聖書のみことば
2020年8月
8月2日 8月9日 8月16日 8月23日 8月30日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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8月16日主日礼拝音声

 目を覚ましていなさい
2020年8月第3主日礼拝 8月16日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/使徒言行録 第20章13〜38節

<13節>さて、わたしたちは先に船に乗り込み、アソスに向けて船出した。パウロをそこから乗船させる予定であった。これは、パウロ自身が徒歩で旅行するつもりで、そう指示しておいたからである。<14節>アソスでパウロと落ち合ったので、わたしたちは彼を船に乗せてミティレネに着いた。<15節>翌日、そこを船出し、キオス島の沖を過ぎ、その次の日サモス島に寄港し、更にその翌日にはミレトスに到着した。<16節>パウロは、アジア州で時を費やさないように、エフェソには寄らないで航海することに決めていたからである。できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである。<17節>パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。<18節>長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。<19節>すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。<20節>役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。<21節>神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。<22節>そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。<23節>ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。<24節>しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。<25節>そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。<26節>だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。<27節>わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。<28節>どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。<29節>わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。<30節>また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。<31節>だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。<32節>そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。<33節>わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。<34節>ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。<35節>あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」<36節>このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。<37節>人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。<38節>特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。

 ただいま、使徒言行録20章13節から38節までをご一緒にお聞きしました。
 エルサレムに向かって旅路を急いでいたパウロが、ひとときミレトスに滞在して、そこでエフェソ教会を始めとする小アジアの教会の長老たちに向かって語った説教がここに記録されています。この説教は、使徒パウロがキリスト者たちに向かった語った説教として、新約聖書全体の中でも唯一ここにだけ出てくる貴重な記録として知られています。パウロが人々に語った記録は他にもありますが、対象は旧約聖書の神を信じているユダヤ人や、あるいはヨーロッパではギリシア人に向かって語った説教が多く、キリスト者たちに向かって語った説教、言葉が記されているのはここだけです。パウロはどんなことをキリスト者に向かって語ったのでしょうか。

 18節に「長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。『アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです』」とあります。パウロはここで、自分がエフェソの町にやって来た時のことを話し出しています。キリスト者の一つの見本のように自分を語っています。パウロがそのように話すのには理由があります。エフェソにパウロが来て、そこに教会が誕生してから3年ほど経っています。その間に、パウロが伝道してキリスト者となった人たちが長老となり、あるいは様々な集会の中心になっていますが、この人たちはパウロから主イエスのことを知らされたわけですから、まだ信仰に入って日が浅いのです。
 小アジアの教会は、ほとんど全てがパウロや弟子たちが伝道して建てられた教会ばかりです。今日では、教会の信仰の中心には新約聖書があり、私たちは毎週礼拝に集うたびに聖書を開き、これが神の御言葉だと信じて聞きますが、パウロの伝道していた時代にはまだ聖書は存在していませんでした。ユダヤ人の会堂にあった聖書は旧約聖書です。ユダヤ人の会堂であれば、土曜日の安息日ごとに律法の巻物を説き明かすということも行われていました。ですから、ユダヤ教の人たちは自分たちの信仰生活について分かっていました。男性であれば生まれてすぐに割礼を受け、安息日になると会堂に集まって礼拝するというイメージがありました。
 それに比べますと、キリスト者の信仰生活はまだよく皆に分かっていませんでした。聖書もなく、またユダヤ人のように律法を守っていれば良いということでもない。そうしますと、生きたキリスト教信仰、キリスト者の生活とはどのようなものなのか、そのことを伝えるためにパウロは、自分自身の様子を語らなければなりませんでした。

 では、パウロはどのような様子で働いたのでしょうか。19節に「すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました」とあります。使徒パウロは、自分のことを「全く取るに足りない者」と言っています。これは口先だけの謙遜の言葉ではありません。「取るに足りない者」とは、1世紀当時の言葉使いですが、別の言い方をすれば「人間に数えられない人」、つまり「奴隷」という意味です。私たちの社会には奴隷は存在しませんので、パウロのこの言葉を聞いても単にへり下った言い方だと聞こえますが、パウロがここで言いたいことは、「自分は主イエスの僕として、主イエスの奴隷として、主にお仕えしてきた。しかしその生活はしばしばユダヤ人たちの陰謀によって困難な状況になり、また涙を流すようなことがあった」ということです。
 パウロは自分の姿をキリスト者の一つの見本として示しています。つまり、パウロがここで言っていることは、キリスト者の生活とは「主イエスに仕える僕としての生活」なのだということです。そして、そのように主イエスに仕えていく生活には「涙がつきもの」なのだと言っています。
 こういう言葉には、意外な感想をお持ちになる方がいるかもしれません。「涙を流すためにキリスト者になっているのではない」と、パウロの言葉に対して、いささか不愉快な気持ちになるかもしれません。
 けれども、私たちの生身の生活は、それはキリスト者であってもそうでなくても同じだと思いますが、実際問題として、悩み、苦しみ、嘆き、涙を流す場面は多くあると思います。涙を流さないことが願わしいあるべき人間の姿であるという考え方は、私たちが異常で歪んだ人間の理想にすっかり捕らえられていることの徴であるかもしれないと思います。
 パウロだけではなく、神の御国のために働く働き人たちはいずれも、涙を流すということをよく知っています。その涙は、自分の身の上の辛さのためだけではありません。愛する兄弟姉妹を覚えてその信仰生活の戦いが激しいと思い、兄弟姉妹を思って流す涙があります。主の御言葉通りに生活したい、教会がそのようでありたいと願いながらも、なかなかそのようにならない人間の現実に気付いて、残念なことだと思いながら、「どうか、教会の群れをあるべき姿に導いてください。また暗い気持ちで生活しているあの方この方が、どう支えられますように」と、涙を流しながら祈るということがあるのではないでしょうか。
 御言葉と御国の建設のために仕えて生活する人たちは、その生活の中で涙を流すのです。ですから、パウロの涙は、決して、自分自身の身の上を悲しんでいる涙ではありません。むしろ、自分自身をどう思っているでしょうか。「残り少ない伝道者としての歩みだけれど、振り返れば、本当に恵みの中を歩ませていただいた光栄な生活だった。そして今、自分はなお、恵みの中で終わりに向かって歩んでいる」と思っているようです。

 パウロはエフェソ教会、小アジアの教会の長老たちに向かって、「恐らく、地上でお会いするのはこれが最後になるだろう。次に会うのは、終わりの日、神の裁きの御座の前だろう」と語っています。そしてその時には、パウロが御言葉を何一つ隠したり省略したりしないで、「救いのために役に立つことは一つ残らず伝えたとエフェソ教会の人たちが証してくれるだろう」と語ります。20節21節に「役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです」とあります。「役に立つことは一つ残らず伝えた」とパウロは言っています。その「役に立つこと、大事なこと」を後で言い換えて「神に対する悔い改めと、神が救い主として与えてくださった主イエスを信じる信仰」、その二つを伝えたと言っています。「ユダヤ人に対してもギリシャ人に対しても、ただ一つのことだけを証し、伝えて来た。それは神が送ってくださった主イエスこそが救い主なのだということである。主イエスがあなたのために十字架にかかってくださり、復活して今もあなたと共に歩んでいてくださる。そのことを信じなさい。主イエスを信じ、主イエスを送ってくださった神さまに感謝して生活するようにしなさい」と伝えて来た。そして「反発されたり迫害されたりすることなど恐れずに、ユダヤ人にもギリシア人にも伝えて来た。そんなわたしの姿を、あなたがたはよくご存知のはずだ」と言っています。

 そして、26節27節で「だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです」と言っています。「終わりの日、神さまがすべてを裁かれるその時になって、あなたたちは、わたしが大切なことを伝えなかったと、神の御前でわたしを責めることにはならないだろう」とパウロは言います。「誰の血についても責任はない。わたしは神さまのご計画をすべて、怯むことなく、あなたがたに伝えた」。これは誠に大胆な言い方だと思います。
 けれども、ここでパウロが語っているパウロ自身の姿は、先にも言いましたが、パウロが自分の話をしているということではありません。キリスト者の一つの見本として、「自分はこうだった」と言っています。パウロは自分の話をしているように見えますが、実は、すべてのキリスト者の見本がここにあると言っています。パウロが言っていることを、私たちはどう受け取ったら良いのでしょうか。
 もちろん私たちは、全員がパウロのような伝道者ということではありません。ですから、神のご計画をすべて周囲の人たちに余さず伝えたなどと力むことはないかもしれません。けれどもパウロが言うところによれば、キリスト者は全員、キリストの僕です。パウロのように主イエスの福音を言葉で伝えるという務めに召されている人もいますが、そうではない務めに召されているキリスト者もいます。私たちはそれぞれ、いろいろな務めに召されていますが、一人の例外もなく、今置かれている生活は「主イエスの僕、キリストの僕としての生活」を生きているのです。そして、私たちがそういう生活を送る中で、「本当の救いはここにあるのです。救い主がわたしと共にいてくださって、わたしはその方に慰められ勇気を与えられ、力を与えられて生きているのです」と、そのように生きていくことが主イエスの僕の姿だろうと思います。
 つまり私たちがキリストに感謝して、主イエスに感謝して生活する、そういう生活をこの社会の中で送っていくことが、私たち一人一人がキリスト者として生きるべき姿になるのだと思います。もちろん、そのように私たちが生活したからと言っても、世の中には、そんなことには何の関心も持たないという人たちもいるかもしれません。
 私たちが本当に感謝して、自分は主イエスのものだと言って生活していても、しかし周囲の人たちがそれに気付いてくれないのだとすれば、その時には私たちもパウロと同じようなことが言えるかもしれないと思います。

 ただ、そのように考えますと、パウロがここで言っているこの言葉は、本当に大胆だと思わされます。私たちは自分の信仰生活について、自信を持ってこのように言えるでしょうか。「わたしは主イエスの十字架と復活の救いを知らされ、本当に嬉しく、感謝でいっぱいの生活をいつも過ごして来た。わたしの人生は、そのような感謝の中にありました」と自信を持って言えるでしょうか。むしろ、私たちの生活実感からすると、せっかく主イエスの十字架の出来事を知らされ、主の十字架によって罪は赦されたと聞かされ、それを信じて生きてみようと思いながらも、しかしいつも気づくと、主イエスのことをすっかり忘れ、自分一人で生活している。気がつくといつも神抜きで生活してしまっているという、自分の至らなさ、弱さにばかり気が向いてしまうのではないでしょうか。そうしますと、私たちは自分について果たして、「生きるべき信仰者の生活を生き、語るべきことを語り、行うべきことを行い、思うべきことを思った」などと言えるでしょうか。私たちは自分のことを省みると、とても心許ない気持ちになってしまいます。
 けれども、パウロはここで、「誰の血についても責任はありません。語るべきことをすべて語りました」と言っています。どうしてこんなことが言えたのでしょうか。ここに大きな秘密があります。そして、パウロが気付いているその秘密は、説明されれば私たちも、「ああ、そうだ」と思えるのではないかと思います。

 ここでパウロは、自分の行いやあり方がすべてだと思っているのではありません。パウロ自身はもちろん、使徒とされ、伝道者とされ、主イエスによって知らされた救いを全力で伝えたことは確かでしょう。しかしそれでもなお、本当にすべての人に主イエスの福音を十分に伝え切れたかと言えば、そんなことはなかったに違いありません。むしろ伝道者としてのパウロの実感からすれば、救いの喜びを懸命に伝えたいと思って語っても、なかなか素直に受け取ってもらえず、曲がったり歪めたりして受け取られたり、また忘れられたということも多くあったと思います。
 パウロは今日の箇所で、自分が伝道者の働きをすべて成し遂げて立ち去った後、教会の外からは激しい迫害が襲ってくるだろう。また教会の中からもパウロが伝えたのとは違う別の教えを語る偽の教師たちが現れるだろうと予想しています。29節30節に「わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます」とあります。これは人間的に言うならば、パウロは自分なりには頑張ったけれど、精一杯働いたつもりだけれど、なお力不足で、十分に主イエスの福音の筋道とか救いの喜びを伝え切れていないところがあることを認めていることになるだろうと思います。けれども、パウロは希望を捨てません。そして、そこに秘密があります。それは何か。
 パウロは、何でも自分の手で成し遂げようとするのではなく、神の恵みがパウロの働きも教会の歩みも、またそこに生きているキリスト者一人一人の歩みも包み込んで、すべてを持ち運んでくださっているのだということを覚えているのです。
そして、神の恵みがすべての働きを完成してくださるということに期待するのです。ですからパウロは、「自分自身とすればこれまで精一杯働かせていただくことができたことが感謝だ」と言っています。

 そしてパウロは、感謝しながら懸命に伝えたけれども、それにも拘らず、パウロが去った後には、教会を外から荒らす勢力や、内側から歪めようとする動きが現れるだろうと言い、その後で、32節「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」と言っています。
 エフェソの教会は、パウロが去った後、「幾多の試練に見舞われ、困難な道を辿るだろう。外からも中からも誘惑が生まれる」とパウロは思っています。しかしその時に、「あなたがたが滅ぶことがないように、神さま自らが戦ってくださる。神さまの恵みのうちに、あなたがたは造り上げられ、そして、あなたがたは、神さまがこの世から選んでくださったすべての聖なる者と共に、恵みを受け継ぐ者とされている。だからわたしは希望を失わない」と、パウロは言っています。
 パウロはキリスト教信仰を知らされて、信仰を持って生きた人間の一つの見本として、自分の姿を語っていますが、それは一言でまとめて言うならば、「わたしは神さまの恵みのもとに過ごすことを許された者である」ということを言っています。
 パウロ自身、信仰生活の上では様々なことがありました。ユダヤ人から迫害され、石をぶつけられ気絶してしまったことがありました。鞭で打たれたことも、牢屋に繋がれたこともありました。そのように様々なことがあったけれども、「振り返ってみれば、わたしの生活は神さまの恵みがいつもあった。恵みによって支えられ、助けられ、導かれ、救われた生活をここまで過ごしてくることができた。それがキリスト者の生活なのだ」とパウロは言っています。

 パウロは、自分が間もなく世を去るだろうという予感のもとに、これまでパウロが直接にお世話をしてきたエフェソの教会を次の世代の長老たちの手に委ねようとしています。「わたしパウロがいなくなったら残忍な狼が外から迫ってくるし、内側からも違う教えを説く人が現れて教会が混乱するだろう。しかしあなたがたは、わたしがこれまで3年間、涙を流しながら、しかし恵みに感謝して教会に仕えた姿を覚えて欲しい。そして、目を覚ましてこの群れを導いていただきたい」と語ります。31節です。「だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい」。
 パウロが教えたことの中心にあるのは、「神さまが恵みによってこの地に教会を建てあげようとしてくださっている。そして教会に一人一人を招いて、教会を建てていく生きた石として用い、持ち運んでくださるのだ」ということです。そういう恵みのもとで生きることができたからこそ、パウロは「自分とすれば伝えるべきことはすべて伝えた」と言うのです。もちろん、終わりの日に教会が完成する姿がそこにできているわけではありません。「不十分なところはまだあるかもしれないけれども、終わりの日の完成に向かって、神さまがきっと持ち運んでくださる。わたしパウロが務めを終えた後、次の伝道者が福音を伝え、教会がさらに先へ先へと歩むように持ち運ばれる」という希望を持って、パウロは顔を輝かせながら語っています。

 私たちの信仰生活は、自分のありようだけを見つめる、特にキリスト者は真面目ですから厳しく見つめる人が多いのですが、そうすると、抜けたところ、欠けたところばかりが目について「自分はダメだ」とばかり言いたくなってしまうかもしれません。せっかく神の御前に真っ直ぐに生きようという志を与えられているのに、それをいつも忘れてしまう、お粗末で情けない悲惨な生活を歩んでいると思う方もいらっしゃるかもしれません。けれども、だからこそ私たちの信仰生活には涙が伴うのです。それは実は、神の御国のために仕えたい、働きたいと願いながら、なかなかそうなることができない現実、そのために流す涙です。

 けれども私たちは、自分の力だけで終わりの日の完成を引っ張ってくるのではないのです。神の恵みは常に教会と共にあって、教会に抱かれて生きるキリスト者一人一人の生活に、神の恵みがいつも共にあるのです。
 私たちは自分一人で、忘れずに信仰を持とうということではありません。たとえ、足りないところや未熟な点があるとしても、神の恵みがそういう私たちの上にあるのだということに目覚めていなければならないと思います。
 人間の弱さは大きく、破れも大きく、私たちは欠けが多いのですが、しかし神の恵みのご計画というのは、それを遥かに超えて巨大であることを知るようにされたいと思います。神の御言葉と霊の導きのうちに、私たちがあらゆる破れにも拘らず、神のものとされて生きることができる不思議さに思いを向けたいと思います。そして、神が備えてくださる一日一日の歩みを感謝して、喜びを持ってここから歩み出したいと願います。

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