聖書のみことば
2020年4月
  4月5日 4月12日 4月19日 4月26日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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■音声でお聞きになる方は

1月5日主日礼拝音声

 石で打たれても
2020年4月第4主日礼拝 4月26日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/使徒言行録 第14章1〜20節

14章<1節>イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。<2節>ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。<3節>それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。<4節>町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。<5節>異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、<6節>二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。<7節>そして、そこでも福音を告げ知らせていた。<8節>リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。<9節>この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、<10節>「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。<11節>群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言った。<12節>そして、バルナバを「ゼウス」と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを「ヘルメス」と呼んだ。<13節>町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。<14節>使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで<15節>言った。「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。<16節>神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。<17節>しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」 <18節>こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。 <19節>ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。<20節>しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。

 ただいま、使徒言行録14章1節から20節までをご一緒にお聞きしました。今日は特に、7節までのところを中心に聴こうと思います。
 1節に「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った」とあります。イコニオンという町は小アジアの半島の中程、南北で言えば少し南にあります。今日ではコニアと言われています。先にアンティオキアの町で迫害されたパウロとバルナバは、そこから追放される形で東に130キロ程も離れたイコニオンにやって来ました。そこで二人は、アンティオキアの時と同じようにユダヤ人の会堂に入りました。すると、数週間前にアンティオキアで起こったようなことがイコニオンでも起こったと言われています。
 最初のうちは、遠くから来た兄弟として会堂での礼拝の一番最後に口を開くことが許されたパウロとバルナバは、アンティオキアの時と同じことを語ったものと思われます。すなわち、「神はアブラハムにお与えになった祝福の約束にどこまでも忠実に、私たちを持ち運んでくださる。神の独り子である主イエスをこの世に送ってくださった。主イエスは私たちのために十字架に架かり、復活し『神を信じて生きて良い』と教えてくださっている」と語りました。会堂の礼拝に集っていて二人の説教を聞いていたユダヤ人とギリシャ人の中に、心燃やされ信仰を与えられる人たちが現れました。その人たちは、主イエス・キリストを救い主と仰ぐ新しい信仰に入りました。

 しかしその一方で、パウロたちの言葉を受け入れられなかった人たちがいたと言われています。その人たちは、元々自分たちはアブラハムの子孫であり、神さまとの関係ははっきりしていると考えていた人たちです。パウロたちから新しい福音を聞かせてもらわなくても、自分たちは十分に神と繋がっていると思っています。そういう人たちは、パウロたちが語った主イエスの十字架と復活の福音をさほど重要なこととは思いません。神と自分の間柄は盤石だと思えばこそ、むしろ、パウロたちが語った福音に反発を覚えました。
 けれども、この人たちには大変な知恵がありました。思慮深く狡猾に振る舞います。つまり、パウロたちに反発して、自分たちがすぐに攻撃するのではなく、会堂に来ている異邦人たちを注意深く眺め、パウロが語っていることをまだ十分に飲み込めていないような人たちを見つけ出し、話しかけて、パウロたちの語った事柄にはさほどの内容も深みもないのだと吹き込みました。その言葉を間に受けた異邦人たちの間に、パウロたちに対して悪い感情を抱くようになる人たちが現れました。2節に「ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた」とあります。
 パウロに反発した人たちが、このように異邦人を煽ったのはなぜか、いくつかの理由が考えられます。一つは、イコニオンの町の中でパウロたちに対して悪意や敵意を抱いているのがユダヤ人だけではなく、反発する人はもっと広範囲にいるという印象を与えるためで、それは大きいことだったと思います。イコニオンは当時も今も交通の要所であり、この時代にはマケドニア州の州都でした。後の中世になると、トルコの国の都になったりする国ですから、この町にはユダヤ人よりもはるかに多くのギリシア人やトルコ人、この土地の異邦人が暮らしていました。そういう中で、ユダヤ人は会堂で礼拝していましたが、しかし、町の中でごく少数のユダヤ人がパウロたちに反発しているというのでは、町全体に与える印象がずっと弱いものになってしまいます。ユダヤ人が面と向かって反発するよりも、ユダヤ人たちの思いを代弁してくれるようなギリシア人やトルコ人たちが表に立ってパウロたちを非難し攻撃してくれた方が、この町でははるかに大きな影響力を与えることができました。ですから、異邦人たちを焚きつけたのです。

 このように一部のユダヤ人たちが狡猾に行動したところに、パウロたちに対するこの人たちの反発の大きさ、根深さを見て取ることができます。このユダヤ人たちは、ただパウロたちに反発して町から出て行ってもらおうとしたのではありませんでした。いっそのこと、二人を亡き者にしよう、命を奪おうとさえ考えました。5節に「異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとした」とあります。「指導者」が、ユダヤ教の会堂長かイコニオンの町の当局者を表しているのかは定かではありません。
 けれども、ここでパウロとバルナバに石を投げつけようとしている、石投げによって命を失わせようとしているということは注意すべきことだと思います。石打ちの刑は、旧約聖書以来のユダヤの律法の中に記されている処刑方法です。ですから、この陰謀の中心にはユダヤ人たちがいたことが、ここから分かります。この町で大きな影響力を持つために、異邦人を煽ってパウロたちに反論させていながら、その背後で黒幕のように迫害を指揮していたのはユダヤ人たちでした。これはアンティオキアの時にも同様でした。アンティオキアでは、一方では主イエスを信じる人たちが生まれましたが、そのために迫害が生まれて、パウロたちは町から出されてしまいました。

 ところが、パウロとバルナバは、自分たちに対する反発がイコニオンの町にも生じているということについて、あまり気にしていないようです。アンティオキアでの迫害を経験しているのですから、そのような気配を感じれば気になるはずですが、二人は自分たちを取り巻く激しい憤りや憎しみに気付いても、それをあまり気にしていないようです。3節に「それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである」とあります。パウロとバルナバが「長くとどまった」と言われています。どのくらい長いのか、定かではありませんが、数週間以上だったと思われます。二人はこの町で、実に粘り強く福音を伝えました。その際に二人が頼みにしていたのは何だったか。ここに「主を頼みとして勇敢に語った」と書かれています。「甦りの主イエス・キリストが、わたしと共におられる」、これこそがパウロとバルナバの頼みの綱でした。
 ですから、イコニオンの町で二人が辛抱強く福音を語り続けたのは、上手に知恵を使って巧みに反発の空気をかいくぐり、空白地帯に身を滑り込ませたということではありません。悪意ある言葉や反発する空気と折り合いをつけながら、この町に何とか置いてもらったということでもありません。パウロとバルナバは、自分たちに対する険しい空気をひしひしと感じながら、しかしそれでも週ごとに会堂で主イエスの福音を宣べ伝え、また安息日以外にも二人を訪れる人がいれば丁寧に福音を宣べ伝え、主を賛美する生活を送っていたに違いありません。
 そういう二人の営みを何が支えていたのか。「主を頼みとして」と言われています。「甦りの主が確かに私たちと共にいてくださる。どうして主が自分たちをここに遣わしておられるのかと言えば、この町の人たちを一人残らず信仰に導こうとしているからだ」ということに励まされながら、二人はこの町に踏みとどまっていたのだと言われています。

 教会は、この一番最初の時代から今日に至るまで、その点はいささかも変わっていないと言って良いと思います。教会の群れは毎週礼拝を捧げます。なぜ礼拝するのでしょうか。「甦りの主が確かに私たちと共にいてくださる」ことを確信するが故に、主イエスが甦られた週の初めの日の朝、定められた礼拝の場所に集まるのです。この礼拝の場で、私たちは主イエス・キリストに出会います。主の御言葉に慰められ勇気づけられ励まされ、そして、心を燃やされて、兄弟姉妹と共に主を讃え、賛美の声を合わせる、そのために集まるのです。主イエス・キリストが共におられるということは、私たちの現実です。情報として知るとか、観念として頭の中にあるという、人間の考えではありません。私たちは礼拝の中で、「主が私たちと共に歩んでくださる」と言ってくださる言葉を聞かされ、そして私たちはこの礼拝の場で、「主イエスに伴われている一人一人である」と言っていただき、ここからそれぞれの場所に遣わされて行きます。
 そういう点で、プロテスタント教会はカトリック教会と少し違っています。カトリック教会は、どこまでが教会かというと、ペトロを中心とする司祭団が教会です。一般の信者は、司祭の団体である教会の礼拝を眺めながら、そこから恵みに与っています。けれどもプロテスタント教会はそうではありません。「二人または三人がわたしの名によって集うところには、わたしもそこにいる」という聖書の言葉が中心になっています。私たちはこの礼拝の中で、ここに集う私たちが主イエスとの交わりに生かされ、そしてここから主の僕として歩んでいくのです。
 私たちは日曜日に、この礼拝の場に招かれ、そしてここには「どなたでもおいでください。私たちは喜んであなたを主の御前にお迎えします」と言って、喜んで礼拝を捧げています。ですから、教会の礼拝は「公同礼拝」と言われます。「公同礼拝」とは、「どなたがいらしても良い礼拝です」という意味です。プライベートな、私たちのサロンのような集まりではありません。主イエスがここにおられ、そして主イエスが弟子たちに「わたしはここにいる。だからあなたたちもここに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。あなたがたはここから歩んでいくのだよ」と語りかけてくださる。そして私たちは、本当にそうだと思って、心を燃やされ温かくされ、真実に主イエスに伴われている者としての生活に送り出されていくために、礼拝に集まってくるのです。もちろん、病であったり、交通手段がなかったり、外出を制限されているなど、妨げられて、願いながらもこの場所に集えない兄弟姉妹も大勢おられます。そういう方々が、後になって録音などを聞いて、確かに礼拝が行われていたのだと知るということはあります。けれども、大元の礼拝が無くなってしまったら、元も子もないことになってしまいます。
 私たちが本当に慰められ励まされ勇気づけられることが起こるのは、教会の礼拝が公同の礼拝を目指して、この場所で御前に膝を屈め、そして主のみを礼拝し、主のみに従うという姿勢が貫かれていればこそです。教会の礼拝が二心に支配されるようなことになってしまえば、それはもはや主イエス・キリストのみに仕える礼拝ではありません。自分たちの身の安全を第一に考える、また自分たちが外から憎まれないように考えながらその範囲で主を賛美するというのは、この世からは歓迎されるかもしれませんが、本当の教会のあるべき姿かどうか、疑問です。

 イコニオンの町で不穏な空気に包まれながら、二人の使徒たちは「主を頼みとして勇敢に語った」と語られていることを覚えたいと思います。
 私たちも今の時代、このような直接的な迫害が教会に及んでいるわけではありませんが、しかし何となく教会に足が向くことを躊躇ってしまうような、そういう不穏な空気が漂っている、そういう中にあって、何を頼みとして礼拝を捧げるのでしょうか。主を頼みとして礼拝を捧げます。そして主を賛美します。今の時代にもいつの時代にも、「本当の救いとは、甦りの主が私たちと共にいてくださるのだということにある」、そのことに仕えて礼拝するのです。本当の救いは、自分で自分の身を守ろうとするあり方の中にあるのではありません。私たちの生身の体、この体はいつか地上の歩みを終える時が来るのですが、しかし、今、生かされているこの体を、生きた聖なる供物として捧げ、様々な恐れがあったとしても、「主の導きがあることを信じていく生活の中にしか救いはないこと」を、高らかに語ることへと導かれたいと願います。

 私たちは不安や恐れに取り巻かれ、押し潰されそうになってしまう、このような時にこそ、「わたしはどなたによって救われているのか、なぜ生きているのか」ということを、御言葉から確かにされ、そして自分自身を賛美の供物として歩む人生を辿って行きたいと願います。

 ところで、パウロもバルナバも、そのように主に支えられながら勇敢に語りましたが、その結果、イコニオンの町はどうなって行ったでしょうか。この二人を取り巻く周囲の空気は、いよいよ険悪さの度合いを深めて行きました。けれども二人はそれを意に介しません。ついに実力行使が行われそうになる。二人を亡き者としようとする陰謀が発動される、その間際まで、二人は勇敢に粘り強く福音を語り続けました。
 二人には分かっていたことがあると思います。本当に福音が語られる場合には、必ずそこで反発も起こってくるということを、です。4節に「町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた」とあるのは、教会がいささか大きくなりすぎている誇張表現だとよく言われます。確かに誇張かもしれません。町が二分するほどパウロとバルナバが影響を与えたかどうかは分かりませんが、しかしもし、私たちが毎週礼拝を捧げ、教会の講壇で語られる福音について、誰一人つまずきを覚えることがないのだとすれば、それはもしかすると喜ぶべきことではないのかもしれないと思います。誰もつまずかない言葉が教会で語られているのであれば、それは本当に喜ぶべきことなのかを真剣に考えなければならないかもしれません。もしかするとそれは、ただ人々の心に心地よく響くだけの言葉であって、本当の福音ではないのかもしれません。
 本当の福音に生きる教会は、世の中が安定していようと不穏であろうと、いつも同じことを語る教会です。いつも変わらぬお一人の主の招きのもとにある礼拝をお捧げする教会です。世の中が不穏になったから礼拝が変わってしまうのでは、その礼拝は主イエスに従っている礼拝であるよりも、この世の方を向いている礼拝だということになりはしないでしょうか。そのようなことによって慰められ安心したと思う信徒が集まる教会では、この今の大変な状況が過ぎ去った後に、教会がこの世に対して福音を伝える力が失われていくだろうと思います。

 私たちは、もちろん、半年前にはこんな状況になるとは思ってもみませんでした。けれども、半年前に語られていたことと今語られていることが違っていてはおかしいのです。あるいは半年前の志と今の志が違っていてはおかしいのです。もし違っているとすれば、それは、周りの状況が変わったからということではなく、元々私たちに弱いところがあったということでしょう。「甦りの主イエスがここにおられる。ここに来なさい。主の御前に膝をかがめ、主の御言葉によって生きるように」、そういう招きを、パウロもバルナバも、代々の教会もずっと同じことを語り続けています。教会が2000年の間、歩んできた中には、コレラの蔓延で多くの教職者や信徒が亡くなってしまった時代もありました。戦争の惨禍の中で礼拝が持たれていたこともありました。そういう中で、教会は常に同じことを語り続けているのです。それは「主イエスは復活して私たちと共に歩んでくださっている。それは真実なことなのだから、信じて、勇気と励ましをいただいて歩んでいきなさい」ということです。
 パウロもバルナバも、お一人の主を頼みとして、辛抱強く旅をしました。しばしば、困難に出会い途方に暮れ、辛いこともありましたが、そういう中から頼みとする主に導きと助けと救いを祈り願いました。しかし、主イエスに何を願い求めたにせよ、二人は絶えず「私たちは救いを告げ知らせる使者の務めを与えられている」という事実を手放しませんでした。
 プロテスタント教会に集められるキリスト者には、そういうところがあるだろうと思います。皆が牧師ではないので、牧師のように語ることはないかもしれませんが、しかし私たちは、この世にあって、自分自身が主イエスの救いの出来事に与る者とされ、それをこの世に持ち運ぶ一人一人とされているのだということを、礼拝ごとに確かに覚えながら、御言葉に慰められ勇気づけられ、心を燃やされながら、この世のそれぞれの生活に向かって行きます。そしてそれが、私たちの教会のあるべき姿だろうと思います。

 願わくは、私たちの教会も、パウロたち以来の教会の伝統に連なる異邦人教会として、この甲府の町に立てられていきたいと願います。

 目下の状況は、この山梨でも世界中でも見通しが立ちません。私たちは、地上を生きているのですが、もしかすると地下に閉じ込められているような息苦しさを感じながら生きているかもしれません。ここからいつ救い出されるのか分からずにいます。けれども、神が確かに、ここにいる私たちをご覧になってくださっています。そして「あなたは、わたしが『生きる者』としたのだ」と言ってくださり、永遠の命に与るようにと私たちを導いてくださっているのです。
 私たちはそういう主イエスに伴われ、神に覚えられている者として、この地上の生活を歩む者とされたいと願います。私たち自身はどうなるか分かりません。病を得ることもあるかもしれませんが、そうなったらそうなったで、生きる道が備えられます。何が起こるにしても、私たちは、自分が思うようには世の中を動かすことはできませんけれども、しかし、主イエスを通して示された神の愛からは決して離されていませんし、甦りの主がいつも共にいてくださることを伝えるために、教会に招かれ、信仰者として生きるようにされていることを覚えたいと思います。

 主が伴っていてくださいます。どんな時にも、わたしは主から捨てられていない。そのことを礼拝ごとに確認しながら、新しい一巡りの時へと歩み出して行きたいと願います。

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