ただ今、マタイによる福音書2章1〜12節までをご一緒にお聞きしました。1節2節に「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです』」とあります。
マタイによる福音書のこれまでのところでは、主イエスの系図と、どのような生まれ方をなさったかが述べられていましたが、いつ、どこでお生まれになったかということについては、まだ語られていませんでした。それが今日の箇所の始まりのところで、はっきりと語られます。大変簡潔に、要領よく語られます。「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」と言われています。こう言う言い方で、聖書は、主イエス・キリストのお誕生が決しておとぎ話や空想物語でないことを表しています。しかもこの言葉は、ただ単に、時代や時間のことだけを言い表しているのではありません。「ヘロデ王の時代」という言葉には、ある種の不安や憂いが感じられるのです。この言葉には、暴君が世を治めていた時代と言い換えられるような、そんな響きが込められています。もしも今の時代、2015年の日本の国をヘロデが治めていたなら、私が今この説教の中でヘロデを暴君呼ばわりしたという、ただそのことだけで逮捕され、処刑されてしまいかねない、そんな暗さがこの時代を覆っていました。ヘロデは大変狡猾で有能な支配者でしたが、その反面で、猜疑心が強く、小心で、冷酷な支配者でもあったのです。そのことは来週の歳晩礼拝の時に聞く予定になっているマタイによる福音書2章の後半に語られている出来事にも現れてきます。何の罪もない2歳以下の男の子が槍に刺されて死んでいくのを何とも思わない残忍な支配者です。
「ヘロデ王の時代」と言われていますが、ヘロデは確かに王冠を被り、笏を手に持ち王座に座っていましたけれども、その中身の人間は、とても王が務まりそうにない、血に飢えた野獣のような者だったのです。権力欲だけは人一倍旺盛です。しかし、およそイスラエルの民を神の民として相応しく導いていくことなど、思いもよらないような人物が、ユダヤの国を治めていたのでした。
そういう時代に、主イエス・キリストがユダヤのベツレヘムでお生まれになったのだと、ここに述べられています。私たちは、救い主がダビデ王の子孫としてベツレヘムに生まれることになっているという旧約聖書の預言の言葉を毎年クリスマスの季節に聞かされておりますので、ユダヤのベツレヘムに神の御子がお生まれになったと聞いても、何も驚きません。むしろ当たり前にことのようにすら思いがちです。
ところが、実際に主イエスがお生まれになった紀元1世紀のユダヤ人たちは、そう思っていませんでした。ダビデの町というのは、ベツレヘムではなくて、当時の常識からすれば、むしろエルサレムだったのです。旧約聖書のサムエル記下5章6〜7節に「王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い、ダビデに言った。『お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ。』しかしダビデはシオンの要害を陥れた。これがダビデの町である」とあります。エルサレムには元々は先住民族のエブス人が住んでいました。山の上の大変険しい要害の地に住む彼らは、シオンの要害に立てこもったのですけれども、結局ダビデに町を攻略されてしまいます。そしてダビデは、このシオンの町をエルサレムと名付けて住むようになりました。
ダビデの町がエルサレムだと、当時一般的に考えられていたからこそ、東の方からやってきた占星術の博士たちも、最初はエルサレムに姿を現しました。そこがダビデの町だったからです。彼らは言います。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」。この学者たちは東の方からやってきたのですが、ユダヤから見て東の方角には、かつてアッシリア、バビロニア、ペルシアといった、いずれも大きな帝国が栄えました。紀元前6世紀には、当時のエルサレムにあった南ユダ王国が滅ぼされて、王侯や高級官僚や土木建築の技術を持った人々がバビロンの都へ捕らえられ移されるようなことも起こりましたから、東の方の学者たちはユダヤ人の宗教について、かなりの知識を持っていたのです。その辺りの宗教は、元々は月を拝んだり星を拝んだりしていましたから、一種の宗教混交のようなことが起こったとしても不思議ではないのです。
バビロニアの天文学では、木星が王を表す星であり、土星がずっと遠くにあって静かな安息を表すユダヤ人の星と見なされていました。ところが、この2つの星が紀元前7年の5月と10月と12月に、3度にわたって魚座の方角で、互いにとても近づいて明るく輝いたということがあったようです。しかも、その次の年には、この2つの惑星に加えて火星までもが接近に加わったそうです。バビロンの占星術の学者にしてみれば、王の星にユダヤの星が近づき、しかもそこに戦いの星である火星まで加わったということになったので、それこそユダヤに大きな力を持つ王が生まれたか、生まれつつあるのだと思ったとしても不思議ではありません。
古代の世界では、一つの国に大きな力を持つ大王が生まれれば、その国だけが平和に富み栄えるということではありませんでした。今日のように、お互いの国が相手を尊重して国際協定によって平和が守られていたのではなくて、お互いに隙があればすぐに攻め込んで屈服させてしまうようなことが当たり前でしたから、大王の登場は、その一国だけのことではなくて、周囲の国々に影響があったのです。はっきり言ってしまえば、大王に率いられた超大国が周りの国々を全て呑み込んで平定してしまえば、そこに平和が訪れたのでした。
ですから、東方の学者たちは、その新しく勃興するであろう大王に対して贈り物をささげて、敬意を表そうとしたのです。今日風に言えば、次のトレンドはユダヤから始まるということを見越して、その政界潮流と手を結ぼうと思って、東からやってきたということなのです。
ところが、このことは、今現在エルサレムで権力の座についているヘロデ王にとっては、はなはだ不都合なことに思えました。ヘロデは時のローマ皇帝に対しては、ひたすらへつらい続け、時には媚びを売るほどでしたが、同時に国内的には少しでも逆らうような姿勢を見せた者を容赦なく殺戮して、民衆からは大王と呼ばれ恐れられましたけれども、この時、もはや年老いていて、そんなに長く生きられるとは思っていなかったからです。実際のヘロデ王は、この学者たちと面会してから数年後には亡くなってしまいます。ですから、ヘロデ自身が今から勃興するユダヤの新しい王である訳はないのです。ヘロデの4人の息子たちを眺めて渡しても、どうも自分を凌ぐような大器に見える者はおりません。
そうだとすれば、東方の学者たちが言っている新たなユダヤ人の王とは、ヘロデ王朝の中から生まれてくるのではなく、ヘロデ王朝が滅んで、その後に登場する王だということになります。これは由々しきことです。ヘロデの立場からすれば、決して見過ごしにはできないのです。
早速、ヘロデの周りにエルサレムの主だった者たちが呼び集められます。4節から6節にかけて「王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである」』」。この箇所について、私たちは普通、ヘロデは自分を脅かす新しいライバルの登場を恐れて、祭司長たちや律法学者たちにメシアがどこに生まれるのかを問いただし、尋ねられた賢者たちは旧約聖書のミカ書5章1節の言葉を思い出して、それを伝えたのだと、そう考えるのではないでしょうか。
因みに、この時、祭司長たちや律法学者たちが引用して答えた旧約聖書のミカ書5章1節には、何と記されているでしょうか。「エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」。マタイによる福音書に引用されている言葉は、このミカ書とよく似ていますけれども、しかしよく注意して聞くと、違うところも見つかるのではないでしょうか。
例えば、元々のミカの預言では、エフラタのベツレヘムがユダの氏族の中で本当に小さな者に過ぎないと言われていたのに、祭司長たちがヘロデ王に告げた時には、「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない」と、言い換えられています。元々は小さい者だという預言なのに、ヘロデ王の耳に入る時には「小さな者ではないのだ」と、180度と言って良いと思いますが、意味が捻じ曲げられてしまっています。
祭司長や律法学者たちが元々のミカの言葉を知らなかった筈はないのです。ここは意図を持って、わざと言葉を捻じ曲げて王に伝えているのです。しかし、どうしてでしょうか。どうして祭司長や律法学者たちは、聖書の言葉を捻じ曲げて王に伝えたのでしょうか。その理由は、自分たちの暮らすエルサレムの町で、ヘロデ王が乱暴狼藉を働くことがないように、王の目をエルサレムの外に逸らせようとしたためなのです。ヘロデ王が元々、神に忠実に仕えて民を正しく導こうという思いを少しも持っていないことは、エルサレムの主だった人々にはよく分かっています。それどころか、猜疑心の強い王に目をつけられでもしたら、今はエルサレムの顔役のように生活することができている自分の暮らしがどうなってしまうか、祭司長も律法学者たちも不安でたまらないのです。その様子が3節に述べられています。「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」。
ここには、エルサレムの王も、主だった人々も一様に不安と恐れにとりつかれたと述べられていますけれども、これは厳密に言うなら、決して同じ不安ではありません。ヘロデ王の不安は、自分の築いてきた王朝が傾いて滅びに向かうのではないかという不安です。一方、その取り巻きの人たちの不安は、ヘロデ王の中に猜疑心が芽生えたら、そのためにすさましい殺戮が起こり、悪くすると自分たちもそのとばっちりを食ってしまうかもしれないという不安です。もし、エルサレムでヘロデ王のライバルになりそうな人物に目が向いて、その人物を粛清するということが起こった場合、一番危ない目に遭うのは、現在王の近くに侍っていて、権勢を握っている彼ら自身なのです。それで、王の猜疑心の目をエルサレムの中に向けさせないように、わざとベツレヘムの名前を出しているのです。つまり、エルサレムの人々がミカ書の言葉を王の耳に入れ、しかも敢えて曲げた形で耳に入れたのは、彼ら自身の自己保身のためでした。本当に救い主メシアがベツレヘムに生まれるなどとは、彼らは思っていなかったのです。その証拠に、ヘロデ王にはメシアが生まれるのはベツレヘムだと言っておきながら、彼らの中の誰一人としてベツレヘムに生まれたメシアを拝みに行こうとする者はいません。彼らは、聖書の言葉を知ってはいても、その言葉を信じないのです。
実はこの時、祭司長たちや律法学者たちがしたことは、ミカ書の言葉を曲げただけに留まりません。もう一つ、こういう場合には、まずミカ書よりも先に頭の中に思い浮かんだはずの聖書の言葉があります。それは旧約聖書の民数記24章17〜19節の言葉です。「わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり モアブのこめかみを打ち砕き シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。エドムはその継ぐべき地となり 敵対するセイルは継ぐべき地となり イスラエルは力を示す。ヤコブから支配する者が出て 残ったものを町から絶やす」。ヤコブの星の登場について、預言者バラムが語っている言葉です。バラムからはるか後の時代に、ヤコブの家から一つの星が登場するという預言です。この星によって、イスラエルをがんじがらめに支配している勢力が次々と取り去られ、神の民イスラエルに新しい清らかな生活への戸口が開かれるという預言です。
占星術の学者たちがユダヤに新しい王者の星が昇ったのだと言っている以上、実はミカ書の預言よりも、こちらのバラムの預言の方が、エルサレムの人々の念頭にのぼった筈なのです。それなのに、こちらの言葉は曲げてすら伝えることがありませんでした。こちらの預言については、祭司長も律法学者たちも、まるで貝のように堅く口を閉ざしてしまったのです。この言葉を知らなかった筈はないのです。それなのに、言わなかった訳は18節にあります。エドム人が新しい王によって取って代わると述べられているのですが、ヘロデ王はイスラエル人とエドム人の両方の血を受け継いでいたのです。1/4ほどエドム人の血が流れていたものですから、エルサレムの人々は、陰でヘロデ王のことを「イドマヤの成り上り者」と呼んでいました。エドム人の血を引いている王の間で、とてもエドム人の支配が新しい星である王の支配に取って代わるなどとは言えなかった訳です。
クリスマスの記事の中で、ヘロデ王はもちろん嬰児(みどりご)イエスの命を狙う敵対者なのですけれども、ヘロデだけでなく、その取り巻きのユダヤ人たちも、神の御言(みことば)を信じ、忠実に伝えるよりも、我が身の保身を第一に考え、求められても御言を悟らなかったり、曲げて伝えたりしていたのだと、ここには述べられています。それが、このところに表れるユダヤ人の姿です。
ところが、誠に不思議なのですが、エルサレムの主だった人たちが王の耳に入れたミカ書の言葉、語っている本人もただ自分の身を安全にするつもりで喋っただけで、決して信じていなかった言葉を、東方の占星術の学者たちは信じてベツレヘムへと下りました。そして御言の通り、イスラエルの牧者となる方にお会いして、喜びに包まれます。9節から11節に「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」とあります。このところは、星が導いたと、よく奇跡のように言われるのですが、エルサレムからベツレヘムまでは、当時、太い街道で真っ直ぐに結ばれていたので、迷うような道ではなかったようです。それに星を見上げて道を歩けば、今日であってもそうですが、周囲の風景は変わっても星の位置は動かず、私たちに先立って進むことになります。ですから、これは奇跡というのでは必ずしもないのです。
しかし、東方の国からやってきた学者たちの目当ては、あの輝かしい星の下に生まれた幼な子でしたから、その意味では、この星は学者たちを明るく照らし続け、また励まし続けて、遂に目指す嬰児の前にまで至らせてくれたのでした。そして、クリスマスのページェントでは、必ずこの場面がありますが、この東方からはるばるやってきた旅人たちは、黄金、乳香、没薬という3つの宝物を幼な子に捧げます。
この3つの宝物は、古代から色々と説明されてきました。生まれてきた嬰児が誠の王である方なので、王者に相応しい黄金が捧げられ、また神と私たち人間の間柄を執り成してくだる真の祭司である方なので、祭司が使う乳香が捧げられ、更にこの方は、十字架におかかりになって神の御心を明らかにする真の預言者の務めを頂いておられるので、葬りに備えて没薬が贈られたのだと説明される場合があります。また別の機会には、嬰児が誕生した時、ヨセフとマリアは旅の途中にあって、あまりにも貧しかったので、その貧しさを支えるべく黄金を、また、家畜小屋の中が獣の糞尿の臭いであまりにも臭かったので、せめてそれを和らげる乳香を、最後に、ここが終着点ではなく、まだ険しい旅をここから続けなくてはならないので、旅の万能薬として没薬を差し上げたのだと説明される場合もあります。
こういう説明は、いずれも、この幼な子について神がどのようにこの先を導いていかれるのかを伝えようとする説明で、それぞれに耳を傾ける価値ある説明です。ですが、今日の箇所から最もはっきり聴こえてくる御言の響きは、ヘロデ王をはじめとするイスラエルの主だった人々と、東方の占星術の学者たちが示している際立ったコントラストではないでしょうか。
ヘロデやその取り巻きの人々は、ダビデの町に暮らしていて、聖書の御言についても専門家としていろいろなことを知っていたにも関わらず、それを本当には信じませんでした。一方、東方の学者たちは、自分たちの占星術と混ざり合った、とても完全とは言い難い聖書の知識しか持ち合わせていませんでしたけれども、自分たちに示された限りの御言を信じて旅を続け、ついに救い主である嬰児を拝み、喜びに包まれ、そして占星術の学者なりの、また彼ららしい贈り物を捧げるのです。
クリスマスの本当の喜びに招かれ、それに与るのは、聖書の知識が豊かな人ではなく、聞かされた御言を信じて、真剣に歩き続ける人であることを憶えたいのです。受け容れるにせよ、思い巡らすにせよ、反発するにせよ、真剣に御言に向かい合い、そして、私たちの賜物を捧げて生きる者とされたいと願います。
私たちには、今日、黄金の持ち合わせも、乳香の持ち合わせも、没薬の持ち合わせもないかもしれません。しかし、何にもまして貴重な信仰が与えられ、また、私たちの人生を香り高く導く希望が与えられ、また十字架の主の愛が与えられているのなら、それを持って私たちの生きる人生そのものを献げ物として歩む者とされたいのです。
私たちに、それぞれ許されている信仰と希望と愛、この3つを捧げて、私たちの生活を、なお励んで歩む者とされたいのです。 |