウロが、自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた。<13節>二人が話を終えると、ヤコブが答えた。「兄弟たち、聞いてください。<14節>神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました。<15節>預言者たちの言ったことも、これと一致しています。次のように書いてあるとおりです。<16節>『「その後、わたしは戻って来て、/倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、/元どおりにする。<17-18節>それは、人々のうちの残った者や、/わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、/主を求めるようになるためだ。」昔から知らされていたことを行う主は、/こう言われる。』<19節>それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。<20節>ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。<21節>モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです。」<22節>そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。<23節>使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。<24節>聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。<25節>それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。<26節>このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。<27節>それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。<28節>聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。<29節>すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」<30節>さて、彼ら一同は見送りを受けて出発し、アンティオキアに到着すると、信者全体を集めて手紙を手渡した。<31節>彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ。<32節>ユダとシラスは預言する者でもあったので、いろいろと話をして兄弟たちを励まし力づけ、<33節>しばらくここに滞在した後、兄弟たちから送別の挨拶を受けて見送られ、自分たちを派遣した人々のところへ帰って行った。<34節><底本に節が欠けている個所の異本による訳文>しかし、シラスはそこにとどまることにした。†<35節>しかし、パウロとバルナバはアンティオキアにとどまって教え、他の多くの人と一緒に主の言葉の福音を告げ知らせた

 ただいま、使徒言行録15章1節から35節までをご一緒にお聞きしました。説教題ともしましたが、ここで述べられている出来事はエルサレムで開かれた「使徒会議」と言われています。この15章は、使徒言行録全体から見ますと後半の始まり、入り口のようなところです。前半には、甦った主イエスが40日間弟子たちと共にいてくださり、確かに復活はあったということを弟子たちに伝えた後、天に昇られ、ペンテコステの聖霊降臨の出来事によって教会の歴史が地上に始まったこと、それが語られていました。
 そして、15章から始まる初めのところに「使徒会議」が記されています。この会議は、この後何度も開かれた会議の中の一つということではなく、この後の教会の歩み全体に関わり、教会の歴史の方向を決めるような会議でした。使徒言行録の全体が、復活した主イエスとの親しい交わりとして、聖霊が与えられて教会が誕生したという決定的な経験から語り始められているのと同じように、この後半は、一つの会議の記録から始まっています。この会議では何が一体問題となったのでしょうか。そしてそれはどう決着したのでしょうか。今日はそのことを聴き取りたいと願っています。

 発端となった出来事は何だったのでしょうか。1節に「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった」とあります。発端となったのは、エルサレム教会とアンティオキア教会の、礼拝の形の違い、あるいは信仰生活の習慣の違いから生じたことでした。
 少し前に話しましたように、ステファノの殉教をきっかけに、エルサレム教会の約半数の人たち、主にギリシャ語を話す弟子たちが迫害され、エルサレムから落ち延びざるを得なくなりました。落ち延びた弟子たちが様々な土地を経てアンティオキアに着いた時、そこにいたユダヤ人だけではなく、異邦人たちにもキリストの福音を宣べ伝え、それを聞いた人たちが福音を信じて、そこに教会が生まれてきました。アンティオキア教会は、ユダヤ人の弟子たちが中心にいましたが、その周りにたくさんの異邦人たちがいた教会です。そこがエルサレム教会と違っていました。
 エルサレム教会はヘブライ語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人と、言葉は違ってもユダヤ人たちが集まっている教会でした。どちらもユダヤ人ですから、互いの中で違いがあると感じたとしても、男性は皆割礼を受けていますし、子供の頃から旧約聖書の律法を教えられ、それを重んじる生活を送っています。使徒言行録2章46節には、エルサレム教会の生活の様子が「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた」と語られています。エルサレム教会で、皆で心を一つにして毎日していたことは、神殿参りでした。そして習慣に従って、家ごとに集まってパンを裂いて食事をする、このようなエルサレム教会の信仰のスタイルは、周りのユダヤ人から見て、ほとんど違和感のないものでした。ですから「民衆全体から好意を寄せられた」と言われているのです。周りのユダヤ人と殆ど変わらないので、敬虔な人たちとして見られました。
 ではアンティオキア教会はどうだったでしょうか。アンティオキアの町には異教の神殿はあっても、エルサレム神殿はありませんから、アンティオキアのキリスト者は、毎日神殿に詣でることはできませんでした。仮に無理やり神殿に行ったならば、それは異教の祭壇ですから、偶像の神に向かってしまうことになります。ですから、アンティオキア教会ではむしろ、異教の神々を礼拝しない、神殿詣でしないことで、主イエスを送ってくださった神への信仰を表すようなところがありました。
 またもう一つの、家ごとのパン裂き、食事については行われていたと思われます。アンティオキア教会からパウロとバルナバが伝道旅行に送り出される中で、アンティオキアで生まれた教会は、パン裂きをとても大切なこととして行っていたという記録があります。パン裂きの度に覚えられたことは何かというと、パン裂きの礼拝が一番最初にどこで始まったかということが覚えられるのですが「主イエスが私たちのために肉を裂いて血を流してくださった」ということが中心にあることです。私たちにとっては聖餐式として覚えられていることです。ですから、すべての教会でパン裂きが行われていました。
このパン裂きの食事に招かれて来る人は、エルサレム教会ではユダヤ人ですが、その他の教会では異邦人も招かれているのです。礼拝に集う度に、主イエスの十字架と復活を覚えてパンが裂かれ、杯が回されます。ユダヤ人と違って、異邦人の人たちは聖書に親しんでいませんので、礼拝の中でパンが裂かれ、杯が回されているのはどういう意味があるのか、分からないという人が多く現れました。それで、パン裂きがどういうことなのか、それは主イエスが十字架に架かられた出来事に関わるのだということが説明されるようになり、それが説教になっていきました。
 ですから、今日私たちが捧げている礼拝は、そのように教会の歴史の中で次第に形作られてきたものです。礼拝の形や順序の最初の中心は、主イエスの十字架と復活を覚えるパン裂きの中にありました。そしてその内容を確認するために説教が加えられるようになり、今日まで繰り返し、礼拝が捧げられています。

 さて、このように毎週パン裂きをしていたアンティオキア教会に、エルサレムからユダヤ人たちがやってきました。そして、アンティオキア教会の信仰生活の形を批判しました。1節にある通り「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と言いました。割礼を受けさえすれば救われるということではなく、割礼を入り口として律法をすべて守るのでなければならない、神に対して、聖書に言われていることをすべて実行するのでなければ救われないのだと言いました。それで、アンティオキア教会の中に少なからず動揺が走りました。この教会には割礼を受けていない異邦人が大勢いたからです。律法を守ることについても、ユダヤ人は子供の頃から教えられているので頭に焼き付いていますが、大人になってから教えられた人には覚えられるものではありません。ですから、そうできない自分たちは救われないのだろうかと大勢の人が動揺しました。

 けれども、エルサレムから来た人たちが言ったことは、アンティオキア教会でパウロやバルナバやその他の教師が伝えていたこととは違うことでした。エルサレムから来た人たちが大事にしていたことは「律法を守って福音を信じなさい。主イエスはそのように招いておられる」ということです。それに対してアンティオキア教会を指導しているパウロやバルナバたちは「本当の福音は、ただ主イエスの十字架のみである。律法を行うことよりも、主の十字架によって救われていることを信じることが大事なのだ」と教えました。
 この考え方の違いは、言われている言葉によっても確認できます。エルサレムから来た人たちは、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と言っていますが、ではパウロたちは、どう言っているのでしょうか。パウロの言葉で明確なものは、ガラテヤの信徒への手紙にあります。5章2節に「ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります」。これは異邦人に対して言っている言葉です。「これから割礼を受ける、それによって救いを確かにしようなどと思うのであれば、あなたにとってキリストは何の役にも立たない」と言っています。6節では「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」とも言っています。ですから、双方で言っていることがまるで違っていることが分かります。エルサレムから来た人たちは「割礼を受けなければ救われない」と言い、パウロたちは「割礼に頼るのであれば、それは主イエスに頼っていることにならないし、あなたにとってキリストは何の役にも立たないことになる」と言っています。

  アンティオキア教会の人たちは困ってしまったことでしょう。結局どちらを信じたら良いのか分からなくなり、アンティオキア教会からエルサレム教会に使節団を派遣して、この点を確かめてみることとなりました。その際に、アンティオキア教会の信仰理解をはっきり伝えるためには、使節団の中心はパウロ、バルナバですが、その他の兄弟たちも加わりました。2節に「それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった」とあります。このようにして協議することになった、それが使徒会議です。

 エルサレム教会にアンティオキア教会の使節団が到着した時に、エルサレム教会では彼らを兄弟姉妹として歓迎したと言われています。ところが、この歓迎会の席上で、パウロとバルナバは早速、自分たちの信仰理解について伝え始めました。すると、エルサレム教会の中でパウロたちの信仰の立場に反論する人が現れてきました。4節5節に「エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、『異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ』と言った」とあります。5節で「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と強く言った人たちは、1節でアンティオキアに乗り込んできて「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えた人たちと同じ考えをしている人たちです。この人たちにとっては「モーセの慣習」に人々を従わせること、つまりユダヤ人でなくてもユダヤ人のように割礼を受けてもらい、旧約聖書に書かれているような生活をすることが救われた人間のすることだと思い、それを守らせようとしました。
 割礼を巡る意見の対立は、教会の歴史の中で、教会が分裂しかねないほど深刻になった最初の論争だと言われます。この問題は、ただ単に意見が違うということではなく、ペンテコステの日から20年ほどしか経っていない、地上に誕生した若い教会を揺さぶった深刻な問題でした。それは、旧約以来の古い神の民であるユダヤ人と、新しい神の民であるキリストの教会とが一体どういう関係にあるのかという問いでもありました。
 エルサレム教会で、割礼が大事だと主張した人たちは、「ファリサイ派から信者になった人」と言われています。エルサレム教会は、ペンテコステの日から急速に発展して行きました。ものすごい勢いで人が増えました。聖霊が降った時に、一番最初にそこにいて祈りを合わせていたのは120人ほどだったと言われています。ところが、4章を見ますと、僅かな期間に、それが男性だけでも5,000人を超える群れに成長したと言われています。女性は数えられていませんから1万人くらいだったかもしれません。100倍近くも増えたことになります。
 教会に集う人が増えたことは喜ばしいことでしたが、あまりにも短期間で人数が増え、しかも生活のスタイルはユダヤ教と変わらない生活でしたから、元々ファリサイ派で、主イエスの十字架の話を聞いて信じるようになった人たちの中で、主イエスが神との仲立ちをしてくださったのだと信じていても、同時に元々の自分の信仰生活もあって、神の言葉を懸命に実行することが神に喜ばれるはずだと信じ、そのことが通用すると考えてしまうことは、致し方ないところがありました。

 エルサレム教会ではこのことを重く受け止めて、このままだとエルサレム教会とアンティオキア教会の一致が崩れてしまうだけではなく、何よりもエルサレム教会の中で主イエスの十字架と復活の意味が見失われてしまう方向に向かって行ってしまうことが心配されました。それで使徒たちと長老たちの会議が招集され、この問題について話し合われました。議論は活発に交わされていったようですが、途中でペトロが発言しています。
 ペトロはかつて、カイサリアの異邦人、コルネリウスのもとに行って福音を告げ知らせるという経験をしていたためです。実際にコルネリウスの家で主イエスの福音を語ったところ、そこに聖霊が降って、聞いていた異邦人たちが神の御業を讃美するということが起こりました。ペトロはその時に、その人たちに割礼を受けるように言ったのではありませんでした。主イエスを信じたのであれば、主イエスの名によって洗礼を受けるようにと命じました。
 パウロたちが異邦人に伝道し、異邦人たちが主イエスを信じるようになったとの報告を聞いていたペトロは、自分の経験の記憶が甦ってきて、その時のことに触れながら発言しました。8節から11節です。「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」。
 ペトロは、自分は救いとは律法を行うことではなく主イエスの恵みによって与えられるのだと信じているけれど、それは異邦人も同じだと言っています。主イエスが私たちのために十字架に架かってくださった出来事こそが、私たちに救いをもたらすのであって、それ以外に救いはないと、ペトロは主張しました。

 ペトロの言葉を受けて、さらにパウロとバルナバが語ったのち、最後に、主イエスの弟であるヤコブが口を開きました。そしてこのヤコブの言葉に、この場で反対する人がいなかったというところで、エルサレム教会の最終的な判断が定まっていったようです。19節で「それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」とヤコブは言っています。「神に立ち帰る異邦人を悩ませない」ということは、「割礼や律法の行いを実行しないと救われない」などと要求しないということです。救いとは、自分が何かを行う、正しいあり方をしようとするところにあるのではなく、ただ主イエスの十字架によって赦しが与えられているということを信じて生きるかどうか、主イエスを信じ、主イエスに従った生活しようとするかどうかという点にあるということを、この日、エルサレム教会とアンティオキア教会は、共通した信仰であると確認しました。
 このことによって、教会は分裂を免れました。そしてまた、このことによって、主イエスを信じて生きることが本当に大事なことなのだという、教会の自由な信仰生活が確認されて行きました。そして、この確認が、この後のすべての教会の信仰の土台となり、主イエスの福音が宣べ伝えられていくようになりました。

 今日ここに語られていることは、言葉だけを聞けば、私たちにとっては毎週聞いている当たり前のことが決まったということに過ぎないと思われるかもしれません。けれども、ここでなぜこのようなことが起こったのかと考えてみますと、これは私たちすべての人間にとって、主イエスの十字架の御業によって救われていると信じるということが、いかに難しいことかということを表しているのかもしれません。
 私たちはつい、自分の救いという事柄を自分自身の主観で決めようとするようなところがあります。自分が救われていると実感できるかどうか、救いを自分の感性や理性で自分自身に納得させようとする、自分がそう思うことを望むようなところがあります。けれども、その結果は、主イエスがわたしのために十字架に架かってくださったと単純に信じるのではなく、今の自分の信仰のあり方が自分で正しいと感じられるかどうか、自分は正しいと思えるかどうか、主観の方が先立ってしまうということが起こり得るのだと思います。
 そして、そういう主観の満足を求め始めると、どうしても私たちは、主イエスに目を上げるのではなく、自分自身のあり方を気にするようになります。そしてそうなりますと、自分を卑下するか高慢になるか、どちらかになって行かざるを得ないのです。自分はまだまだ信仰が薄く弱い者だと言って自分を責めるか、自分は今のままで十分に主に従っていると思って高慢になり周囲を見下すようになるか、どちらかになってしまう危険があります。

 けれども、自分のあり方に目を落として自分を責めたり有頂天になったり、聖書の物差し、社会の物差しで測って自分は正しいと思うのではなく、主イエスの十字架の御業にこそ目を上げる、そういう者とされたいと願います。そうするようにと私たちは招かれています。
 私たち人間の愚かさや高慢さ、弱さは、私たちの体にくっついています。地上を生きる限り、自分の頑なさ、弱さはいつも付いて回ります。けれども、私たちがそうであるので、主イエスが十字架に架かってくださったのです。そういう神の御業があるので、私たちは、教会に集められて、その福音を毎週毎週聞かされ、確かに主イエスの御業は私たちのための出来事だったと、聖餐式を通して、私たち自身の体の中に主イエスの御言葉をいただいていくようなところがあるのです。

 私たちは、自分自身の罪に目を落とし、罪の破れに目を落として気落ちするのではなく、神がわたしをなお慈しんでくださっている、「あなたはわたしのものだ。わたしが命を与えているのだから、生きていくように」と呼びかけてくださっていることが本当に確かになるために、主イエスの十字架と復活の御業が行われているということを、自分のこととして確認し、またこの世界の中に宣べ伝えていくような働きに導かれたいと願います。
 一人でも多くの人が、神の慈しみを受けている人として招かれるように、教会はそれぞれの場所に立てられていることを、私たちは思うべきだろうと思います。
 私たちは今ここで、自分自身の生活の中で、自分たちの馴染んでいるこの交わりが続くことを願うかもしれませんが、しかし、私たちの外に、さらに多くの人たちが招きを受ける方々として存在していることを教会は忘れてはなりません。
 私たちは、すべての教会が主イエスの十字架と復活を喜び感謝しながら礼拝を捧げ、聖餐に与るように招かれ、そこに更に多くの人たちを招くようにと立てられています。私たちは、そういう神の御業の中に覚えられ、抱かれていることを感謝しながら、ここからそれぞれの生活へと送り出されたいと願います。

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