聖書のみことば
2015年8月
8月2日 8月9日 8月16日 8月23日 8月30日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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8月2日主日礼拝音声

 僕(しもべ)の挨拶
8月第1主日礼拝 2015年8月2日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)
聖書/フィリピの信徒への手紙 第1章1〜2節

1章<1節>キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。<2節>わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 ただ今、フィリピの信徒への手紙1章1節2節をご一緒にお聞きしました。今日からクリスマス頃まで、このフィリピの信徒への手紙を毎週少しずつ聞いていこうと思っております。

 1節「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ」とあります。手紙の始めですから、差出人の名前が出てきます。差出人は使徒パウロとテモテですが、この二人が一緒に行動していたのは、パウロの第2回目の伝道旅行の時でした。パウロは初代教会における大伝道者であって、主イエスの福音を伝えようと、大変精力的に動きました。当時の世界は、今日では地中海世界と言われておりますが、パウロはその世界を隅々まで回りました。3回の大掛かりな伝道旅行を行ったことが知られています。
 パウロの母教会はシリアのアンティオキアですが、第1回目の伝道旅行は、アンティオキアから船で送り出されてキプロスへ渡り、再び船で小アジア一帯を回って主の福音を告げ知らせ、アンティオキアに戻っています。この最初の旅行の時には、パウロは、彼を伝道者として見出してくれたバルナバという先輩弟子と一緒でした。また、若いマルコという弟子も一緒でした。マルコによる福音書を書いたと言われているマルコですが、マルコはバルナバの従兄弟でもありました。若いマルコは一緒に出かけますが、出かけて直ぐ、キプロスに渡る前に、一行と離れてアンティオキアに帰ってしまうという出来事が起こりました。そしてその後、第2回目の伝道旅行に出ようとした時、パウロとバルナバは再び一緒に出かけようとしましたが、パウロはマルコを連れて行くことに消極的で、しかしバルナバは従兄弟ですのでマルコを連れて行きたいとの思いがあり、二人の意見が衝突して一緒に出かけることができなくなりました。そこで、パウロはパウロで、バルナバはバルナバで、各々伝道の旅に出かけることになったのです。
 その際に、パウロはアンティオキアからシラス(シルワノ)という弟子と一緒に出かけ、最初に行った小アジアのリストラでテモテと出会い、旅に同道したいと願いました。初代教会の伝道旅行は、福音を伝えるということだけではなく、若い弟子を後継者として育てることも目的としていたようです。ですから、中心となるのはパウロとシラスですが、そこにテモテも加わった旅行、それが第2回目の伝道旅行でした。その時のことが、使徒言行録16章1〜3節に「パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである」と書かれています。
 バルナバがパウロを見出したように、パウロはテモテを見出します。そして、テモテはパウロの伝道旅行に同道しました。この旅行を通して、パウロがどんなに深くテモテを信頼したかということは、次の第3回の旅行の際に表れます。第3回の伝道旅行では、アンティオキアに戻る前に、最後にエルサレムの教会を訪ねて献金を届けようという計画がありました。私たちの教会が協力教会である石和教会を覚えて献金することと同じように、アンティオキアの教会が中心になってエルサレムの教会を支えようと計画したのです。
 その際に、あちこちの教会に急にパウロが行って献金を募っても、持ち合わせがない場合もあるので、パウロは「これからパウロが回って来るので、献金をご用意してお待ちください」と、自分の先触の使者を派遣しました。その先触の使者として、テモテが用いられたのです。第3回の伝道旅行では、テモテはパウロに先んじて行き、忠実に堅実にパウロの計画をこなし、大変パウロに愛されました。それで、テモテへの手紙1の書き出しのところには、「信仰によるまことの子テモテへ」などと呼びかけたりもしています。年齢差はありましたが、パウロはテモテを厚く信頼して、また深く愛したことが分かります。

 そういう二人がこのフィリピの信徒への手紙の差出人なのですが、まず、この手紙で注目させられることは、自分たち二人について、パウロがどう名乗っているかということです。「キリスト・イエスの僕(しもべ)であるパウロとテモテから」とあります。「僕(しもべ)」とありますが、原文では「奴隷」と訳せる言葉です。つまりパウロは、自分たちは伝道のために雇われて働いているというようなことではなく、自分の命も体もすっかりすべてが主イエス・キリストに属する働き人なのだと考えていたということです。「このわたしは、主イエスの奴隷です」と書いているのです。今日の日本には奴隷という人はいませんから、「主イエスの奴隷であるパウロから」と言われても、なかなかイメージしにくいかと思います。私たちは、生存権はもとより自由権も財産権も社会権も与えられて当たり前の世界に生きていますから、パウロが自分たちのことを「奴隷なのです」と言っても、すぐには何を言おうとしているのかぴんと来ないかもしれません。
 パウロが自分たちのことを「僕、奴隷」と紹介しているのは、恐らく、自分たちに目を止めて言っているのではないと思います。そうではなくて、自分たちの主人である方に目を止めて、そう言っているのです。私には経験がありませんので想像するしかありませんが、もし自分が奴隷だったら、何を誇らしく思うでしょうか。奴隷ですから、自分のことは誇りようがないでしょう。けれども、もし自分が仕えている主人がとても情け深く配慮に満ち、何事にも正しい判断が出来るとしたら、そういう主人に使われて、主人の手足のように働けるということは誇らしいことなのではないかと思います。

 パウロは、元々の身分が奴隷だから、奴隷の気持ちがよく分かるというのではありません。よく知られていることですが、パウロはローマの市民権を持っていました。ローマの市民権を持つ人に奴隷はいません。奴隷を使っている人がローマの市民、自由人です。自由人であったはずのパウロが、自分から進んで「わたしは僕です。奴隷です」と自己紹介しているのです。なぜ、そんなことをパウロは言うのだろうかと不思議に思います。
 それで、この手紙をずっと読み進んでいきますと、3章5節以下で、パウロがもう一度自分のことを話している箇所が出てきます。5節〜9節中程に「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです」と書かれています。ここを読みますと、かつてのパウロには、いろいろと誇るものがあったことが分かります。「割礼を受けたイスラエルの民である」「12部族の中のベニヤミン族の出身、サウル王の名を受け継ぐ血統」「律法を厳格に守るファリサイ派」等々のことを誇り、そこに立って、「わたしはこういう事柄によって確かにされている」と思っていたのです。
 ところが、そうであった自分に変化が生じて、今まで自分にとって誇りだと思っていた一切のことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったと言っています。どうして、そうなったのか。パウロの答えは簡潔です。「主キリスト・イエスを知る」ことのゆえです。「キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」と言い、そしてさらに先を読みますと、パウロは何とかして「キリストを得たいのだ」と語っていきます。イエス・キリストという方を知ったために、これまで誇っていたすべてのものを手放しても惜しくない。そして、「わたしは、キリストの奴隷です」と言うようになっていくのです。一体そこに何が起こったのだろうかと思います。

 かつて主イエスは、弟子たちに一つの譬えをお話になりました。「宝物が埋まっている畑の譬え」と言われるものです。ある人が、宝物の埋まっている畑を見つけたとする。そうしたら、その人はどうするだろうか。その畑を自分のものにするために、出かけて行って自分の持ち物を全部売って畑の代金を手に入れ、そして喜んで帰り、畑を買い取るのではないか。マタイによる福音書13章44節にある譬えです。「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」とあります。「天の国は」と言われていますが、これは「神の御支配」を意味しています。「国」は最初に習う英語では「country」と教えられますが、英語の聖書では、ここは「kingdom」です。「王国」のことです。「神の国」と書かれることもありますが、それは「神が王である王国」なのです。ですからここは、「神の御支配の元にある生活とは、こういうものですよ」と、主イエスが教えてくださっているのです。
 私は子供の頃、この譬えを聞いて不思議でした。「畑に宝物が埋めてあるのなら、なぜ掘り出して持ち帰らないのだろう」と思いました。隠したままだと誰かに掘り出されるのではないかとか、なぜわざわざ代金を払って畑を買わなければならないのか、分かりませんでした。しかしこれは、宝物の話ではない。「天の国、神の御支配をどのように受け取るのか」という話だったのですね。「神の御支配」とは、「私たちの日常のすべてが与っていくもの」なのだと教えられているのです。
 「王国」などと言われると、私たちはすぐ人間世界のことを思いますから、人間の支配ということが頭に浮かぶと思います。その場合に、人間には必ず欠けがありますから、その国のすべての人に対しての配慮が行き届き、慈しみ豊かな支配などは無いのです。ですから私たちは、王の支配の国というとあまり良い印象を持たないで、共和国とか民主主義の国の方がよいのではないかと考えてしまいますが、しかし、本当に情け深い正しい王が立ってくれるのであれば、すべてが正しく支配されていくのです。「神が真の王である」、私たちの生活がそういうところにあるならば、自分の財産も、また自分自身を投げ出しても惜しくはないのだと、主イエスはここで教えておられるのです。
 パウロがフィリピの信徒への手紙の中で「主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、一切を損失とみている。キリストのゆえに、すべてを失ったが、それらを塵あくたと見なしている」と言っていることは、恐らくそういうことなのだと思います。「神の真実な支配が主イエスを通して示されている、だからわたしは、主イエスに従って生きる生活を送る。わたしはキリストの僕なのだ」と言っているのです。

 今日は2節しか読んでいませんが、注意してみますと、ここには「イエス・キリスト」とか「キリスト・イエス」と3回出てきます。パウロが「イエス・キリストの僕である」ことが大事だと思っていたことが分かると思います。
 パウロが自分たちのことを「主イエスによって神の支配の元に生きている僕なのです」と紹介しているのを聞きますと、事情はパウロとテモテだけのことではなくて、私たちも同様なのではないかという気がしてきます。
 ナザレのイエスという方を通して神の真実に慈しみ深い支配が現され、その中に生きる生活がもたらされているとすれば、それはパウロやテモテだけのことではなくて、私たちもその生活に加わっていくということになっていくのではないでしょうか。まさしくそうだと思います。だからこそ、ここでパウロはフィリピの教会の人たちに向かって「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち」と呼びかけています。ここでは、フィリピの教会が宛先ですけれども、もし、パウロが私たちに対して手紙を書いてくれるならば、「愛宕町教会にいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち」と呼びかけたことでしょう。
 パウロは、今手紙を書いている自分たちだけが「キリストの僕」なのではなくて、「手紙の受け取り手であり読み手であるあなたたちも、キリストによって現されている溢れんばかりの慈しみに満ちた真実で清らかな御支配のうちに生きるようにされているのですよ」と語っているのです。
 残念ながら日本語訳聖書は上手く訳されていないのですが、ここの言葉の順序は原文を読みますと気になります。実は「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれている」というところは順序が逆です。「キリスト・イエス」の方が先で、英語では「in Jesus Christ in Philippians」と書いてあります。つまり、手紙の受け取り手がフィリピの町に暮らしている人たちということよりも先に、「あなたたちはキリストの内に生きているのです」ということが語られているのです。日本語だと逆ですから、あまりはっきりしませんし、書き方も「フィリピにいて」と「キリストに結ばれている」という訳し方なので、原文が同じ言い回しであることに気づかないのです。

 こういう書き方がされていることを知りますと、感じることがあるのではないかと思います。普段私たちは、自分の生活は自分の生活で成り立っているものなのだと考えるところがあると思います。そして日曜日は、普段の生活の場から教会へとやって来て、そこで礼拝して帰るのだと思っている。ところがパウロは、そうではないと言っています。確かに、日曜日には教会に来て礼拝し、そしてそこから送り出されて行くけれども、しかし月「曜日から土曜日までのすべての生活が、主イエス・キリストのうちに生きている」、そういう生活を過ごしているのだと語っています。「キリストに結ばれている」というのは、「教会に来る、そこだけが結び目になっているということではなくて、私たちの生活のすべてが主イエスの支配の中に置かれて生きる生活なのだ」と語っているのです。そのことが、この「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれている」という語順の中に表れています。

 そしてまた、さらに読んでいきますと、宛先は「聖なる者たち」だけではなく、「監督たちと奉仕者たちへ」と増えています。ここからも教えられることがあると思います。「監督たち」とは、聖書の中の別の手紙によれば「長老たち」と書かれる場合もありますが、教会の中で、その秩序をもたらす役割を担っている人たちです。私たちの教会で言うならば、牧師であったり役員であったりの務めをする人が当てはまると思います。
 教会では、役員以外にもいろいろな奉仕の場があると思います。私たちは皆、それぞれに奉仕を分担し、互いに助け合いながら、教会として、一つの群れとして成り立っていきます。私たちはいつもそれぞれに奉仕をしながら教会生活を送るのですが、奉仕の一つ一つは、実は、人間の都合で生まれてきたのではないことが、ここから分かると思います。私たちがいろいろな務めに赴くのは、ここにいる人たちが自分の都合で必要と思ったり必要ないと思って、やったりやらなかったりするという事柄ではありません。そうではなくて、神が私たちにキリストの元にある生活を与えようとなさっている、そのために私たちが一つの形、秩序を持たなければいけないので、奉仕職が立てられていくのです。つまり、私たちの群れが全体として神に仕える、僕としての姿を取っていく、そのために必要な者としてさまざまな役割が教会の中に立てられているのです。ですから、務めは人間から始まっているのではありません。

 ともすると私たちは、教会の中のいろいろ務めや立場は、教会に集まる人間の必要や都合によって生まれると思ってしまいがちですが、そうではありません。私たちがいろいろな務めに当たっていくときには、それらの務めを通して、先ほどの主イエスの譬えで言えば、私たちが自分の生活を捧げることを通して、宝の埋まっている畑を少しずつ手に入れていく、そういうことをやっているのだということになると思います。
 私たちが自分の都合で務めを立てるのではない。そうではなくて、神が、その慈しみに満ちた支配をこの世界にもたらそうとして、そこで私たちが生きるようにと私たちを招いてくださっている。私たちは一つ一つの働きに仕えることを通して、主なる神が地上でなさる御業の道具とされていくのです。

 パウロはそのような僕である自分たちと、フィリピの教会の人たちが同じ恵みに与っているのだと語った後で、祝福の言葉を告げています。2節「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」。僕であるパウロとテモテ、そして主イエス・キリストに結ばれて生きている教会の群れと、そこに生きている一人一人に与えられるものは何か。それは「父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和」であると言っています。
 これは少し言葉が違っていますが、今日の私たちの教会で「祝福授与」として与えられているものと同じではないかと思います。ここには「聖霊」の名が出てこないとか、「神の愛」が「平和」という言葉に置き換えられているとか、ちょっとした違いはありますが、しかしこの言葉は、私たちが礼拝の最後に聞く祝福授与の言葉の源流になっている言葉の一つです。
 そして、ここを読んでいて大変印象に残ったのですが、日本語聖書ですと「あなたがたにあるように」という、希望や願望を表す言葉になっていますが、実は、原文では、「ように」は無く、神と主イエス・キリストからの恵みと平和が「あなたがたにある」という言い切りです。聖書にそう書いてあるからこそ、私たちの教会では、礼拝の最後は祈りではなく、「あなたがたにある」という言い方になっているのです。

 神が私たちに恵みと平和を与えてくださっている。私たちはそれを受け取って、そして仕えて生きるようにと召されている、そういう一人一人です。フィリピの教会の人たちがそういう一人一人であると言われているように、私たちも神に仕えて、それぞれに教会での務めを果たしながら、恵みをいただき、平和をいただき、そして愛をいただいて歩んでいく、そういう群れなのです。

 従って、私たちの信仰生活というのは、私たちの願い、願望の上にあるのではありません。そうではなくて、神が確かに「この生活を生きるように」と教会生活を与えてくださっている、その上に私たちの信仰がある。そしてその生活の中に神の恵みと平和、愛と交わりが確かに置かれているのだということを覚えたいのです。
 私たちは毎週毎週礼拝を捧げて、神を讃美しながら、神の恵みと平和、愛と交わりを確かにいただいて、ここで生活をしていきます。そのようにして、主イエス・キリストその方を、私たち一人一人の上にまとわせていただきながら、終わりの日までを歩んでいきたいと願うのです。

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