聖書のみことば
2013年11月
  11月3日 11月10日 11月17日 11月24日  
毎週日曜日の礼拝で語られる説教(聖書の説き明かし)の要旨をUPしています。
*聖書は日本聖書協会発刊「新共同訳聖書」を使用。

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 ふところに抱く神
11月第3主日礼拝 2013年11月17日 
 
加藤 誠牧師(文責/聴者)
聖書/イザヤ書 第40章3〜11節

40章<3節>呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。<4節>谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。<5節>主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。<6節>呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。<7節>草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。<8節>草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。<9節>高い山に登れ 良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ 良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神<10節>見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ 御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い 主の働きの実りは御前を進む。<11節>主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め 小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

 私は現在、日本基督教団「世界宣教委員会」幹事の仕事をしております。そこで「宣教師派遣」の仕事もしており、仕事の関係上、海外を回っております。

 マレーシアでは第二の人生をクアランプールで過ごす方も多いようです。東海教区におられて最近隠退された山本将信先生に4か月行っていただくことになっております。
 日本からの宣教師派遣の歴史を見ますと、アメリカが一番古いのです。
 サンノゼに日本人教会があります。十字路に在米一世の方が残した碑があり、「感謝、辛抱、仕方が無い、子供のために」と刻まれております。子供たちがよりよく生きれるようにと、一生懸命働かれたのだなと想像します。三世ともなると日本語が通じずアメリカ的ですが、五世は日本のルーツを求めるようです。
 海外からの宣教師は日本人と結婚し日本に永住する方も多いようです。

 さて、イザヤ書40章は、捕囚の民イスラエルが、バビロニアからイスラエルへ帰還する話です。強制的にバビロニアに移住させられたイスラエルは、そこで50年を過ごし、帰る時が来ました。そのために「神が道を備える」と言われます。

 6〜7節、しばしば人間を「野の花、草」にたとえることがあります。それは、人の命を、弱くはかない命として見ているということです。けれども、草や花は根付くものです。人も、50年もその地に住めば根付くのです。
 神学校卒業時に言われることは、「土地を愛しなさい」ということです。その地で人を愛しなさいと。恐らく人は、置かれたその土地に根付こうとするのでしょう。ですからイスラエルの民からすれば、「今更、勘弁してください。1000kmも離れたエルサレムへ、もう行く気もありません」という思いではなかったでしょうか。

 しかし、8節「わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」と記されております。
 この預言者、イザヤは訴えます。9〜11節「良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな ユダの町々に告げよ」と。神は羊飼い、だから群れが草のように花のように弱いのであれば、11節「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め 小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる」と語ります。

 神の御言葉を信じる人ではないのか、神様とはこういうことをなさるのではないのか。

 先日、韓国・釜山で開催された世界教会協議会(WCC)第10回総会に出席しました。そこで、話し合いグループの司会をしたのですが、様々な国での苦労、いろいろな状況の中に教会が置かれていることを知りました。けれども、一致したこと、それは「教会は神のみ言葉に従う教会でなくてはいけない」ということでした。
 そこにおいても、この8節の御言葉「草は枯れ、花はしぼむが わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」ということを教えられました。

*手違いで録音が取れませんでしたので、残念ながら音声ブログはありません。

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