聖書のみことば
2015年4月
4月3日 4月5日 4月12日 4月19日 4月26日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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4月26日主日礼拝音声

 シモン
2015年4月第4主日礼拝 2015年4月26日 
 
宍戸俊介牧師(文責/聴者)
聖書/マルコによる福音書 第15章21〜24節

15章<21節>そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。<22節>そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。<23節>没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。<24節>それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。

 ただ今、マルコによる福音書15章21節から24節までをご一緒にお聞きしました。主イエスがピラトの官邸から連れ出されて十字架に磔にされるまでの短い道のりの中で起こった出来事が語られています。

 まず21節「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」とあります。十字架に向かう道すがらに、ちょっとしたハプニングが起こったかのような語り方です。主イエスが官邸から往来へと連れ出される、そこに田舎から出てきたキレネ人が通りがかる。主イエスは既に鞭打たれてひどく衰弱していて、とても十字架を背負ってゴルゴタの丘を登って行けなかったために、ローマ兵は槍などをちらつかせながら、通りがかりのキレネ人に十字架の横木を担がせたというのです。
 十字架刑は必ず死に至らせる刑罰ですから、私たちはその過酷さの方に気を取られて忘れてしまいがちですが、十字架の前に主イエスが受けられた鞭打ちという刑罰、これも十分に厳しい刑です。当時、十字架刑の者の多くはその前に鞭打たれたのですが、鞭打たれている間に痛みと出血によってショック死をしてしまったこともあったようです。鞭打ちは痛みつけて懲らしめるということが目的ですから、傷まない筈はありません。鞭打たれた者が、その後に十字架を背負っていく体力が残っていないのは特別なことではなかったでしょう。むしろ、十字架刑に携わるローマ兵はそういう事態を想像して、この日も、誰か主の十字架を背負わせるのに適当な人はいないかと物色していて、そこに運悪く通りがかったキレネ人シモンが選ばれてしまったということでしょう。もちろん、シモン自身にとってみれば思いがけないことでしょうが、十字架刑が行われる際には、このようなことはよく起こっていたことです。

 しかしです。4つある福音書の中の、比較的古く書かれたマタイ、マルコ、ルカ福音書には、例外なく、この「キレネ人シモンが主イエスの十字架を担いだ出来事」が記されております。「シモンという名のキレネ人が主イエスの十字架を担いてゴルゴタの丘を登って行った」、このことを決して忘れてはいけないことであるかのように、3つの福音書は共通して語っているのです。4つの福音書はそれぞれに特徴があり個性を持って書かれていますから、ある福音書に書いてあっても他の福音書には書かれていないということもあります。そういう中で、複数の福音書が異口同音に語っている出来事というのはそれほど多くありませんから、そういう出来事は非常に大切な出来事なのだと言われます。各福音書の筆者が示し合わせて書いているわけではない。ですが、それぞれに「これは落とせない出来事だ」として書いているのですから、このキレネ人シモンの出来事は、非常に大切な出来事ことであるに違いないのです。

 それでは、どういう意味で大切なのでしょうか。今朝は、このキレネ人シモンを通して神が私たちに何を語ろうとしておられるのかを考えながら、聴いていきたいと思います。
 キレネ人シモンは、初代教会においてどのような人物として捉えられたのでしょうか。「主イエスの十字架を担いだ人だ」と、皆がそう思ったことでしょう。少し説明しますが、先ほど私は「十字架の横木を担いだ」と申しました。十字架は縦の長い棒と横の短い棒が組み合わさっています。欧米の絵画や映画などを見ますと、主イエスが縦の長い棒を担いで歩まれる姿がよく描かれておりますけれども、しかし実際には、縦木を背負って丘を登るのは無理なことです。人がそこに掛からなければならない棒ですから、電信柱みたいなものでなければ人の体重を支えられません。そして、そういう棒を持つとすれば、どうやって持つかと言えば、中心を持って天秤棒のようにするでしょうから、そこに横木が付いていたら、とても水平を保つことはできません。ですから、十字架を運んでいると言われるのは横木のことです。縦木はゴルゴタの丘に最初から立てられているのです。そこに引き上げられ磔にされる、それが十字架です。
 ローマ兵に脅かされながら、十字架の横木を無理やり担がされたキレネ人シモン。問題は、どうしてこのシモンがこの出来事によって後々まで教会に覚えられるようになったかということです。最初に言いましたが、十字架刑の場合、大抵の人はそれを背負う体力はありません。ですから、それを一緒に担ぐ人がいることは珍しいことではない。それにも拘らず、シモンは初代教会において、「あの人が主イエスの十字架を背負った人だ」と言われるようになりました。なぜでしょうか。それは恐らく、主イエスが弟子たちに前もって一つのことを教えておられたからです。

 調べますと、この教えも3つの福音書に出てきます。マルコによる福音書で言いますと、8章34、35節です。「それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。『わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである』」。主イエスは弟子たちに、「わたしに付いて来たい人は、自分の十字架を背負って付いて来るんだよ」と、先に教えておられました。ところが弟子たちは、こう教えられた当座は、主の言われた事柄を理解することはできませんでした。
 実は、「実際に十字架を背負って、主に従う者とされた」、それがこのキレネ人シモンです。「キレネ人シモンが、実際に主イエスの十字架を背負って主に従って行く」、その時まで、弟子たちは「十字架を背負う」ということの意味がよく分かっていませんでした。どう分かっていなかったかと言いますと、弟子たちは「十字架を背負う」というのは、自分の心の問題だと思っていたということです。自分がどこまでも主イエスに付いて行く、主を慕い自ら付いて行く、そのことが十字架を背負うことだと思っていたのです。そして弟子たちは、主に従う意思を十分に持っているのだから、自分たちは主に従える者だと思っていたのです。
 私たちも同じようなことがあるでしょう。自分のすべてをかけて主イエスに付いて行こうという思いを持つ、そのことが即ち、十字架を背負っていることだと思うということがあるかもしれません。

 弟子たちが実際にそう思っていたことがはっきり示されるエピソードがあります。主イエスが逮捕される前の晩、弟子たちと一緒に過越の食事をなさる、いわゆる最後の晩餐ですが、その後で主は弟子たちに、「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』」(14章 27節)と言われました。「あなたたちは皆、逃げ去ってしまうよ」と教えてくださったのです。ところが、それに対してペトロは「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言いました。さらに主とのやりとりの中で、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」とまで言いました。けれども後に、ペトロはこの言葉のしっぺ返しを受けることになります。
 ここで、なぜペトロは「他の人がつまずいても、自分は主に従っていける」と言えたのでしょうか。それは、「主に従う」ということが自分の心の問題だと思っていたからです。自分は主イエスをとても大事に思っている、従っていきたいという意思ははっきりしている。だから他の人の気持ちがあやふやになってつまずいたとしても、このわたしだけはつまずかないと言ったのです。しかも、ペトロがこう言ったとき、他の弟子たちも「同じように言った」と記されております。
 弟子たちは、十字架を背負って主に付いて行くということは、自分の心の、姿勢の、意思の問題だと思っておりました。しかし実際に、主イエスが十字架に上げられたときにどうなったかと言いますと、シモン・ペトロを始めとして「死んでも従います」と言っていた弟子たちは、誰一人そこにいませんでした。そして、実際に主イエスの十字架を背負ったのは、シモンペトロやその他の弟子たちではなくて、大変不思議なことですが、同じシモンという名を持つキレネ人でした。
 この出来事は、12弟子を始めとして、主に従って行こうと思っていた他の弟子たちにとっては大変な驚きであり、ショックだったと思います。しかし弟子たちは、このキレネ人シモンの姿から、実際に十字架を背負っていくということがどういうことなのかを深く知らされ、教えられたのです。それだからこそ実は、この出来事は、3つの福音書が決して書き落としてはならない出来事として共通に記しているのです。

 主イエスは「わたしに従って来る者は皆、十字架を背負って従って来るのだよ」と教えられました。またその時に主イエスは、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」と教えられました。今日のところで、十字架を背負わされたキレネ人シモンと対照的であるかのように、ローマ兵たちの姿が語られています。このローマ兵たちは、人間的に特別に悪いとかいうことはなかったと思います。けれども彼らは、主の十字架の出来事のもとで、24節「イエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから」と、主の服をくじ引きして分け合って、役得だと言って喜んでおります。良いものが当たったとか、当たらなかったとか、そういうことに一喜一憂しながら、この人たちの人生は過ぎていきます。そして遂には、自分の人生を損得で考えながら最後の時を迎えてしまう、運の良し悪しを言いながら死なざるを得なくなるのです。
 十字架を背負わされて歩むシモンと、損得に一喜一憂するローマ兵たち、その間に、主イエスが立っておられます。主イエスは、すべての人の罪を覚えてこれから十字架にかかろうとしておられる。主の十字架の贖い、赦しは、信じるすべての人に与えられる力あるものです。しかしそれは、主がすべての人と等距離に立っておられるということではないと思います。主との「間わい」が近い人も遠い人もいる、そう思います。

 今日の箇所で、主はシモンとローマ兵士たちの間で何をなさっているでしょうか。23節「没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった」とあります。「没薬を混ぜたぶどう酒」、これは当時、十字架にかけられる人に対してエルサレムの人々が示した哀れみの行為だったのだと多くの注解書に記されております。没薬を飲ませると感覚が麻痺して痛みが和らぐというのですが、わたしは本当だろうかと疑っております。もともと没薬の使い方は防腐剤ですから、体に塗って使うものです。ですからそれを服用してしまったらどうなるのか、医学的には分かりませんが、もともと飲用ではないので、ぶどう酒に混ぜたのでしょう。
 痛みが和らぐだろう、そういう人々の哀れみの気持ちから差し出された「没薬を混ぜたぶどう酒」を、しかし、主イエスはお受けになりませんでした。痛みを和らげることが期待できるかもしれない、なのにどうして、主イエスはその飲み物をお受けにならなかったのでしょうか。その理由、それは、その杯が「神が備えてくださった杯ではなかった」からに違いありません。
 主イエスは十字架の前、ゲッセマネで、「この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られました。主はここで、神が備えてくださっている「十字架の杯」を飲み干そうとなさっておられる。そしてその際に、姑息な仕方で、痛みや苦しみから逃れようとはなさらないのです。十字架にかかるということは、その十字架の痛みも苦しみもすべてをご自分に引き受けることだと、そう思って、主はそこに居られる。だから「没薬を混ぜたぶどう酒」をお受けにならない。そして、そういう仕方で主イエスは、ローマ兵たちよりも、キレネ人シモンの方にずっと近く寄り添って立っていてくださるのです。

 キレネ人シモンは大変不思議な人物だと思います。12弟子のように、「わたしは従います」と言って、主に従ったわけではありません。田舎から出てきて、たまたま通りがかったと書いてあります。不思議な神のなさりようによって、神を信じない人から見ればただの偶然のような出来事によって、シモンに主イエスとの関わりが生まれます。そして、最初は兵士たちに脅されてではあるのですが、そこで逃げ出すことなく、十字架の横木を背負ってゴルゴタへ登って行っております。本当に不思議なことですが、しかし、このようなことは、私たちの信仰生活においてもあることなのではないでしょうか。
 どうして私たちはそれぞれに教会に連なることになったのか、思い返してみていただきたいと思います。始まりは皆、違う形だったでしょう。しかし、私たちは生まれた時から主イエスを知っていたわけではありません。一人の例外もなく、誕生からこれまでの間のどこかの時点で、主イエスとの出会いが与えられているのです。場合によっては、それは自分の思いではなかったかもしれません。誰かに連れて来られたのかもしれないし、行きがかり上、教会に連なりつつも反発していたということもあるかもしれません。私たちは、入口はいろいろだけれども、皆、神の招きによってこの教会に集められ、そしてそれを引き受けて、いつしか自分のこととして礼拝に集まる者とされています。

 キレネ人シモンの姿が教えていること、それは、信仰生活は最後は自分の意思で従うのだとしても、その始まりは人間の心の中にあることではないということだろうと思います。ペトロを始めとする弟子たちは、従うことを心の事柄だと思ったのです。「わたし」が従うから、主イエスに付いて行けるのだと思った。ところが、人間の心とは、移ろいやすいものなのです。私たちもそうでしょう。自分ではこうだと思っていても、少し時間が経つと、あの時なぜあんなふうに思ってしまったのだろう…と思うことがあると思います。心が厚く熱するということがあったとしても、人の心は移ろいやすく変わりやすい。ですから私たちは、自分の心から始めて、神に従い通すなどということはできないのです。「始まりは、神が備えてくださる」のです。キレネ人シモンが、まさに思いがけない仕方で主との関わりが与えられた、そしてシモンはその中で「十字架を背負う者とされた」ということなのです。
 3つの福音書が、そういうシモンの姿を共通して語っております。シモンとすれば、十字架の横木を背負うことを強いられて、最初はとても驚いたことでしょう。その日、シモンにはシモンの予定があったでしょうし、迷惑だったことでしょう。しかしまさにここで、「十字架を背負って主に従う」ということが起こっている。私たちの信仰生活においても、このシモンが経験したようなことが起こるのだと思います。

 神は本当に不思議な仕方で、シモンに、十字架の横木を運ぶという務めを与えられました。そして、私たちにも神は、十字架の印を「洗礼」という形で一人一人の上に置いてくださっている、そして私たちが「主イエスを持ち運んでそれぞれの人生を生きていく」という招きを与えてくださっているのです。キレネ人シモンが、全然主イエスと関わりなかった人であるにも拘らず、思いがけず主の十字架の一端を担わされてゴルゴタの丘まで運ぶように求められた、このことは、私たちにとっても大変意味深いことですし、幸いなことであったと思います。私たちは、自分の心が熱している時だけではなく、いつでも、実は、主イエスの十字架を背負って生きていくように求められているのです。

 そして、最後にもう一つ、忘れてならないことがあると思います。シモンは確かに主の十字架を背負い、人々の嘲りや好奇の目を主イエスと共に受けることになりましたが、しかし、ゴルゴタの丘を登りきったとき、そこにある十字架に誰が掛かったのかということが、決定的に大事なことです。シモンは確かにゴルゴタの丘まで十字架を運びましたが、最後にそこで十字架に掛かってくださったのは主イエスでした。
 私たちが日々運んでいる十字架の印は、最後のところまで私たちが仕上げて完成させるものではありません。私たちは主イエスに伴われて日々を歩んでいる、そういう思いを持って歩みますけれども、しかし、他の人たちの執り成しのために、自分の罪の執り成しのために、自分で十字架に掛かるのではありません。主イエスが既に、私たちのために十字架に掛かってくださっています。私たちが十字架の印として引き受けなければならない日々の労苦、あるいは骨折り、苦しみや悲しみ、痛みは、最後には主イエス・キリストが引き受けてくださっている。ですから、主イエスは弟子たちに教えてくださったのです。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」と教えてくださっているのです。
 私たちは最後の最後、死んでしまっていなくなってしまうのではありません。主イエスが共に歩んでくださる、その中で私たちは、最後には命を救われて生きる者となるのです。
 たとえ今、この地上の生活において、思うようにならずに苦しみや悲しみや寂しさを持つことがあっても、主がそこに居て、最後には、私たちの命を確かにしてくださるのです。「あなたの人生には多くの不自由があった、苦しみがあった。けれども、しかし、あなたはそういう人生をよく生きた。あなたは永遠の命に結ばれているのだよ」とおっしゃってくださるのです。

 そして実は、そのように持ち運ばれる人というのは、その人限りで消えていくのではなく、将来に繋がっていきます。今日のこの箇所で、キレネ人シモンは自分の名前だけで登場しているのではありません。「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」と、子供たちの名前が記されています。このアレクサンドロとルフォスが、教会の中で誰も知らない人たちであったなら、ここに名が出てくるはずはありません。私たちはもちろん、アレクサンドロやルフォスが何をした人か、細かく知っているわけではありませんが、初代教会の人たちからすれば、「ああ、あのアレクサンドロだな、ルフォスだな」と分かったのです。実際に、ルフォスは、ローマの信徒への手紙に「神に祝福されたルフォス」として名が記されています。
 シモンが思いがけず主イエスの十字架を背負ったおかげで、シモンの家庭には神との関わりが生まれることになりました。そして、子供たちが父親の跡を継いで信仰生活を続けるようになったのです。このキレネ人シモンに起こった出来事が、私たちに起こらないと、どうして言えるでしょうか。
 私たちは、日々の生活を神から与えられて歩んでいきます。この務めに、私たちは心を傾けて仕える者でありたいと思うのです。自分の思いを第一に考えて自分中心に生きようとするとき、私たちは、人生の嫌なことからとかく逃げたくなります。自分に与えられている人生を受け止めないで、やり過ごそうとしてしまいます。しかし実は、私たちは、目下のところは思うようにならない事柄を含めて、この命を神から与えられて、それぞれの命を生かされています。私たちの地上の命の時間というのは、私たちの目に好ましく見えることも、そうでないことも含めて、神が全てを備えてくださっているのです。

 キレネ人シモンが、与えられた十字架を背負うという務めを思いがけないことではあったとしても引き受けて歩んだように、私たちも、今日、それぞれに与えられている生活の務めを感謝して引き受けていく者とされたいと思います。
 そしてまた、そのような私たちの歩みの中から、さらに次の世代の信仰者が起こされることを切に願いたいと思います。
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