聖書のみことば
2018年6月
  6月3日 6月10日 6月17日 6月24日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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■音声でお聞きになる方は

6月17日主日礼拝音声

 祈りの家と呼ばれるべき
2018年6月第3主日礼拝 6月17日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者) 
聖書/マタイによる福音書 第21章12〜17節

21章<12節>それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。<13節>そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしている。」<14節>境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。<15節>他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、<16節>イエスに言った。「子供たちが何と言っているか、聞こえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉をまだ読んだことがないのか。」<17節>それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった。

 ただ今、マタイによる福音書21章12節から17節までをご一緒にお聞きしました。主イエスがエルサレム神殿の境内にお入りになって、そこで目にしたことについて、ひどく腹を立てられ、宮清めをなさったという出来事が語られています。
 神殿の境内は、本来ならば礼拝の場所として整えられているはずで、そうでなければなりません。そのために神殿は聖別されています。神殿の境内は、この世にあって神を礼拝する場所として、取り分けられているはずです。ところが、この日主イエスがご覧になったエルサレム神殿の前庭は、まるで路傍の市場のようでした。そこでは、いけにえの動物が売り買いされ、お金の両替がされていました。賽銭箱に入れるために、大きな単位の貨幣を小さなお金の単位に移すための両替所です。主イエスはそういう有様をご覧になって、大変立腹なさいます。境内から、売り買いしている人たちを皆追い出して、両替人の台や鳩を売る腰掛を覆されました。12節から13節に「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。」ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしている』」とあります。

 よく、「神の事柄というものは精神的なものであって、信仰は一人一人の内面のものである。心の内こそが大切なのだ」ということが考えられたり語られたりすることがあります。信仰は心の中が大切だと思うところから、神の家の礼拝や佇まいが整っているかということは二の次であって、相対的にあまり重視されないという場合があります。あるいは、「主イエスは、この世に生きる人間の隣人愛の大切さを教えてくださったのであって、そのように生きていくことこそが主の弟子になることだ。それに比べれば、表に現れる信仰の形や佇まいなどは取るに足りないことだ」と取り沙汰される場合もあります。
 けれども、仮にそういうことだとすると、今日私たちが聞かされている主イエスの行動は、全く説明がつかないことになります。主イエスご自身は、ここでの宮清めという行動を通して、信仰が人間の内面に留まるものだという考えを真っ向から否定しておられます。主イエスにとっては、礼拝の場所として、そのためにこの世から聖別され取り分けられた建物があるのならば、目に見える場所はそういう場所として正しく機能しなければならない。正しく礼拝の場所が礼拝の場所として重んじられなければならないとお考えになります。それを侮り汚すような用い方は、鞭を振るってでも退けようとなさる、それがこの行動をもって示してくださっている最初のことだろうと思います。

 このように非常にはっきりとした、また厳しい主イエスの態度を聖書から聞かされますと、私たちは、礼拝の場所、神の家の用い方や、あるいは礼拝の行い方について、襟を正されるような思いになるのではないでしょうか。この日、主イエスがエルサレム神殿でご覧になったのは、神に礼拝を捧げるべき場所として聖別されているはずの境内に、人間のこの世の生活がずかずかと上がり込んでいる、そういう様子でした。礼拝するための場所で商売が横行しています。
 もちろん、主イエスがご覧になったエルサレム神殿の姿と、私たちの教会の様子を重ねあわせることはありません。日曜日、この礼拝堂の中で商売をしているわけではありませんので、私たちはこの宮清めの話を少し遠いことのように思っています。けれども、よく考えて見ますと、私たちもまた、この宮清めの出来事をよく聴かなければならないと思います。
 主イエスがこの日、神殿の境内で問題になさったことは、礼拝の場所として取り分けられている場所が本当に相応しく整えられているかということです。礼拝の場に集まってきた人たちが、神の御前に立ち、まっすぐに神を見上げて礼拝できるように整えられているか、主イエスはそういう場所であって欲しいと願っておられたのです。
 この箇所を語るために、わたしは、注解書や説教集を手に取り読みながら、しばしば、この箇所に語られていることからすると不十分な説明しかされていないのではないかという印象を持ちました。不十分な説明の一例を言いますと、「主イエスはこの日、神殿の前庭で商売している大勢の人たちに向かって怒りを発せられた。商人たちは、神殿に献げる動物や神殿に納めるための専用のお金を両替することでかなりの利益を得ており、しかもその背後には、商人たちに商いの許可を出していた大祭司をはじめとする神殿の当局者がいた。彼らは、商売人の売り上げからかなりの割合を上納させており、毎年その金額は莫大なものになっていた。主イエスは、このような、神殿を出汁に使った商売を非常に問題になさり、礼拝の場として整えるために宮清めをなさったのである」というものですが、このような説明を私たちは聞いたことがあると思います。つまり、主イエスの宮清めは、神殿に巣食っている商人だけが対象なのではなく、その背後で神殿ビジネスが成り立つことを許していた神殿当局者に対しても大きな憤りを表されたのだというものです。そしてその結果、15節「他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言うのを聞いて腹を立て」とあるように、「主イエスの行いに対して神殿の当局者が腹を立てた」という説明です。実は、主イエスに敵対する者として祭司長たちが出てくるのは、ここが初めてです。これまでは、主イエスの敵対者は「ファリサイ派の人と律法学者たち」でした。ところが、ここで主イエスが直に神殿ビジネスに手をつけ、否定なさったので、祭司長たち、つまり神殿当局者が怒りを表した、確かに、そういう事実はあったのだと思います。
 けれども、そういう説明だけでは、この宮清めの説明として不十分だと思うのです。この説明では、主イエスが腹を立てて神殿から追い出そうとしたのは、神殿を食い物にして商いをしていた人たちだということになります。つまり売っていた側の人たちです。それは正しいのですが、しかし、今日の箇所を注意して聞きますと、主イエスが神殿から追い出されたのは商人だけではありませんでした。12節に「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し」とあります。主イエスは、売っている人たちだけでなく、買っている人たちも問題にしています。日本語では「売り買い」と一言になっていますが、原文でははっきりと「売っている人たちと買っている人たちを追い出した」と書かれています。
 ですから主イエスは、神殿で商売をして利益を得ようとする、そういう心根が悪いと言っているだけなのではなく、そこで買い物をして用を済ませている、つまり礼拝の場所に自分たちの日常生活をそのまま持ち込んでいる、そのことが問題だと考えておられるのです。もちろん、私たちは日々を生きる者ですから、日常生活を軽んじてはなりません。けれども礼拝のために整えられるべき場所に、大手を振ってこの世の生活が入り込んでいる、そういうあり方に主イエスは非常に心を痛め、憤られたのです。

 改めて、このように聞かされて、私たちが自分の姿を思い返すときに、どんなことを感じるでしょうか。私たちにも、礼拝の場として、この礼拝堂が与えられています。私たちにとって、この場所が馴染み深い場所であることは大変良いことですが、その一方で、もしかすると、この日曜日の礼拝の場に私たちの日常生活が持ち込まれていて、ここが一つの社交場やサロンのようになってはいないだろうか、そのようなことも思わされます。礼拝を捧げるために来たはずなのに、兄弟姉妹との交わりが楽しくて、つい神を忘れてしまう、そんな場合があるかもしれないと思います。主イエスが宮清めを通して伝えようとなさったことは、神殿での礼拝は、日常生活の場とは違うのだということではないでしょうか。
 主イエスはここで、人々に、旧約聖書イザヤ書とエレミヤ書の言葉を思い起こさせようとなさっています。二つの聖書箇所を繋ぎ合わせるようにして言っておられます。13節「そして言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。」ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしている』」。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」という言葉は、イザヤ書56章7節の言葉です。イザヤ書56章を読んでみますと、ここは、礼拝に招かれている人たちは様々であるということを伝えている箇所です。7節の最後に「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」とあり、ここを主イエスは引用されました。56章の前半を見ますと、例えば異邦人や宦官も礼拝に招かれ礼拝を守ることができると語られています。3節から5節に「主のもとに集って来た異邦人は言うな 主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな 見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。なぜなら、主はこう言われる 宦官が、わたしの安息日を常に守り わたしの望むことを選び わたしの契約を固く守るなら わたしは彼らのために、とこしえの名を与え 息子、娘を持つにまさる記念の名を わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない」とあります。ここには何が語られているのでしょうか。
 当時、宦官だった人は異邦人ですが、彼らが主イエスのお話を聞いて信じるようになり、改宗したいと願っても、宦官ですから去勢されており、去勢されていると割礼を受けることができないのです。そのために、自分の気持ちとすれば神を信じていても、「割礼を受けていない者は神の民ではない」と言われてしまい、礼拝のために神殿にやって来ても居場所が与えられず辛い思いをするということがあったのです。ですから、宦官たちは宦官であるために、初めから神の民に加えられる資格のない人たちだと言われていました。ところが神は、預言者イザヤの口を通して言われました。「あなたは決して、何の希望も持てない枯れた枝ではないのだ。あなたは、実際に今、生きてわたしの枝となる者だ。たとえ割礼を受けられないとしても、子孫を持つ望みを持てないとしても、天上のわたしの城壁には、子孫が与えられることに勝るあなたの名が確かに記され刻まれている」。このイザヤ書の言葉は、当時の神殿礼拝が身体的な障害を持つ人たちを実際に閉め出すようなことをしていることに対して、神が明確にそういう人たちを受け入れてくださる場合があるのだということを指し示す、障害を持っている人たちが大変希望を与えられるような、そういう言葉です。少し後の時代のことですが、聖書には、エチオピアの女王カンダケの高官で、宦官だった人がエルサレム神殿にやって来た時の話が記されています。この人は宦官であるために、また改宗者でもなかったので神殿での礼拝に入れてもらえず寂しい思いをしながら立ち去ろうとした時に、神殿の前庭で読み上げられていたイザヤ書56章の御言葉を聞くのです。彼は自分も神の民の一員とされる証拠を語ってくれているように思い、大変喜んで、その巻物を買い上げ、帰りの道中、馬車の中で読んでいました。すると、そこを主イエスの弟子であるフィリポが見つけて声をかけ、宦官である人には理解できないイザヤ書の言葉を説き明かし、主イエスを伝えて、カンダケの高官はその場でフィリポから洗礼を受けました。
 つまり、「聖書の神は、礼拝に場が与えられなさそうな人であっても、この礼拝に加わるようにと招いてくださるのだ」という流れの中で、実は、「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という言葉が出てくるのです。ですから、礼拝は、いわゆる行儀よく礼拝を守れる人たちだけの場所ではないということを伝えているのです。様々な事情があって長年信仰を言い表せないでいる人、あるいは思いがあっても、自分の口で言い表せないために信仰の有無を確認できない人もいる場合があります。けれども、そういう人も招かれている、全ての人の祈りの家、それが礼拝なのだと主イエスはおっしゃっているのです。どんな人も招かれている。どんな人も、その人の外の姿を見て軽んじられてはいけない。礼拝を捧げるということの前に、皆が同じように招かれ、皆が心を向けるべきだということを、主イエスはこのイザヤ書の言葉を通して思い起こさせようとしておられるのです。

 マタイによる福音書に戻りますが、この日、主イエスがこのように言って宮清めをしてくださったために、初めて堂々と神殿に入ってくる人たちがいたことが、14節に何気なく語られています。「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた」。主イエスの周りに、障害を持つ人や病んでいる人が集まってきて癒していただくということは、これまで何度も福音書に語られています。主イエスがガリラヤにおられる時からそういうことはしばしば起こっていましたし、それを知っていますから、私たちはこの言葉を聞いてもあまり特別なことと思わないかも知れません。けれども、これは驚くようなことであり、また初めてと言って良いようなことなのです。神殿礼拝では、体に障害を持つ人たちというのは除け者にされていたのです。動物の献げ物をする時には、傷のない完全な物でなければならないと言われていたのと同じように、礼拝に来る人も、肉体的な欠点があってはならないと一般には思われていました。ですから、障害のある人たちはなかなか神殿の中に入って行けませんでした。けれどもここでは、「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来た」とあります。主イエスからするとガリラヤにいた時から何も変わらないことをなさっているだけですが、神殿の歴史の中では初めての出来事です。主イエスがそういう人たちのためにも、神殿に居場所を整えてくださったのです。宮清めをなさって、どんな人でも礼拝の場に招かれている、そして神殿は礼拝を捧げる場所なのだということをはっきりさせてくださったので、この人たちも来ることができているのです。

 また主イエスは、礼拝への参加が妨げられている神殿の状況について、もう一つの聖書の言葉を思い起こさせようとしておられます。13節の後半で言われていることです。「ところが、あなたたちは それを強盗の巣にしている」という言葉です。この言葉は鋭い棘が生えているような言葉ですが、この言葉も旧約聖書の言葉を下敷きにしています。エレミヤ書7章10節11節に「わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる」とあります。
 預言者エレミヤが生きた時代は、南ユダ王国の末期です。バビロニアの侵略を受けて滅亡して行く、そういう歴史をエレミヤは目の当たりにしました。国が外国に侵略されて滅んでしまう前夜ですから、そこで生きていた人たちは、当然不安を抱かざるを得ませんでした。不安を抱く人たちは、それを隠しながら生きていましたが、あまりに不安が強いので、もはや聖書の神だけに信頼していることができず、手当たり次第に自分を守ってくれそうなもの、手近な神々に頼ろうとしました。
 神殿に来た時には神に守られていることを喜ぶのですが、またそれぞれの家に帰って行くと、そこにはバアルやアシェラなど色々な神の像が安置されていて、自分を守ってくださるようにと祈っていました。そういうあり方を、エレミヤは、「あなたがたは、まるで強盗のようだ」と表現しました。なぜ「強盗」なのかと思いますが、強盗の家には当然、様々な奪った宝物や神々の像があります。強盗は、盗っ人だという看板を上げている訳ではありませんが、家には様々なものを隠し持っていたので、エレミヤはそういうところを捉えて「強盗」と言ったのです。しかも強盗は、盗人の中でも「力ずくで」盗んで行くのです。力に頼って有利な状況を作り上げ、そこで堂々と盗むのです。「あなたがたは、神さまに信頼すると言っていながら、結局は力に頼っているではないか。家に帰れば様々なものを隠し持っているではないか」、そういう状況を皮肉って、エレミヤは「あなたがたは、まるで強盗のようだ」と言ったのです。しかもそれは、善良でまっすぐなユダヤ人の中に一人二人紛れ込んでいるというのではなく、今や神殿自体が強盗の巣になっていると、エレミヤは言いました。「二心の者が群れをなして礼拝している、そういう神殿は、強盗がひしめき合っているような場所になっている」と言ったのです。
 エレミヤが同胞たちに切に求めたのは、二心を隠しながら上辺だけで神を信頼するということではなく、真心から神に信頼し、寄り頼んで生活するようになるということです。主イエスもまた、エレミヤが言ったのと同じ意味で「神殿が強盗の巣になっている」とおっしゃったのです。
 神の側では、どんな人間であっても神に信頼し神に支えられて生きるようにと、招こうとしてくださっています。たとえ障害があったとしても、様々な事情で信仰を言い表すことが難しいとしても、それでも神は、その人が神に信頼して生きようとするならば受け入れ、礼拝する民に加えようとなさるのです。ところが、そういう神の招きを無視して、自分のあり方を神に向けようとすることもなく、本心では神から離れているのに、上辺だけは敬虔そうに礼拝に集まってきているというあり方、それが神殿に来ていながら神殿で商売をしている姿に表れてしまっているのです。それで、主イエスは大変憤られました。そして、心から神を礼拝したいと願う人たちのために宮清めをなさり、居場所を作ろうとしてくださるのです。まさに主イエスはここで、神と人間との間柄を整え、神との交わり、結びつきを作ってくださる。主イエスは救い主、メシアとしてここで行動してくださるのです。

 ところが、このように主イエスが宮清めをなさった結果、喜んだ人たちがいた一方で、快く思わなかった人たちもいたと言われています。祭司長たちや律法学者たち、つまりエルサレムの神殿当局を形作っているような人たちです。神殿の中庭で乱暴狼藉を働いている者がいるという知らせを受けて、祭司長たちは現場に急行します。しかしそこで目にしたのは、商売の店は皆片付けられ、そこに障害を持った人たちがおり、主イエスがその一人一人に向き合いながら癒しの業をなさっているという場面でした。しかも、昨日までと打って変わったその場所で、まだ幼い子供まで含めて大勢の子供たちが、そこで「ダビデの子にホサナ」と呼びかけている、そういう場面に行き当たったのです。
 「ダビデの子にホサナ」という言葉は、もちろん、子供たち自身が思いついた言葉ではありません。子供たちが耳にした言葉をおうむ返しのように話していたのです。その言葉は、主イエスがエルサレムにお入りになるとき、エルサレムの外から主イエスに従ってきた群衆たちが皆、声を揃えて主イエスを賛美した、賛美の声です。9節に「そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ』」とあります。ガリラヤから主イエスに従ってきた人たちは、自分の上着を脱いで道の上に敷きましたので、主イエスの前に一本のカーペットが敷かれたようになり、その上を主イエスはろばに乗って進んで行かれました。その時に、皆黙っていたのではなく、「ダビデの子にホサナ」と繰り返し賛美の声を合わせました。子供たちには、その姿と言葉が印象的だったのでしょう、自分たちのごっこ遊びに取り入れました。
 けれども、もともとエルサレムに住んでいた人たちは、この状況に最初は呆気にとられ、状況を把握すると今度は自分たちも騒ぎました。10節に「イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、『いったい、これはどういう人だ』と言って騒いだ」とあります。エルサレムの往来が、賛美の声と怒号とに溢れていたことになります。子供たちはその中で、「ダビデの子にホサナ」という声の方を真似ました。なぜかというと、恐らく、エルサレムの外からきた人たちの声の方が喜んでいたからだろうと思います。子供たちがごっこ遊びをする場合には、自分たちが楽しかったり恰好良いと思うことを真似しようとするでしょう。自分たちの平穏な暮らし、生活の安穏さだけを求めて、外から来た者たちを怒鳴りつける声よりも、主イエスを中心にして賛美する声の方が、子供たちには好ましいものに聞こえたのだと思います。ですから、そのようにしてろばに乗ってやってきた人が、神殿の境内で大勢の人に取り囲まれ、その人たちを癒している姿を見て、子供たちは、「ダビデの子にホサナ」と聞き覚えた言葉を口に出しているのです。
 もちろん子供たちは、その言葉にどんな意味があるのかを深く理解していたわけではないでしょう。子供たちの声は、「ダビデの子にホサナ」以降の言葉は欠落していますから、大人のように意味を分かった上で主イエス賛美していたわけではないのです。けれども、それでも子供たちは何とは無しに心惹かれ、主イエスに向かってこう叫びたくなったのです。

 こういう姿を見せられる時に、私たちの礼拝にも、このようなところがあるのかもしれないと思わされます。私たちは普段、信仰は心の持ちようの事柄だと思っています。ですから、自分の心が強められたり、落ち着いたり高まったりする力を得たいと願います。聖書の御言葉を聞いて、それがよく分かったり、説き明かしである説教がよく分かることを望んだりします。確かに、説教が分かり聖書の御言葉が心に残るというのは悪いことではありませんし願わしいことですが、けれども、私たちが捧げる礼拝が、全て私たちの理解づくで起こっていることかどうかというと、そうではない要素がたくさんあると思います。例えば、今日私たちが歌う讃美歌の歌詞が何を歌っているのかということ、私たちが一言一言「こういう意味だ」と分かって歌っているとは限りません。けれども意味が分からないから賛美しないかというと、そうではないでしょう。分からないところはあるけれど、喜んで讃美歌を歌う。どうしてかと言うと、賛美を合わせるところに、実際に力があるからです。皆で讃美歌を歌うことが無条件に嬉しい、私たちにはそんなところがあるのです。
 牧師の私が言うのも憚られますが、若い頃、私は説教がさっぱり分からなかった時期がありました。けれども、後から考えますと、そういう時であっても、ほんの少しずつ聖書の言葉や神の事柄を心の中に蓄えられていったおかげで、後々聖書の言葉が分かるようになったと思います。ジグソーパズルに例えれば、最初には全体がどんな絵になるのか見当がつきませんが、ピースがかなりはまってくると、先が見えて、喜んでピースをはめ込んで行くようになります。礼拝の中で聴くことというのも、そんなところがあるのかも知れません。10年くらい、そういう時期があり、その間に辛いこと、苦しいこと、悲しいこともありました。そういう時に何が自分を支えてくれていたかというと、それは讃美歌でした。聖書の言葉に支えられているとは言えないのですが、辛い時苦しい時に、ふと讃美歌の歌詞が思い浮かんでくるのです。そして、讃美歌を口ずさみながら過ごしたことを思い出します。
 エルサレムの子供たちも、自分たちが発している言葉の意味を十分には理解できていなかったかも知れません。けれども、主イエスに従う人たちが皆、声を揃えて主イエスを賛美している、その言葉に心動かされて、自分たちも真似て叫ぶ、ごっこ遊びを始めたのです。そして、その子供たちのごっこ遊びは、祭司長たちや律法学者たちがどんなに咎め、叱りつけても、止むことはありませんでした。神が力をもって、子供たち一人一人の心の中に、「確かにここに救い主がおられる」ということを示してくださっていたからです。

 私たちの礼拝は、どこから力が与えられるのでしょうか。聖書の話が分かったから力が与えられると思っている方がいらっしゃると思いますが、しかし本当の私たちの力の源は、「この礼拝の場所に確かに主イエスがおられる」という事実なのだろうと思います。主イエスが私たちの賛美を受け止めてくださる。私たちの祈りに耳を傾けてくださって、神のもとにちゃんと届けてくださる。そういう主イエスが共にいてくださり、神の御心を聖書の言葉を通して私たちに伝えてくださる。「主イエスが共にいてくださる」というところから私たちは力をいただいて、新しい一週間をこの礼拝の場から歩み出すことができるようにされているのだと思います。

 主イエスは、神の御心に従って、礼拝のたび毎に私たちの教会の礼拝を清めて、神のみ前に導いてくださっています。ただし、これを成すために、主イエスは非常に高い代償を支払っておられます。それは何か。主イエスへの賛美を忌々しく思った人たちは黙ってはいませんでした。数日後、主イエスを捕らえて、十字架に磔にして命を奪ってしまいました。十字架の上で血を流すという代償を、主イエスは支払っておられるのです。
 しかしこれは、主イエスにとって予想外の出来事なのではありません。主イエスは最初から「十字架に架かる」という覚悟を持って、しかしそのことを通して、「まっすぐに神へと心を向けて礼拝を捧げ、神から力を与えられ、喜びに満たされて生きるようになる」、そういう人々が生まれるのだということを思い描きながら、「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」と言ってくださるのです。ここでは誰も気づいていませんが、主イエスは命を捧げながら宮清めをなさっておられるのです。
 私たちが今日捧げている礼拝は、そのようにして、主イエスがご自身の苦難と血潮を以って贖い取ってくださった、そういう礼拝です。そして、そうだと知る時に、私たちは、私たち自身の信仰が心の中の問題だとは、もはや言っておられなくなるのではないでしょうか。この礼拝の形、礼拝の佇まいも、主イエスが血を流して、わたしたちのために命を削って、贖い取り整えてくださったものです。主イエスがご自身を削って、私たちをこの礼拝へと招き、私たちを神の前に並ばせてくださっているのです。そのことに感謝して、私たちはここで賛美を歌い、感謝と献身の祈りを捧げて、それぞれに与えられているこの世の長谷場に向かって送り出されたいと願います。

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