聖書のみことば
2020年8月
8月2日 8月9日 8月16日 8月23日 8月30日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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8月30日主日礼拝音声

 聖霊に動かされる人々
2020年8月第5主日礼拝 8月30日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/使徒言行録 第21章1〜16節

<1節>わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、<2節>フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した。<3節>やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。 <4節>わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。<5節>しかし、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、<6節>互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った。<7節>わたしたちは、ティルスから航海を続けてプトレマイスに着き、兄弟たちに挨拶して、彼らのところで一日を過ごした。 <8節>翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。<9節>この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。<10節>日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。<11節。そして、わたしたちのところに来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」<12節>わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。<13節>そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」 <14節>パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。<15節>数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った。 <16節>カイサリアの弟子たちも数人同行して、わたしたちがムナソンという人の家に泊まれるように案内してくれた。ムナソンは、キプロス島の出身で、ずっと以前から弟子であった。

 ただいま、使徒言行録21章1節から16節までをご一緒にお聞きしました。今日の箇所では使徒パウロがエルサレムに向かって進んで行きます。その行き手には絶えず聖霊の導きと慰めがあります。神の深い恵みがこの世界全体を覆っている、そのことをパウロは行く道々で知らされながらエルサレム目指して進んで行きます。

 聖霊の導きが与えられているからと言って、パウロの進む道は決して安楽なものでも平坦なものでもありません。むしろ人間の思いからすれば、パウロが歩んで行く道は、まことに危険な道であると思えたに違いありません。パウロ自身もそのことを重々承知しています。20章22節23節で「そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」と語っています。今から進んで行く道には、確かに苦難があります。しかしそれにもかかわらず、神の恵みは十分豊かに、パウロの上に注がれています。
 神の御心、ご計画が、この世界の上に置かれています。世に生きている人間すべてがそのことを承知しているというわけではありません。むしろこの世は、自分たちの上に神がおられることを知らずにいます。しかしそれでも神は、ご自身の恵みをすっぽりと、まるで傘で覆うように、この世界の上にかけておられるのです。

 パウロは今、エルサレムに向かって進んで行きますが、そのことは聖霊によって既に決定していました。パウロが勝手に変えることはできません。主イエスもそのことを、かつて命じておられました。主イエスは「あなたがたは、地の果てに至るまでわたしの証人となる」と言われました。パウロも主イエスに召し出された証人の一人です。地の果てに至るまで、すなわちこの世界のすべての場所、そしてそこに住むすべての人のもとへ福音を携えていくように、主イエスが伝道命令を発しておられました。そして、主イエスがそうおっしゃった時には、エルサレムばかりではなくユダヤとサマリアの全土で、また地の果てまでそうなるのだとおっしゃっていました。
 神がこの世界全体にすっぽりと救いの網をかけてくださり、主イエスがそのことを知らせてくださる時に、その始まりは何と言ってもエルサレムにあります。今日の箇所でパウロはエルサレムに進んで行きますが、パウロ自身の予定としては五旬節(ペンテコステ)までにはエルサレムに着いていたいと思って旅をしています。それはまさに、ペンテコステの日に記念すべき教会がこの地上に誕生したお祝いの日を、エルサレムで過ごそうと考えていたからに違いありません。そしてペンテコステのお祝いの日には、パウロは一人でエルサレム教会を訪ねるのではなく、同行していた大勢の人たち、マケドニア、ギリシア、小アジアそれぞれの教会からの献金を携えてパウロに同行している人たち、パウロが伝道して建てたすべての教会の人たちと共にエルサレムを訪ねよう、そういう計画を立てていました。
 あふれるほどの贈り物を携えてエルサレム教会を訪れ、教会の貧しい兄弟姉妹を助けると共に、教会が誕生したその日をすべての教会の代表が集まる中で共に祝いたい、そういう思いがありました。パウロはそういう志を聖霊から与えられて道を進んでいました。
 神がこの世界の上に置かれている救いのご計画の中に、エルサレムの町とそこに住んでいる人たちが特別に覚えられています。もちろん、エルサレムに住んでいる大方のユダヤ人たちはそのことを知りません。神の特別な御心が自分たちに向けられているなどとは思いません。
 エルサレムのユダヤ人たちは、「自分たちはアブラハム、イサク、ヤコブの子孫である」、そういう者として、つまり血筋において神に結びついているのだと考えていました。従って、大方のユダヤ人の考え方からすれば、血筋においてユダヤ人ではない人は、神とは何の関わりもない人だということになります。
 けれども、そうではありません。神は血のつながりによってご自分の民をお選びになるのではなく、神の独り子である主イエスをこの世に送ってくださり、そしてその主イエスの救いの御業を信じる信仰によって、ご自身の民を救おうとなさいます。人々が信じることができるように、主イエスがまずエルサレムで十字架にお架かりになり、次いで復活の出来事が起こり、そして甦りの主イエスが共にいてくださる中で、信じる弟子たちの群れが一つに合わされて教会が建てられました。
エルサレム教会は、そのようにしてこの地上に建てられた一番最初の教会であり、教会の源なのです。それから2000年以上経って、今日、教会は世界中に広まり、まるで無数の教会があるようですが、しかし実は、教会はどこの教会も皆元々は一つの教会です。そのルーツを辿ると、そこにはエルサレム教会があるのです。
 今日、キリスト教の総本山はローマだと思っている人が多いかもしれませんが、ローマはカトリック教会の中心というだけです。ローマ・カトリックは大きな教派ですが、カトリック教会もたくさんある教派の一つです。そしてカトリック教会も含めた全ての教派のキリスト教会の根元にあるのは、ペンテコステで聖霊を受け成立したエルサレム教会です。
 教会がたとえ地の果てまで広がって行ったとしても、無数の人たちがそこに抱かれるようになったとしても、大元の母なる教会は一つだけです。エルサレムに最初に生まれた教会から、もし離れてしまったならば、それはどの教派の教会であっても、もうキリストの教会だと言うことはできなくなります。それは例えて言えば、ぶどう園のぶどうの木が遥か彼方まで枝を張って実を実らせたとしても、大元の幹からもし枝が切り離されてしまえば、立ちどころに枯れてしまうのと同じです。
 パウロは、「この地上に建てられている全ての教会が、一本の幹に連なる同じ群れである。そのことをペンテコステの日に、全教会のために確認するように」と聖霊に促され、エルサレムに向かって行ったのでした。

 1節に「わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り」とあります。人々に別れを告げたのはミレトスの港のことです。兄弟姉妹に感動的な別れを告げたのち、パウロたちは船に乗って、最初は岸辺づたいに隣の港まで行く小さな渡し船しかなかったようで、隣の港、隣の港と、まるで各駅停車の路線バスに乗っているかのように船を乗り継いでエルサレムを目指しました。ところが幸いなことに、パタラまで来た時、フェニキア方面に向かう大型の貨物船が停泊していました。パウロたちはその貨物船に乗せてもらう交渉が成立して、地中海を一気に横切り、ティルスまで進むことができました。恐らくこの船は、大きいばかりでなく速かったのだろうと思います。それでパウロは引き続きカイサリアまで、船に乗せてもらうことにしました。
 ただ、ティルスの港で貨物船の荷物の積み下ろしをしなければならないために、一週間ほどパウロは船を降り、ティルスの町で過ごしました。ティルスの町で教会を探したパウロは、兄弟がそこにいることを見つけました。4節に「わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった」と言われている通りです。
 ティルスの町に教会が成立したということは、使徒言行録にはここまでどこにも出てきませんでした。この教会はパウロが伝道して建てた教会ではありません。しかし、地中海沿岸の各地に、人が足を運ぶどの地域にも、次々と教会が建ち始めていました。ティルスはユダヤから見ると大分北の方にありますから、異邦人の世界です。異邦人世界の只中に、異邦人伝道者であるパウロですら知らないうちに、思いがけなくも教会が建設されていたということは、神の不思議ななさりようだとパウロは思ったことでしょう。
 教会が成り立っていくのは、どこまでも聖霊の働きによることであり、神の恵みの賜物です。パウロはこの町で、自分の知らないうちに聖霊が働いていた、そして、教会が建てられていたことを目の当たりにして、大変喜びました。

 さて、パウロはティルスで兄弟姉妹たちのもとで一週間を過ごしましたが、その滞在中にエルサレム行きを考え直すようにと繰り返し警告されるということが起こりました。しかもパウロを止めようとした人たちは、霊に動かされてそのように語っていたのだと4節に言われています。4節後半に「彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った」とあります。
 ここには、神のなさりようの不思議さが現れているように思います。聖霊は、パウロに向かっては危険を承知でエルサレムに向かうようにと示しました。ところが、ティルスの兄弟姉妹たちには、そういうパウロを思い止まらせるように働きます。どちらも同じ聖霊の働きです。一見矛盾しているように思うかもしれません。そしてそれは、ティルスでだけ起こっている出来事ではなく、この先、カイサリアまで行った際には、7人の伝道者、ステファノと一緒に選び出された7人の一人であるフィリポの家に滞在した時にも、似たようなことが起こりました。パウロがフィリポの家に逗留中に、たまたまユダヤからアガボという預言者がやって来て、パウロと同じところに逗留し、その晩アガボは聖霊に感じてパウロの行く末を予言しました。パウロの帯で自分の手足を縛り、「この帯の持ち主はエルサレムでこのような姿になるだろう」と語りました。これは別に、アガボに悪気があったわけではありませんし、アガボ自身がそう思っていたのかと言えば、それもよく分かりません。アガボはただ、帯の持ち主の行末を予言しただけでした。
 ところが、アガボの言葉を聞いた人たちは、なお不安になり、パウロがこれ以上エルサレムに近づかないようにと懇願しました。しかもこの度は、パウロの同行者たちも口々にパウロを思い止まらせようとしました。12節に「わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ」とあります。

 このように、兄弟姉妹が懸命に思い止まらせようとする言葉を、パウロは決して聞き流していたわけではありません。兄弟姉妹たちの真心からの忠告に、パウロはつい心を動かされ、挫けそうになります。けれども、そこでパウロははっきりと語りました。13節に「そのとき、パウロは答えた。『泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです』」とあります。
 神に召され仕える人にとって、愛する者や近しい者たちが誘惑者となることがあり得ます。それは、主イエスにも起こったことでした。かつて主イエスがエルサレムに向かって進んで行かれた時に、シモン・ペトロが誘惑者になりました。十字架に向かって進んでいく主イエスを思い止まらせようとして、ペトロは主イエスを諫め、その結果、大変厳しい主イエスの言葉を聞くことになりました。マルコによる福音書8章33節に「イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。『サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている』」とあります。
 パウロは今日のところで、かつての主イエスの真似をしているわけではありませんが、しかし、パウロはこのように大勢の人たちから反対されることを通して、この度のエルサレム行きが本当に神の御旨であり、聖霊の導きであることを明らかにしていく、人々にそのことを告げ知らせていくようになっているのです。

パウロのエルサレムに行く決心が聖霊によって与えられているということを知って、人々はその聖霊の導きにパウロを委ねることにしました。14節に「パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ」とあります。パウロを思い止まらせようとした人たちは、自分たちの願いを、しかも人間的に言えば明らかにそれが正しいと言えるような願いを、主の御心のもとに収め、御心に従おうと決心しました。
 「主の御心が行われますように。どんなに辛くても、どんなに大変であっても、主の御心にだけ従う」、そういう自由をキリスト者は失ってはなりません。人間の思いが、あるいは人間の様々な憶測や見通しが神のご計画より優先されることになれば、万事が人間の思いや都合次第で進んでいくようになります。そうなってしまえば、教会はただの人間の集まりとなり、滅んで行ってしまうに違いないのです。
 どんなに辛くてもどんなに厳しくても、またどんなに危険に思われる道であっても、教会はそういう中でただ主に従い歩んで行く、そのことを通して本当に教会であることができるのです。

 そして、私たちが忘れてならないことは、何よりも教会の発端であり土台である方、主イエス・キリストという方が、父なる神の御心に自由に従って十字架への道を進んで行かれたということです。パウロが今、危険を承知でエルサレムに向かっていく姿は、その主イエスの姿を指し示すようなところがあるのです。
 カイサリアからエルサレムまで、その道は100キロ以上あります。そこをパウロたちは徒歩で進みました。ですから一日で行くことはできません。どうしても途中に宿を取る必要がありました。それでパウロたち一行は、街道沿いに住んでいたムナソンというキリスト者の家に一夜の宿を借りることにしました。ムナソンにそのことを頼むために、カイサリアの兄弟たちがパウロに先立って出かけて行き、段取りを整え、また別の数人の兄弟たちがムナソンの家まで同行してパウロの道案内に立ってくれました。

 そのようにして、いよいよエルサレムに入る前の晩、ムナソンの家での温かな交わりのひとときが訪れます。何も知らない人にとってみれば、ただ街道沿いに住んでいる親切な人が、見知らぬ旅人の一行を迎え入れてもてなしただけのことに思えたかもしれません。けれども、実際にはそうではありませんでした。この晩、ムナソンの家で行われた交わりは、信仰によって結ばれている、心から寛いで穏やかな時間を共にするような交わりでした。
 そして何よりも、危険の中にあるとしても、「甦りの主が、今共にいてくださる」ことを互いに静かに覚えて、真に主にある平安に満たされた、そういう時でした。
 パウロはムナソンに、恐らくこの日初めて会ったに違いないのですが、しかしその温かな交わりの席で、ムナソンが元々はキプロス島に住んでいて、そこはパウロが最初の伝道旅行で一番最初に訪れた伝道地だったということを知らされます。自分がかつて伝道して福音を伝えた、その中にムナソンがいたのかどうか、そこまでは分かりませんが、しかしムナソンがキプロス島で信仰を与えられ、今キリスト者として、不思議なことにエルサレムに近い街道沿いに住んでいてくれたこと、これもパウロが自分で計画したことではありません。聖霊が働いて神がそのように備えてくださったことだと、深く思ったに違いありません。

 恐らくこの晩、温かな交わりを過ごしながら、パウロは改めて旧約聖書の詩編23編の言葉を心に思い浮かべ味わっていたのではないでしょうか。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる」という言葉で始まる有名な詩編ですが、この詩編は「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない」、そして「わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう」と結ばれます。
 明日はエルサレムの母なる教会を大勢の兄弟姉妹たちと訪れ、そしてすべての教会が神の前に一つであって、ただお一人の主が教会の頭であるということを確認するのですが、その前夜にこういう温かな交わりの宴があったのだということを、聖書は伝えています。

 教会の礼拝は、いつも、神が立ててくださった一つの群れの交わりに与って、皆で「主が共にいてくださる」ということを深く味わう、そういう中で守られて行きます。
 そしてそれは、更に言うと、教会の歴史がずっと持ち運ばれて、この歴史がすべて完成される時に、天で持たれる本当の神の教会の礼拝を、今この地上で先取りするものとして、ここで持たれています。この晩、パウロはムナソンの家で、まさにそういう本当に温かで安らかな礼拝を経験し、神が選んでくださった教会の群れの交わりの中に身を置くということを許されました。
 私たちも、主が共にいてくださる礼拝の平安に満たされながら、終わりの日の完成の時を目指して、ここからまた歩みたいと願います。

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