ただいま、使徒言行録14章8節から28節までをご一緒にお聞きしました。先に、一握りほどのキリスト者たちが聖霊に励まされて、自分たちの中から二人の兄弟を世界伝道へと送り出しました。断食をして祈り、二人の上に手を置いて福音宣教者として送り出しました。それは、シリアのアンティオキアの教会から始まりました。
二人を送り出したアンティオキア教会は、恐らく二人のことを一日として忘れることなく、日夜彼らのための執り成しの祈りが捧げられていただろうと想像できます。二人のこの伝道旅行がどのくらいの期間だったのか、はっきりとは記されていませんが、少なくとも数ヶ月のような短いものではなく、3年から5年ほどの期間だっただろうと考えられます。その間、アンティオキア教会と二人の伝道者の間にどれくらい密接な連絡があったかと考えますと、当時の通信手段から考えますと、ほとんど連絡を取り合うことはできなかったと思います。仮に何らかの手立てがあったとしても、二人の忙しい生活を考えますと、詳しく状況を知らせ合う余裕はなかっただろうと思います。
けれども、だからと言って、二人の伝道者に寂しさはありません。教会の側もいたずらに不安に駆られたりはしませんでした。キリスト者の場合には、お互いがどんなに離れていても、その間柄はいつもお祈りの絆で結ばれています。パウロとバルナバ、そしてアンティオキア教会の間には、別々の場所でも礼拝に集い、祈り合う結びつきがありました。祈りにおいて、姿は見えませんがお互いを主なる神に委ね、その平安を確認し合っていました。
今日の箇所では、そのように旅をしていた二人の伝道者がアンティオキアに戻ってきます。今日でも、長い旅に出る場合には、家族はその人が戻るまでは不安に過ごします。当時は尚更でしょう。長い旅に出かけた人が何年もの年を経て戻ってくるということは、決して当たり前のことではありません。ですから、二人が無事にアンティオキアに戻ってくることができたこと自体が感謝すべき大きなことでした。二人が戻ると、早速、教会の人たちが呼び集められたのだと言われています。27節に「到着するとすぐ教会の人々を集めて」と言われています。アンティオキア教会の人たちは、自分たちが毎日お捧げしていたお祈りがどのように神に届けられたのか、二人から聞かせてもらう資格が十分にあります。二人が語った報告は、教会の人たちの予想を遥かに超えることでした。27節の後半には「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」とあります。
パウロとバルナバは、出かけて行った先のことを話します。キプロス島においても、パンフィリア州においてもシチリア州においてもガラテヤ州においても、「神が何と異邦人に信仰の門を開いてくださった。ユダヤ人の中に何人かの異邦人がいるということではなく、ほぼ全員が異邦人である群れが誕生している」。アンティオキア教会の人々に最も強く届いたのは、このことでした。ですからここに「異邦人に信仰の門を開いてくださった」ということが特別に記されているのです。
アンティオキア教会自体、エルサレム教会から見れば、ずいぶん様子の違う教会でした。エルサレム教会はユダヤ人が中心ですから、皆が旧約聖書の律法に従って生活し、律法を守ることが神への誠実さを表すことです。エルサレム神殿に詣でて生活する、それがエルサレム教会の神への敬虔さを表す姿ですが、アンティオキアには神殿はありませんし、異邦人もいますから、割礼を受けていない人も礼拝に集っています。ところが今や、アンティオキアでは異邦人だけの教会が生まれている。律法を守ることだけで信仰を表すのではなく、主の日に皆が集まって礼拝を捧げ、同じ主の福音に耳を傾け主を賛美する、そのように声を合わすことによって信仰を表し、またそこから送り出されて喜んで生きていく、そういう教会の群れがアンティオキア以外に、各地に生まれていることが伝えられました。その人たちはもともと、聖書とは何の関係もなく生きてきた人たちです。その人たちがパウロとバルナバの語る福音に耳を傾けてくれました。聖霊が働いて、福音を信じる信仰が異邦人たちにも与えられました。パウロとバルナバは無駄に働いたのではありませんでした。そして二人のためにアンティオキア教会が祈っていた祈りも虚しくはなりませんでした。何よりも、主イエス・キリストが十字架に死んでくださり甦えられた、その事実が無駄にはなりませんでした。異邦人たちが教会の群れに加えられ神を礼拝して生活している、信仰の奇跡が起こったということを、この日、アンティオキア教会の人たちは二人の伝道者から聞かされました。27節に言われている通りです。
パウロとバルナバが母教会であるアンティオキア教会に語った事柄は、私たちにとっても大きな意味のあることでした。異邦人たちの前に開かれた信仰の門は、今も変わらず開かれているからです。
私たちは毎週ここで礼拝しますが、もしかすると、主イエスのことを聞かされてもなかなか信じることができないと悩むことがあるかもしれません。聖書を読むことが億劫になったり、祈っても、まるで宙に向かって独り言を言っているように思ってしまう、讃美歌を歌っても喜びを感じない、そんな時があるかもしれません。それでも、そんな思いを持つ人たちに向かって、パウロとバルナバは語りかけています。「そういうあなた自身にがっかりしなくて良いのだ。神さまを信じられないことに根負けすることはない。門を叩き続けなさい、きっと開かれるから。神さまはあなたの前に信仰の門を開いてくださっています」と、二人は語りました。もし自分の信仰の乏しさ、貧しさを嘆くことがあるとしたら、それはまさに、そこに信仰があることのしるしです。たとえ僅かでも信仰の門が開かれていることのしるしが、自分の信仰の薄さを嘆いたり弱さを悲しく思うという形で現れているのです。
あるいは礼拝に集うときに、私たちの中には、親しい友人や家族のことを考えて、その人たちが神に支えられて生きることができれば良いけれど、信仰のことではなかなか心を開いてくれないと悩んでいる方がおられるかもしれません。けれども、早まって諦めてはなりません。パウロとバルナバが語ったことは、これまで信仰と全く関わりなく過ごしてきた異邦人にも信仰の門が開かれたということです。それは二人の話が上手だったからではありません。神が二人と共にいて、神が働いてくださって起こったことだと語りました。ですから私たちは、どなたに対しても「この人は神と関わりがない、信仰を持つはずがない」とレッテルを貼らない方が良いと思います。むしろそういう方々をなお心に覚えて、神さまにその方をお委ねしますと執り成しを祈り続けることが大切です。
確かに頑なに神を拒絶する方もいます。世の中を見ると憂鬱なことばかりが目について、その重さに圧倒され、打ちひしがれ、家の中に閉じこもっていたくなることがあるかもしれません。けれども、私たちは悲しみや不安を抱え嘆きを覚えている、そういう自分自身をこそ、神にお委ねする。私たちにとっては思うようにならないと思うこの世界を、真実に支配しておられる神がおられることを信じて、世界の主に自分自身を委ねるということを学ばなくてはならないと思います。「異邦人に信仰の門を神が開いてくださった」、パウロとバルナバが伝えてくれたこの言葉を、そのまま信じることが私たちにも求められていると思います。
ところで、神が異邦人に信仰を与えてくださるということは、キリスト者にとって決して易々と達成されるようなことではありません。パウロとバルナバにしても、少し語って簡単に伝道できたということではありませんでした。22節には、信仰に踏みとどまるように兄弟姉妹を励ましながら旅を続けた二人の姿が語られています。「弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました」とあります。異邦人たちに信仰の門が開かれるということと、そのために先に召されているキリスト者たちが苦しむことは、言ってみればコインの裏表のようなところがあります。困難を覚えるところで、しかし御言葉に励まされながら「神さまがわたしを真実に支えてくださっている。本当に神さまはわたしの上におられる」と信じて祈り続ける教会の、礼拝の営みが実際にあってこそ、そこに招かれる異邦人たちも信仰の門をくぐることができるようになるのです。私たちが招かれて教会に集っているということは、「ここに救い主がおられる。だからあなたも来てみなさい」と、愛する隣人たちを招く業であることを覚えたいと思います。
今日の箇所では、リストラの町でパウロとバルナバがどのような経験をしたのかが語られています。リストラの町は、これまで二人が過ごしてきた町と少し違うところがありました。それまでは、どこでもユダヤ人の会堂がありましたから、二人はそこで語ることができました。ところがリストラにはそういう会堂がなく、仕方なく二人は路傍で福音を語り始めました。けれども、リストラはアンティオキアから遠く、二人にはその土地の言葉がわかりませんし、逆にリストラの人たちも二人の語っている言葉がわかりません。二人の言葉は多分ギリシャ語ですが、タルソスやアンティオキア訛りのあるギリシャ語だったでしょう。福音を伝えたいけれど、言葉の壁があってなかなか伝わりません。それでも二人は熱心に語りました。それは一日二日のことではありません。二人は毎日毎日同じ場所に来て、熱心に道行く人たちに語りかけました。そうするうちに、二人が話していることを何とか理解する人が起こされてきました。その最初の人は、「生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった」と言われています。
この人と同じような境遇の人の話は使徒言行録3章にも出てきていました。その人は美しの門という場所に置かれていたのですが、どうしてそこに置かれていたかというと、それは施しを受けるためだったと語られています。当時、足が不自由であれば仕事ができず収入を得ることは難しかったので、せめて人通りの多い神殿の門のところにいて、皆からの憐れみを受け施しを受ければと、家族か友人が毎日その人をそこに連れてきて置かれていた人でした。今日の箇所、リストラで、パウロとバルナバと関わりになる人も、ほぼ同じ境遇にあったと考えて良いと思います。往来の多い場所に置いてもらって、施しを受けられるようにと、連れて来られているのです。
往来の多いその場所に、パウロとバルナバが毎日来て、福音を伝えようと語り続けました。往来では、足を止めてくれる人はあまりいません。その上、言葉もよく分かりません。けれども、足の不自由な人は動けませんので、一日中、二人の語る福音を聞かざるを得ませんでした。それで、いかに言葉がわからなくても、毎日何度も聞かされるうちに、おぼろげにはそこで語られていることが分かるようになりました。そしてこの人の中に信仰が生まれるということが起こったのです。
パウロたちにもそのことが分かり、ある日、説教の後でその人に目を止め、自分の足で立ち上がるようにと促したところ、この人は不思議なことに自分の足で立ち上がることができるということが起こりました。
この出来事は、リストラの町に大きな反響をもたらしました。町の人たちはパウロとバルナバをギリシャ神話の神々の再来だと思い込んでしまいました。11節12節です。「群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、『神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった』と言った。そして、バルナバを『ゼウス』と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを『ヘルメス』と呼んだ」。とんでもない思い違いが起こりました。
エルサレムで同じようなことが起こったとき、それは使徒言行録3章に語られていたことですが、そこでは周囲の人たちはユダヤ人ばかりでしたから、「ただお一人の神がこの人を憐んで癒してくださったのだ」と気づいて、神の御名が誉め称えられたと記されています。ところがリストラでは、「ただお一人の神がおられる」ことを知る人がいません。ギリシャ神話の神は「ただお一人の神」ではありませんので、パウロとバルナバは、数多くいる神々の化身と思い込まれてしまいました。町の人たちは、自分たちの中に神が現れていると思い大騒ぎしていますが、その騒ぎの言葉をパウロたちは理解できません。「ゼウス、ヘルメス」という言葉くらいは聞き取れたでしょうから、何かギリシャ神話の祭りでも始まったのかと思ったことでしょうが、13節「町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした」と、この騒ぎの目当てが自分たちであることに気付いて、二人は慌てました。一刻も早くこの誤解を解かないと、ただお一人の神を差し置いて、自分たちを神として礼拝でもされたら神に申し訳が立たない、それどころか打たれてしまうかもしれないと、二人は恐れて、群衆の只中に飛び込んで行きました。そして、二人の語る内容が理解されたかどうかは定かではありませんが、13節「こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた」とあります。
さて、このようにリストラで騒ぎが起こっているときに、アンティオキアとイコニオンに住んでいるユダヤ人たちがこのことを聞きつけてやって来たのだと語られています。
イコニオンのユダヤ人たちは少し過激なところのある人たちでした。アンティオキアでは、ユダヤ人は二人を追い出しただけで終わっていましたが、イコニオンのユダヤ人たちは二人を迫害して殺そうという陰謀を持っていました。ですから、パウロたちがイコニオンを去ったのちも執念深く二人を付け狙っていて、リストラでの騒ぎを聞きつけ、これはパウロたちに違いないと思い、やって来たのです。そして、リストラで、パウロたちの悪い噂を流したのか、あるいはならず者を雇ったのか分かりませんが、いつものように二人が往来で福音を宣べ伝えている所に来て、石を投げつけ、攻撃し始めました。その投石で、とうとうパウロは深傷を負い、仮死状態になってしまいました。そしてパウロを町の外に引き摺り出し、去って行きました。
そういうわけですから、パウロは町の外では、虫の息だったに違いありませんが、この町でキリスト者になることができた僅かの人たちやバルナバが介抱し、幸いにも回復して、再び立ち上がることができたと記されています。再び立ち上がって、そこでパウロは何をしたでしょうか。もう一度、リストラの町に入って行きました。20節「しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった」とあります。
本当に命がけで、パウロは、この町に福音を伝えました。そしてその後、デルベに向かい、そこでも多くの人を弟子にしたと語られていますので、何ヶ月もそこにいて働いてから、再びリストラに戻り、イコニオンに戻り、アンティオキアに戻りと、引き返しながら、先にキリスト者とされた兄弟姉妹を励まし、そしてペルゲでは、行きには体調不良で語れなかったのですが、今度は福音を語ってからアンティオキア教会に戻って行ったという足取りが述べられています。
この帰りのルートを読んでいますと、少し不思議な気がします。パウロはこの第一回伝道旅行でデルベまで行っています。イコニオン、リストラ、デルベと西から東に歩いていますが、そのまま先を進めばパウロの生まれたタルソスがあり、その先をさらに進むとアンティオキアに行けるのです。ですから、まっすぐアンティオキアに帰るのであれば、後戻りする必要はありませんでした。ところが二人は、あえて、元来た道を引き返すように、わざと遠回りしています。どうしてでしょうか。
普通に考えれば愚かなことのように思います。デルベではある程度の信仰者が起こされましたが、リストラに戻れば言葉は通じず、しかもパウロに石を投げつけた人たちがいるかもしれません。イコニオンでも激しい迫害にあっていますし、アンティオキアでも、もう来ないでくれと言われています。どうしてそんな場所を選び、パウロたちは困難な道を歩んで行ったのでしょうか。それは22節に言われている通りです。「弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました」。パウロは兄弟姉妹の信仰を励まして、それぞれの土地での教会の組織を固めるために、わざわざ、元来た道を戻って行きました。
神の御業に仕えるために、パウロもバルナバも、痛い目に遭うとしても怯みません。二人は各地に立てられた教会の群れを敵の只中に残してくるのです。しかしそれは、敵の手に渡してくるということではありません。23節にあるように、それぞれの教会を「信じる主に任せて」帰って行きます。
帰りのルートで立ち寄らなかった場所がありました。それはキプロス島でした。もしキプロス島に行っていたらどうなったかを想像します。そこには魔術師のバルイエスから解放してあげたセルゲウスパウルスという人がいて、おそらくパウロたちが立ち寄れば、島を挙げて大歓迎してくれたことでしょう。
この第一回目の伝道旅行は、3年か5年か分かりませんが、人間的な見方で言えば、これが成功だったかどうか、判断が分かれるところかもしれません。二人にしてみれば懸命に福音を宣べ伝えましたが、結果的には行った先々で迫害され追放され、石で打たれ、災難続きの歩みです。一見したところ、勝利とか成功とか思えないところで、実は「神が異邦人に信仰の門を開く」ということを行ってくださったのです。その「異邦人に信仰の門が開かれた」ことが続いて行って、今日、私たちがここで礼拝することになっているのですが、私たちが礼拝する、その始まりのところ、かつての日の異邦人伝道というのは、このように始まったのだと聖書が伝えていることを覚えたいと思います。
今日でも同じではないでしょうか。人間の目には、様々思うように行かないことや困難があるかもしれません。しかし私たちは、神が共にいてくださり、そして神が、私たちの神の御業を伝える働きを喜んでくださり、支えてくださっている中に置かれて、この時を過ごすようにされています。
神がわたしを愛してくださる。それは、このわたしが目的なのではありません。神がこの世界のすべての人の上に救いを伝えるために、パウロもバルナバもそのことのために苦労を顧みず旅行を続けましたが、私たちもそのような中でこの礼拝に集わされていることを覚えたいと思います。
最後に、ヨハネの黙示録3章8節、フィラデルフィアの教会に向けて語られた言葉を聞いて終わりたいと思います。「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった」。この御言葉は、今日、私たちにも語りかけられているのではないかと思います。 |