聖書のみことば
2020年10月
  10月4日 10月11日 10月18日 10月25日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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10月25日主日礼拝音声

 皇帝へ上訴する
2020年10月第4主日礼拝 10月25日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/使徒言行録 第25章1〜12節

<1節>フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。<2・3節>祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。<4節>ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、<5節>「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言った。<6節>フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。<7節>パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。<8節>パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。<9節>しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」<10節>パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。< 11節>もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」<12節>そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。

 ただいま、使徒言行録25章1節から12節をご一緒にお聞きしました。1節に「フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った」とあります。フェストゥスという新しいユダヤの総督が着任したと言われています。前任のフェリクスはローマ皇帝に近い立場にいた兄の引き立てによって総督になった人でしたので、この世的に言えばコネや人脈で高い地位に登った人物でした。
 ところが新しい総督のフェストゥスはそうではなかったようです。フェストゥスについて書かれた文書はヨセフスの書いた「ユダヤ古代史」と聖書以外にないようです。ローマの上流機関と繋がりがあればローマの文献に名前が出てきそうですが、そういう方面に名が残っていないところを見ますと、フェストゥスはローマ帝国の一市民であって、務めに忠実なところを買われてユダヤ総督に登用された人物だったようです。ですから、彼は現場叩き上げの実直な人物であると言えるように思います。
 「総督として着任して三日たって」とあり、その人柄が窺えます。まだ引越荷物も解かれていなかったでしょうが、カイサリアの官邸を早々に出て、エルサレムに向かいました。これは前任者フェリクスがさまざまな争いの火種を放置したいたことに対処しなければならないという思いからだったと思います。

 当然のことならが、エルサレムでフェストゥスはエルサレムの指導者たちと面会します。そしてさまざまな事柄の事情を聞き、指示を出したことでしょう。その中にパウロについての案件、要求がありました。現在カイサリアのヘロデ王の官邸に監禁されているパウロの身柄をエルサレムに戻し、最高法院による裁判を開かせてほしいという要求です。けれども、最高法院の裁判を受けさせるというのは単なる口実であって、パウロがエルサレムに護送される途上を狙ってパウロを暗殺しようとする計画があったのだと、今日の箇所に記されています。2節3節「祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである」。
 この陰謀はこの時初めて始まったのではなく、23章12節以下に陰謀について記されています。40人以上の過激なユダヤ人たちがパウロの暗殺を誓い合い、祭司長たちや長老たちを抱き込んで、パウロを最高法院で裁くという名目で連れ出し道中で暗殺しようという手筈が、もう2年前から整っていたのでした。この時には、エルサレムを守備していた千人隊長のリシアがこの計画に気づき、パウロの身柄を夜の間にエルサレムからカイサリアへ連れ出しました。
 けれども、この時から既に2年が経っています。それにもかかわらず、この際にも暗殺計画があったというところに、パウロの敵の執念深さを思います。パウロを敵と見る人たちは、総督交代の機会をチャンスと考え、何も知らない新総督フェストゥスに何食わぬ顔で、パウロの身柄をエルサレムに戻してほしいと願い出ました。恐らくこの場合、今後フェストゥスがユダヤ総督として、ユダヤ人者社会と上手くやっていくために「エルサレムの指導者層の要求を受け入れた方が良いですよ」という誘いがあったに違いありません。普通であれば、新総督はそういう要求を受け入れるだろうという見通しもあったと思います。

 ところが、フェストゥスという新総督は前任者フェリクスとは違っていました。もし前任者がフェストゥスで、フェリクスが新総督だったならば、あるいはユダヤ人指導者たちの思い通りにパウロの身柄をエルサレムに移すということも起こったかもしれません。ところが新総督のフェストゥスという人物は、誠に自分の務めに忠実な実直な人でした。彼は、自分の判断で判決を下さなければならない囚人をカイサリアで預かっていると思っていますし、ローマ市民であるパウロの弁明を聞かないまま、他の人に裁きを任せるなどとは考えませんでした。ですからフェストゥスは、「間もなくわたしがカイサリアに戻ってその裁きをするので、その法廷で告発すれば良いだろう」と答えました。4節5節「ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、『だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか』と言った」。
 フェストゥスは、囚人を裁く務めを、ローマ皇帝から自分に委ねられている大切な務めだと考え、それを他人の手に任せてはならないと考えました。パウロにしてみると、この時新しく赴任してきたのがフェストゥスだったために命拾いしたと言えると思います。

 けれども、ここにはフェリクスやフェストゥスの人柄という以上に、神のご計画が働いています。思えばパウロの命は、これまでずっと狙われ続けて来ています。パウロがコリントの町を出てエルサレムに向かおうとした時以来、ずっとパウロは命を狙われています。ユダヤ人の刺客は、ずっとパウロの側にいました。パウロは危険な目に遭いながら、大怪我もしながら、しかしその命は長らえました。そこには、パウロを守っておられる神の御手があったからです。
 神がパウロを守ってくださっているのは、ただ単に危ないところで命が長らえたということではありません。神はパウロの上に計画を置いておられます。神のご計画の中で、「死ぬべき時に死ぬ」その時まで、神がパウロの命と人生を持ち運んでおられるということです。使徒言行録のこの先は、パウロがローマに向かって旅をして、そこで皇帝の裁判を待つ間、ある家に逗留しますが、見張りはあるものの、そこに訪ねてくる人たちと自由に語り合い、主イエスの福音を宣べ伝えたという、パウロの大変自由な姿を記して終わります。
 その先はどうかと言うと、聖書には記されていませんが、言い伝えによればパウロはローマ皇帝の裁判に臨んで有罪を宣告され、一度は赦免されてエフェソやイスパニアに行ったらしく、そこでまた捕らえられローマ皇帝の裁判を受けた末に、ローマ郊外で斬首されたとされています。パウロが処刑され埋葬された場所には、現在、教会が建てられています。

 パウロが二度も皇帝直々の裁判に臨んだということは、偶然ではありません。パウロは甦りの主イエスからそういう務めを与えられていました。23章11節に「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』」とあります。パウロはこの時、ローマで証しをするようにと、神によって人生を持ち運ばれていました。主イエスの復活を宣べ伝える、そして証しをする、それがパウロに与えられていた最大の務めです。パウロが「私は甦りの主イエスを信じている。主イエスはわたしと共におられる」と語る言葉を、裁判の席で皇帝が耳にする、そこに向かってパウロは持ち運ばれていました。
 この裁判は、パウロがこういう証言をすれば必ず有罪になります。当時のローマ帝国では、ローマ皇帝こそが神だとして崇められていたからです。帝国内のローマ市民や属国内の人も全て、ローマ皇帝を神として拝まなければならないので、そのための礼拝所が至る所に建てられていました。パウロは「本当の神はローマ皇帝ではない」と証言することになりますので、それによって処刑されることになるのです。当時、パウロと同じ罪状で訴えられたキリスト者が処刑されていきました。裁判の席で堂々と信仰を証しし、その結果処刑されるキリスト者が、初代教会の頃には大勢いました。
 もちろん、こういう死は理不尽な死と言わざるを得ません。しかし、たとえそれが理不尽な死であっても、パウロがローマ皇帝の前で証しすることができるのであれば、パウロはその死によって、「一体どなたが本当の神さまなのか」ということを鮮やかに表すことができるのです。

 私たちキリスト者の死も、そうだと思います。私たちが死に、家族がキリスト教で葬儀をしてくれるのであれば、私たちは自分の死を通して「本当の神さまはどこにおられるのか」ということを、この地上で表すことができます。パウロは皇帝の前で、そのことを堂々と表すために持ち運ばれていました。もし途中で暗殺されていたならば、その死を気の毒がったり、悼む人はいるかもしれませんが、それでは神を証しすることにはなりません。神は、パウロがその一生を全部歩いて、その生涯で語るべき事柄を語るべき相手に全部証しさせた上で、その生涯を閉じさせてくださいました。そしてそのことのために、神はこの時、思いがけないほどに実直な人物をユダヤの総督にしておられたのでした。

 フェストゥスがユダヤの主だった人たちに答えた答えは、まことに正論です。自分が預かっている囚人はローマ皇帝の命によって自分が裁かなければならないのだし、間もなく裁判を開くのだから、その席で告発すれば良ではないかと言われた言葉に、ユダヤ人たちは反対できません。ですから、カイサリアに帰るフェストゥスに皆ついて来て、裁判が開かれることになります。6節7節に「フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった」とあります。
 丁度2年前に前総督のフェリクスの前で開かれた裁判と大変よく似た経過を、今回も辿ることになりました。パウロを有罪にしたいユダヤ人たちは、総督の前で、ローマ帝国の役人であれば気にしそうな言葉を並べてパウロを攻撃しました。ここでは「重い罪状」とだけ言われていますが、前回のフェリクスの前で言われていたことからすると、同じようなことが言われたのだと思います。パウロは帝国の中で疫病のような人物である、分派の主導者である、騒乱を企んでいるなど、ローマ帝国にとって危険な不穏分子だという訴えです。しかし2年前も、その訴えの証拠を何も示すことはできませんでした。

 パウロは、訴えられたことについてすべて潔白であると主張しましたが、ユダヤ人たちは収まりませんでした。パウロを訴えたい人たちは、真実に基づいて裁判が行われることを望んでいるのではなく、是が非でもパウロを亡き者にしたい、その一心です。一方のパウロは、この機会を用いて、主イエスの復活の出来事を目の前のユダヤ人たちに、また新総督のフェストゥスに伝えようとしました。ですから、両者の論争は果てしなく続くのです。
 それで、裁判官であるフェストゥスは当惑し、落とし所を見つけられずにいました。この時フェストゥスがどのような状況に立ち入ったかを、この裁判の後、フェストゥス自身が語っている言葉があります。25章18節から20節です。「告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。わたしは、これらのことの調査の方法が分からなかったので、『エルサレムへ行き、そこでこれらの件に関して裁判を受けたくはないか』と言いました」。
 まさしくこの日フェストゥスは、目の前で行われた裁判が思いがけない方向に行ってしまったため、途方に暮れてしまいました。フェストゥスの常識からすれば、ユダヤ人たちがパウロについて言い立てていることが濡れ衣だということが判明した時点で勝負はついているはずでした。ユダヤ人たちが白を黒だと言い立ててパウロを有罪にしようとしている、そのことに証拠がないと分かれば、パウロもそこで引き下がれば良いのですが、パウロは引き下がりませんでした。どんどん激しく論争は続き、しかもパウロが「主イエスは復活した」と死者の復活を熱心に語れば、ユダヤ人たちは「この男は有罪だ」と言い募りました。
 結局フェストゥスは根負けし、かつてユダヤ総督だったポンテオ・ピラトが下したのとよく似た結論を下そうとしました。つまり、自分でこの裁判の責任を負うつもりで始めた裁判でありながら、結局は訴え出ているユダヤ人たちに任せようとしました。
 これはピラトの時と同様です。ピラトはどう行動したでしょうか。訴えられているイエスについては「何も罪はない」と思いましたが、それではユダヤ人たちが収まらないので、群衆の前で手を洗って見せて「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」と言い放ち、そして主イエスの身柄をユダヤ人たちに預けました。そして今、フェストゥスも同じようなことをします。9節に「しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。『お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか』」とあります。

 恐らくパウロがローマ市民でなかったならば、フェストゥスは何の問題もなくパウロをエルサレムに送ったことでしょう。けれどもパウロはローマ市民なので、フェストゥスとすれば、パウロの同意を得た上で、エルサレムの最高法院でパウロの裁きを任せたいと思いました。ところがパウロは、フェストゥスの提案に同意しませんでした。
 パウロの主張は、自分はローマ皇帝の法廷で裁かれているのだからそこで裁かれるべきだということ、そして事実無根な訴えでエルサレムに移されその途中で暗殺されるわけにはいかないのだから、自分としてはローマ皇帝に上訴して直々に裁いていただきたいと言いました。10節11節です。「パウロは言った。『私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します』」。
 裁判官であるフェストゥスは、パウロを訴えているユダヤ人たちの訴えの背後にパウロを暗殺しようとする企てがあることを知っていたかどうか分かりません。恐らく気付いていなかったと思います。しかしパウロには分かっていました。以前エルサレムで捕われていた時に暗殺計画があることを甥から聞かされましたから、今回も同じことがあっても不思議ではないと分かっていました。
 パウロにはエルサレムへの思いがあります。同胞であるユダヤ人たちに何とかして主イエスの十字架と復活の出来事を伝えたい、信じる者となってほしいという気持ちです。
 けれども、今の自分に与えられていることはローマに行くことだということも、主イエスの言葉によって、はっきり分かっています。ですから、ローマ皇帝直々の裁判へと上訴すると言いました。フェストゥスは陪審員や裁判官たちと協議の上、上訴を認めました。ここで、ようやくパウロがローマに向かい、ローマ皇帝の前で主イエスの復活を証しするための門が開かれました。

 これまでパウロは、主イエスの言葉を聞いてはいても、それがどのように実現するのかは分かっていませんでした。パウロはカイサリアで2年間、総督フェリクスのもとで牢屋に閉じ込められていました。ローマに行きたいのに行けないと、ジリジリして待っていたのではないかと思われるかもしれません。けれども、パウロはそうではなかったようです。カイサリアで足止めされているような間にも、前総督フェリクスは何度も「主イエスについて聞きたい」とパウロのもとを訪れていました。ですから、パウロは主イエスの甦りのことや、また甦られた主イエスがパウロに現れてくださり絶えず支えてくださる、勇気を与えてくださり共に働いてくださることを語っていました。2年もの間、座敷牢のような場所に押し込められていても、パウロは少しも焦りませんでした。神がローマに行くようにとおっしゃるからには、きっとその道は開かれると思っていますし、今自分のやるべきことは、目の前にいる人たちに福音を伝えることだと思って、フェリクスに対して心を込めて福音を語っていました。
 ところが、そのフェリクスが失脚しカイサリアを去ることになりました。もう話しかける相手はいません。しかし、思いがけないことに、この日、ローマへ向かう道が与えられました。神は、パウロに対して悪意を持ち敵意を抱いているユダヤ人たちを用いて、パウロをカイサリアからローマへの道へと押し出していかれました。本当に今日の箇所には、神の不思議ななさりようが記されています。

 ローマへの道は、パウロ自身の計画ではありませんでした。本当に思いがけない仕方で、神がパウロに、この道を進むようにと道を開いてくださいました。
 キリスト者一人一人の歩みにも、教会の歩みにも、こういう時があるかもしれません。私たちは、自分や教会の将来について、自分の考えや自分の計画が全て進んでいくという具合にはならないでしょう。思いがけないことに出会って、何とかして対処しなければならないという中で「神が新しい道を示される」、そういうことがあるかもしれません。
 そういう意味で、私たちは、自分の思いが成るようにということばかりを願うのではなく、自分の思いがあったとして実現すれば嬉しいことですが、しかしそれでも「神がわたしの上に持っておられる計画が実現しますように」、自分の思いではなく「神の御心がわたしの上になりますように」、神に愛されている者として「神がこの世界の上に与えようとしておられる愛を証しする、そのような者として持ち運ばれていきますように」と祈って生活することが相応しいことだと思います。

 今私たちは、いろいろな不自由なことを感じながら生活していますが、しかし、神はこの生活を通しても、私たちが生きているこの暮らしの中に、これから先へ進んでいく道を切り開き備えてくださいます。
 私たちは、その導きに信頼して御言葉に聞き、主を讃えながら、それぞれに与えられている賜物に従って、「主イエスこそ、わたしの主。神さまがわたしを守り持ち運んでくださる」との信仰を証しして歩む、そのような生活へと送り出されたいと願います。

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