聖書のみことば
2021年12月
  12月5日 12月12日 12月19日 12月26日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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12月12日主日礼拝音声

 呼びかける声
2021年12月第2主日礼拝 12月12日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/イザヤ書 第40章1〜8節

<1節>慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。<2節>エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた、と。<3節>呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。<4節>谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。<5節>主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。<6節>呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。<7節>草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。<8節>草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

 ただいま、イザヤ書40章1節から8節までをご一緒にお聞きしました。1節に「慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる」とあります。
 アドヴェントに入り、今日が3回目の主の日ですが、先週、先々週の礼拝では、旧約の預言者イザヤの言葉をお聞きしました。先々週はイザヤ書29章から、預言者イザヤが同時代の人々に警告を与えている言葉を聞きました。南ユダの王ヒゼキヤの政治によって、社会的には諸々のことが上手く進んでいるように思われた時代に、イザヤは人々を覆っている深い眠りがあるということを指摘して、「あなたがたは人間的に物事を考えて、世の中が比較的落ち着き穏やかであることで、自分たちが上手くやれていると思い込んでいる。けれども実際には、神さまに対し王をはじめとして誰もが深く眠り込んでしまっているために、神さまの御言葉を、開いて読むことができなくなっている」と言って、警告していました。また先週はイザヤ書35章から、「神の御前にぐっすりと眠り込んでしまっているようなイスラエルではあるが、神が起こしてくださるならば目覚めることができる」と、神の民イスラエルの人々になお希望が与えられている言葉を聞きました。そこでは、「神のなさりようによって、ぐっすり眠り込み御言葉を読めずにいた人々の目が開かれ、聞くことができなかった人々の耳が開かれ、賛美と喜びの歌声が聞かれるようになる」ということが述べられていました。そして、そのようなイザヤの預言は、主イエス・キリストを指し示す言葉でもあったのでした。

 今日もイザヤ書を聞いています。今日のイザヤ書40章は、今まで聞いた二つの預言とは時代がやや違っています。イザヤ書は全体で66章ありますが、最初の39章までは預言者イザヤが語った言葉です。ところが40章から55章まで、56章から終わりの66章までは本来のイザヤとは別の、無名の預言者が語っている言葉です。39章までのイザヤと、40章の預言者は別人ですけれども、しかしイザヤに続く預言者たちは、最初のイザヤの預言の言葉をよく分かっていて、イザヤの預言に続くように預言の言葉を語っています。
 イザヤは、南ユダ王国の末期に活動した預言者で、南ユダ王国が当時の超大国アッシリアとバビロニアから圧迫され脅かされる中で、様々な人間的な思惑に王たちや高官が走ろうとした、その時に、「唯お一人の造り主である神さまだけに信頼を寄せ、毅然とするべきだ」ということを伝えました。それが最初のイザヤです。しかし結局、南ユダ王国はイザヤの助言に耳を貸すことなく滅んでしまいました。紀元前586年のことです。南ユダの主だった人たちや、あるいは民の生活を支えるインフラの技術を持つような人々は、ほぼ全員がバビロニアに捕虜として連れて行かれました。世界史の中で「バビロン捕囚」と呼ばれる出来事ですが、この捕囚の状態は50年ほど続きました。その50年の間に、捕虜として連れて行かれた人々は、そのほとんどが寿命が尽きて亡くなっていきました。

 今日の箇所、40章の預言者は、バビロンに捕囚されていた時期の、しかもその終わり頃に活動した預言者であることが知られています。ですから、最初のイザヤよりは一世代か二世代後の時代に活動していたことになります。
 この若い世代の預言者が、バビロンに囚われている生活の中から、ある日、神の御声を聞き取るのです。「神さまが、私たちイスラエルの民の上に慰めをもたらそうとしてくださっている」という御声です。この慰めは口先だけのものではありません。2節に「エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた、と」と述べられています。「苦役の時は今や満ちた」、すなわち「服役する時は完了した」と神は言われました。南ユダの人たちのバビロン捕囚は、人間の目からは戦に敗れて弱い立場に置かれた人々が、強い立場に立つバビロンの人々によって一種の戦利品のように扱われ、捕虜とされ奴隷とされて引き立てられて行ったという出来事でした。捕囚された人々は、バビロン郊外で反乱でも引き起こして立場を逆転させるのでなければ、一生涯捕虜のままで過ごさなくてはなりません。
 しかし実際のところ、反乱を起こしてバビロニアに勝利するなどということは、とてもできそうにないことでした。従って、捕囚されたイスラエルの民は、自分たちの置かれた境遇に絶望するほかありませんでした。彼らはバビロンの都まで連れて行かれ、その城壁の外側の何の保護もない場所に留め置かれました。彼らはその辺りで見つけてきた、あり合わせの材料でバラックのような仮小屋を作り、その中に寝起きすることを余儀なくされました。6節に「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの」という言葉が出てきますが、まさしくこの言葉が、捕囚の境遇にあった人々の生活実感を述べている言葉です。「自分たちは野に生えている草のようなものにすぎない。長生きをしたところで、それは所詮、花のしぼむのが1日長いか短いかといった程度の違いでしかない。もう一生、この捕虜の境遇から抜け出すことはできない」という絶望が、イスラエルの人々を覆っていました。

 ところで、この状況について、神は少々違ったふうにご覧になります。イスラエルの人々がバビロニアに敗れて捕虜となってしまったのは、もともとこの人々が神に信頼して生きるべきだったのにそうせず、神から離れてしまったことへの報いとしてもたらされたことでした。最初の預言者イザヤは、神に信頼を寄せて毅然としているように勧めましたが、王をはじめ南ユダ王国の人々はその助言に従いませんでした。そして、神に信頼し忠実に生きるのではなく、人間の思いと判断を先立たせ神抜きで行動してしまった結果、神から離れた責任を問われ、報いを受け、捕虜の境遇となったのでした。
 神は人間に対して、過ちを犯した場合、その過ちの結果をお尋ねになります。しかしそれは、その人を滅ぼそうとするのではなく、苦しみや痛みを経験する中で、その本人が神と自分自身の間柄やあり方について深く考え、悔い改めて、新しい歩みへと導かれるようにと、そうなさるのです。従って神は、過ちを犯した人について永久に怒り続けられるわけではありません。この世の人生でも、過ちを犯した人が何年か刑務所に服役した後、罪や咎を全て償い再び解放されるということがあるように、神の御前にあって、イスラエルの人たちは罪を償った末に再び赦されて、神の御前に歩む時が与えられるのです。「イスラエルの苦役の時、服役すべき時は今や満ちた。その咎と過ちには十分な償いがつけられた」と、神は認めてくださいました。そこには、神のイスラエルに対する限りない愛と慈しみがあります。「神の愛と慈しみの故に、イスラエルは今や『罪の償いが済んだ』と宣言をされ、新しい生活へと導かれようとしている。そういう慰めが今、自分たちの上に臨もうとしている」ということを、若い預言者は聞き取りました。それで「慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた、と」と語ったのでした。

 そして、この預言者は、「イスラエルのために神ご自身が道を開き、捕囚の民をエルサレムに連れ帰ろうとしてくださっている」ということを知らされます。「エルサレムに帰らされる、約束の地に連れ帰っていただける」ということは、しかし、若い預言者にとっては考えもしなかったことでした。それは、バビロン捕囚が50年ほども続いていたからです。
 捕虜とされバビロンに連れて来られた最初の数年は、捕虜たちの中に望郷の思いもあったかもしれません。しかし捕囚の生活が20年30年と続いていく中で、望郷の思いは次第に薄まっていきました。ましてバビロンで生まれた新しい世代、若い人々にとって、「エルサレムは故郷」と聞かされても、実際には外国のような場所でしかありません。ですから、エルサレムに帰る道が開かれるという幻は、預言者自身の思いつきではなく、まさしく神が示してくださった幻です。
  3節4節に「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ」とあります。「荒れ野、荒れ地に広い道が通されていく」という事柄を、この言葉は語っています。この幻は、預言者の心の中に浮かんだイメージだったのでしょうか。どうもそうではないようです。5節に「主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される」と言われているからです。「肉なる者は共に見る」というのですから、預言者自身もまた彼の時代の他の人たちも、肉眼をもって、「広々とした道が整備され、そこに主なる神の栄光が現れるのを見ることになる」と言っています。しかし、これは一体何のことを言っているのでしょうか。
 道路の整備ということを申しますと、主イエスが地上で生涯を過ごしておられた頃、地上の多くの地域を支配し統治していたローマ帝国は、帝国内の遠い場所で反乱が起こった時に騎馬隊と戦車隊を素早く派遣できるようにするため、舗装された軍用道路をローマを中心に四方八方に伸ばしていたということが知られています。「すべての道はローマに続く」という諺の元になった出来事です。ところが、そういう軍事目的の街道整備はローマが始めたことではなく、それ以前に世界を治めていたペルシアで行われ、ペルシアでは、「王の道」と呼ばれる舗装道路が整備されました。しかしさらに、そのペルシア帝国の道路整備がお手本にしたのが、バビロニアの軍用道路でした。バビロニアの王は主な都の周囲の山や丘を削り、その土砂で谷を埋め平らな道を通す大規模な土木作業を行いました。そうやって広い道を通すと、そこに馬に乗った王をはじめ戦車や騎兵、牛に引かせた神々の像を通らせてパレードを行い、王の権力の大きさを人々に見せつけたのでした。バビロニアの王が、征服した敵の国まで広々とした軍用道路を開通させ、その上を威風堂々と歓呼の声に迎えられ神々と共に進んだ、その美しい支配者の姿を大勢の人々が見たという記録が、20世紀初頭に発見されています。
 こういう道路工事には、当然捕虜で連れて来られた人たちも駆り出されて働きました。「わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」と預言者が耳にした言葉は、最初は「私たちの神々のために、荒れ地に広い道を通せ」と工事現場の監督が働き人たちを叱咤激励していた言葉だったかもしれません。いずれにしても、この若い預言者は、広い道がバビロンから西の方へ延ばされていく、その行った先にエルサレムがあるという様子を実際に目の当たりにしていたのでした。バビロニアの王たちにとっては、その道は自分たちが征服した諸民族の地へと早く軍隊を送るための舗装道路だったわけですが、しかしその道は同時に、捕囚を受けているイスラエルの人々にとっては、故郷ユダヤへ、またエルサレムへと至る、神が備えてくださった帰り道ともなる道でした。
 若い預言者は、イスラエルの人々がその広い道を通ってエルサレムへ連れ帰られる様子を思い浮かべます。その時には、バビロニアの王の行列とは違って、人々の先頭に立つ王や神々の像はありません。ユダヤの人々は祭司に導かれ、皆で一緒に道を辿ることになります。
 しかしまさに、そういう仕方で、「真の主なる神の栄光が現されることになる」のです。すなわち、人の手で作った作り物の御神体、木や石や金属の飾りにすぎないものを仕立てて進むのではなくて、真の神に導かれ信仰を持って進むイスラエルの人々が、エルサレムへの道を帰って行きます。捕囚から助け出してくださり、故郷へ帰してくださる神の救いの御業を口々に讃え、賛美しながら、人々は道を帰って行くことになります。若い預言者は、そういう幻を示されたのでした。

 ところで、そういう幻を示されていた預言者は、突然、「御言葉を人々に知らせるように」と、務めを与えられました。預言者は大変驚くのです。今日の初めのところでは、この預言者は、神が語りかけておられる御言葉に耳を澄ませ、聞くということで満足をしていました。ところが、その彼が、今や神の御言葉を兄妹姉妹たちに告げ知らせるように求められるのです。6節の前半に「呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と」とあります。まさしくこれは、預言者の実感でした。そしてこの言葉は、この預言者だけではなく、神の言葉を説教をする立場に立たされる人たちが等しく思わされる実感の言葉でもあります。今までは、預言者は自分が傍観者のように、あるいは聞き手のように神がおっしゃる言葉を聞いていました。ところがこの6節で突然、「呼びかけよ」と、神から言われるのです。
 そのように求める神に向かって、預言者は思わず、「何と呼びかけたらよいのですか」と聞き返し、そう尋ねた後に、預言者自身が感じていること、語れそうなことを口に出してみました。しかしそれはいずれも、希望や慰めとは程遠いものばかりでした。
 6節7節に「呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい」とあります。「自分たちは、ただの草のようなものでしかない。熱風に焼かれて枯れていってしまうような、そういうものに過ぎない」というのが、この預言者の率直な感想でした。かつて自分たちの先祖は昂り、神抜きで、人間の知恵や才覚や能力によって上手に他の国々と渡り合っていけると考えていました。それで、アッシリアやバビロニアといった大帝国に脅かされると、エジプトに身を寄せたり、アッシリアやバビロニアに擦り寄ったり、行ったり来たりを繰り返した挙句、遂に国を失ってしまったのでした。
 ですから、彼らがバビロンに捕虜として連れて来られ、苦しい労役の生活の中で知ったことは、「自分たちは、ただ草のようなものでしかない」ということでした。

 ところが、そういう預言者に再び神の御言葉が与えられました。それが8節の言葉です。「草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」。「弱く貧しい者を慰め、支え、立たせてくださる神の御言葉が、今、自分たちに語りかけられている」、この日、預言者はそのことに初めて気づかされました。この時までは、自分の方が神を思ったり考えたりしていました。ところが神は、若い預言者が思ったり考えたりする前から、ご自身の民を守り支え持ち運んでおられました。「今や苦役の時は満ちた。あなたは今、わたしの慈しみの中で生きていくことが許される。そしてそこから、イスラエルの人々の将来が展開していくことになる」と、預言者は神からそういう言葉を聞かされたのでした。「『草は枯れ、花はしぼむ』、あなたの現実はそのようなものかもしれない。しかし、『神の言葉はとこしえに立つ』、あなたはわたしの言葉のゆえに生きる者となる」と、神は無名の若い預言者に語りかけてくださいました。

 思えば、今日ここに集まっている私たちも同じではないでしょうか。私たちが思ったり考えたりするから、神や主イエスがおられるのではありません。私たちが祝おうとするから、クリスマスがやって来るのでもありません。それどころか、私たちが生まれる何年も前から、何千年も前から、神は御業を行ってくださり、クリスマスの出来事も確かにこの地上に行われたのでした。

 私たちは今、クリスマスに向かう季節を過ごしていますが、あのクリスマスの日、最初のクリスマスの時に、救い主を地上に送ってくださり、そして救いの御業をこの地上で始めてくださった、その神の慈しみを知るようにと、私たちは今年のクリスマスに招かれています。
 神が私たちに与えて下さった救い主によって、清められ慰めを与えられ、励まされて、主の御名を共に賛美し、慰めの中を生きる者たちとされたいと願います。

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