聖書のみことば
2013年2月
2月3日 2月10日 2月17日 2月24日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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 からし種
2月第1主日礼拝 2013年2月3日 
 
北 紀吉牧師(文責/聴者)
聖書/マルコによる福音書 第4章30~34節

4章<30節>更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。<31節>それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、<32節>蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」<33節 >イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。<34節>たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

 30節、主イエスは、更に続けて譬えを語られます。「神の国についての譬えをなそう」と言われるのです。「何にたとえようか」と、聞く者の思いを察しつつ語られます。
 聞く人々の理解力に応じて、主イエスは語っておられます。結論としては、33節「人々の聞く力に応じて」と記されておりますが、34節「御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された」とありますので、この譬えには説明が必要であることが前提とされているのです。

 では、なぜ、何のために譬えで語られるのでしょうか。それは、人々が「聞くように」なるためです。「繰り返し、主イエスに聞く」こと、それが答えなのです。理解を求めるのではなく、何度も主イエスに聞くことにより、神の国を実感させようとしているのです。自分たちは神の支配のうちにあるのだと実感させようとしているのです。
 理解には陥りやすい罠があります。自らの力で理解しようするのです。しかし、そうではない、交わりの中で実感する、交わりの中で「救いを感じていること」が大事なのです。

 主イエスが神の国について語ってくださっております。神の民とされていることを交わりの中で感じ取っていけるか。心を主イエスに向けさせて実感させるのです。「何でですか」という問いが大事なのです。
 2、3人、主の名によって集まるところに神は臨まれます。そこで、神は恵みを示してくださるのです。神の国は、定義づけることでなく、実感することです。

 ここで、31節、神の国は「からし種のようなものである」と言われます。「からし」は、雑草にすぎません。32節「蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくな」るというのです。「葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」ほどに、「地上のどんな種よりも小さい」種が、地上を覆い尽くすのです。
 これは「汚れ」です。それは、由々しきことです。ユダヤ人は、純粋を求める民ですから、「汚れ」は受け入れ難いのです。

 にも拘らず、地上を覆いつくした雑草、それが神の国だと、主イエスは言われます。おそらく、主イエスのこの譬えは、聞いた者を絶句させたことでしょう。聖人君主ではなく、罪人で溢れているのが天国だというのです。しかし、その「罪人」は「罪赦された罪人」なのです。

 私どもは、主イエス・キリストの贖いを受けた者として、汚れにすぎない者、罪人でありながら、神の国の民、神の民とされるのです。

 私どもがどんなに罪深い者であっても、十字架の主イエス・キリストに贖われ、救いの恵みに生かされて今あるのです。
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