聖書のみことば
2024年1月
  1月7日 1月14日 1月21日 1月28日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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■音声でお聞きになる方は

1月7日主日礼拝音声

 父の家
2024年1月第1主日礼拝 1月7日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/ルカによる福音書 第2章41〜52節

<41節>さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。<42節>イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。<43節>祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。<44節>イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、<45節>見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。<46節>三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。<47節>聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。<48節>両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」<49節>すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」<50節>しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。<51節>それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。<52節>イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

 ただ今、ルカによる福音書2章41節から52節までを、ご一緒にお聞きしました。新約聖書の中で唯一ルカだけが伝えている主イエスの少年時代の記録です。
 「4つの福音書の中で唯一」と申し上げましたが、聖書以外の、いわゆる「聖書外典」と呼ばれる資料の中には、少年時代の主イエスについて書かれているものもあります。キリストについての伝説というべきものですが、そうした書物の中には、たとえば今日の箇所を元にしたと思われるものもあります。この福音書では、主イエスが神殿の境内で律法学者たちの間に座って熱心に律法の教えに耳を澄ませ、質問する様子が語られているのですが、外典の書物に記される伝説では、逆に主イエスが律法学者たちの中央に立って律法を教えていたというようなことが書いてあったりします。そういう書き方で言わんとすることは、明らかに主イエスが幼い時分から、他の人間とは違う異常な能力を身につけていて不思議な奇跡を行うことができたとするところにあります。
 今日は、そういった外典の記事に入り込んで詳しく触れることは避けますけれども、いわゆる人間の作った伝説の記事と読み比べて今日の箇所を聞きますと、この記事から聞こえてくるのは、主イエスが12歳の少年として、まさに普通の人間として健康に育っていたということです。今日の記事は、主イエスの能力を伝えるのではなくて、クリスマスの日、人間の嬰児としてお生まれになった主イエスが、まさに一人の少年として神の保護の下にすくすくと成長しておられたことを伝えてくれているのです。

 始まりの41節42節に「さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った」とあります。過越祭の季節にエルサレム神殿での礼拝に参加したことが述べられています。けれども、ここでの主語は、まだ両親です。即ち、過越の祭りを守るためにエルサレム神殿に向かおうとし行動する主体は、主イエスではなくて、父ヨセフと母マリアであったことが語られています。「両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした」と言われていますけれども、ここから主イエスの父ヨセフと母マリアが毎年、健気に礼拝に出かける真面目な人たちであったことが分かります。
 こういう両親の健気さは、福音書のこの箇所より前にも示されていて、たとえば嬰児が生まれて8日経った時にきちんと割礼を受けさせてイエスという名をつけたことや、40日間の清めの期間が過ぎて神殿に上ることができるようになるとすぐにエルサレム神殿に詣でて感謝を表し献け物をささげたという言い方で、両親の神の事柄に対する真面目な姿勢が現されていました。

 ところで、両親が毎年エルサレム神殿の過越の祭りに参加していたというのであれば、当然ながら、それを聞く側に一つの疑問が生じることになります。それは両親がエルサレムに旅をして故郷のナザレを留守にする間、子どもたちはどう過ごしていたのだろうかという疑問です。ここには、過越祭の季節になると両親が毎年エルサレムへ行ったことだけが語られていて、子どもがどうしたかは記されていないのですが、まさか生まれて間もない乳児や幼児に留守番をさせておいて自分たちだけでエルサレム詣でをしたとは考えられません。ここにはっきりとは記されていませんけれども、両親が過越祭に毎年のようにエルサレムへ行った時には、おそらく子どもも一緒に連れて行ったのだろうと考えることができます。最初の年には主イエスを伴い、その後はヤコブやヨセといった弟たちや、妹も生まれたようですから、この時に何人家族だったかは分かりませんけれども、子どもたちも連れて礼拝に出向いたものと思われます。
 すると主イエスは、生まれて以来、ほぼ毎年、過越の祭りに両親に連れられて参加していたことになります。「十二歳になったとき」と言われているのは、この時初めて礼拝に連れて行ってもらったという意味ではなくて、もう少し違うことを伝えようとしているようです。毎年子どもたちを連れて来ているのに、何故12歳になったときと、わざわざ断り書きがされるのかを考えてみますと、ユダヤの国では、12歳と13歳の時が子どもと大人の境目に当たる年代だからです。イスラエルの男子は13歳になると「成人」と見做されるようになり、年に3度の神殿礼拝に参加することが義務づけられました。3度の礼拝とは、春の過越祭、初夏の五旬祭、秋の仮庵祭の3回です。原則的には全てのイスラエル人が、この3度の祭りに参加しなくてはなりませんでしたが、ガリラヤのようにエルサレムから遠く離れた場所に住む人は、年に一度、過越の祭りに参加することでも良いとされていたのです。13歳で成人となる訳ですから、12歳の主イエスは次の年から大人として礼拝に参加しなくてはなりませんが、この年まではまだ子ども扱いで、礼拝に参加したり、献げ物をささげる義務はありません。けれども、神に対するあり方に真面目な親たちは、子どもが13歳になって急にまごついたりしないよう、予め前の年に子どもと一緒に宮詣をして礼拝をささげ、どのように礼拝するかを教えることが多かったと言われています。主イエスの「十二歳になったとき」と言われているのには、そういう意味が込められています。決してたまたま12歳だったと言っているのではないのです。12歳になり、来年からは、たとえ両親から離れても一人の大人として礼拝をささげ神の御前に生活するようになる時、ある意味では、もう半分一人立ちを遂げようとしている時に、神殿の礼拝に参加しました。
 そしてそんな時期だからこそ、神殿の前庭でラビと呼ばれる律法学者たちが律法の言葉を説き明かして互いに質問したり討論したりして聖書の言葉をより深く理解し受け止めようとする営みにも関心があり、車座になって先生の話を聞いている群れの中に入り、座って話を聞くようになっていたのです。

 過越の祭りとひと口に言われていますが、これは過越の食卓を共にする夜のお祭りと、酵母菌を入れない種なしパンを皆で分けて食べるお祭りと両方がありました。夜のお祭りは一晩限りでしたが、昼のお祭りの方はもう少し長く、物の本によると一週間ぶっ通しで祝われた一週間の祭りと言われています。43節に「祭りの期間が終わったとき」と言われているのは、この日中のお祭りが済んだ日のことを表しています。ヨセフとマリアと主イエス、それに弟や妹たちは一週間、エルサレムの都に滞在したようなのです。そこにも両親のまじめさが現れています。
 種なしパンを食べる祭りは酵母を除くと書いて除酵とも呼ばれますが、その祭りが終わったので、父母は子どもたちを連れて故郷のナザレに帰りかけました。ナザレまでは徒歩で2、3日かかったと思われるのですが、一つの大きな旅行団を組んで、同じ町や近隣の村人たちが一緒に行動しました。その際幼い子どもたちからは目を離すことがありませんでしたが、11歳や12歳の大きい子どもたちは、もう半分大人のようなものでしたから、比較的自由に行動して、常に両親の傍近くになどはいなかったものと思われます。ヨセフもマリアも下の子どもたちの世話がありましたので、そのことに気持ちがいってしまい、朝も昼も、主イエスの姿が見えないことにあまり気を配っていませんでした。
 太陽が西に傾くと家族は集まって夕食をとり、一家がまとまって睡眠をとります。その時分になって初めて、両親は主イエスが道連れの旅行団に加わっておらず、行方が分からなくなっていることに気づいて大変慌てて、親族や知人たちの間を訪ね、消息を聞いて廻りましたが、誰も朝から主イエスの姿を目撃したという人はいません。そこでヨセフはマリアと共に、夜道を捜し回りながらエルサレムへと引き返したことが43節から45節にかけて語られています。その際、下の子どもたちは一体どのようにしたのか気になるところですが、同行の旅行団の中に親族がいたようですので、あるいは幼い子どもたちの世話は親類の人に頼んだかも知れません。一番上の子の姿が見えなくなったという緊急事態ですので、親類の人も快くか渋々ながらだったかは定かでありませんが、とにかく、下の子どもたちの世話を引き受けてくれたのでしょう。

 一日かけてやってきた道を、あちこち迷いそうな場所を捜し回りながら一日かけて引き返し、3日目にエルサレム神殿の境内で両親が目にしたのは、神殿の前庭、異邦人の庭と呼ばれますが、その庭で律法を講義する学者の前に座り、熱心に律法の教えに耳を傾け、活発に質問する主イエスの姿でした。46節に「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた」とあります。
 この時の主イエスの姿は、もし別の機会にこのような姿に接したなら、両親には非常に頼もしく、また喜ばしく思えるものだったに違いありません。今日の時代に移してこの情景をたとえるならば18歳の若者が大学の教室で居眠りなどせず熱心に講義に耳を傾け、また質問をしているような姿であったと言えるでしょう。同年代の子どもたちの中でも、話を聞いて理解する呑み込みが早く、またいかにも若者らしい問いを抱いて、屈託なく率直に質問する姿がそこにありました。主イエスは順調に、また健康に育っていたのです。
 ですから、マリアがもしも別の機会にこのような主イエスの姿を見れば、喜んでもおかしくないようなことだったのです。

 ところが前の日に一日中、また二晩の間、主イエスの身の上を案じていたマリアは、つい感情を爆発させてしまいます。48節に「両親はイエスを見て驚き、母が言った。『なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです』」とあります。マリアが感情を破裂させてしまったのは、母親として主イエスのことを真剣に案じていたからに他なりません。しかし、マリアとヨセフはそこで不思議な言葉を耳にすることになりました。49節です。「すると、イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか』」。この主イエスのおっしゃる言葉の方が両親には分からなかった、理解できなかったと、続く50節に述べられています。確かにここでは、両親の思いと主イエスの思いがすれ違っています。そのために、主イエスの言葉は理解してもらえないのです。
 ここのやりとりを注意して考えてみたいのです。母マリアは、主イエスの父母がヨセフとマリア、つまり自分たちだということを前提にして主イエスのことを叱っています。ところが主イエスのおっしゃる父は、別の方です。主イエスが「父の家」あるいはここは「父の許」と訳すこともできるのですが、主イエスが父の許に自分はいるとおっしゃっている「父」は、神殿の中におられる神その方なのです。
 今日の箇所を聞いていて、私たちは、主イエスが「父」という呼び方で神のことをおっしゃっているのだと何となく分かるのではないでしょうか。主イエスの言う「父」が天の神のことだと分かった人は、逆にどうしてこの時、両親には主イエスの言ったことが分からなかったのかと、不思議に思うかも知れません。
 けれども、ではどうして私たちが「父」という言葉を聞いて天の父のことを思い浮かべることができるのかと考えてみると、それは主イエスがそう教えてくださっているからなのです。たとえば復活の朝、苑でマグダラのマリアに出会ってくださった時、主イエスは、「わたしは今からわたしの父であり、あなたがたの父でもある方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところに上るのだ」と教えて下さいました。主イエスからそう教えられ知らされているので、そのことを知っているわたしたちは、「父」という言葉で天の父を思い浮かべることができるのです。
 主イエスの時代の普通のユダヤ人は、しかしそんな風には考えません。「父」という言葉でまっ先に思い浮かべるのは、血のつながっている自分の父親です。あるいは、イスラエルの人々の先祖となったアブラハムやイサクやヤコブです。この福音書のもう少し先のところで、洗礼者ヨハネが洗礼を受けにヨルダン川にやって来たユダヤ人たちに向かって、「あなたがたの父はアブラハムだなどと思ってもみるな」という厳しい言葉を投げかける場面が出てきますが、当時の普通のユダヤ人にとって、「父」は自分の父であり、あるいは先祖のことなのです。まさか、自分の父が神その方であるというような大それたことを言う人がいるとは夢にも思いません。だからこそヨセフとマリアには、この時、主イエスのおっしゃったことが分からなかったのです。
 母マリアがこのことを理解し始めたのは、主イエスの復活の時でした。神が主イエスをよみがえらせて下さって初めて、主イエスは自分がお腹を痛めて産んだ息子だけれども、神にも確かに憶えられている神の子なのだと分かるようになったのです。

 確かに今日の箇所では、父母と主イエスは最後まですれ違ったままです。しかし主イエスの方は、御自身が神の独り子だけれども、同時に人間の父母はヨセフとマリアだということを否定はなさいません。むしろナザレに帰って両親に従順に仕えて成長したことが述べられています。ヨセフとマリアの子であるという点では、主イエスは完全に普通の人なのです。そして今日の箇所はそのことをはっきりさせようとして、ラビの前に座り、律法を熱心に学び取ろうとする青年イエスの姿を記しています。
 47節に、聞いていた人たちが皆、イエスの賢い受け答えに驚いていたと言われていますが、これは神童と呼ばれたり、大人顔負けの知識を持っていたということを言っているのではありません。そんな異常な若者だったら、人々は却って不気味に思うだけで、驚いたりはしません。主イエスはあくまで、年齢相応ではあったけれども、非常に賢く、素直に育っていたのです。
 ところが、そういうごく普通に育っていた主イエスが、御自身の父は天の父であり神だということをおっしゃっていたというのが今日の記事です。あまりに途方もないことなので、両親には理解されませんでした。この場に居合わせた誰もが、この主イエスの言葉を理解できなかったでしょう。けれども主イエスは、この時に初めてこのことを人前で言い表してからずっと、本当に真の人であり、また真の神の独り子なのです。
 そしてこのことは、キリストの体である教会にも受け継がれています。教会は完全に人間の集まりです。私たちの群れの誰かが神であるというようなことは決してありません。けれども同時に、私たち人間のただ中に復活の主が共に立っておられ、教会は神の御子の体なのです。ですから私たちは、人間である自分自身の欲求や理想や夢を追い求めて、そのために生きるのではありません。父である神の御言を聞いて、「神がこのわたしに何を求めておられるのか」を尋ね求めながら、「神の御計画がこの身の上に成りますように」と祈って生きてゆくのです。

 そして、そういうあり方をする人間を、神は慈しみ支えて用いてくださいます。たとえ疲れても倒されず、倒れても滅びないように守ってくださいます。私たちは神の御声を聞いて力づけられ、勇気を頂いて自分に与えられている人生を生きてゆくのです。
 そういう神の導きと保護が、この年も私たちに与えられようとしています。その一番始まりのところに、主イエスの宣言が語られているのです。「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。
 「あなたがたも、わたしの父に力を頂いて生きる者となりなさい。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」と主イエスはおっしゃいます。この御声を、この年も聞き取って歩む幸いな者たちとされたいのです。

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