聖書のみことば
2013年8月
  8月4日 8月11日 8月18日 8月25日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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 主イエスの力
8月第2主日礼拝 2013年8月11日 
 
北 紀吉牧師(文責/聴者)
聖書/マルコによる福音書 第8章22~26節

8章<22節>一行はベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。<23節>イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。<24節>すると、盲人は見えるようになって、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」<25節>そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。<26節>イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。

 22節に「一行はベトサイダに着いた」と言われております。この「一行」は、言うまでもなく、主イエスと弟子たちの一行です。
 「一行」と言いますと、団体旅行のようなイメージを持ちますが、この主の一行は、エルサレムへ向かう旅路にある一行です。エルサレムは神殿のある聖地であり、ユダヤの3大祭りが行われる所ですから、エルサレムへ向かう一行とは、聖地巡礼の旅をする一行なのです。

 けれども、主イエスの旅路は、単なる巡礼の旅ではなく、「苦しみを受け十字架に至る旅、殉教の旅」であります。主イエスの旅路は、「人の罪の贖いとなるための旅、父なる神の救いの御業を成し遂げるための旅」です。
 しかし、そのことを弟子たちは知りません。知りませんが、弟子たちは「主の一行」とされております。後に、十字架と復活の証人となるために、今、主に同行しているのです。ですから、この旅は「十字架への旅」であると同時に「宣教への旅」でもあります。このことを、主イエスのみご存知です。弟子たちはただのエルサレム巡礼の旅だと思っております。

 続けて「人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った」と記されております。マルコによる福音書で「盲人の癒し」が出てくるのは、ここが最初です。主イエスが行かれる所には、いつも人々が病む者を連れて来ます。人々の期待は、主イエスの「癒し」です。しかし、主イエスが望んでおられるのは癒しではなく、人々の救いです。
 けれどもここで、主イエスは、人の思いを無視はなさいません。人の思いに応えて、癒しをなしてくださるのです。それは「主の憐れみの出来事」です。

 ここで覚えなければならないことは、主イエスの憐れみは、上から目線の同情によるものではないということです。そうではなくて、応答です。人々の「求めに応えて」くださっている出来事なのです。
 同情は、相手が望まなくても憐れむという一方的なものであることもあります。それは、同情によって自分を満たすだけのことになってしまうのです。
 けれども、主イエスは「人々の求める思いに対して憐れんでくださった」ということです。それが「主イエスの憐れみ」であることを覚えたいと思います。

 ですから、主の憐れみは応答です。応答とは、人間性を表すものです。応答はコミュニケーションであり、それは相手の人格を尊重することだからです。「呼びかけに応える」ということは、「他者を人格ある者とする」ということです。一方的な同情は、相手の人格を無視したものとなります。けれども、応答は、相手に人格を与えるものなのです。
 主イエスはここで、人々の求めを正しい求めだとは思っておられませんが、しかし、求める人々に人格を与えるための応答として、憐れんでくださっているのです。

 「触れていただきたいと願った」とあります。「触れる」ということは7章にも出てきましたが、「主イエスに触れる」ことは、「主イエスの力が伝わる」と考えてのことです。「主の力」は「神の力」ですから、癒されると思っているのです。「神の力」が臨まなければ、癒されない。ここでは、そのような「癒しの業」が求められております。人々が主イエスに触れること、それは主の力をいただくことです。主イエスに触れ、そこで主イエスの温もりを感じ、力を受けるのです。
 では、私どもはどのようにして主イエスに触れるのでしょうか。このことは大事なことです。私どもは、「主イエスを思い起こす」という形で主に触れるのです。御言葉に聴き、祈ることを通して、主イエスを感じること、そこから私どもは「主の力」をいただきます。そこで、主に触れた者として慰めを受け、癒され、力をいただくのです。
 御言葉と祈りによって、主との交わりにあることによって、主から力をいただいているのだということを覚えたいと思います。私どもにとって、日々の祈りが、御言葉に聴くことが「主に触れる」こと、神に触れ、神の力をいただいているということです。
 ですから、キリスト者は、御言葉なくして済まされない者、祈りなくして済まされない者なのです。

 23節に「イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何か見えるか』とお尋ねになった」と記されております。ここで問題になることがあります。「村の外に連れ出し」とある「村」は「ベトサイダ」ということですが、調べますと、ベトサイダは人々の行き交う大きな町であって、村という感じではありません。それで様々な解釈があり、ガリラヤ湖の西に同名の村があったという説もありますが、概ね、別の村であった出来事を、マルコがベトサイダでの出来事としたのだろうとされております。その理由は分かりません。
 けれども、「村」と「町」ということで、今の日本社会の現状にあって、考えておいてよい一つの示唆を与えられていると思います。
 今はあまり考えなくなりましたが、それは、「村と町の違い」ということです。昨年来、日本では市町村合併が盛んになされて、村はなくなり、多くが町になり市になりました。そのことによって、行政上の単位で言えば、議会等を統合し集約することによって役人や議員を減らし、また、村税より市税の方が多くを徴収できますから予算も増え、市の権限は大きくなり大事業もなせるわけで、そういう意味では良いこともあるのです。

 しかし、ここで考えたいことは、なぜそのようなことが思想的に可能になったのか、ということです。
 政治上の問題で言えば、議員が減ることは民主主義が衰退することです。多様な意見が取り上げられないからです。行政面では、大きな事業はできても、小さなことには手が届かないでしょう。このような問題性があるにもかかわらず、市町村合併が進められたときに反対の声が出なかったのは何故か。それは、日本の風土が大きく変わったことにあります。まさしく「村社会の喪失」という問題が根本にあるのです。村社会には、それを形成する思想、宗教という概念がありましたが、それが失われたことによって、日本の風土は大きく変化したのです。村社会の概念が残っていたならば、市町村合併ということは問題視されたことと思います。
 「村社会」、それはつまり「地縁・血縁による地域共同体」という感覚ですが、その感覚が今の日本の風土から失われているのです。村社会の中心は「祭りごと」であり、それは「宗教観」です。村社会が失われることによって、個々がばらばらでまとまりのない社会になったのです。市町村合併が言われたときに、私どもキリスト者は、信仰者として、このような提言を為すべきだったかも知れません。
 村が町や市になるということはどういうことでしょうか。村社会では、個々人は、その共同体の中に位置づけがありました。どこどこの誰それという形で、個人は皆知られており、共同体はそこで和を保っていたのです。けれども町や市になれば、個人は匿名化され、ゆえにいずれ番号制となることにも違和感が少なくなるでしょう。匿名化された社会では、個人が何をしているか分かりませんから、例えば、経済至上主義で考えれば、誰にも気付かれずに大儲けすることもできるでしょう。けれども、村社会ではそんなことはできません。一人だけ儲けることは汚いこと、和を乱すことですから、非難され許されなかったのです。経済至上主義は、このように人の精神構造を変えるものです。もはや地域には頼れないからお金に頼ることになるのです。

 村社会の喪失、匿名化が、現代日本社会の問題だと言わざるを得ません。今の日本は共同体性を失っているのです。それはどういうことでしょうか。「信仰を失っている」ということが、「共同体性を失う」ということです。
 例えば、かつて、信仰による共同体形成ということが中心にあったキリスト教主義学校などでは、学校と生徒との精神的な繋がりが大事にされ、学費が払えないというような事情に対して学費が免除、あるいは後払いというような事例があったと聞いております。それは、今のような学校経営が第一のあり方では有り得ないことです。学費が払えないならば退学ということが、今、実際に起こっていることです。
 経済中心という社会ではない社会、信仰の社会、村社会でしか、お金の問題は超えられないのです。共同体性を失うことは、人間性を失うことなのです。

 今こそ、この日本社会に対して、共同体性の必要を提起するべきと思います。匿名化された社会は、孤独に耐えられない社会です。教会は、信仰者は、この社会が今、呻き求めていることを知らなければなりません。何に苦しんでいるのかすら分からない社会であることを知り、ただ「交わりに生きることの中に個としての尊厳がある」ことを、語っていかなければなりません。

 さて、なぜ主イエスは、盲人を村の外に連れ出されたのでしょうか。それは、村の内側だと、人々が癒しの様子を見るからです。主イエスがどのようにして癒したか、見るのです。見なければ、何が起こったのかを他の人に説明できません。主イエスは、癒しの業が言い広められることを目的とされていないということです。

 23節「その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何か見えるか』とお尋ねになった」とありますが、ここは7章に出て来る癒しと、やり方と違っております。7章では「指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは、「開け」という意味である」とあり、「エッファタ」と命じられておりますが、ここでは「何か見えるか」と問われております。7章ではこの「エッファタ」という一度の命令によって癒されますが、ここでは、1度目はぼんやりと見えるようになり、25節「そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった」とありますように、癒しは2段階なのです。
 ここで考えさせられます。それは、癒しとは、本来困難なことであるということです。人の力で容易くできることではないことが示されているのです。人にはできない困難なことを、「主イエスのみ、なし得る」ことが示されていることです。
そしてその癒しは、単に「見える」という状態から、「何でもはっきり見える」ようになったと記されております。それは、単に癒されたということではなく、はっきりと物事が分かるようになったということです。今自分に起こったことが何なのか、はっきりと理解できたということです。
 見えていても分からないことがあります。見えることと分かることは違うのです。ですから、この癒しは、見える者から分かる者へと変えられたという出来事なのです。

 肉体の癒しということがいかに困難なことかが、ここに示されております。そして、それ以上に、人の魂の救いはなお困難であるということが、ここに示されていることです。
 主イエス・キリストは、その困難を取り除いてくださる唯一のお方です。単に癒される方なのではありません。人の魂の救いをなして下さるお方です。人は自分を救うことはできません。そのような人の救いを、主イエスは、ご自身の血潮をもって、十字架によってなしてくださいました。主が人の救いをなしてくださったがゆえに、私どもは今、主の御救いのうちにあるのだということが、ここに示されていることです。

 26節「イエスは、『この村に入ってはいけない』と言って、その人を家に帰された。」と記されております。「言ってはいけない」と命じておられるのではありません。「村に入るな」と言っておられる、それは、誰にも癒されたことが知れないようにということです。

 主イエスの使命は、肉体の癒しではありません。「神の救い」こそが、主のなしてくださることであります。 「主イエス・キリストこそ、神の子救い主である」、そのことが、この盲人の癒しの出来事を通して示されていることです。

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