聖書のみことば
2024年1月
  1月7日 1月14日 1月21日 1月28日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

「聖書のみことば一覧表」はこちら

■音声でお聞きになる方は

1月14日主日礼拝音声

 ヨハネの宣教
2024年1月第2主日礼拝 1月14日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/ルカによる福音書 第3章1〜14節

<1節>皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、<2節>アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。<3節>そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。<4節>これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。<5節>谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、<6節>人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」<7節>そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。<8節>悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。<9節>斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」<10節>そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。<11節>ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。<12節>徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。<13節>ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。<14節>兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

 ただ今、ルカによる福音書3章1節から14節までを、ご一緒にお聞きしました。1節2節に「皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」とあります。
 ルカによる福音書を書いたルカは、色々な書き方の癖を持っていたことで知られています。ルカは主イエスの福音を伝えようとする際、その伝え方に様々なこだわりがありました。最もよく知られているルカの癖は、主イエスのなさった譬えであったり、癒しなどの不思議な御業を伝える際には、一つの記事を著して終わりにするのではなくて、なるべく2つ、あるいは3つの記事を組み合わせて、伝えようとする内容をよりはっきり示すという癖です。そういう書き方は、この先、何度も出会うことになるであろう、ルカの書き方の癖です。
 そういう書き方と並んで、もう一つ、いかにもルカらしい書き方の癖が今日の箇所に表れています。ルカは主イエスの出来事を伝えようとする際、それを好んで、世界史の時間軸の中に位置づけようとしました。他の福音書であれば、主イエスの福音の出来事、主イエスの物語は、ただ主が生きて働いて下さった、その一人の人間の歴史として書き進められます。そこにはせいぜい、主イエスの先触れとして洗礼者ヨハネが登場する程度です。ところがルカはその点が違います。毎年クリスマスの季節になると聞く降誕の記事においても、「主イエスの誕生は皇帝アウグストゥスの時代であり、更にキリニウスがシリア州の総督であった時代の最初に住民登録が行われた時であった」と、主イエスのお生まれになった時期がはっきりと示されるような書き方がされています。主イエスの両親であるヨセフとマリアが、どうして住まいのあるナザレを離れて長旅をして遠いベツレヘムまで行ったところで主イエスがお生まれになったのかということを説明するためであれば、アウグストゥスやキリニウスの名前を出す必要はありません。「昔々、ローマ皇帝が人口調査のために住民登録を命じたとき」という書き出しでも、話の筋とすれば、それで十分であるようにも思えるのですが、ルカはわざわざそこにアウグストゥスやキリニウスの名前を出して、誕生の時がいつだったかを明らかにしようとするのです。
 当時はまだ、世界中に通用するような年代を表す暦がありませんでした。今日であれば、今日の日付を示すためには西暦2024年1月14日と言えばはっきりします。けれども、西暦はそもそも主イエスのお誕生を始まりとして、紀元前と紀元後と分けて年数を数えますから、主イエスがお生まれになった時点では、まだ西暦のカレンダーは存在していません。それで、主イエスのお誕生がいつであったかをはっきりとさせるために、アウグストゥスやキリニウスといった、当時の政治的な支配者の名前が引き合いに出されるのです。そうすることで、ルカは、主イエスの出来事が決して造り話やお伽話などではなくて、歴史上に起きた確かな事実であることを示そうとしているのです。

 同じようなことが今日の箇所にも言えます。「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」と始まりますが、これは今日の西暦に直すと、西暦27年の夏から28年の初夏となります。当時ティベリウスという皇帝は、アウグストゥスの跡をついだローマ帝国の第2代皇帝ですが、紀元12年8月に皇帝になったと言われています。その日から数えての15年目なので、27年夏から28年初夏が「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」ということになります。
 さてここにはそのように、当時の年代の数え方で言えば、これ以上ない程にはっきりとした時期の記録がされています。ルカが更に念には念を入れて、あと一人か二人ぐらいの為政者たちの名前を記すことは別に不思議ではありません。けれども、ここには2、3人どころか、ティベリウスも含めて数えると、7人もの名前が並べられて出てきます。ティベリウスの他に、ポンティオ・ピラト、ヘロデ、このヘロデは主イエスの命を狙ったヘロデ大王の息子の一人でヘロデ・アンティパスという名の人物です。そしてフィリポ、これもヘロデ王の息子です。さらにリサニアといった地方の領主たち、更に、アンナスとカイアファという大祭司が出てきます。ここまで多くの人名が並んで出てくるのは、聖書全体の中でもここだけです。これはどうしてでしょうか。単に洗礼者ヨハネが活動を開始した時期を伝えるためであるなら、こんなにも多くの人たちに触れる必要はありません。どうもここには、単なるヨハネの活動年代を示すのではなくて、それ以上の意味が込められていそうです。この数多くの皇帝や領主たち、それに大祭司たちの人名は、一体何を伝えようとしているのでしょうか。
 端的に言えば、これは時代の危機を表しています。一時代前の皇帝アウグストゥスは、自分が皇帝になる程の絶対的な権力者でした。ですがティベリウスは違います。ティベリウスはアウグストゥスの実子ではなく、養子の一人でした。ですからライバルとなる人々がいたのです。絶対的な権力者だったアウグストゥスの死後、ティベリウスが皇帝となりましたが、当初彼は元老院を尊重して、ローマを帝政から昔の共和政のような姿に戻そうとしたのだと言われています。ですが、一度皇帝という絶対的な権力が生まれてしまうと、元老たちは互いにその権力を狙って内部抗争をくりひろげ、決して皆でローマを治めようという平らなあり方には戻りませんでした。ティベリウス自身も命を狙われ、結局彼は政敵を粛清しなくてはならなくなったのです。ですが当然のこと、政情不安になります。そんな中で人望のない人々が、それぞれに権力者のような顔をして帝国の各地に群雄割拠しているような状態でした。ここに名前が出てくる権力者たちも、また、ここには名前を記されない無名の権力者たちも、それぞれに力があるかのように振る舞い、気ままな政治を行っていました。ここに記された名前は、当時のそんな様子を表しているのです。

 政治家だけではありません。ここには2人の大祭司がいたかのような書き方がされています。2節に「アンナスとカイアファとが大祭司であった」と述べられています。しかし、大祭司が2人もいるようなことは決してありません。大祭司は神の御前に立ち、イスラエルの全体を代表してささげ物をささげる役目であり、一度その務めに就いたら亡くなる時までその役目を果たす終身の立場でした。イスラエルの王が一人きりなように、大祭司も一人きりしかいないのが本来のあるべき姿です。ところがここにはアンナスとカイアファという2人の名前が現れます。どうしてでしょうか。
 元々の大祭司はアンナスです。アンナスは一生をささげて神の御前にお仕えしなくてはならないのに、途中で務めに飽きてしまいます。けれども大祭司というのは宗教的にはイスラエルの頂上の立場であり、この立場、あるいは権力を手放したくないのです。それで仕事の方はさっさと引退して娘婿のカイアファに譲り、しかし実際の権限は決して手放しませんでした。
 主イエスが逮捕された時、ヨハネによる福音書の記事によれば、まずアンナスの屋敷に連れて行かれ、取り調べを受けています。それからカイアファの官邸に連れて行かれるのですが、ここにも歴然とした力の違いが表れています。つまりアンナスが最初に取り調べをして大まかな方針を出した後、カイアファは、その決定にお墨付きを与えるような役目を果たしているのです。ですが、こういう姿は、宗教的には大問題です。大祭司は神の御前に立ってささげ物をささげ、神の赦しを民全体に伝え、また、神の御心を人々に教え諭す役目があります。従って、この大祭司の務めは、ただ神に対してだけ忠実であり、人間の都合や思惑に左右されてはならない筈の務めです。
 ところがその大祭司が、実際には別の人間の操り人形のようになっているのです。しかもその大祭司を陰で操るのは、本来なら、彼自身が大祭司として神の御前に立ち神にお仕えする務めを果たさなくてはならないのに、その務めを放棄し、自分勝手に務めから離れてしまった、そういう人物であり、自分に都合よく動かしているのです。これではイスラエルの全体が、大祭司に執りなされながら神にお仕えして生きる神の民となるのではなくて、人間の思いのままに振り回されているような有様です。

 そして、そのようであるからこそ、神は洗礼者ヨハネをお用いになりました。「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」と言われている通りなのです。
 この「神の言葉が…誰かに降る」とか「誰かに臨む」という言い方は、旧約聖書の預言者が立てられる時に用いられる言い方です。旧約の預言者、エレミヤやエゼキエル、あるいはホセアといった預言者の言葉を紐解きますと、その最初のところに、この言い方が出てきます。即ちヨハネはこの時、神から言葉をお預りして語る預言者として立てられたのです。ですが預言者の務めは、大変過酷です。何故なら預言者は、どんな制度にも守られないからです。どこかに預言者になるための予備教育を施してくれる学校がある訳ではありませんし、また預言者が間違いなく神の御言を語っていることを認定したり保証してくれる場所や団体がある訳でもないからです。
 たとえば旧約の預言者エレミヤは、神に信頼を寄せず偶像にすがって自分たちに都合の良い言葉を聞きたがるイスラエルの人々に向かって、神からの警告の言葉を伝えるように立てられました。ところがエレミヤが神から示されたとおりの預言をしても人々はなかなか信用してくれません。それどころかエレミヤの語ることはまっ赤な嘘であり、自分たちは大丈夫だと言いふらす偽物の預言者が登場するような始末で、せっかくエレミヤが神からの警告を同胞である人たちに宣べ伝えても人々は自分たちの耳に心地良い言葉を語る偽物の預言者の方に心を寄せてしまい、エレミヤの語ることはほとんど信じてもらえませんでした。預言者として働くことには、そんなリスクがあります。それでも、エレミヤも、またヨハネも、神から御言を聞かされたので、やむなくその言葉を伝えたのでした。
 そもそも預言者が立てられる時代というのは、神の事柄がきちんと成り立たなくなっている時代なのです。もしもエルサレムの神殿での礼拝が当たり前に神に対してささげられ、大祭司が誠実に務めを全うしていたなら、そもそも預言者を立てる必要がないからです。神の御言が神殿の大祭司でなく荒野のヨハネの上に降されること自体が、神殿の礼拝が完全に形骸化していることのしるしです。しかしまさに大祭司が2人いたり、また世界秩序も失われているような有様だったので、神の御言がヨハネに降り、彼は預言者として立てられたのでした。

 ヨハネは一体どんなことを示されたのでしょうか。3節に「そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」と言われています。「悔い改めなさい」という呼びかけが、ヨハネの宣教活動の中心です。「悔い改め」というのは人生の生き方の向きを180度変える、自分の生き方を変えるということですが、ヨハネの場合には、どう生き方を変えるように呼びかけたのでしょうか。
 「悔い改めの洗礼」を宣べ伝えたヨハネのもとに、続々と人がやってきます。皆、ヨハネから洗礼を授けてもらおうとやってきたのです。その人々にヨハネは何を教えたのでしょうか。8節のところに、「悔い改めにふさわしい実を結ぶように」と、ヨハネが厳しく語ったことが伝えられています。では、その悔い改めにふさわしい実とは何かと言うと、それはヨハネの場合には周りの人に情け深く、また清い生活を送るということでした。
 「悔い改めにふさわしい実を結べ」と言われて、聞いた人々は戸惑うのです。一体何が悔い改めたことを示す実なのかと。それで人々はヨハネに尋ねます。悔い改めた者として相応しい生き方はどんなものなのか、自分たちは何をしなければいけないのかと尋ねました。それに答えてヨハネは、周りの人々に情け深く生きる生活を示します。11節に「ヨハネは、『下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ』と答えた」とあります。
 一般のユダヤ人にはそのように答えたのですが、ヨハネのもとには、当時罪人と同類だと思われていて、ユダヤ人の共同体に入れてもらえなかった者たちもやってきます。徴税人たちです。ヨハネは微税人たちには、ローマから命じられている税額だけを徴収して、それ以上、私腹を肥やすようなあり方をしないように命じました。13節に「ヨハネは、『規定以上のものは取り立てるな』と言った」とあります。更に、徴税人たちとは違った意味でユダヤ人の社会にうまく溶け込めずにいた人々もやってきました。ローマ軍の兵とされて、剣や槍で武装した人々です。この人々には、帯びている武器を見せびらかして、ユダヤの同胞たちをおどしたり不安がらせたりして金品をまき上げないようにと諭しました。14節にそう述べられています。

 こういうヨハネの言葉を聞いていますと、気がつくことがあります。それは隣人を怖がらせたり不安がらせたりしないで、むしろその逆に隣人を助けて平和に生きるようにという勧めです。ヨハネの伝えた悔い改めというのは、言ってみれば十戒の2枚目の板、つまり、人間同士のあるべき姿について、真剣にそれを守って生きるようにということでした。しかし、ヨハネが言うような人間のあるべきあり方、律法を本気で守ろうと実際にやってみるとすぐ分かるのですが、私たちはなかなか、ヨハネが求めるように隣人のことをいつも考え隣人のために生きるようなことはできないものなのです。ヨハネのやったことは、生活の隅々にまで律法を意識させ、守らせるということです。しかしその結果は、律法を気にして守ろうとすればする程、私たちは律法の要求をきちんと果たすことができないという自覚が生まれるということになります。
 ずっと後に、使徒パウロがローマ教会に宛てた手紙の中で、「律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば律法が『むさぼるな』と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう」と語っています。これは、律法の言葉を聞いたら悪いことがしたくなる、ということではありません。そうではなくて、私たちは知らず知らずのうちに自己中心的に生きるのが当たり前になっていて、隣の人のことなどお構いなしに、自分自身の目的や願いを追いかけることに熱中しているのです。特にエゴイストとか自己中心的とか言われない人でも、皆が普段は自分中心に生きることが当たり前になっているので、人間のあり方の問題にはなかなか気がつきません。
 ところが律法に示されている生き方は、自分だけのために生きるのではなく、隣の人のことを思いやって生きるように求めるので、それを考えると、自分が本当には正しく生きることができないことに突き当たらざるを得なくなるのです。
 ヨハネは人間が皆、自分の目的や願いばかりを追いかけるのではなくて、神の前に正しく生き隣人のことを考えて生きるように求めました。しかもそう生きないならば、斧によって皆が切り倒されてしまうと威嚇するように、人々に、神の者となることを求めたのです。この求めは当時、広い範囲の人々の共感を呼んだようです。多くの人がヨハネの教えに心を動かされて洗礼を受けにやってきました。
 ただし、このヨハネの求めるような生き方をできた人は、結果的には一人もいませんでした。ヨハネの教えに心を動かされた人は多くいます。政治家が小心で自分のことばかりを考え、また宗教家も神に対してきちんと生きようとしない世の中にあっては、ヨハネの教えは人々の心をとらえたのでした。けれども心は動いても、実際の生活においては、人々はなお、神の求めに従わない罪の中に留まりました。それは人間が元々罪人で自分のことばかりを考えてしまう心の傾きを持っている以上、止むを得ないことだったのです。

 けれどもそういう仕方で、まさにヨハネは、主イエスへの道備えとなったのです。私たち人間には、抜き難く自分中心に生きてしまう心の傾きがあることを、ヨハネの宣教が明らかにしたからです。来週聞くところでヨハネ自身が語っていますが、ヨハネが救いをもたらすメシアなのではありません。ただ、ヨハネの勧めに従って生活するならば、私たちは、自分ではどうしようもない自分中心のあり方の中に捉われていることをはっきりと知らされるようになるのです。私たちが罪人であることがはっきりします。

 そして、そんな私たちのために、主イエスが十字架にかかって下さったことも分かるようになるのです。ヨハネが私たちを、主イエスの十字架の赦しへと導いてゆきます。私たちは主による罪の赦しを単なるお題目のように語るのではなくて、本当に救いようのない者たちを救って下さるための救い主の御業であったことを思い、感謝して歩む者とされたいのです。
このページのトップへ 愛宕町教会トップページへ