聖書のみことば
2018年6月
  6月3日 6月10日 6月17日 6月24日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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6月10日主日礼拝音声

 子ろばに乗って
2018年6月第2主日礼拝 6月10日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者) 
聖書/マタイによる福音書 第21章1〜11節

21章<1節>一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、<2節>言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。<3節>もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」<4節>それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。<5節>「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」<6節>弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、<7節>ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。<8節>大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。<9節>そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」<10節>イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。<11節>そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。

 ただ今、マタイによる福音書21章1節から11節までをご一緒にお聞きしました。ここには、主イエスが子ろばに乗ってエルサレムへ入っていかれたという出来事が語られています。「エルサレム入城」と言われますが、この出来事には一体どういう意味があるのでしょうか。

 主イエスがエルサレムの町にお入りになる、この時から受難週の日々が始まります。今日はイースターの時期とはズレていますが、イースターの一週間前、受難週の始まる日曜日に、この箇所を礼拝の中で読む教会はたくさんあると思います。「主イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入られる」、その出来事から受難週が始まるためです。主イエスは、エルサレムに入られるとすぐに宮清めをなさり、さらには神殿の境内で祭司長や律法学者たちと論争しながら大勢の人を教え、祭司長たちとの対立がどんどん深まって、木曜日には、とうとう弟子の一人イスカリオテのユダの裏切りによって捕らえられてしまいます。そして、夜になって形ばかりの裁判が行われ、金曜日の朝には十字架に磔にされ、お亡くなりになり、三日目に復活なさる、このように次々と目まぐるしく事が起こる受難週の始まりが、エルサレム入城の出来事なのです。

 主イエスが紀元30年頃、そのようにしてエルサレムでお亡くなりになったということは、聖書以外の歴史の資料に出てきますから、歴史上の事実として動かしがたい出来事なのですが、歴史上の出来事であるがゆえに、私たちは、このことをあまり深く考えないようなところがあります。つまり「どうして主イエスはエルサレムでお亡くなりになったのか」ということです。私たちはイースターの時期になると、毎年「主イエスはエルサレムで亡くなったのだ」と聞かされますから、当たり前のことのように思っています。けれども、「どうして他の場所ではなく、エルサレムだったのか」、まさしくこの点に、今日聴いている「エルサレム入城」の意味が関係しているのです。
 主イエスがエルサレムで亡くなられたのは、簡単に言えば、エルサレムで捕らえられたからです。主イエスはエルサレムに上っていく道の途上で、何度も弟子たちに、「わたしたちはこれからエルサレムに上っていくけれど、そこで人の子は敵の手に渡されることになる。敵は、人の子を散々侮辱した挙句に十字架に磔にするために異邦人に引き渡す」と教え、ご自身の将来について告げておられました。ですから「エルサレム入城」と「エルサレムでの死」の間には、強い結びつきがあるのです。はっきり言えば、主イエスご自身は、エルサレムで敵の手に渡され処刑されてしまうことを承知の上で、覚悟してエルサレムに入っていかれます。主イエスがエルサレムへ進んでいかれたからこそ、エルサレム入城が起こり、さらに十字架の出来事も起こったのです。

 このエルサレム入城の場面では、大勢の人が歓声をあげて主イエスを迎えていますから、大変華やかに都に入っていったように見えますが、しかし主イエスご自身は、十字架に架かるという覚悟でゴルゴタの丘を見上げながら歩んでおられました。ただ、それでは、「どうしてそれがエルサレムなのか」という説明にはなりません。主イエスが十字架に架かるのは、どこの町であっても良いのではないかと考える方もいるでしょう。私たちのために死んでくださるという意味では、どこの町であっても変わらないはずです。けれども、主イエスはそうはお考えになりませんでした。どうしても、十字架の出来事はエルサレムで起こらなくてはならないとお考えだったからこそ、エルサレムに向かって行かれたのです。
 なぜ主イエスはエルサレムに拘ったのか。それは、主イエスがご自身の十字架の死を「神に対する贖いの献げ物、献げ物の死である」と考えておられたからです。神は贖いの献げ物を、いつでも気が向いた時に献げれば良いとはおっしゃっていません。主イエスが生きておられた時代のユダヤでは、献げ物は皆、エルサレムに持ってきて献げることになっていました。聖書の中で命じられていたからです。旧約聖書、申命記12章4節5節に「あなたたちの神、主に対しては国々の民と同じようにしてはならない。必ず、あなたたちの神、主がその名を置くために全部族の中から選ばれる場所、すなわち主の住まいを尋ね、そこへ行きなさい」とあります。神を礼拝して献げ物をする時には、他の国の人がやっているように気ままに自分の思う場所で献げるというのではなく、必ず、神が「ここである」と、御名を置いておられる場所で献げるようにと命じられています。当時、イスラエルの民以外の先住民族たち、カナン人やアモリ人、エブス人、ペリシテ人などは、皆、気ままに神の居場所を定めて、木や石で像を刻んだり、金や銀の鋳物で作って、「これが神だ」と言って拝んでいたのです。そのように人間の手で作り出された神々を聖書では偶像と呼んで主なる神と区別しますが、「偶像を拝むように神を礼拝してはいけない」と戒められていました。「礼拝する時には、神が御名を置いておられる場所に行って礼拝しなさい」と命じられていたのです。
 申命記の時代には、イスラエルの人たちは荒れ野を放浪していましたから、神の御名が置かれている場所はテントのような、簡素で持ち運びできるようなものでした。イスラエルの人たちが行く先々に、契約の箱をレビ人が担いで持ち運び、落ち着いた場所に天幕を張り、そこに人々が出かけて行って礼拝しました。その後、神がイスラエルの人々を約束の地に入れてくださって定住するようになると、ダビデがエルサレムを都と定め、ダビデ、ソロモンの二代にわたって神殿を築き、そこに神が御名を置いてくださるのです。ですから、エルサレムは、他のどの町とも違うただ一つの町です。神が御名を置いてくださる町であって、神を礼拝するために供え物を持ってくるのであれば、それはエルサレムでなければならなかったのです。そして、主イエスはご自身の十字架の死を、神への供え物として、しかも人の罪を贖うための供え物としなければならないと考えておられたので、エルサレムへと向かわれたのです。主イエスは、自分が十字架にかかりさえすれば、場所はどこでも良いと考えておられたのではありません。神が求めておられるように、供え物はエルサレムでしなければならないとお考えだったのです。

 そして、場所がエルサレムであることと同じように大切なことが、もう一つありました。それは、主イエスが十字架にお架かりになるという犠牲は、主イエスの個人的な献げ物ということではなく、神の民全体の身代わりとしての献げ物でなければならないということでした。そして、そのことをはっきりさせるために、エルサレム入城の時に「子ろばに乗られる」ということが起こったのです。
 「子ろばに乗る」とは、大変印象的な出来事です。6節7節に「弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった」とあります。主イエスが命じて、連れてこられたのは「ろばと子ろば」でした。ろばの性別は書いてありませんが、子ろばを連れていますから、乳を与えている雌ろばであったと想像できます。子ろばは、母ろばから別れられないのですから、まだ乳離れもしていない生まれたばかりの子ろばだったでしょう。驚くようなことですが、主イエスがエルサレムに入られる時に乗られたのは、この「子ろば」だったと言うのです。しかも、青年期にさしかかった子ろばではなく、生まれたばかりの赤ちゃんのろばです。現代であれば、動物愛護団体から苦情が出るかもしれません。
 7節を丁寧に読んでみますと、「ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった」とあります。日本語では単数か複数か分かりませんが、原文では「服」は複数形です。また、「お乗りになる」も、どちらか一方に乗ったように感じますが、原文では「それらの上に乗った」と書いてあります。想像しにくい場面ですが、もしかすると、母ろばと子ろばを並べて、それぞれに服をかけて、両方にまたがるようにしてお乗りになったのかもしれません。体の大きさが同じで歩調も同じならそれも理解できる気がしますが、片方はまだ荷物など乗せたこともない赤ちゃんろばですし、大人しく人を乗せたのだろうかなど、想像するとあまりに滑稽な姿であると思います。けれども主イエスは、わざとそういう「ろばと子ろば」を選んで、ご自分の乗り物になさったと語られています。どうしてでしょうか。

 その理由は、4節5節に語られています。「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『シオンの娘に告げよ。「見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って」』」。主イエスはエルサレムで、犠牲としての十字架に架かろうとなさったのですが、まずエルサレムに入るに当たっては、どうしても、この旧約聖書の言葉通りにしなければならないと、こだわったのです。そしてその結果、実際に「ろばと子ろば」に乗られました。旧約の言葉にこだわっておられた理由はなんでしょうか。
 この言葉はゼカリヤ書9章9節の言葉だと言われていますが、そこには、「エルサレムに入って行くのは『王』である」と語られています。ですから主イエスは、ご自身がエルサレムで犠牲として十字架に架かるのは、「神の民の王としての出来事であった」ということを、はっきりさせるために、どうしても、ゼカリヤ書が語る通りの王の姿を取ってエルサレムに入らなければならないとこだわって、子ろばにお乗りになりました。
 では、「王である」という形にこだわるのはなぜでしょうか。それは、王でない人が十字架に架かったとしても、それは、大方の人には何も関係のない個人的な出来事になってしまうからです。

 私たちは、「主イエスが私たちのために十字架に架かってくださった」と言いますけれども、それはまさしく、「主イエスが私たちの王であるからこそ、私たちの身代わりになってくださって十字架に架かってくださった」、そういう出来事なのです。主イエスが個人的にエルサレムで十字架にお架かりになったというのであれば、歴史的な記録があったとしても、それがこのわたしとどういう関わりがあるのかということは、はっきりしなくなってしまいます。なぜ主イエスがエルサレムで十字架にお架かりにならなければならなかったのか。それは、「神の民の王だったからである」ということが大事な点なのです。神の民の王だから、民の身代わりとなったのです。逆に言えば、王が身代わりになって十字架に架かってくださったから、民の一人一人は、本当は自分が架からなければならなかった十字架の罰を赦されて自由な者とされるという出来事が起こったのです。
 もちろん、主イエスがゴルゴタの丘で十字架にお架かりになった時に、「わたしの王が十字架に架かっている」と思った人は、殆どいなかっただろうと思います。ポンテオ・ピラトは主イエスの十字架の上に「ユダヤ人の王」という捨て札を立てさせて、「これは神の民の王だ」という名前を付けました。けれども、その十字架を見物して囃し立てたユダヤ人たちは、決して自分たちの王が十字架に架かっているなどとは思っていなかったのです。
 けれども本当には、主イエスは、十字架という刑罰によって罪を清算して、神の民が罪を赦された者として生きるようになるためにと、十字架に架かられたのです。後々、それを信じる者たちが、「そう言えばあの時、イエスさまがエルサレムにお入りになった時には、聖書に語られていたように、イスラエルの王として都に入っていくという姿勢を取っておられたな」ということを思い起こすことができるようにと、子ろばに乗ってエルサレムに入られたのです。

 けれども、この時点で、主イエスの行く手に十字架があるということを分かっていた人は誰一人いませんでした。確かに、主イエスの敵たちは主イエスを亡き者にしたいと思っていましたが、具体的に十字架ということになるのは、受難週に入り、イスカリオテのユダがいきなり裏切り、祭司長たちに主イエスの身柄を売り渡して初めて、捕らえられ十字架刑へと話が進むのです。エルサレム入城の時点では、主イエスに従っている人たちも、敵対する人たちも、誰も、主イエスが十字架に架かるとは思っていません。ただ一人、主イエスだけが承知しておられました。
 ですから群衆は、十字架のことなど考えもせず、主イエスとは全く違うことを考えながら、エルサレムに入られる主イエスに歓呼の声を上げるのです。8節9節に、この時、群衆が叫んだ言葉が記されています。「大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ』」。
 主イエスがエルサレムにお入りになったのは日曜日のことです。この日、大勢の群衆がうねるようにして、主イエスに従ってエルサレムに入って行きました。その群衆の中から「ダビデの子にホサナ」という声が上がりました。「ダビデの子」というのは、「イスラエルの王、メシア、救い主」という意味です。主イエスを「イスラエルの王」だと言っているのです。
 「イスラエルの王」は、この時代まで何百年もの間、誰もいませんでした。一番最後のイスラエルの王はゼデキヤ王で、彼が600年も前に戦争に負けてバビロンに連れ去られてしまってからは、エルサレムに王はいませんでした。バビロン捕囚の70年後にイスラエルの民は帰還しましたが、その時にはもはや、王を立てることは許されませんでした。それで、ローマ帝国の属国となったユダヤの政治の中心にいたのは、王ではなく、神殿の中心にいた大祭司でした。大祭司の上にはローマの総督がいて、様々に監督していました。
 ところが、そんなエルサレムの町に突然大勢の群衆が押しかけてきて、「ダビデの子にホサナ。ここに王さまが来ている」と言うのです。それまでユダヤの頂点にいた大祭司より、さらに上に立つ王が現れたと叫んでいるのです。そして、その王に「ホサナ」と呼びかけています。
 「ホサナ」とは、正確に翻訳するのは難しいとされていますので、ヘブライ語のままに「ホサナ」とされているのですが、文字通りの意味は「どうぞ、主よ、今、救ってください」という叫びです。ですから「ダビデの子にホサナ」とは、「神さま、どうか、久々に現れた私たちの王さまに、助けを与えてください」と言っていることになります。「ダビデの子よ、ホサナ」であれば「ダビデの子よ、私たちを救ってください」となりますが、「ダビデの子に」ですから、「わたしたちの王さまに救いをお与えください」と、神に願っている言葉です。群衆はガリラヤから付いてきた人たちですが、主イエスを本当の王である方として押し立ててエルサレムに入って行きました。この群衆は、もともと主イエスを王にしたいと思っていたのですから、エルサレムに入った時にこのように喜んで熱狂したのは当然と言えば当然です。
 けれども、その一方で、王がやって来ることを喜ばない人たちもいました。それは、もともとエルサレムの都に住んでいる人たちです。この人たちは、王が来たと聞いて仰天しました。「冗談ではない。ローマに対して平らな姿勢でいるから、今、平穏に暮らしているのに、もしも王が立ったなどとローマに聞こえたならば、自分たちの生活はどうなってしまうか分からないではないか」と考えました。
 実は、エルサレムの人たちがこのように思ったのは、これが初めてではありませんでした。マタイによる福音書の初めのところ、クリスマスの出来事の記事の中でも、ヘロデとエルサレムの住民が不安を感じていたことが語られています。ローマの傀儡政権であったヘロデは、東の方からやって来た博士たちが「新しく王になられる方は、どこにおられますか」と尋ねた時に、大変不安になりました。それは町の人たちも同じだったと記されています。そして、今ここで、同じことが起こっています。しかもそれは、目に見える出来事として、町の人たちの目の前で起こっています。そして、町の人たちは腹立たしげに、「あなたがたがホサナと叫んでいるその人物は、一体何者なのか」と尋ねています。10節に「イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、『いったい、これはどういう人だ』と言って騒いだ」とあります。都の外からやって来た人は「これこそ王だ」と喜び叫んでいるけれども、一方で、元から都に住んでいる人たちは「一体これは何者だ」と言って騒いでいる。実は、皆騒いでいるのですが、方向は同じではありませんでした。ですから、この騒ぎは互いに衝突してエスカレートしていくことになるのです。どんどんと興奮が高まり、収拾がつかなくなっていくのです。
 しかし、主イエスはこうなることを予想しておられました。この騒動は、ここで思いがけず起こったということではなく、また、昨日今日の思いつきで始まったことでもありません。こうなることは何世紀も前から予定されていたことでした。神ご自身がご計画されていたのです。父なる神が、御心のうちに計画されていたことが実現したのです。
 ですから、4節に「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった」と語られています。私たちはこの言葉を、「これは、主イエスがろばの子に乗ってエルサレムに入られるということだな」とだけ思って聞いてしまいますが、「ろばに乗ってお入りになる」ということは、「王として都に入る」ということであり、そうなれば都に騒動が起こることは必然的なことですから、ろばに乗られることも、騒動が起こることも、想定外の出来事なのではありません。全ては神のご計画であり、主イエスは、そういう神の御心に対して従順に従って歩んでおられるのです。

 主イエスの周りには、主イエスを王にしようとする人、王が来たら困ると思っている人たちが怒号のような声をあげながらぶつかり合っていますが、主イエスご自身は、その両者の思いとは違っています。主イエスは、そのような中を「神の御心に従う柔和な王として進んで行かれる」、それが「子ろばに乗って、都に入っていかれる王の姿」なのです。聖書を外して考えるならば、普通は、王はろばには乗りません。王が都に凱旋するときに乗るのは、馬です。ろばより高く大きく、足が速く、また勇敢な動物です。古代から中世にかけては、戦争の際の兵器として恐れられていました。旧約聖書にも、馬は軍事力を表すものとして多く描かれています。例えば、ヨブ記39章19節から25節に「お前は馬に力を与え その首をたてがみで装うことができるか。馬をいなごのように跳ねさせることができるか。そのいななきには恐るべき威力があり、谷間で砂をけって喜び勇み 武器に怖じることなく進む。恐れを笑い、ひるむことなく 剣に背を向けて逃げることもない。その上に箙が音をたて 槍と投げ槍がきらめくとき 身を震わせ、興奮して地をかき 角笛の音に、じっとしてはいられない。角笛の合図があればいななき 戦いも、隊長の怒号も、鬨の声も 遠くにいながら、かぎつけている」とあり、まさしく馬とは、こういうイメージなのです。馬は戦車のようであり、この世の王は、一般的には、自分の力を増し加えるような、このような乗り物に好んで乗るのです。そして、馬に乗って相手に攻めかかり、相手を打ち倒して支配しようとするのです。

 ところが、今、エルサレムに入って行こうとしている王は、それとは全然違っていました。「柔和な方」と言われています。「主イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入られる」、そこには神の御心があるのです。神は、この世界に生きる人間を力ずくで支配しようとはなさいません。神は、人間の王のように暴力や腕力で自分の言うことを聞かせようとする王ではなく、自ら荷を負い、人々を助け、罪の贖いとしてその身を神に献げようとする、そういう覚悟のある王を真実の王として、私たちの上にお立てになるのです。そしてまさに、主イエスはそのようにして神に立てられている王として、エルサレムに入っていかれるのです。

 もちろん、ごく普通の私たちの考え方では、そういう救い主というのは合致しません。「自分を本当に救ってくれるというのなら、力を持って、わたしのこの生活を変えてくれるのでなければ、王とは言えないではないか」と思うでしょう。教会の中で語られる福音に反対はしないまでも、疑いや不信を持つ場合には、どう思うかと考えますと、「教会では、いろいろ良さそうなことを言っているけれど、それは実際には無力なのではないか」と感じるのだろうと思います。どんなに良いことを聞かされたとしても、結局、自分の生活は何も変わらない。礼拝を終えて日常に戻れば、この世の生活が待っている。そこは、まさしく力がものを言う世界だし、実際に自分も苦しみ、悩みや問題を抱えなければならない。救いというのであれば、そういう実際的な苦しみを一つ一つ解決してくれるものであってほしいし、そうでなければ救いとは言えないと思うのではないでしょうか。
 けれども、主イエスはまさに、この世のものとは違う救いを私たちにお与えになるのです。多くの人間が日々の状況が変わっていくことで自分が楽になったり喜んだりする、これこそが救いだと思っていることに対して、主イエスは全く違う救いをもたらす王、救い主として、エルサレムにお入りになる。あるいは、私たちの生活に、そのようなお方として臨んでおられるのです。

 この時、主イエスを王にしようとしていた群衆は、主イエスが王になれば自分たちの生活が楽なものに変わると期待していましたから、彼らは結局、主イエスのお考えを少しも理解していなかったことになります。主イエスはこの世で力を振るう、そういう王とは違います。主イエスは、神の御心に完全に従われるのです。神は神ですから、人が思うことと同じことを考えるのではありません。むしろ、神はご自身の道を私たちに辿らせようとなさいます。そして、そのようにして神が辿らせてくださる道は、普段私たちが思い描く道とは違うものです。自分の周りが変わって自分が楽になる、そういう道ではない。普段、私たちが無理だと思ってしようとしないこと、つまり私たち自身がすっかり行き詰まっている、その点について、神は何とかしようとしてくださるのです。
 神は神ですから、私たち人間一人一人がどんな問題を抱えているか、全てご存知です。人間同士には見えないこと、分からないことですが、神はお分かりなのです。そして、悪というものは、その根を断たなければならないということをご存知なのです。悪が表面に色々な形で現れてくる、その一つ一つを問題として摘み取っていったからと言って、問題が撲滅されることにはなりません。神は、どうしようもなく私たち人間一人一人の中に根を生やしている罪を、その根っこから変えようとなさるのです。ですから、神のなさりようというのは、私たち人間の思いを超えているのです。
 
 神が御心によってエルサレムに送ってこられた王は、私たち人間が普段思う王とは全く違うあり方を取られました。馬に乗って人々を従わせ外から変えようとするのではなく、自ら子ろばに乗って、重荷を負って、そして最後には自ら十字架に架かって民のために身代わりとなる王、神は、そういう王を私たちに与えるという仕方で、新しい命を地上の人間に与えようとなさるのです。

 子ろばに乗ってエルサレムに入っていかれた王を、嘲ったり侮ったり、また全く無視するという人も、この世には多くいると思います。そういう人たちは、力で全てが変わると思っていますから、自分自身に力を求めますし、主イエスのようなお方は目障りですから、十字架に磔にして葬り去りたいと思うのです。そして実際に主イエスは、主を目障りだと思う人たちに捕らえられて、十字架に磔にされて亡くなられるのです。
 けれども、亡くなられたところで終わってしまったのでしょうか。もしそれで終わってしまったのなら、2000年の時を経て、今ここで、私たちが礼拝しているなどということは起こるはずがありません。終わっていないのです。どうして終わらなかったのか。それは、神が主イエスを王として私たちの前にお立てになっているからです。「私たちのために十字架に架かり、復活なさった方」として、神が主イエスを私たちの前に立ててくださった、だから、この方を礼拝するということが今日に至るまで起こっているのです。

 神が私たちに与えてくださる救い主は、私たちが頭で「これが救いだ」と考えているような救いとは全然違う有り様をなさり、それが「子ろばに乗った救い主」という姿でした。この方は、馬のような力でこの世界を変えるのではありません。ろばに乗って、しかもこのろばは、善意の人が無料で貸してくれたようなろばです。いかにも、いつでも貸されてしまうようなろばではないのです。「よくもまあ貸してくれる人がいたものだ」と思うようなろばに乗って、主イエスはエルサレムに入っていかれました。そして、十字架に架けられることを覚悟しておられ、実際に、十字架に架けられてしまう、そういうあり方を取られる救い主です。そういう救い主を無力な者として嘲る人はいますが、しかし、そうして嘲ったからといって、本当に人間の様々な悪が解決されるわけではありません。

 私たちが本当に救われた者として、新しい者として生き始める力は、どこから与えられるのでしょうか。それはまさに、「子ろばに乗って、十字架に向かって行かれたお方が、わたしの王であり救い主である」ことを知らされて、そして私たちがその方に従うように招かれ、信じて従っていくときに、私たちは、自分に与えられている人生と柔らぐことが出来るのです。
 キリスト者であっても、自分の人生の中に様々な問題、悩み苦しみを抱えます。キリスト者になったら何も悩みがなくなったという人は、誰一人いないと思います。けれどもキリスト者は、様々なことに出会わされても、自分に与えられている人生を神からの贈り物なのだと信じて生きていくことができるのです。それはどうしてかというと、私たちの前に、子ろばに乗って私たちのために十字架に架かってくださっている救い主がいてくださるからです。この方が私たちのためにエルサレムの都に入って行かれて、「あなたの王だよ」とおっしゃってくださり、「あなたのために、あなたの身代わりとなって、わたしは十字架に架かる。だから、あなたは、いろいろとうまく行かないとしても、ここからもう一度生きて良いのだ」と言ってくださるのです。私たちはこのことを信じて、本当に新しくされた者として、一日一日を歩み始める力を与えられるのです。
 ですから、一見すると子ろばに乗った王は無力な者としか見えませんが、信じる者にとっては、本当に大きな力を与えてくださるお方なのです。私たちは、そういう救い主を与えられ、そういう王をわたしの生活の中で自分の王として与えられていることを覚えたいと思います。

 主イエスが、ここにいる私たち一人一人のために十字架に向かうために、子ろばに乗ってエルサレムに入って行かれました。私たちの生活の只中に、そういうお方が入ってきてくださるのです。私たちは、この方に自分自身を明け渡して、この方に従って、新しくまたここから歩んで行きたいと願います。
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