聖書のみことば
2020年9月
  9月6日 9月13日 9月20日 9月27日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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9月13日主日礼拝音声

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2020年9月第2主日礼拝 9月13日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/使徒言行録 第21章37節〜22章21節

21章<37節>パウロは兵営の中に連れて行かれそうになったとき、「ひと言お話ししてもよいでしょうか」と千人隊長に言った。すると、千人隊長が尋ねた。「ギリシア語が話せるのか。 <38節>それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか。」<39節>パウロは言った。「わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。」<40節>千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。
22章<1節>「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。」<2節>パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。パウロは言った。<3節>「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。<4節>わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。<5節>このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」<6節>「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。<7節>わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。<8節>『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。<9節>一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。<10節>『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。<11節>わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。<12節>ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。<13節>この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。』するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。<14節>アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。<15節>あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。<16節>今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」<17節>「さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、<18節>主にお会いしたのです。主は言われました。『急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。<19節>わたしは申しました。『主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。<20節>また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。』<21節>すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」

 ただいま、使徒言行録21章37節から22章21節までをご一緒にお聞きしました。エルサレム神殿の境内でパウロが捕らえられ、興奮した群衆から殴る蹴るの乱暴狼藉を働かれていた時、騒ぎに気付いたローマの守備隊が暴徒たちの手からパウロを連れ出し、ローマ軍の兵営の中に隔離して一時的に保護しようとしました。ところが、その最中にパウロは自分の身を守ろうとしてくれている守備隊の千人隊長に語りかけました。たった今、パウロに乱暴を働いていた人たちに向かって話をさせてほしいと願いました。39節40節に「パウロは言った。『わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。』千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた」とあります。
 パウロは全ての人々に向かって遣わされた伝道者です。ヨーロッパでの伝道旅行の最中には、ユダヤ人たちはパウロの語る福音に耳を貸そうとしませんでした。口汚く罵って反論したために、止むを得ずパウロは、福音に耳を傾けてくれる異邦人を中心に伝道し、そしてヨーロッパに数多くの異邦人教会が生まれることになりました。けれどもパウロの心にはいつも、肉による同胞、つまりユダヤ人たちのことが気にかかっていたのでした。それで今、エルサレムの人々に語りかける最後のチャンスを用いて、パウロは「自分がいかにしてキリストに出会い主を信じるようになったか。そして使徒とされたのか」ということを再度伝えようとしました。

 パウロがエルサレムのユダヤ人たちに語ろうとした時、そこには一時、静けさが訪れたと述べられています。これは、パウロが上手に導いたとか、何か演出によって生まれた静けさではありません。ローマの軍隊が群衆を黙らせたわけでもありません。ここでは神が臨んでくださっています。神がひとときの静けさをこの場所にもたらし、パウロの言葉に耳を傾けることができるようにしてくださっているのです。
 パウロがここで語ろうとしていることは、パウロの口を通して語られていますが、神がご自身の民を身元に引き寄せようとなさる聖なる招きの言葉です。今、パウロが語っている時より30年ほど前、聖霊の降ったペンテコステの朝に、同じユダヤの人たちに向かって使徒ペトロを通して神が招きの言葉を語りかけてくださいました。使徒言行録2章にそのことが語られていますが、あの朝ペトロから言葉を聞かされた人たちは心を強く刺されて尋ねました。「兄弟たち、私たちはどうしたら良いのでしょうか」。ペンテコステの朝と同じように、ここでは神が使徒パウロの口を通して、ご自身の民を御前に立たせ、招こうとしておられます。
 この時、この場にいた大勢の人たちは知りませんでしたが、エルサレムはもうじきローマの軍隊によって焼き尽くされ、神殿は陥落して廃墟となります。神はそうなる前に、ご自身の民を「雌鳥が雛を羽根の下に集めるように」集めて匿おうとしておられるのです。ユダヤの人たちは、エルサレムに神殿があるということを誇っていました。しかし、その神殿が焼け落ちてしまえば、もはやユダヤ人たちにとって拠り所がなくなることになります。しかし、そのようなことが起こる日にも、神が確かにご自身の民の側近くにいてくださる、一人一人を招き持ち運ぼうとしてくださるということを、パウロは証言していきます。
 パウロ自身は、乱暴されたために体はボロボロになっています。恐らく立っていることもままならない状況だったでしょう。それでも声を励ましながら、パウロ自身がこれまでどう生きてきたか、救い主にどのようにお目にかかり、どのようにして使徒に立てられたかを語りました。それはパウロの歩みが見事だったからということではなく、「わたしパウロに甦られた主イエスが出会ってくださり、ここまで歩んで来れた歩みが復活の主イエスの御業を語るのに良い見本だ」と思ったからです。パウロの歩みは、まさに甦りの主イエスがどういうお方であるかを表す格好の見本なのです。

 ここでまずパウロは、自分の生い立ちから語り始めます。22章3節に「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました」とあります。先に話をさせてほしいと千人隊長に語った時には、パウロは自分のことを「タルソスの市民だ」と紹介していました。パウロがローマ市民なので、千人隊長はパウロを邪険にしないで、ユダヤの同胞たちに話をするチャンスをくれました。しかし、いざユダヤ人たちに向かって話をする時には、パウロは「自分はタルソスのローマ市民である」と言うよりも、「タルソス生まれのユダヤ人である」と言います。そして「生まれたのはタルソスでも、育ったのはエルサレムだ」と、そして有名なラビである「ガマリエルの門下生だった」と伝えました。こういう自己紹介をされますと、エルサレムの人たちには、パウロがどんなに厳格な教育を受けたのかということが、よく分かりました。パウロはガマリエルの薫陶を受けて成長し、厳格なファリサイ派の人として、最初にエルサレムで大規模なキリスト者の迫害が起こった時には、その先頭に立っていました。
 殊にステファノが殉教の死を遂げた時には、石を投げつける人たちの上着の番をしていたと語っています。上着の番をしていたと聞きますと、その人は後ろにいて直接手を下さなかった臆病者のように思うかもしれませんが、そうではありません。人々の上着の番をすれば、当然のことながら、それを返さなければなりません。間違いが起こらないように、上着を預かる時には一人一人の顔を確認して預かりますから、返す時にも相手の顔を見て「確かにこれはあなたの上着です」と言って返すのです。ですから、ステファノに石を投げつけた人の上着を預かるということは、その人たちと顔を突き合わせて見ているということですから、その人たちは皆、パウロがその場にいたことを証言できるようになります。隠れて物陰から石を投げつけるのであれば、その責任を問われる事態が起こった際には、口を噤んで自分はその場にいなかったような振りをするということも考えられますが、上着の番をする人は、そういうわけには行きません。大勢の人たちに顔を見られていますから、上着の番をしていたパウロは、ステファノを殺害した事件の実行犯の先頭にいると言っても良いのです。あるいは黒幕、元締めであって皆を指揮して石を投げつけさせているような立場にあったと言って良いのです。当時のパウロがそうだったことを証言できる人は、そこにいる群衆の中にもいたはずです。確かにパウロはステファノ殉教の急先鋒でした。
 そしてそこからパウロはどうなったか。キリスト者をエルサレムで捕らえることだけでは飽きたらなくなり、大祭司からの推薦状をもらい、シリアのダマスコまで行き、そこでもキリスト者を迫害しようとしました。当時のパウロはまことに厳格なファリサイ派で、ユダヤ人らしいユダヤ人、これ以上キリスト者を憎んでいる人はいないのではないかというほどでした。「わたしはタルソス生まれのユダヤ人です」と、パウロはユダヤ人たちに自己紹介しましたが、パウロがこのように自己紹介する時には、単にタルソスで生まれたということ以上のことを思いを込めて、「わたしはユダヤ人なのだ」と語っているのです。

 ところが、そのように根っからのユダヤ人であり、熱心にキリスト者と教会を迫害してきたパウロが、今では逆にキリスト者の一人になっています。普通ではそんなことを考えられるでしょうか。普通には考えられないことですが、人間にはできないことでも、神にはおできになるのです。その顛末をパウロは語ります。そして群衆は、黙ってそのパウロの話を聞き続けました。
 ここでパウロは、改心の出来事は不意に訪れたと言っています。ある説教者は、この改心の出来事は「特急電車が全速力で走ってきて、遂に脱線した時のようだ」と語りました。パウロがもはや同じレールの上を走らなくなったのは、スピードの出し過ぎでも、またパウロが自分で行き方を変えたのでもありません。神がパウロに現れて、そうなさいました。
 ダマスコに向かってパウロが道を急いでいた時のことでした。真昼ごろだったと、パウロは正確な時間まで覚えています。ですから、これは幻や夢を見たということではありません。一緒にダマスコを目指していた人たちも証言しています。パウロの上に非常に強く明るい光が射し、同行していた人もその光を見たと言われています。ですから、パウロが経験した改心は、パウロの心の中でだけ思った出来事というのとは違います。それで実際にパウロは肉体に傷を負っています。強い光に照らされて三日間も目が見えなくなり、手を引いてもらって漸くダマスコに辿り着き、そこで一人のキリスト者と出会うことになります。その人はユダヤ人キリスト者で、12節に「ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした」とパウロは紹介しています。「すべてのユダヤ人の中で評判の良い」と言うのですから、ユダヤ人キリスト者の間でだけではなく、ダマスコの町に暮らしているユダヤ人なら、皆、アナニアを知っていて確かな人だと思っていたのです。
 パウロは当時、キリスト者は全員根絶やしにしなければならないと考えていましたが、そういうキリスト者の中には、アナニアのようにユダヤ人から見ても一目置かれるような立派な信仰生活を送っている人たちがいました。律法に忠実に生活しているアナニアがパウロのところに来て、驚くようなことを言いました。14節「アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです』」。アナニアが言った通り、パウロは強い光に照らされた時、そこで一つの声を聞いていました。7節8節でパウロは、「わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました」と語っています。
 パウロは確かに光の中で声を聞いたと語っています。ところがパウロ自身はこの時、大変困ってしまいました。パウロは確かに声を聞きましたが、その場に居合わせた人たちの中に、パウロが聞いたのと同じ声を聞いた人はいなかったからです。同行者たちは、光は見ましたが声は聞きませんでした。そうであれば、パウロが聞いた声は一体何だったのでしょうか。パウロが聞いたのは強い光による幻聴か、錯覚か分からなかったのです。
 ところが手を引かれてダマスコに入った時に、アナニアがその声の主について教えてくれました。その声は「まことに正しい方」すなわち、「神と私たち人間を結び付けてくださる救い主の声だった」と教えてくれました。そして、アナニアはそう教えただけではなく、パウロが経験させられたことの意味も語りました。パウロの経験したこと、「それは、これからすべての人に対して証しされていかなければならない。そのためにあなたは今立ち上がり、このお方の御名により洗礼を受けて、罪と過ちをすべて洗い清められるのだ」と語りました。
 パウロは「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という声を聞きました。その声が、アナニアの言う通り、「まことに正しい方、救い主である」とすれば、パウロがそれまで行ってきたことは、全く見当違いなことだったいうことになります。パウロ自身は神に忠実に従うのだと思って、熱心にキリスト者と教会を迫害していたのですが、パウロは「なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きましたから、パウロが迫害していたのは救い主であり、パウロは神に対して逆らい反対していたということになります。もちろん、パウロはそのことに気づかずにそうしていたのですが、アナニアから「あの声の主は、まことに正しいお方の声だった」と知らされますと、パウロはそこで、「自分は今まで神に真っ向から敵対していた。とんだ大それた生き方をしていた」と気づきました。
 そのように、正面から神に逆らって歩んできたパウロに対して、その罪が赦される、清められるということが、果たして起こるのでしょうか。しかしアナニアは言いました。16節「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい」。このようにアナニアが勧めてくれるということは、それまで神抜きで、それどころか神に逆らい正面から対立して神の教会を迫害してきたパウロにも、清められるチャンスがあるということです。「ステファノを殺した人殺しであり、神に逆らい対立し、救い主を迫害してきたパウロにも、罪を洗い清めていただける可能性がある」と、アナニアは語りました。

 パウロがこのように語りかけられるのであれば、ここにいる私たちにしても、同じように清められる可能性があるのではないでしょうか。そしてまた、私たちキリスト者が受けてきた洗礼は、まさしくそういう信仰によって施され、またその洗礼を受けてきたのではないでしょうか。
 「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい」、これはアナニアがパウロに語ってくれた言葉ですが、それだけではありません。今この時点で、パウロは今度はキリスト者になっています。そして、パウロが目の前にいるエルサレムのユダヤ人たちに聞かせている言葉でもあるのです。パウロが持ち運ばれてきた人生の道、それは主の救いの御業を指し示す見本のようなものだと申し上げました。パウロは自分が聞かせてもらったその通りの言葉を、今度は他の人たちにも聞かせているのです。「今まで神抜きで神に逆らって生きてきたかもしれないけれど、あなたは今からは、主イエスとの出会いを通して神さまを知る者になる。神さまの保護と導きのもとに生きるようになるのだから、それを信じて洗礼を受けなさい」と、パウロはエルサレムのユダヤ人たちに語りかけました。
 それを聞いていた人たちはどうしていたでしょうか。いよいよ静かに聞いていました。その沈黙は一体何なのでしょうか。パウロが語っている言葉に同意して黙って聞いているのでしょうか。喜んで聞いているのでしょうか。それとも嵐の前の静けさでしょうか。
 パウロは自分の生い立ちを語りました。自分は本当に厳格なユダヤ人で、キリスト者を決して許さない者だったと語りました。そしてまた、そういう自分がどのようにしてキリスト者とされたのかも語りました。自分の思いによってではなく、主イエスが出会ってくださり、アナニアが手引きをしてくれて、自分が出会ったお方が本当に救い主だと知らされたのだと語りました。

 そして三番目のこととして、「自分がどのようにして使徒として立てられているのか」ということを語り始めました。パウロがユダヤ教徒からキリスト教徒に変えられた時に、救い主キリストとの出会いがあった、それと同じように、パウロが一人のキリスト者から使徒とされた時にも主との出会いがありました。パウロはここで、まことに率直なことを語りました。神秘的とも言える不思議な出会い、その経験をパウロはそのまま語りました。パウロが改心した後、ダマスコからエルサレムに戻ってきた時のことです。
 当時のユダヤ人キリスト者たちは、一般のユダヤ人と同じようにエルサレム神殿に詣でていました。パウロも同じように神殿に出かけ、祈りながら、自分は一体これから何をするべきだろうかと問うていました。洗礼を受けたばかりのパウロは、自分の今までの歩みを思い返しながら、これまで自分はユダヤ人の先頭に立ってキリスト者を迫害してきたのだから、その自分がキリスト者になったことをユダヤ人たちが知れば大きな影響を与えるのではないかと考えていたようです。いつの時代にも有力な人の改心というのは、人々の噂にあがるものです。パウロは、エルサレムで自分が改心したという出来事もきっと用いられるのではないかと考えていたようです。
 ところが、そのようにパウロが祈っていると、祈りの中に主が現れて、思いがけないことをパウロに告げました。それは「お前はすぐにエルサレムから出て行け」という命令でした。こういう示しを受けて、パウロは耳を疑いました。パウロは自分がエルサレムに留まったならば、どんなに主のお役に立てるだろうという思いを申し上げましたが、主イエスはそのパウロの言葉にもかかわらず、再びはっきりとした命令の言葉で、21節「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」と言われました。
 17節から21節を読んでいますと、パウロ自身は、目の前に現れた主イエスに向かって全てを語り尽くしたということではありません。21節の言葉は、パウロがまだ語り続けようとしていた言葉を遮って、主イエスがおっしゃっています。パウロからすると、主イエスにまだ最後の言葉を申し上げてはいません。20節で「また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです」と、自分はステファノの殉教の際に上着の番をしていて多くの人に顔を覚えられている、その自分がキリスト教に改心したことを伝えたら、エルサレムではそのことに衝撃を受けて自分もキリスト者になることを真剣に考える人が出てくるかも知れない、とパウロは言いたいのです。自分がエルサレムに留まっていることが、どんなにキリスト教の伝道にとって意味のあることか、多くの人を主イエスのもとに導くことができるのではないでしょうか、とパウロは話そうとしています。
 ところがパウロの見通しを申し上げる前に、主イエスはパウロの言葉を遮って「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」と言われました。

 パウロがこのように「自分は異邦人のための伝道者として立てられた」と話した時に、あたりの様子が一変しました。それまで静かに聞いていた群衆が一斉に騒ぎ出し、その場が大混乱になりました。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」と騒ぎ出した群衆によって、この日のパウロの話は中断されてしまいました。
 けれども、パウロからしますとまだ語りたいことがあったにせよ、ここまでのところでパウロは、語るべきことは語らせていただいていました。すなわち、「神がご自身の民としてお招きになる人々というのは、決してユダヤ人だけと決まっていない。神はさらに多くの人たちを、異邦人と呼ばれている人たちも救いへと導こうとしておられる」ということを、パウロは語りました。まさしくパウロは、すべての人に福音を告げ知らせる伝道者とされていました。
 ユダヤ人たちはなぜ、パウロの語った言葉、「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」という言葉に敏感に反応したのでしょうか。ある人は、これは幼い子供に弟や妹ができる時に似ていると語りました。すなわち、それまでは自分だけが子供で父母の愛を独占していると思っていた子供が、弟や妹の存在によって父母の愛を半分横取りされるような気持ちになって弟や妹に辛く当たる、ユダヤ人たちはそういう思いではなかったかというのです。「自分たちは古くからのイスラエルでただ一つの民である。新しいイスラエルなど認めない」という頑なな思いがユダヤ人の中には強くあるのです。そしてそれは、今日に至るまでそうです。廃墟になってしまった嘆きの壁で救い主を待っている熱心なユダヤ教徒がいますが、彼らは、キリスト者が自分たちと同じ神のもとにある者たちだとは認めません。
 けれども、キリスト者はそういう事実に怯みません。主イエス・キリストは、決して、一部の物わかりの良い人、理解力のある人たちのためだけに十字架にお架かりになったのではありません。たとえどんなに分かりが遅く、反抗的な人であっても、その人が主イエスの十字架と復活を信じたなら、その人は神と共に生きるようになることができる、その招きとなり救いの土台となるために主イエスは十字架にお架かりくださいました。
 今はまだキリストの福音に無理解であったり、キリスト教と和らぐ兆しが全く見えない人たちも、やがての日、神の御前で和らぐようにされる、そういう希望を失わなくても良いのです。パウロの改心が、そのことを私たちに教えています。

 パウロはなぜ自分のことを話したのでしょうか。自分が立派なキリスト者だということではありません。「こんなわたしであっても神に捕らえられ、主イエスと出会わされてキリスト者とされた。教会を迫害していたわたしが異邦人の使徒とされ、すべての人に、自分が見聞きしたことを伝える僕として用いられている」ことを伝えようとして、パウロはこの日、エルサレムの町で語りました。そして「行け」と言われる通りに、パウロは仕え、今ここに立ち至っているのです。
 私たちも今日、ここから、それぞれに神が備えてくださる道に進んでいきたいと願います。「行け」と神が私たちにおっしゃってくださっている通りに、各々に備えられている道を歩み出したいと願います。

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