聖書のみことば
2020年2月
  2月2日 2月9日 2月16日 2月23日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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2月2日主日礼拝音声

 神の慰め
2020年2月第1主日礼拝 2月2日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)

聖書/使徒言行録 第13章1〜3節

13章<1節>アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。<2節>彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」<3節>そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。

 ただ今、使徒言行録13章1節から3節までをご一緒にお聞きしました。1節に「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた」とあります。
 「預言する者や教師たちがいた」とありますが、「教師」とは、旧約聖書を読むことができ、そこに書いてあることを説き明かすことのできる聖書学者たちのことです。当時の教会はまだ若く、どこの教会にも教師がいたわけではありません。特にアンティオキアはギリシャ語を話す人たちが暮らしている町で、旧約聖書はヘブライ語で書かれていますから、誰でも聖書が読めるわけではありません。書いてあることを理解しそれを伝えることのできる人、それが教師です。また「預言する者」とは、ある特別な状況や決断すべき時に聖霊の導きを受けて具体的な提言や警告や指示を出すことができる人たちのことです。アンティオキアの教会は当時、このような人たちがいて十分に配慮されながら歩んでいました。

 今日の箇所には、5人の名前が書かれていますが、このうちの誰が教師で誰が預言者かは、よく分からないと言われています。けれども、5人の名前から気づかされることがあります。バルナバとサウロはこれまでにも出て来た名前ですが、あとの3人は初めて挙げられている名前です。この教会の指導者の中には、12使徒の名も、またステファノと共に選ばれた7人の執事の名も見当たりません。エルサレムに最初の教会が誕生して15年ほどですが、教会の中には着実に新しい人が育ち始めてということが分かります。
 そして、ここに出てくる一人ひとりについて考えますと、その誰もが人生のどこかである種の断絶を経験していたり、あるいは人生の大きな曲がり角を曲がって、この教会に導かれた人であることに思い当たります。過去の生活に別れを告げて新しい生活に飛び込んだ、そういう人たちの名です。
 例えば最初に出てくるのはバルナバですが、バルナバは元々キプロス島生まれで、たまたまペンテコステの日にエルサレムに滞在していて、いわば旅先で劇的なエルサレム教会の誕生に立ち会うことになり、キリスト者の生き方に心を動かされ、全財産を献げて教会に加わるようになった人物です。
 2番目にはニゲルと呼ばれるシメオンという人が出て来ます。よく言われることは、黒人だったので「ニゲル」と呼ばれたということですが、しかし名前は「シメオン」で、それはローマ風の呼び方であり、本当のユダヤ風の名前で言えば「シモン」です。シモンという名前だったけれどローマ風に呼ばれていたということは、ローマ市民だったということです。ですから、当時のアンティオキアの中では、社会的に身分の高い生い立ちだったことになります。同じことは、次に出てくる「ルキオ」についても言えます。「ルキオ」をユダヤ風に発音すれば「ルカ」です。ですから、シメオンもルキオも名前からして先祖がユダヤ人であることは間違いなく、しかしローマ風に呼ばれるほど身分の高い生い立ちいの人だったということが分かります。かつて主イエスは、「富める人が天の国に入るのはいかに難しいことか」と弟子たちに話されました。豊かな人が神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通る方が易しい」と、それほどに豊かな人が信仰に入ることは難しいと言われました。けれども、経済的社会的に豊かであれば、絶対にキリスト者になれないということではないのです。確かに人はなかなか虚しくなれず難しいのですが、ここではそういう数少ない人の例が起こっていて、しかも教会の人たちを支える側の人になっていたということが分かります。
 4番目には、「領主ヘロデと一緒に育ったマナエン」という名前が出て来ます。領主ヘロデと言われているのはバプテスマのヨハネの首をはねたヘロデ・アンティパスのことで、その狡猾で残忍な領主として知られていたこのヘロデ・アンティパスと一緒に育ったマナエンが、大変不思議なことと思いますが、彼の人生のどこかで主イエス・キリストと交わる時が与えられ、教会の群れに加えられ、アンティオキアで教師かあるいは預言者となっていました。
 そして、最後に出てく名前がサウロです。サウロはタルソスの商人の息子に生まれ、エルサレムで有名だったガマリエルという人の門下に入り、将来を嘱望されたファリサイ派の教師でした。キリスト教徒の迫害者として広く知られ、恐れられていた人物です。ところがそういうサウロもまた、アンティオキア教会で用いられていました。
 ここに名前が出てくる5人の、名前から分かることはほんの少しのことですが、窺い知れることから考えても、過去に生きて来た古い自分の人生に別れを告げ、主イエス・キリストに結びつき、永遠の命に生きる一員とされていた、そしてそれぞれに与えられている賜物を生かして教会に仕えていたということが分かります。

 しかし、こういう人たちの姿を見せられて、ふと思わされます。こういう事情とは、この5人だけに限ったことでしょうか。キリスト者というのは、どなたであれ、大なり小なりこのようなところがあるのではないでしょうか。私たちは、生まれたまま、そのままで真っ直ぐにキリスト者になったということはないでしょうか。どこかで、様々なことを経験する中で、それ以前には思いもよらなかったことですが、主イエスとの出会いが与えられる。これはクリスチャンホームの子供であっても同じだと思います。周りの人は、親がキリスト者なら子供も当然キリスト者だと思うかもしれませんが、しかしそうとは限りません。むしろ、親の信仰が分からず苦しむこともあります。どうして主イエスを信じるようになるか、それは自分自身が主イエスと出会って、真に支えられていることを理解するからです。
 聖書の中には、「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。キリストと結ばれる者はだれでも、新しく創造された者なのです」と言われています。その言葉は、今日名前が挙がっている5人だけではなく、私たち自身にも同じことが言えるのではないでしょうか。
 ここにいる私たちも、古い自分を見つめて生きるということではなく、主イエスを仰いで今日を生きる者とされています。主にあっては、古いものは過ぎ去って、日々を新しく神から与えられて生きる、そういう生活があります。「主イエスが、今日、わたしと共に歩んでくださる」と信じて主イエスを見上げる時、古いわたしは滅び去っていき、「今は、主イエスが共に歩んでくださる新しい生活に生かされている。この新しい生活の中には、滅びることのない永遠の命が宿っている。このことを信じて生きる」という生活があるのです。
 私たちは、やがて肉体としての死を経験します。けれども、それにもかかわらず、「神に覚えられ、神に支えられて一日一日を生きる。神によって日々新しい今日を与えられ、ここを生きるようにと招かれている」、そう信じて受けるのが、洗礼です。私たちは今、肉体の死の手前にいて、古い自分をひきずりながら生きているようなところがありますが、しかしそれでいて、いつも新しい永遠の命の希望に励まされて生きているのです。アンティオキア教会の5人だけではなく、私たちも、キリストを信じて古いものに別れを告げ、新しくされているのです。

 アンティオキア教会の話に戻りますが、新しい者とされたことを知る人たち、キリスト者とされた人たちの様子はどのようなものだったでしょうか。ややもすると私たちは、新しい発見をしたり状態になったりすると、もうそれだけで満足してしまうところがありがちです。けれどもアンティオキア教会の人たちはそうではありません。2節に「彼らが主を礼拝し、断食して」いたとあります。断食とは文字通りには食を断つことですが、実はこれは真剣な祈りを捧げている姿です。3節では「断食して祈り」とあり、断食と祈りがセットになっています。断食とは、ただ食べないということではなく、祈って真剣に神に向き合っているという様子を表す言葉です。何を祈っていたのか、その内容までは記されていませんが、それが懸命な祈りだったということが、断食を伴う祈りだったということから分かるのです。
 自分たちは新しくされた者だと気づいたアンティオキア教会の人たちは、暇つぶしの娯楽や気晴らしの楽しみから離れて、一つのことについて真剣に祈っていました。そのことは、自分がキリスト者になったということで果たされていることではないのです。更に弛まず祈っています。自分がキリスト者とされ救われた日々を生活している、このことを喩えて言えばノアの方舟に乗せられているように感じているのです。自分は方舟の上に引き上げられた、舟の中に匿われた、それで満足ではないかと思う方がいるかもしれません。けれども、彼らにはまだ更に祈ることがあるのです。それは何か。自分は方舟の中に匿われていて、主イエスが共に歩んでくださるという平安を知らされていることは有り難いことだけれど、そういう生活を送ってみると、尚更のこと、まだ方舟の外でこの世の嵐と洪水に翻弄されて生きている人がいるということが気にかかるのです。わたしのような者でさえ、教会の交わりに迎えられている。そうであれば、他の人も同じようにこの救いに入れられるはずではないか。そう思えてならないのです。自分の救いを経験すればこそ、他の人たちへの思いが募ります。実はそこに、アンティオキア教会の断食を伴った祈りの理由があったのです。
 ある聖書注解者は、ここを、アンティオキア教会がもっと多くのことを願い求めていたと説明していますが、本当にそうだろうと思います。アンティオキア教会の働きによってキリストを知らされる人が更に増えてくる。舟に引き上げられ、主イエスとの交わりの中に入れられ新しい命を生きる、そういう人が起こされる。すでに教会のメンバーとされた人たちは、自分自身の救いということ以上のことを願い求めました。地の果てに至るまで、全ての人の上に主の救いが行き渡るようになるということを、アンティオキア教会は祈り願っていました。

 こういう真剣な祈りの生活がどのくらい続いたのか、その長さは記されていません。神の救いのご計画というものが、どのように実現されていくと考えていたのか分かりません。しかしある日、いつものように彼らが祈っていた時に、神がこの群れに答えてくださったのです。2節です。「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために』」。「聖霊が告げた」と言われています。具体的にいうと、その場にいた預言する者の一人が、聖霊の働きに感じて、その場にいた一同に、このことを提案したのだろうと思います。提案したというよりも、断固とした思いで発言したのだろうと思います。聞いた人たちは、おそらく驚いたことと思います。なぜならば、この時代にこんなことを考えていた教会はないからです。
 そして誰よりも驚いたのは、名指しされた本人たち、バルナバとサウロでしょう。自分たちに与えられた恵みを宣べ伝えるために、教会から誰かを送り出すということを、それまでどこの教会もしたことがありませんでした。けれども、「言われてみれば、なるほど出来るのではないか」と、教会で礼拝を守っていた人たちは、そう思ったのです。まさに聖霊が、預言者の口を通して自分たちの群れに語りかけてくださったのだと受け止めることができました。そして、その場にいた人たちは、その点で同じ認識を持つことができました。まさにこの日、天からの前進命令がアンティオキア教会の上に降って、その働きのためにバルナバとサウロを召し出すようにと導いたのです。
 ここがきっかけとなり、使徒言行録のこの先には、パウロの伝道旅行と呼ばれる3度のパウロの長旅が始まります。今日のこの箇所を聞きますと、「パウロの伝道旅行」という言い方は、いささか不適切です。これはパウロが自分で思いついたことでもなく、パウロの個人的な取り組みでもないからです。アンティオキア教会が、更に大きな救いの御業を望み願う中に与えられた始まりだからです。サウロ自身は、言われるまで、まさか自分がそのような働きに遣わされるとは思っていなかったのです。そしてこれが、教会の歴史を更に前進させるような、まったく新しい始まりにつながりました。
 使徒言行録ではこれまでにも、主イエスの教えが各地に宣べ伝えられて教会が建てられてきたことが語られて来ましたけれども、これまでのことは、このアンティオキア教会が取り組んだこととは全く質が違います。ペンテコステの日に聖霊が降ってエルサレムに教会が誕生しました。そこで力を与えられた弟子たちは皆立ち上がりましたが、まず何をしたかというと、近隣の出会った人たちに主イエスを伝えるという、ごく素朴な伝道の始まりでした。そして次に起こったことは、ステファノの殉教をきっかけにエルサレム教会に迫害が及び教会の半数の人たちが都を逃げ出すことになりました。彼らは福音を宣べ伝えながら逃げ出して行ったと言われていますが、それは自分の身近な人に伝えるということとは少し違っています。彼らは都落ちしている自分の身の上を語りながら、しかしそこで「主イエスを信じているので、こうなっているのだ」と伝えていく、その中で、その話を聞いた人たちが自分の村々町々で教会を建てていくのです。それを伝え聞いた使徒ペトロが、カイサリアに出向き異邦人コルネリウスに出会って一つの信仰者の群れができるということや、あるはフィリポがカンダケの高官に福音を伝えるという仕方で信じる人たちが生まれて来ました。けれども、それらはキリスト者個人の出会いであったり成り行きの中で偶発的に起こっていたことです。
 しかし、アンティオキア教会で起こったことは、それらとは質の違うことで、教会全体が、もっと豊かな恵みがこの世に起こされますようにと祈る中で、バルナバとサウロを伝道の業のために遣わしました。教会が礼拝を捧げ、もっと大きな恵みを祈り求める中で、二人の伝道者が送り出されるということが起こっているのです。
 使徒言行録を通して読むと、後から気づかされることですが、12章までと13章以降では、中心地が変わって来ています。12章までに語られ起こっていることはエルサレム教会との関わりの中で起こっていました。13章以降はアンティオキア教会が様々な救いの出来事の中心になっていきます。エルサレム教会が最初の教会、母なる教会であることは確かなことですが、それにも拘らず、13章から28章までの記事には、全体の中心にアンティオキア教会があって、アンティオキア教会がエルサレム教会をも含めて、多くの教会に仕え、献金したり伝道の支援をしていくのです。
 どうしてアンティオキア教会がそのようになったのか。有力な人たちがいたからでしょうか。そうではないのです。自分が救われたことに感謝して、さらに多くの人たちが救われるようにとの教会の祈りがあって、神がその祈りに応えてくださったからです。

 バルナバとサウロを伝道のために遣わすようにと、預言者の口を通して聞かされた教会の人たちは、直ちに御心に従うように行動を起こします。その行動の起こし方、遣わし方というのは、普通とは少し違っているように思います。今日であれば、どこかの教会が宣教師を派遣しようとした場合、移動や様々な生活のための手配を考えると思います。けれども、アンティオキア教会では、そのようなことは一切語られていません。長旅を考えれば、水や食料の心配をしそうなものですが、そのようなことは一切語られていません。3節を見ますと、アンティオキア教会は、また新しく断食と祈りを始めたと語られています。「そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」。
 ここでは祈りの前に断食と記されています。これは極めて興味深いことです。教会が伝道の業に乗り出す、伝道者を遣わす際に何が必要かを教えられるからです。教会が伝道者を遣わす際に、遣わされる本人はもちろんですが、教会も意気軒高に「目的を果たすように」と言ってしまいがちです。けれども、教会が伝道の業に乗り出す時には、一本調子で勇ましいばかりではいけないのです。
 アンティオキア教会では何が起こったでしょうか。静まって断食と祈りが捧げられたといわれています。伝道は、人間が力づけられて人が行う大事業ということではなく、神がなさる御業だからです。人間の思いや計画で事が進むのではありません。時には、人間の思い通りにならない困難に直面したり、思いを超える出来事に出会ったり、あるいは人間の目には上手くいかないように見えてしまう、そういう時もないとは言えません。しかし、そういう時にも、神さまがここに働いてくださっている。神さまがこの状況の中で私たちを先へと導いてくださる。それは、それらを通して私たちが学び、強くなるべき機会として与えられているのかもしれません。
 沈黙して真剣に祈りつつ、伝道者がその働きに当たれるように、相応しく成長していけるように、伝道者のために祈る。それが伝道者を遣わす教会に相応しいあり方です。母教会は、その伝道者の働きの上に神の祝福と導きを祈りながら、また、教会として、伝道の働きが上手くいかないように思える時にも、どのように慰め支えれば良いのかを神に真剣に祈り求め、答えを頂かなければなりません。したがって、断食が祈りに先立って記されています。

 沈黙の祈りが捧げられた後の別れというのは、非常に簡潔に行われています。預言者と教師たちは、派遣されていく「二人の上に手を置い」たと言われています。手を置くという仕草は、祝福を与える時、病人を癒す時、あるいは特別な使命を授けたりするときに行われました。
 今日の箇所では、アンティオキアの教会が最初から最後まで、ずっと祈っています。「神がわたしを救ってくださった」ことを感謝して祈り、そしてさらに大きな恵みが与えられるように祈り、二人の伝道者を遣わすに当たっては神の助けと導きを祈り、またこの伝道者の働きを教会が支えられるようにと祈り、上手くいかない時にも神がその場に臨んでくださるようにと執り成しを祈っています。
 執り成しの祈りは、私たちも日々の生活の中で祈ることがあるかもしれません。誰かを思って私たちが捧げる祈りが執り成しの祈りです。生活の様々な場面で、私たちは、執り成しの祈りを見聞きします。けれども、私たちの執り成しの祈りは、大変狭められたものかもしれません。それは、私たちが自分に関わりのある人のことしか祈らないということではありません。そうではなくて、祈っている内容が問題です。
 私たちが何かを執り成し祈る時に、私たちはすでに、自分にとって「こうなれば良いのに」という結論であったり、最後の姿を思い描きながら祈る、それが私たちの執り成しでしょう。けれども、私たちの執り成しの祈りは、そのように小さなものであって良いのでしょうか。もしかすると、私たち自身でさえまだ知らない、そういう出口を神は備えておられるかもしれません。私たちのイメージできないこともあるでしょう。しかし神は、そういうものを、祈る人たちの上に与えようとしてくださっています。
 私たちが、自分の思う筋道にだけ拘るのではなく、神が御心のままに私たちを持ち運んでくださり、私たちの上に御業を行ってくださいますようにと祈る、そういう祈りを私たちは求められているのではないかと思います。私たちが祈りの生活の中で執り成しを祈る時、自分の思い通りに事柄が持ち運ばれることを願うのではなく、神の御心に信頼して、神の御心に正しいことが行われますようにと祈る時、私たちは、祈りが聞かれる時に、自分の思いが実現したということを超えて神が応えてくださった感謝の思いに出会うに違いありません。

 神が教会の群れを導いてくださる、私たちをさらに大きなもの豊かなものに仕えるように用いようとしてくださっている、そのことを信頼して、たとえ困難や上手くいかないと思うことがあるとしても、それらを含めて、神が御心のままに私たちを持ち運んでくださるようにと祈りつつ歩む者とされたいと願います。

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