聖書のみことば
2013年1月
1月1日 1月6日 1月13日 1月20日 1月27日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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 人からでなく、神によって
1月第3主日礼拝 2013年1月20日 
 
小島章弘牧師 
聖書/ガラテヤの信徒への手紙 第1章1~10節

1章<1節>人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、<2節>ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。<3節>わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。<4節>キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。<5節>わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。<6節>キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。<7節>ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。<8節>しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。<9節 >わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。<10節>こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。

 パウロの手紙から神の言葉に耳を傾けます。

 日曜学校の頃にパウロの手紙は、新約聖書に13通あると教えられました。今では、一般的に4通ぐらいだといわれています。     

 ガラテヤの信徒への手紙は、わたしたちキリスト教徒にとって信仰生活の羅針盤のようなものです。信仰に迷ってしまったときに、手元においておくものとして最適なものといえましょう。
 宗教改革者マルチン・ルターは、この手紙を「自分の妻」と呼んでいます。それほどまでに、そばにいて欲しい存在として大切にしていたのでしょう。それを愛し、それに聞いて、学んで、助けられ、力づけられていたということだということでしょう。

 今から約1960年以上も前のもので、紀元54年ごろ執筆されたものと考えられています。パウロの死の20年ほど前のものになります。
 ガラテヤは、現在のトルコの首都アンカラ周辺でありました。パウロは、ここに少なくとも2回訪れているようです。第1回は、49~50年頃で、いわゆる第2回伝道旅行のとき(使徒言行録16:6)、再度訪れたのは、53年頃であったと思われます(使徒言行録18:23)。したがって、この手紙が書かれた時代は54年頃と推定されています。

 手紙を書くときには、必ず動機があります。この手紙をパウロが書いたときは、エフェソに滞在していたときと推定されますが、ガラテヤからエフェソにたどり着いて間もなくの頃と考えられます。パウロの耳に、ガラテヤからのうわさが聞こえてきて、パウロは心穏やかではありませんでした。それは、パウロがガラテヤで「律法によって救われるのではなく、キリストの十字架の贖いによってのみ人は救われる。信仰のみ」ということを伝えてきたのに、ユダヤ教の律法主義者が入り込んで、信仰だけでは不十分であると扇動したからです。
 また、それとセットで、パウロの使徒職に対する非難があったと思われます。つまり、パウロはイエスの直弟子ではない、弟子の資格がないということが問題視されていることを伝え聞いたのです。したがって、パウロの伝える福音は不十分なのではないか、イエスとの関係が希薄であるということが根本にあったと思われます。

 そのことで、パウロは激怒して、エフェソ滞在中に、この手紙を送ったと考えられます。ですから、この手紙には、怒りが渦巻いています。たびたび、激しい言葉が使われているのは、そのことを示しています。ですから、この手紙には「怒りの手紙」というニックネームがつけられています。パウロが、これほどまでに怒りをあらわにすることの背景には、「キリストの福音」を守るためと、「ほかの福音」から守るためとの両面がありました。

 パウロの理解は、48年のエルサレム会議(ガラテヤ2:1、使徒言行録15:1)と49年のアンティオケア事件(ガラテヤ2:11~14)を経験して、神の恵みは十字架で完全に実現しているもので、信じる者に無償で与えられ、そのことが人を律法から自由にするものであることを確信させるものでした。このことを基盤として、パウロは「キリストの福音」を、相互の理解の上で伝道に励んでいたわけです。
 しかし、ガラテヤでの問題は、それとパラレルなことに気づいていたのです。

 さて、本文に入ります。1~5節までは、パウロの長い自己紹介になっています。自分は使徒(ギリシャ語でアポストロス)であることを強く主張しています。 アポストロスとは「遣わされた者」との意味がありますから、パウロは神から遣わされた者であることを確信していました。「人からでもなく」、「人を通してでもなく」神から遣わされた者であると言い張ります。これは、神から一方的に、自分の側に何の値なくということですから、明らかにパウロは、神によって無償で義とされたという贖いの信仰とパラレルに信仰を捉えていたことは明らかです。
 つまり、「イエス・キリストと神とによって」、しかもキリストの十字架と復活とに裏付けられていることです。十字架、復活こそが救いの基盤であるということは、パウロの信仰の生命線でありました。

 パウロは、普通手紙で必ず感謝を述べていますが、この手紙には感謝がないということも注目しておきたいことです。おそらく怒りのほうが強かったのでしょう。

 いよいよ本題に入ります。6節からですが、「呆れている」(タウマゾー)とは、福音を律法による義に乗り換えてしまっていることに呆れているということです。 現在形ですので、それが今も続いていることです。この9~9節までの数節で5回も「福音」という言葉が使われていますが、そのことによって、パウロが如何に福音にこだわっていたかということを窺い知ることができます。パウロにとって当然のことですが、「ほかの福音」「別の福音」があるわけがないのです。

 呪われよ(アナテマ)という言葉を2回も使っていることは、パウロが如何に怒り心頭に達していたかを物語っているといっていいでしょう。福音とは、イエス・キリストの十字架と復活によってもたらされたよき訪れ、救いです。
 人間の救いについては、種々の宗教、哲学が説いております。大別すると、無知、死、苦悩、罪の4つになるといわれております。キリスト教は、いうまでもなく「罪からの救い」を救いとしてとらえております。
 罪とは、ギリシャ語では、ハマルチアで「的外れ」という意味です。罪という日本語は誤解されやすいもので、法律的な罪は、罪人(ざいにん)といいますので、それとは区別しなければなりません。英語では、犯罪を意味する言葉と宗教的な罪を意味するものとは区別されています(crime とsin)。古い英語では罪を表す言葉は、「切れ切れ」とか切断、断絶を意味します。
 人はいろいろと断絶を抱えています。まず、自分を受容できないことがあります。自分を好きになれないのです。また、他者との関係で失敗することがあります。しかし、もっとも深刻な断絶は神と切れていることです。神と断絶していることが罪というわけです(神との交わり喪失)。
 カトリックの司祭本田哲郎神父は、私訳聖書の「小さくされた人々のための福音」で、罪を「道をふみはずす」と訳しています。的外れ(ハマルチア)と近いかもしれません。その切れ切れを一つに結んだのがキリストの十字架であるとパウロは受け止めたのです。それが、パウロの福音なのです。それは、彼自身が、キリストを迫害していたことと重ねていたのでしょう。 

 つまり、修行して悟りにいたるとか、掟を忠実に守るとかとはまったく真逆で、神の恵みにゆだねること、神にすべてを明け渡して生きることを、パウロはガラテヤの人たちに訴えています。自分を肯定して、自己実現していく俺が主義、自分をがんじがらめに縛ることとは違います。
 そうではなく、「自分が神に受け入れられていることを感謝して生きること」、それが「福音よって生きることが、人を自由にするということだ」と、パウロは、ガラテヤの手紙で訴えているのです。
 それがまさに「人によってではなく、神によって」ということに他なりません。

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